心に叶う一句を見つけるためにだけ、一冊の句集を読む。長年心中秘かに願いながら、なかなかできなかった贅沢な読み方をするためのページである。まず「場」を作ってしまえば、行為は後から付いてくるに違いないと勝手に思ったのだ。新たな句集はもちろん、気の向くままに、古い句集を取り出すことがあるかもしれない。これを「俳句紀行ー一句への旅」と呼んで、旅立つこととした。

文・林   桂

*引用の句の著作権は、作者に帰属します。

旅の寄り道
作者一覧

顔一面潮のしめりや月の坂 松井恭子
 月光の世界の中で、潮は闇の中に沈んでいるのだろう。しかし、その存在は顔に湿り気のとなってある。潮の香りなどよりは、遙かに近い距離感として。かつ「顔一面」の濃厚さだ。「月の坂」の「坂」が、潮とどういう位置関係にあるのか不明で、それが迷路の途上のように思われてくる。その時「顔一面」は益々存在感を増す感覚器官となるだろう。(『黄金の鯉』文學の森・2005・5・27)


煮魚のを落としたる時雨かな 鈴木章和
 「たる」と連体形で「時雨」に係るように書かれているが、句の世界は断絶しているだろう。連体中止ともいうべき用法である。よって時雨が煮魚の眼を落としたのではない。では何(誰)が落としたのか。人(「作者」)が眼を落としたと読むのが一つだろう。行為主体が省略された叙法で、俳句ではよく用いられるものだ。食事の中で煮魚を箸で突いて落としたというような情景である。もう一つは、「の」を主格の「が」相当の古語表現と読むものである。「煮魚が眼を落とし」た状態で存在するのだ。煮立てられる中で、眼が眼窩からはずれてなくなっているのである。「時雨」を配する記述からは、また文体からも後者が相応しいと考えられる。(『夏の庭』角川書店・2007・6・1)


ぼうふらを見ている人が父らしき 奥田艶子
 普通父は「らしき」と推定される存在ではない。ここでの父は、他人の父であるか、朧気な夢の中での父のようなものあろう。遠目で判断が付きかねる父という可能性もあるが、それではより判断のつきにくい小さなボウフラを見ている行為とは推量できないはずである。他人の父であれば、父と推定するべき根拠となる子どもも近くにいることとなろう。その場合は、子どもの中にあって一番熱心にボウフラの水を覗き込んでいるのが父なのである。それは、父の中に眠る少年性の露見と言えるかもしれない。また、家族に取り込まれる以前の雄の孤独な姿の発露かもしれない。父でありながら、しばし父を忘れて覗くボウフラ。決して英雄的な行為でないところにこそ父の属性はあるのだろう。なお原句の「ぼうふら」は漢字表記。対応する活字が使用できないので、ひらがな表記とした。(『耳のそばで』TARO冠者・2004・10・20)


北国のパンの匂いや春浅き 浅井愼平
 冒頭の「北国の」は、「作者」が旅上の人であり異郷の中にあることを示している。北国の浅春。旅人には冬と変わらない気候だろう。春らしさは幽かな予感の中に眠っている。その幽かな予兆を、パンの匂いの中に見つけているのだ。早朝のパン屋の店先かもしれない。凛とした冷気の中に、そこだけ暖気が籠もりパンの匂いが満ちている。あるいは、ホテルの朝食のパンかもしれない。焼きたてのパンの匂いの中に感じられる春らしい気分。ともあれ北国の好ましい春の気分の中にいるのだ。「北国」は、国内に限らず海外の可能性もあろう。パンの国のパンの匂いの方が、異郷に満ちている。
 「水噛んで少年の夏終りけり」「どくだみの花の白さや昼の闇」は、少年期の回顧だろう。糸の切れた凧のように遊んでいた夏休み。何処で水が飲めるかというのは大切な心の中の地図だった。逝く夏の切なさを、水の味の中に見つけている。どくだみは、湿った地の日陰の群生する。その花の白さを翳らせながら。その匂いとともに不思議と心に残る。遊び空間の聖域の趣だ。「昼の闇」は、それを見事に言い止めている。「雪降るや父の柩の金時計」「ぼたん雪江戸までもどる橋の上」「花の世といえどさみしき都かな」など、「作者」はつんとくる寂しさの住人だ。(『夜の雲』東京四季出版・2007・10・20)


天牛やまだ塩辛き祖父の愛 増田まさみ
 「まだ」は、「死してもまだ」ということであろう。幼年体験か少女体験の記憶の中で生き続ける祖父は、愛情表現に拙くて優しく慕わしい姿ではない。むしろ「塩辛き」思い出として残っている。それが祖父の愛情表現であることは「まだ」という時間の中で獲得したものかもしれない。天牛(カミキリムシ)の厳つい存在感は、祖父に通じるものがあるのだ。カミキリの強力な顎の力と全身に漲る力は、ちょっと人を寄せ付けないものがある。クワガタやカブトムシは掴めても、カミキリはなかなか掴めなかったのを思い出す。(『ユキノチクモリ』霧工房・2009・10・27


子がありて少しく貧し秋の蝶 満田春日
 子どもに貧乏の組み合わせでは、今更のようである。しかし、「少しく」はこうした単なる組み合わせではないことを物語っている。せっぱ詰まった家庭経済というより、多分に精神的な働きなのである。母として自分のものやことよりも、子どものこと家庭のことを優先させる生活スタイルがもたらす照り返しの心情だろう。自分のためにという生活を謹んでいる、ある日の感懐のようなものなのであろうと思う。(『雪月』ふらんす堂・2005・6・28) 


