続・路傍の花編

 野の花ということでもない。通りすがりの庭の花のこともある。撮ろうと思うことの中に、私の好みと気持ちは生きている。気持ちを花に張り付けて生きている瞬間なのだと思う。


撮影・文  林  桂


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薔薇(2009・11・22日撮影 前橋市 バラ園)

 秋も深い(初冬)バラ園には人影はほとんど無い。それでもバラは寂しく咲いている。ならばせめてこの時期に一番綺麗に咲いている花を探そうと回る。そして見つけたのがこの花。「マイグラニー」と品種名があった。「デンマーク ポールカン1991年作出」とある。美しい冬のバラを楽しみたい人にはお勧めか。何しろ沢山の種類を集めたバラ園の中で比較検討しての結果。判定者は素人だが、豊富な対象は本物。


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石蕗(2009・11・22日撮影 前橋市)

 同じく句会散策の折りにヒメツルソバの近くに咲いていた。花の盛りは過ぎて散り際。これはこれで今の季節感に添う。 

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ヒメツルソバ(2009・11・22日撮影 前橋市)

 鬣同人との句会の散策の折りに民家の石組みの上に発見。名前は永井さんに教えていただいた。写真では、落葉の上の雪のように白く見えるが、実際は薄いピンク色の花。ソバの名前のとおり、ソバの花に似ているが、密集度は濃い。隣近所の庭にも色々な形であった。コミュニティが感じられる。


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林檎(2009・11・8日撮影 みなかみ町)

 子どもの絵か絵本のように実をつけた林檎。市販用としては数が多すぎる生らせ方も、景色としては美しい。品種は陽光。

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曼珠沙華(2009・10・19日撮影 沖縄県 今帰仁城)

 黄色い曼珠沙華は初めて見た。石積みの城趾のあちらこちらに咲いていた。花の盛りは過ぎている。不思議な感覚。蝉がしきりに鳴いている。沖縄では、3月から11月まで鳴いているとのこと。高く製材所のような音だが、近くで聞くと猫が鳴いているようにも聞こえる。「ちんすこう」に聞こえるとは同行者の弁。「オオシマゼミ」と教えられる。ミンミンゼミとヒグラシの中間くらいの大きさ。透明な羽の蝉だ。近くに寄っても逃げない。

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夏水仙(2009・7・31撮影 三重県名張市 藤堂家邸庭)

 三重県名張市の藤堂家邸跡の庭に咲いていた。梅の根元に一茎だけ。しかも細く弱々しい風情である。こういう咲き方もあるのかと心惹かれた。夏の花としては清楚な花であることを改めて知ったのである。

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ネジバナ(2009・7・12撮影 前橋市)

 前橋市郊外の某私立高校の庭に咲いていたもの。数年前から隣家の芝にこのネジバナが咲くようになった。種が飛んできて自然に生えたらしい。残念ながら、我が家の庭にはまだ飛来していない。息子の所用で運転手をすることとなった。帰りの時間まで近くの園芸店で過ごすつもりでいたが、庭が立派なのが気に入って、散策して過ごした。

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螢袋の花(2009・7・3撮影 みなかみ町)

 路肩のコンクリートのすき間に根を張っている。これが十メートルくらい続いて、三カ所あった。花も大きい。あまりの見事さに思わず車を止めて見入った。どうして、こんなことが起こったのだろう。螢袋の種が路肩のすき間に入ったからに違いないが、人が種を蒔いてもこんなに見事にはつながって咲かないだろう。来年同じように咲く保証はないが、もう一度見てみたいものだ。

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ヤマボウシ(2009・5・19撮影 前橋市)

 この花も広瀬川遊歩道にある。確認できているのは一株。これも山の木がったが、いまや庭木。隣家の庭にも咲いている。山で見ることもなくなった。尤も、私が山へ行かなくなっただけだろうか。紅葉の美しさは、この街路樹で発見した。

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エゴの花(2009・5・19撮影 前橋市)

 広瀬川添いの遊歩道に二株のエゴの木がある。花の盛りはご覧のような賑わい。田舎の里山に咲いていたエゴの木も、花の盛りになると目立ったが、これほどの花の付き方ではなかった。いまや山でエゴの花を見ることもなくなった。すっかり庭木や街路樹の木になってしまったのだ。それでも、エゴの花が咲くのは待ち遠しい。