草も樹も寒夕焼の中に入る 渡辺和弘
 「悼 桂信子先生 五句」と前書のある中の一句。「草も樹も」は、桂信子の句集名「草樹」に由来しているだろう。ここでの「寒夕焼」は、大きな喪失感と感謝の念が一体となった抱擁力として拡がっている。渡辺の「発光」一巻は、この五句をもって閉じられる。渡辺の中では、句集そのものもまた、師に捧げる思いが強いのであろう。(『発光』角川書店・2008・4・10)


みんみんのの青々と人悼む 桑原三郎
 みんみん蝉の背が帯びている僅かな青の色。それがイメージの中でが青々と拡がる。人を悼む悲しみのために。「悼む」と「蝉」は、「蝉翁」(高柳重信)を思い出させる。しかし、この句は遥か後日の作。「先輩俳人達も多く世を去った」(あとがき)とあるので、句集所収期間の平成9年から15年の間に亡くなった人への追悼句である。(『不断』ふらんす堂・2005・7・25)


なまぬるき溶接の火よ桐の花 増田陽一
 「なまぬるき」と「火」の関係は、富澤赤黄男の「椿散るああなまぬるき昼の火事」を思わせる。赤黄男の火は、人間の管理を脱した火であるにもかかわらず、強く炎をあげないでいる昼の火事であるところに「なまぬるき」という感情が動く。増田の火の「なまぬるき」は、人の管理のもとにある火に対するものだ。如何に火花を散らそうとも、管理された溶接の火なのである。その上で、「椿」に対して配した「桐の花」の取り合わせは巧だ。(『ファーブルの机』ふらんす堂・2005・1・22)


自転車の三角乗りや鬼やんま 鈴木みのり
 若い人には三角乗りといっても理解できないだろう。子供用自転車がまだ一般でなかったころ、子どもはいきなり大人用の自転車に乗った。もちろん、サドルに跨って乗ることはできないから、三角乗りをしたのである。三角のフレームの中に足を通して、斜めに自転車を傾けて乗る。ペダルを一回転させることができないから、少し踏んでは戻しながら進めるのである。夏休みのような纏まった時間がマスターするよいチャンスだった。(『ブラックホール』ふらんす堂・2008・1・19)


朝の火を地べたに焚ける端午かな 藤本美和子
 地べたに焚き火をするのは簡単でない。まして朝の湿り冷えた地面では尚のことである。地べたに朝の火を熾す中に、「端午」の季節感がある。五月というよき季節が、美しい朝の火を地べたから立たせている。(『天空』角川SSC・2009・8・30)


水無月の鏡は浅く薔薇しぼむ 吉岡 実
 句集「奴草」は詩人吉岡実の全句集である。戦前の作品を中心とした145句。若き日の作品がほとんどである。掲句は宗田安正の「解題」によれば、昭和十四年六月十四日の作。吉岡二十歳の作品だ。「浅く」の言葉に鏡の本質を言い止めている。「しぼむ」には過剰な青春性が宿る。「草土手や雲に啼きいる鳥ひかる」「春暁や寺の甍の濃むらさき」、戦後の作だが「微熱あるひとのくちびるアマリリス」の青春性もいい。
 ところで、数少ない前書きを持つ句に群馬の地名が現れる。宗田の「解題」によれば、その「日記」によって、昭和十四年五月二十四日から二十六日まで嫂の実家の松井田に滞在したことが知られるという。その折りの句のみならず、松井田の情景を詠んだと思われる作品が後出する。「この旅はよほど印象深かったようだ」と宗田は言う。「瀬の音や崖の草はふかたつむり」「婆ひとり葱掘る夕やすずめ鳴く」「燕や古にし町の泥濘(どろ)つづき」(上州)「桐の花鴉のこゑに落ちにけり」「田の草に白く鳥下り雷やみぬ」「鶯よどこで啼くのだ藪さうび」(妙義)「鳥わたる山夕焼けり棕櫚の花」(松井田)「ほととぎす夜雨に濁り碓氷川」など。
 拙著『群馬の俳句と俳句の群馬』(みやま文庫)は、群馬ゆかりの俳句作家と群馬を詠んだ俳句を紹介するものだが、吉岡実の句を漏らしてしまったのは悔やまれる。(『奴草』書肆山田・2003・4・15)


螢消え髪の匂いのなかに居る 渥美 清
 句集「赤とんぼ」は、俳優渥美清の全句集にあたる。全223句を、森英介氏が掘り起こしたものだ。「俳句は唯一と言える趣味」(森英介)だったが、活字として発表することが目的ではなかったようだ。句会のために作句したのだ。45歳から68歳の23年間での223句。普段作句するというのではなく、句会があるごとに句を作るという数だろう。残すというより場を楽しむためのものだったのではないか。223句は、玉石混淆、自由律から無季まで、自由奔放な作品だ。ただ、23年間のつぶやきには人柄が滲む。渥美が演じる人間が持つ孤独の影は、渥美自身の影だったのだと思わせる。句集名「赤とんぼ」は「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」による。清水哲男氏が「増殖する俳句歳時記」で取りあげた句。また、森氏は代表作を「お遍路が一列に行く虹の中」と紹介している。
 残念ながら、掲句への言及はない。俳句的な完成度の高さという点では、最も優れている句と思うのだが。螢の光りが消えた闇の中で、俄に匂い出す髪。もちろん一緒に螢狩りに来た女性のものだろう。急に存在を意識させる闇。そして髪の匂い。「なかに居る」は、悩ましく官能的だ。鋭い感受性を持ちながら、居続けるしか方法がない気質の男の姿を思わせる。
 「おふくろ見にきてるビリになりたくない白い靴」は運動会。徒競走が苦手な子どもの精一杯な思いが切ない。「にんにく臭う体育教師暗くまで」「ベースボール遠く見ている野菊かな」どれも体育が苦手な少年の姿だ。(『赤とんぼ』本阿弥書店・2009・10・1)


秋のバラ明日見にゆくといふ 皆吉 司
 句集「石の翼」の皆吉司は静かな室内派だ。自宅の窓から、あるいは喫茶店の窓から外を眺めて生活している。「秋祭の神輿が窓を通り過ぐ」「コーヒーフロート飲んで窓辺の秋日濃し」「窓の外に雨降つて来し秋の道」など、窓辺に佇む詩人である。掲句も喫茶店の仲間との会話から生まれた趣だ。バラを見に行くのは男である。その話を聞いて、皆吉の世界は完結する。(『石の翼』ふらんす堂・2007・6・24)


昼休み三方向へバナナ剥く 山本純子
 高浜虚子の「川を見るバナナの皮は手より落ち」の評定は定まっていない。どうにも佳作とはしがいというのが一般だろう。「バナナ」に目が行きがちだが、案外この句の眼目は「川を見る」かもしれない。「川を見る」行為の意味が知れないからだ。なぜ川を見るのか。また、その行為とバナナの皮が手から落ちるという中には、どのようか因果があるというのか。何事が起こり、何事が起こらなかったのか。解釈がその先に進んでゆかない。謎かけのような仕組みがあるのだ。
 山本の句のバナナの意味は、バナナを剥くということが、そんなにたいそうなことなのかと思わせるところにある。「三方向」が眼目だ。三方向と大仰に言われると、剥くという行為が取り返しのつかないものに思える。昼食の果物として剥くバナナ。その三方向に開いた皮は、二度と元に戻ることはないのだ。些細で詰まらないことに、過大な意味を発見する。まるで子どもの感性だ。
 バナナダイエットが流行ったが、その理由の一つが、一年中手に入る果物であるからだと説明するのを、テレビで見た。そもそも、日本で栽培されずに、輸入されるバナナに季語を設定すること自体に無理がある。実は虚子の句に季感がないことが、解釈の迷走に拍車をかけているとも思えるのだ。もちろん、山本のバナナは夏限定のバナナではないだろう。(『カヌー干す』ふらんす堂・2009・9・20


さびしければ百合植ゑダリア植ゑ 永島靖子
 百合もダリアも夏の花だが、球根を植えるのは秋から春にかけてだ。夜の寂しさは誰をも襲う。しかし昼のさびしさは、本当のもっと深い寂しさなのかもしれない。その寂しさゆえ、眼前にない夏の明るい花を思い描きながら球根を植える。イメージに花を獲得して現在を慰め、未来の自分に慰撫の根拠を与える作業として。もちろん、昼の寂しさが本当に深いものならば、儚い気休めではあるが。(『袖のあはれ』ふらんす堂・2009・9・22)


幻聴も吾がいのちなり冬の蝶 中岡毅雄
 友岡子郷は句集『啓示』の「栞」に「一冊にして二冊分」と書いているが、確かにそんな句集だ。前半は各地を訪ねた旅の句が多い。しかし、旅をして句を詠んだのではない。句を詠むために各地を訪ねたのだ。言えば「俳枕」の旅だ。中岡の旅の句が、現在多く詠まれいる旅の句と決定的に違うところだ。中岡が向き合っているのは俳句だ。「冬のかたつむり大樹の幹の香に」(熊野)など、句にはそれだけの洗練と美しさがある。「平成十五年師走以降」の後半の部立は「手術同意書に署名し十二月」で始まり、癌の手術とそれに続く闘病。そして鬱病との闘いの記で、花鳥諷詠の徒が境涯派に転じたくらいの違いがある。掲句は後半に見える一句。「いちまいの肌となりゆく花の冷」とともに、後半部の佳作。一途な中岡に俳句の神がプレゼントしてくれたような、日常を突き抜けた表現を獲得している。ここには、前半部から継続する中岡がいる。(『啓示』ふらんす堂・2009・7・11)