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銀杏(2008・12・6撮影 足利市・鑁阿寺)

 足利市の鑁阿寺(ばんなじ)の大銀杏。樹齢550年。掲示によれば、寺への落雷を避けるための避雷針の役割を果たしていたという。根元からふたつに別れた樹形から縁結びの信仰があり、樹下でお見合いの風習があったという。ちょうど落葉の真っ最中。空も根元も黄色一色だった。ギンナンは落ちていないので、雄株と思われる。同じ境内に若い株があったが、ギンナンが落ちていた。同じく根元から二つに分かれている。こちらはこの株に倣った樹形かもしれない。

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楠(2008・8・12撮影 大三島・大山祇神社)

 大三島の大山祇神社境内の大楠。樹齢2600年。大山祇神社は国宝、重文の甲冑、刀剣を多数所蔵する。20年ぶりくらいの再訪。境内の樹木にはたくさんの蝉が鳴き続けていた。陽射しの強い一日だった。

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芍薬(2008・5・19撮影 高崎市)

 某高校の庭に咲いていたもの。大きな株がいくつもあって見事だった。その一株。花は少し盛りを過ぎ、雨の中で撮影したために花が重く下がり気味だが、風情はこの方があるかもしれない。手を抜かずに丹精する人がいるのだろう。

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麦秋(2008・5・30撮影 前橋市)

 前橋は麦秋が美しい所である。二毛作地帯で、冬季の田甫には麦が植えられている。5月中旬には、郊外に出ると至る所に麦秋が見られる。幾種類かの麦が植えられているようで、麦秋が美しいものとそうでないものとがある。禾が長くて枯れが強いのが美しい。やはり晴れた日が美しい。光を返して明るいのだ。残念ながら、写真は小雨の中でのもの。金の禾に雨つぶが宿って一面白く見えている。これはこれで一つの風情なのだろうが。雨で刈り取りが多少遅れるにしても、一週間後には、この景色も失われているだろう。拙句「クレヨンの黄を麦秋のために折る」の風景である。

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シャガの花(2008・5・5撮影 高崎市倉渕町)

 東善寺の小栗上野介の胸像近くに咲いていたものである。シャガの花を愛するようになったのは、高柳重信の「弟よ/相模は/海と/著莪の雨」に依るところが大きい。この日は曇天。この花を見た午後、雨になった。 

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黒椿(2008・5・5撮影 高崎市倉渕町)

 旧・権田村東善寺の小栗上野介の墓を覆って咲いている椿である。暗紅色の椿で、小栗が江戸から鉢植えとして持ってきたものと言う。遺愛の椿なのである。「黒椿」は品種名でないのだろう。こう呼ばれて来たのである。小栗が持ち帰った植木が、この一鉢だけだったかどうかは分からない。他にもあったと考える方が自然のように思う。幾つかある中から、この椿を遺愛のものとして選択して残した中に、後世の人々の思いが籠もっていると考えるべきだろう。いつか花の時期に訪れたいと思っていたものだが、訪れてみて花の時期と知った。5月咲きの椿であると書かれている。見事失念していたのだ。漠然と3、4月と考えていたので、これでは花の時期に来られるはずもなかった。偶然がプレゼントしてくれた。見ていると音を立てて花が散ってきた。その瞬間人々が、この花を選んだ訳が分かったような気がした。

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薄根の大桑(2008・5・4撮影 沼田市)

 樹齢1500年の山桑である。国指定の天然記念物。群馬では最高齢である。桑が最古参というのもいかにも群馬らしい。一度若葉の頃に見たいと思っていたので出掛けたが、若葉というのには早かった。桑は他の樹木に比べて芽吹きが遅いのでいい頃と思ったのだが。辺りは若葉から青葉に向かう山が広がっている。若葉のように見えるのは、実は青い桑の実で、それを覆うように申し訳程度に葉が芽ぐんでいる。山桑は実が先に芽吹くのを初めて知った。近くに神社があったが、この桑はこの神社の御神体だろうか。「養蚕の神さま」として信仰されてきたとある。ともあれ、神社も神も降り立ったのは、後からであることは確かだろう。拙句集『風の國』に「水子/加勢の/大風/大桑様参」があるが、心中にこの桑の印象があったことは確かである。もっとも「大桑様参」という行事も祭りもあるとは聞いていない。帰りに実家に寄り、畑先に、父曰く樹齢100年くらいの桑があることを思い出して観察すると、見事に桑の実が芽吹く山桑であった。何も見ずに過ごしてきたということだったのか。