汝がまぶた淡雪明りしてをりぬ 眞鍋呉夫
 俳句の典型性を感じつつ読めるような作家は三橋敏雄以後見当たらないと思っていたが、眞鍋呉夫の『月魄』(つきしろ)は久しぶりに俳句の典型性の美しさを感じながら読める句集だ。後世に「名句集」として挙げられる資格を持つだろう。「天上も祭のごとし春の雪」など、既に書かれてしまっていた句ではなかったのかと思う。逆に何故今まで誰も書かなかったのかとも思う。掲句のまぶたの淡雪明りの細やかさは、きっと今まで誰も書かなかっただろうと思わせる。そして、何故誰も今まで気が付かなかったのかと思う。自分が気が付いていたかったとも思う。三橋よりもウエットで細やかな世界が、俳句を読む喜びを満たしてくれる。「船虫の水より淡き影を曳き」「隠國の夜の林檎に蜜が入り」「耳鳴りがするほど寂し雪の底」「ででむしの幼き角の乳曇」「密会のひと夜しろがねなす早瀬」「雪を来て恋の体となりにけり」「寒月光われより若き父ふりむく」「橋裏の水かげろふや旅の果」「心中の飲み残したるラムネかな」「白桃や神の刷きたる紅仄か」「残されて土筆光の暈を帯び」「花ひらくごとくに水の湧いてをり」「銀の鰭ひしめき溯る良夜かな」など。この中に「ノモンハン事件より六十年後の遺骨収容」と前書した「鉄帽に軍靴をはけりどの骨も」という句が違和感なく混じる。狭い風流の世界の住人ではない。(『月魄』邑書林・2009・1・25)


母の日の流線型の炊飯器 後閑達雄
 確かに、円筒形だった電気釜は、いつの間にか流線型の電子釜になっている。この進化が機能のためなのか、デザインのためのものかは知らない。どちらも相俟ってなのではあろう。子どもの視線には未来機器のように見える炊飯器で、母は母の日も日常生活の戦いを戦っているのだ。炊飯器に流線型を発見する視線そのものの中に母への賛歌がある。「菜箸の先焦げてゐる花大根」という句もある。確かに我が家の菜箸も焦げている。「木の芽時テレビを消すと起きる父」テレビを見ながらの居所寝。見ていないのならと切ると目を覚ます。私にも経験がある。「水鳥のゐない所の水輪かな」水鳥の動きが起こす大きな水輪の他に、なぜ起きているのか分からない小さな水輪がある。思わず注視するのはそちらの方だ。作者の日常への視線の柔らかさが魅力的だ。(『卵』ふらんす堂・2009・9・10)


石鹸玉みな虹宿す誕生日 大関靖博
 自祝の句。前書きには作者の誕生日が記載されている。前句に「大學教師生活三十余年」と前書きした「はこべらや學貧といふ文字どほり」があり、後句に長男の結婚を前書きとした「白梅が馨り紅梅薫るかな」がある。シャボン玉の一つ一つが宿す虹色に、つつがなき半生が輝く。(『轍』角川書店・2007・9・28)


短夜や草の匂ひの猫を抱き 結木桃子
 外で好き放題遊んできた猫。どこで何をしてきたのかは分からない。しかし、その体には草の匂いが染みこんでいて、それによって一日の遊びを知るのである。夜に甘えてくる猫を抱きながら、見ぬ野生の姿を思う。(『シナプス』角川書店・2006・3・3)


啄木の忌や芽の色の花櫟 菅 美緒
 クヌギの花は、芽吹きとほぼ同時に房になって咲く。房そのものは比較的長く目に付きやすいものだが、色は芽とほぼ同色で、いわば保護色のようになっている。「芽の色の花」は言えそうで言えない。この花の修辞としては至言。石川啄木の忌日は、4月13日。クヌギの芽吹きと花期と重なっている。この早熟の悲劇の歌人と思い併せると、芽の色の花も深みを増す。「子のごとく母を洗へり春の暮」は老母の介護句。「かなしみのあとのねむたさ花辛夷」の背景も同じだろう。「緋鯉より真鯉涼しき山の水」「鳩百羽冬青空を裏返す」「にんげんの影に傷みて寒牡丹」「綿虫のふくらんでゐる水の上」など感性の鋭い句が多い。掲句は、こうした感性の中の果実だ。(『洛北』ふらんす堂・2009・3・19)


をとこあり金剛寒むといひにけり 窪田せつこ
 「金剛寒む」という言葉は、「日本国語大辞典」にも見えない。作者の造語だろうか。或いは、実際に使う人に出会って印象深く心に止めた言葉だろうか。句集から伺える作者の方法から類推すれば、後者だろうか。この上なく厳しい寒さという意味で使われているのだろう。「をとこ」は老齢だろう。勝手な想像をすれば僧侶。魅力的な言葉を発見したことが、そのまま句になった趣で、滅多にない恩寵に作者は浴したたのだ。(『風』邑書林・2009・6・1)


酒褒めは国褒め冷酒酌みにけり 鈴木智子
 地酒というごとく、酒はその地の稲と水の精華なのであった。酒を褒めることは、その山河の恵みを讃えることであり、酒造りにかかる人の業を褒めることになるだろう。なるほど「酒褒めは国褒め」である。「冷酒」は、その恵みを味わうのに相応しいのだ。(『春筍』ふらんす堂・2009・7・27)


枯薄坐りて急に明るき 上月 章
 少年の日を沼釣りに費やした者にとって、「坐りて急に明るき沼」には昔の記憶を呼び覚まされる。沼は目の高さを変えることで、その輝きが違ってくる。「急に明るき沼」というような経験を何度もしていたことを思い出す。しかし、この句にあっては、この幽かな感情の揺れは、そのまま生活や存在の揺らぎまで意識されているものだろう。句集『胎髪』は、社会性俳句から前衛俳句に抜けようとする時期の代表的な句集のひとつだ。「わがよればわが影加う妻の耳輪」「固き柿葬式領収書押さゆ」「メーデー会場より空へきえてゆく風船」「子と映る鏡叱らぬ父になろう」「母の墓にて覗く魔法瓶の内部」など、俳句の一つの時代を伝える。現在の俳句のためにも、この時期の句集は再読の意味があろう。(『胎髪』十七音詩の会・1964・7・5)


シャワー浴び少年かもめの匂い消す 室生幸太郎
 一読、「かもめ来よ天金の書をひらくたび」(三橋敏雄)への頌歌かとも思う。しかし、句集『昭和』には未刊の初期作品集『巴里祭』が抄出掲載されており、「性のめざめ全身に犬あまえさす」という句があるので、「かもめの匂い」は、この文脈で考えるべきものなのだろう。「絵本のほたるアパートの母子照らす」という作品もあって、こちらは寺山修司への頌歌のようだ。(『昭和』角川書店・2009・8・4)


全身に神楽鈴の明るさ秋の蛇 清水 伶
 「神楽鈴」には、「すず」のルビが施されている。秋の蛇の全身に神楽の鈴が明るく響いているようだというのである。神楽鈴は「その音色で祓い清め、神霊の発動を祈願するもの」という。蛇は好き嫌いはともかく、それだけ感情を大きく動かすインパクトがある存在感を持つ。「明るさ」は、まさに何事かが発動される予知の感得なのだろう。(『指銃』本阿弥書店・2009・8・8)


稲荷窪球場に来て梅を嗅ぐ 今坂柳二
 句集『棒球譚』は、全編野球にまつわる俳句。いわゆる還暦野球のピッチャーである作者の生活をモデルに描かれている。実在の稲荷くぼ球場は、稲荷久保球場と表記するらしい。埼玉県の坂戸市にあるようだ。他の句の表記は「久保」となっていて、この句だけが「窪」となっている。「窪」表記によって、フィクション化しようとしたのだろう。いかにも梅林が近くにある草野球場の趣を出すために。「梅を嗅ぐ」には、草野球場の趣だけでなく、草野球のシーズン幕開けの心の弾みも仮託されているだろう。シーズン最初の試合という趣である。「イチローいわく」と注記した「三月の不安なところがたまらない」という句もある。思いはイチローも草野球の選手も同じなのである。東京上野公園の中に「正岡子規記念球場」がある。日本の野球の発祥地である。しかし、これがまた見事な草野球場である。当然のことながら、日本の野球も草野球から始まったのである。「春風やまりを投げたき草の原」(正岡子規)の句碑が建つ。子規もまたイチローや今坂と同じ気持ちであった訳だ。(『棒球譚』つばさ俳句会・2008・7・14)


春隣娘だんだん張りて 諏訪洋子
 成長して自己主張をはじめ、必ずしも親の思い通りの扱いができなくなってきた娘。ここには母と娘からライバル関係への萌芽も感じられる。「だんだん嵩張りて」の「嵩」は、心身ともに存在感を増した娘を持てあます思いが出ている。(『素顔は水』揺籃社・2009・6・11)



人恋えば風はって見えるのか 佐藤清美
 「風光る」の光は、季節の発見の輝きだ。しかし、この句の風の輝きは、恋という心の輝きによって光っている。「人恋う」は、確と思い描く対象がありながら敢えて韜晦表現する場合もあるし、特定の誰彼ではなく、自身の存在の寂しさが思わせる人間そのものを恋う場合もあるだろう。ただ、人間は言葉の意味を輝きをもって体験することがあるように、自然の輝きの中に自身の心の輝きを見つけることもあるだろう。(『月磨きの少年』風の花冠文庫・2009・8・15)


蓬摘むの弾みの伝はり来 広瀬敬雄
 田舎育ちならば、畦を踏んで、田の中のオタマジャクシや蛙、泥鰌を驚かせた経験を持っていることだろう。人工的に作られた畦は、小さな揺れを伝えてくれるのだ。蓬摘みに畦を歩く仲間の歩が弾みとなって畦を伝わってくる。こんな経験をすっかり忘れてしまっていたが、この句によって呼び覚まされた。「葭切や沼の匂ひの濃くなりぬ」「精米となりゆく匂ひ半夏生」などを読むと、作者は少年の日の田舎体験をしっかり持ち続けているのだろう。(『ライカ』ふらんす堂・2009・7・5)


大巌をゆらしてゐたる花の影 岩淵喜代子
 大巌に花の影を落とし咲いている桜となれば、咲いている場所が既に絶景であろう。大巌を覆い揺らすほどの影の広がりを考えれば、桜もまた大樹であるか、多くの樹木数があることだろう。巌の上の花の影は、風に揺れる花を反映して揺れ止まない。それはやがて、影が揺れているのか巌が揺れているのか判らないような不思議な世界を現前させる。(『嘘のやう影のやう』東京四季出版・2008・2・4)


猫の恋ポアンカレ氏は数学者 小枝恵美子
 作者も我等が仲間である。ポアンカレの名前と、彼が偉大な数学者であることは知っている。ぎりぎり「ポアンカレ予想」という名前くらいまでは聞いたことがある。しかし、それ以上は知らないし、たぶん知ろうとしても理解できないだろうという予想がつく。そんな宙ぶらりんな知識を、時々思い出し、普段は忘れて生活しているのが我々である。「猫の恋」も、夜の鳴き声でその発情期を理解するばかりである。どこの家の何処の猫か知れないし、野良猫かも知らない。しかし、知ろうとしなくても生きてゆける。これが「人の恋」とあれば、こんな態度ではいられないのだ。我々は、ザックリザックリ理解して生きているのだ。「猫の恋」と「ポアンカレ氏は数学者」に、詩的アナロジーを発見した作者に、脱帽。『ベイサイド』ふらんす堂・2009・6・11)