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藤の花(2008・4・29撮影 前橋市)

 再び須賀の園の藤である。神代桜、逆さ桜と古木をめぐったので、藤の古木の様子が分かるように撮影してみた。樹齢200年を超えるものという。藤まつり開催のチラシのよれば、全部で9株。「ノダフジ」(赤・白)「ノダナガフジ」「シロフジ」「ヤエコクリュウ」種という。蔓性の古木ゆえ、大きな胴回りというよりは、ご覧のように樹木が裂けて八岐大蛇風に八方に広がっているのである。今年の花のつきは例年に比べてよくないようだ。

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モチの実(2006・12・27撮影 奈良二月堂)

 冬の奈良で目についたのが、モチノキの赤い実。あちらこちらにあった。写真は二月堂の階段脇のもの。中宮寺境内のモチノキには、札がかかっていて、名前を知った。群馬では見かけた印象がないが、奈良では印象の強い木だった。冬で色彩が乏しい樹木の中で鮮やかな赤。この季節に訪れて、モチノキが植えられている意味が分かったような気がした。

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逆さ桜(2008・4・20撮影 みなかみ町相俣)

 神代桜を一緒に見てきた息子が、かつて見た逆さ桜を思い出して、花の咲いている時期に見たいと言うので出掛けた。神代桜が国の史跡ならなば、こちらは県の史跡。格が違うだけ近づけてアップの写真である。樹齢500年くらいということなのだろうか。しかし、胴回りの大きさは殆ど変わらない。ただ、木肌はこちらの方がいかにも若々しい。以前に見たときには感じなかったことだ。時折見に来るひとがいて、それでも後を絶たない。シートをひろげて食事をする中年の夫婦。遠くで絵筆を取っているらしい初老の男性。近くの遊具では子どもがはしゃいでいる。カメラをぶら下げた老人が、遠くから退けと手払いをしているのが少々不愉快だった。遠くのアングルよりこのアングルの方がいいのに。

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神代桜(2008・4・5撮影 山梨県北杜市)

 路傍の花と言うには憚られる。意を決して見に行ったのである。しばらく以前に偶然見たNHKの深夜番組で、ベテランの女性歌手の映像に惹きつけられた。桜と水仙の黄色が美しい寺の境内で歌っていたからである。それが神代桜のある実相寺である。神代桜は樹齢2000年と言われ、日本三大桜の最古参株である。枯死の危機を乗り越えたばかりの姿である。水仙も美しかったが、映像で見た印象とは大分違っていた。根元に水仙の咲く長い桜並木を抜けると神代桜があると思っていたが、桜並木は思いの他短く、水仙は畑になっていた。神代桜も境内の外れにあった。株は大株というよりは、既に枯れている風情である。ともあれ、2000年。キリストとほぼ同齢の命である。

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ネジバナ(2006・7・21撮影・渋川市北橘)

 合併で渋川市になった旧北橘村の役場の庭は、草地になっていて美しい。ツバメが低く飛んで、エサを採るらしい姿がある。たまたま訪れたところに、意外な美しさがあった。旧役場は赤い瓦で、壁も同じトーンで統一されている。最初は養老施設かと思ってみていた。看板らしいものも挙がっていない。水が回っているのも美しい。今後もこのままの美しさで残るのだろうか。草地をよく見ると、ネジバナがある。思いの外多くて美しい。ケータイで撮ると、何ともみすぼらしくなるが、いたしかたない。


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菜の花と紫大根(2006・4・9撮影・群馬伊勢崎市境町剛志)

 利根川の岸辺である。バックに見える青とも灰色ともつなかいのが、川面である。どちらも、庭や畑を逃げ出して野草化したものである。花には蝶が訪れ、川面には燕が滑空している。初老の人が菜を摘みに現れ、同じく初老の人が釣りに現れた。
 子ども達は、川に注ぐ公園の人工の流れで、ザリガニ取りに挑んでいる。この流れは、螢を育てるために作られたもので、幼虫の餌となる蜷が住んでいる。
 ここに来るまでの公園では、花桃、桜が満開であった。