秋桜ちちははの家ひとに貸す 河野けいこ
 ちちははの家は、また自分が育った家でもあろう。家に父母が不在(亡くなったか、父母だけで生活できないような状況になったかのいずれか)となり、また子どもも家を離れて戻ることはないのだ。それを貸家として活用する。それだけの話と言えばそれまでだが、一つの家族の歴史の断面としてみると、もの寂しい思いがする。小生、前橋で二軒、併せて十年以上も借家暮らしをしたが、どちらの家もこの句の家と同じような状況の家であったことを思い出した。(『ランナー』創風社出版・2009・4・26)


太陽を濡らして来たるかな 渡辺誠一郎
 鯨の太陽は濡れているという発見。私達の太陽が濡れていないのは、乾いた大気の中で生きているからに過ぎない。海中にある鯨の太陽は、いつも海水を通して存在する。それを感覚的に理解する瞬間が貴重。(『数えてむらさきに』銀蛾舎・2004・11・4)


すかんぽのあじあまてらすおおみかみ 鈴木六林男
 「未刊句集」の2001年作より。六林男82歳の句である。「あじ」という響きが思わず「あ」音で始まる「あまてらすおおみかみ」を呼び出した趣である。六林男本来の持ち味の作品ではないだろうが、六林男の晩年にこの句があることにほっとする。句全体が懐旧的だ。句の時制の現在においてすかんぽを食べているとしても、それが幼年期のすかんぽを食べた思い出を呼び出しているに違いない。「あまてらすおおみかみ」は、ここでは太陽そのものを第一の意味にしているだろう。幼年の世界の中での太陽だ。思わず口ずさんでしまったような句の響きが快い。六林男晩年の傑作として推賞したい。(『鈴木六林男全句集』鈴木六林男全句集刊行委員会・2008・1・30)


毛野の山狐色して眠るらむ 村越化石
 「らむ」は現在推量の助動詞。ただいま現在起こっているだろうことを思い描いているのだ。その根拠は、かつて見た山々の記憶だろう。「狐色して」が眼目。何も雪に覆われた山だけが毛野・群馬の山ではない。落葉を一面に敷き詰め狐色になった里山も、また毛野の山である。心の中で醸造されたからこその狐色であろう。(『八十路』角川書店・2007・8・31)


太陽の真下に翳る白牡丹 門奈明子
 「太陽の真下に」だから、あますなく陽の光を浴びている。翳るところなどないような光の世界の中で、「翳る白牡丹」。それは大輪の深い陰影のためでろう。花片が花片に影を落としあっているのだ。牡丹の花の咲きようを言い止めならが、その花の魅力に迫る。高浜虚子の「白牡丹といふといへども紅ほのか」が、女性的な微細な感覚に分け入ろうとするのに対して、門奈の作品には男性的な強い感覚の光がさしている。もっとも、句集全体の印象が男性的というのではなく、この句は例外的な存在である。(『祷る』ふらんす堂・2003・3・4)


夜雨のあと近江を均す五月闇 平林惠子
 夜雨の去った後の闇。それが五月闇であれば、その深さは一層増すであろう。闇の深さが、近江を均すのである。どこも一様に見せるのである。この句の背景にも、琵琶湖があるだろう。光のない湖上の空間は、一層闇を均一化しそうだからだ。それゆえの「近江」だと見るべきなのだろう。(『夢も希望も足元に』美研インターナショナル・2009・4・15)


秋の象中原中也よりさみし 酒井弘司
 動物園かサファリパークの象。場所違い、そして気候違いにいる象の寂しさ。「秋の」は、そうした感慨がもたらした言葉だろう。大きな体で、存在感があればあるほど、誤魔化しようのないものとなるであろう。
 その寂しさを計るメートル原器のようにして「中原中也」は使われている。中原中也が、作者の胸裡で寂しさのメートル原器となったのは、その生涯や詩の印象からであろう。しかしむしろ、象の寂しさを測るメートル原器のように使われることによって、中原中也の寂しさは紛れようもないものとして、作者の中で固定化されたというべきであろう。象の寂しさを歌いながら、本当は中原中也の寂しさを歌うのこそが、この句の目的である。(『谷風』津軽書房・2009・7・11)


寒禽や戦中日記のなかの誤字 田沼文雄
 命の記録、存在証明の証拠のように書き綴った戦中の日記の中に、時経て発見した誤字。それはかつての思いと時間を相対化する力がある。かつての思いを冷静に咀嚼させるものなのだ。そして、この視力は信頼に足るだろう。「戦争の影ふえ日曜日のさくら」は、現在に見つけた誤字だろう。
 十代の終わり頃、某俳句大会に応募したところ、選者賞として二枚の短冊が届いた。その一枚が田沼文雄氏の「一日は一日の食枯むぐら」だった。小学生が真剣に書いたような楷書の文字は、衝撃的だった。これが俳句の短冊を手にした最初だったのである。
 田沼氏が同じ群馬の出身だと知ったのはずっと後になってからだ。「毛の国は火の国曼珠沙華の国」「嬬恋の村に秋立つフライパン」「上州の山は見えずや木の芽風」上州人の胸に響く望郷の句も発見できる。
 「暗がりの皿の音なり花吹雪」「ことごとく落暉の中の花菖蒲」「足長き少女ばかりや葛の花」「虚空から蝶を降らせる仕事する」「白亜紀の地層すなわち梅日和」「そらまめの花駆け足の男の子」「うつつなる夢の甘味を手術前」「立春や集まってくる鯉の口」。一四〇七句を収めた『即自』には佳句も多い。田沼氏が亡くなったのは句集刊行一年後のことである。(『即事』田沼文雄『即自』刊行委員会・2005・9・1)