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冬桜(2005・11・27撮影・群馬県鬼石町桜山公園)

 上毛カルタ「三波石とともに名高い冬桜」の冬桜である。近くに住んでいた時期もあるので、行く気ならいつでも行けたはずだが、なんと冬桜の季節に来たのは初めてである。一度、春の桜の季節にきたことはあるのだが。つまり、この桜は二度咲きの桜なのである。さすがに春の花とは趣が違う。ご覧のように寂しい咲き方である。いろいろともの思うには、いい花かもしれない。
 こんなに味わい深いのに、来なかったのは一重に人出の多さにおののいていたからである。(もちろん、春の花の方が人出が少ない)道は一本道。逃げ道はない。渋滞を根気強く待つ努力が必要である。今回は思いの他短く30分くらいで到着。紅葉も美しい。近くには蜜柑狩りのできる所もある。群馬で蜜柑狩りができるとは、この歳まで知らなかったことである。出かけては見るものかもしれない。

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藤の花(2005・4・29撮影・前橋市)

 我が家は、前橋の旧跡「旧・藤のすがの園」に近い。というより以前は、我が家もその一部だったらしい。訳あって分割分譲されたところに転がり込んでいるのだ。我が家の場所はこのすがの園の元・池の跡地らしい。江戸期から続くという藤の古株のあるところは、そのまま市が買い取って、公園にする予定らしいが、これが一向に進まない。春には公開されていた名所が非公開のまま久しい。二十年前くらいに前橋に来た頃は、春の休日、この花の下でひとりビールを飲み、おでんを食べることにしていた。高浜虚子が前橋に来て、藤の句を詠んでいる。すぐにこのすがの園を疑ったが、真偽を確認せずにそのままである。

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ニワゼキショウ(2005・5・27撮影・群馬県・土屋文明記念文学館庭)

 遠目には殆ど目に見えない。近道をしようと芝生に踏み込んだら、小さな紫の花がたくさん咲いていることに気がついた。足の踏み場もないくらいの感じである。ほうほうの体で芝生から出た。数年前にはこの芝生にはなかった花である。どこからか入ってきたらしい。刈り込んだ芝の緑の中で映える花である。旧式の画素数の少ない携帯写真では、この花の魅力は伝えにくい可愛らしい花だ。
 調べれば北米原産の帰化植物。しかし、明治20年の渡来だそうだから年期が入っている。最初庭草として入り、庭から野に逃げ出したのだそうである。今は芝生の雑草としてたくましく、けなげに生きている訳である。




紫木蓮(2005・5・5撮影・群馬県新治村泰寧寺)

 辛夷、泰山木、朴、そして木蓮。この大振りな花の仲間が好きである。仲間と言ったが、植物学的に仲間かどうかは知らない。私が、勝手に仲間にしているだけである。鐘楼をバックに目の高さに、木蓮の花があった。ゴールデンウイークの「たくみの里」が近くにあり、観光客で込んでいたが、ここ泰寧寺はひっそりとしている。何組かの家族連れとすれ違う程度である。
 「葱」という小さな俳句同人誌を、友人達と学生の頃出していた。その創刊号の表紙は、木蓮のペン画であった。私が書いた。そのくらいささやかな雑誌だったのである。なぜ木蓮の絵かなどということは、考えもしなかった。好きな花なので書いたという程度である。そして、この写真のように、目の前に木蓮の花が咲いていたから、スケッチしやすかったという程度だったのである。
 しばらくして、友人の伯父さんか、その知り合いか何かに表紙絵を頼むようになって、私のペン画の出番はなくなった。



水芭蕉(2005・5・2撮影・赤城山覚満淵)

 覚満淵を知らないと言ったら、家人に不思議がられた。赤城の「尾瀬」のようなところで、有名らしい。近くには「御製」の碑もあったので、なるほどそうらしい。この淵の前の道路は何度も行き来しているが、車を止めてみようとしたことがなかったのである。息子さえ環境冒険隊で来ていた。水芭蕉は小さくお行儀よく並んでいた。人が植えたものであろう。淵の中には、もやっとした何かの卵らしいものが沈んでいた。知っているカエルやイモリの卵の様子とは違う。何の卵だろう。気持ちももやっとする。息子はティシューペーパーじゃないかと言い出す始末。本気か冗談か解らない。確かに水の中でふやけているティシューに似てはいる。