里芋の子芋親より多し 齋藤美規
 芋の生命力が親芋から子芋に移っていることを知る髭の多さ。髭とはもちろん根のことである。里芋を掘り出した瞬間に見、分かってしまったことなのである。子と言うには相応しからぬ髭が眼目。もちろん、作者は自分を親芋の姿に見ている。「もう誰も来ぬ元日を早寝しぬ」という句もある。作者は大正12年生まれ。糸魚川市在住。(『落し文』本阿弥書店2006・8・31)



分数を分数で割る豆の花 瀬戸正洋
 小学生が算数でつまずくのは、分数計算だと聞く。楽しい算数がやっかいな算数に変わる。しかし、いま作者が興味があるのは、分数を分数で割るという設定の人為性だ。何も分数を分数で割らなくてもという思いと、現実はこんなにおあつらえ向きな設定はないという思い。解ける解けないではなくて、分数計算は易しい設定だ。
 句集『A』は、「俳句と雑文」のサブタイトルがつく。「多田裕計」「尾崎一雄」「富永太郎」を巡る散文が併載されているのだ。知る範囲では、このような本の作り方は概ねへぼ筋が多い。しかし、この『A』に限っては違う印象だ。「多田裕計」によって、作者は昭和48年に結成された「れもん二十歳代俳句研究会」の「最後の最年少の弟子」であることを知る。丁寧に書かれたこの一文は、弟子が師を論ずるという一般的なスタンスとも違うし、敢えて研究や批評の文体とも違っている。「雑文」とはよく言ったものだと思う。自覚的な選択の文体だ。3編は、敬愛する文学者を巡りながら、「雑文」に落ち着くことを選択することで、何より「作者像」にたどり着くようになっているのだ。この本に「あとがき」も、作者略歴もない。「雑文」がこれに代わるものなのだ。この方が作者が分かるということは十分あり得ることだ。(((『俳句と雑文A』邑書林2009・4・10) 



草雲雀銀のビーズを撰りわけて 室田洋子
 「銀のビーズ」は、朝露の比喩だろう。草むらに鳴く草雲雀の声に、銀のビーズを選別する童話的な姿を思い描いていると読むのが一番妥当のように思う。しかし、取り合わせの句として読むこともできる。色とりどりのビーズから銀色だけを選び出している子ども。銀色だけで作る細工のための作業だ。その姿と草雲雀の鳴き声とが響き合うのだ。私の好みは後者の読み。(『まひるの食卓』ふらんす堂2009・3・6)



水仙や髪切るは青空の日に 三好万美
 理容室を出て感じる眩しい太陽。改めて人工的な光の中に長くいたことを知る瞬間だ。そして首のまわりから感じる風。髪を切ったことを感じる一瞬だ。これは男性の私の感覚。美容室に通う女性の感覚は分からない。でも、掲句を見ると同じ感覚があるのかもしれないと思う。もっとも水仙は、ナルキッソスの逸話から花言葉に「自己愛」を持つ花だ。水仙の取り合わせにはそうした含意があって、青空の日に切る髪は、私の考えた以上に自己愛に満ちた行為として提示されているのかも知れない。私は、寒気の青空の元に咲く水仙の色の鮮やかさが好きなので、感覚的な取り合わせとして読んだのであるが。(『満ち潮』創風社出版2009・3・12)


紫苑濡れ少年空から戻り来る 小西雅子
 朝露だろうか、秋雨だろうか、濡れそぼって立つ紫苑。その庭に立つ少年は、今空から戻ってきたかのような、どこが不思議な風情である。もの静かで思惟的な少年像が結ぶ。ほっそりとした長身だ。もちろん、紫苑という花に重ね合わせてイメージするからに他ならない。少年の持つどこかとらえどころのない深みを「空より戻り来る」で表現して巧みだ。(『雀食堂』創風社出版2009・3・6)



恋人はやよいのひかりでできている 中山美樹
 「劇場の雪の匂いの男かな」「男運よくてたいくつ曼珠沙華」という句もある。句集『Lovers』は、霜田あゆ美の表紙、装画で飾られた美しい句集だ。句も横書きだ。作者は1947年生まれ。名前の読みは「みき」ではなく「みっきぃ」。遊び心あるゆえの句集らしからぬ句集である。(『Lovers』邑書林2009・3・20)