白花タンポポ(2005・3・21撮影・於前橋市)

 家の前の道路の端。アスファルトと路肩のコンクリートの隙間に芽生えていたものである。庭までの距離30メートルもないだろうか。ひょっとすると来年は、我が家の庭にもシロ花タンポポの花が咲くかもしれない距離だ。(もっとも雑草として抜かれないかぎりという条件がつくが)群馬でもシロ花タンポポは、前橋近郊でしか見かけたことがない。唯一の例外は、群馬町の国分寺跡の草原で見かけたものである。北毛で生まれ、西毛、東毛と職場を得てきたが、シロ花タンポポは見かけなかった。中毛前橋に来て、初めて見たときは興奮した。掘り起こして持ってきたい衝動にもかられた。やがてそれほど見かけない珍しいものではないことに気づき興奮もおさまった。それでも、見ると足が止まる。管見であるが、なぜ群馬の中毛地区にだけシロ花タンポポが咲くのであろう。不思議だ。これだけ過酷な場所に咲いているシロ花は初めて。足繁く通おう。(4月中旬、現伊勢崎市の旧境町に出かける機会があったが、そこの公園でシロ花タンポポの群生を見た。認識エリアを少し広げることができた)

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オクラ(2004・10・23撮影・於前橋市)

 あの食用のオクラの花である。畑の隅に十数株植えられていたから、農家の自家用であろう。秋ともなって、花も夏の半分くらいの大きさで小ぶりになっている。しかし、丈は二メートルくらいになって、風に揺れている。さすがにオクラの実はもう大きくならないのか、収穫後なのか一つもない。母の通院の運転手をすることがあって、その待ち時間の散歩に何度か通った花であった。それにしても、食用にしておくのが勿体ないくらい美しい花である。これが観賞用にならないのは、丈が高くなりすぎるからなのであろうか。

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コスモス(2004・10・1撮影・於群馬県新治村)

 まさしく路傍の花のコスモス。この花の右は道路である。どこかか弱そうでいて逞しいのがこの花だ。手前の花の中にはミツバチが入ってくれた。秋の日だまりの中に虫たちも集まっているのだ。「雄猫の老いてかえりぬ秋桜」という高校2年のとき、学習雑誌に秋元不死男選で載った作品がある。俳句に熱を入れる切っ掛けになった作品の一つだ。このころからコスモスは大好きな花だったのである。水原秋桜子が若気の至りでつけたというペンネームも、理解できる。



茶の花(2004・9・12撮影・於新里村昆虫の森)

 随分早い時期の茶の花であった。今まで見たことのある花より大きいので、品種の違いがあるのかもしれない。高校の時の学習雑誌に載った「茶の花や握手の指の暖かく」という句を時々思い出す。作者名は忘れてしまった。上位の入選作でもなかったと思う。しかし、下を向いて咲く茶の花と、初々しい高校生の姿を重ねて描いていて、一読忘れがたい作品となって心に残っている。「満九十落葉茶の花生まれ月」は伊藤信吉氏の作品。伊藤氏は十一月三十日生まれ。二カ月も早い茶の花である。



曼珠沙華(2004・9・7撮影・於群馬町)

 何かの折りに、伊藤信吉氏は桜は好きではないと言われた。なるほど『伊藤信吉全句集 たそがれのうた』(龍沢友子編)の下読みをしてみて、桜を積極的に詠むことはしていない。「かの桜見しが終わりの春なりし」と夫人のために慶応グランドの花見をしたのを詠んだのが目を引く程度である。逆に彼岸花は好きだったことが、その作品の数の多さからも分かる。「ふるさとを恋しが逝きぬ彼岸花」「彼岸花根つきし幾株火の色に」「群れて燃ゆされどさびしや彼岸花」など。寂しさと華やかさが合わせ鏡になっているような風情が、伊藤好みだったのだろう。
 写真は群馬町の通勤路に一群れ咲いていたもの。花が咲くまで、曼珠沙華の株があることさえ想いもよらなかった場所である。