雁渡しこの世の顔の凸凹 秦 夕美
 「この世の顔の凸凹よ」で、この世の顔の意味は平らにならされてしまっている。鼻が高いだの目が大きいだのといった人間の識別や美醜、引いてはその価値観も一蹴されてしまう。多少の差異があっても所詮凸凹にしか過ぎず、そのことにどれほどの価値もないといっているのである。むしろ、この世の顔であるという意味を離れれば、つるつるの真っ平らの顔の方が好もしいくらいなものなのであろう。それは私達が生きる意味をも真っ平らにならして嘲笑しているようだ。、そして勇気づけてくれる視点でもある。私達が拘っている意味を相対化してくれるからだ。(『孤舟』文學の森2005・7・29)


大花野に似た人追い越さず 朝倉晴美
 「追い越さず」だから、ずっとその人の後を歩いていることになる。「父に似た人」は、後ろ姿が似ているのである。恐らく追い越して前に回って顔立ちを見るようになれば、父に似たという印象は失われてしまうに違いない。「父に似た」という印象を大切に楽しむために、敢えて追い越さずに後を歩くのである。それは「大花野」を楽しむ気持ちにも通じている。(『宇宙の旅』創風社出版2008・2・26)


に積もる落葉や亡き子産まれし日 木村珠江
 落葉は地に落ち積もるしかないという道理が、子を亡くしたという喪失感を和らげ薄めるものではないけれど、道理を道理として受けとめる中で、自分の立ち位置は心の中で定まってゆくのである。句集『空の罅』は、喪失の記でもある。冒頭近くに「恋愛論息子と合はぬ夜の秋」(平成元年)を読む。年齢差、男女差もあって、母と息子の恋愛論が合うはずもないのだが、それでも恋愛論を交わすこと自体が微笑ましい。しかし、「醒めぬ子の爪の光や蘭白き」(平成4年)を含む6句で、子息がバンコクで客死したことを知るのである。掲句「地に積もる」は、平成10年の作。没後6年を経ての想いである。看護の句の後には「汗の手に受け取る父の除籍票」(平成16年)「亡き母の座椅子を回す十三夜」(同年)と続く。抑制の効いた表現が読者の胸を打つ。(『空の罅』角川書店2009・1・25)


拭き子規忌の風を通しけり 匹田荘平
 病んでなお書き続けた晩年の正岡子規の世界を「病床六尺の世界」といういうことがあるが、もっと言えば机上の世界だった。こちらの大きさはいかほどだろう。子規庵で子規の机を見たことがあるが、自由にならない足を立て膝のまま入れる切り込みがある壮絶なものだった。天上からは紐が下がっていた。机を拭き、風を通して、心密かに子規忌を修する。机は世界と繋がるための最後の砦だ。(『寸描』北溟社2002・10・30)


冬かもめ海一界を使ひきり 梶等太郎
 見晴るかす青海原。その世界にいる一羽のカモメ。青と白のコントラスト。「使ひきり」の措辞が巧みだ。「しんしんと肺碧きまで海のたび」(篠原鳳作)や「かもめ来よ天金の書をひらくたび」(三橋敏雄)の句が下敷きにあるのかもしれないが、梶の句は「冬かもめ」だ。開放的な青春賛歌ではない。海一界を使い切る贅沢と引き替えに差し出されている屈折した心性があるだろう。(『されど洪水』文學の森2008・12・25)


花の昼とはこんなにも眠い 中居由美
 「眠い」のは現の世界との距離感が広がってゆく感覚なので、眼のみならず、耳の世界も確かに現実の世界から遠ざかってゆく感覚がある。耳からくる睡魔。どこか心地よさそうだ。桜の咲く春昼。幸せな一人居の時間なのだ。「水音の地下より聞こゆ桜かな」も夢心地か。「水音や春昼の火の透き通る」も夢心地か。「Tシャツに月の匂いを含ませて」の夜の時間は、幸せに覚醒しているようだ。(『白鳥クラブ』創風社出版2009・2・17) 


裏山に父と軍刀を埋めし夏 橋本輝久
 句集ではこの句の前に「旗手微動だにせず八月十五日」があり、後には「青き昼日輪崩れゆく音す」がある。裏山に軍刀を埋めるのは、戦後を生きるための方途である。軍国主義的な生き方を隠匿して生きるためのものである。戦後の様々な流言飛語の中で、進駐軍から身を守るための保身である。もちろん、誰もそれを笑うことはできない。真の情報から疎外され続けた庶民の生きる知恵は、このように対処療法的でしかあり得なかったのである。それは今も変わらないことを著者は体験的に知って生きている。それが切ない弱者の生きる逞しさでもあることも。(『残心』私家版2009・3・16)


ぶどうにものあること君に説く 中谷仁美
 二十代の坪内稔典門の人。帯の坪内の言葉に「琴光喜とハシビロlコウをこよなく愛している。その愛し方において彼女は十分に俳人である」と紹介がある。師・坪内の朝汐とカバに当たる愛し方だろう。恋の句が多い。その白眉が掲句。ブドウが夢を見るのかどうか本当は問題ではない。そう「君に説く」「私」が本当の問題なのだ。感受性豊かな文学青年ならば逃げられないだろう。もちろん、琴光喜だってハシビロコウだって同様に使えるはずだ。「わたしから謝るもんか梅探る」「今日だけはキスしていいよ星月夜」などがある。「私」に翻弄される「君」の姿まで思い浮かぶ。(『どすこい』創風社出版2008・8・14)


裸木や思わぬところから 河西志帆
 葉を落とした冬木。隠れるところのないような風景の中であるにもかかわらず、どこに隠れていたのか突然現れる弟。姉に対する弟の本性のひとつを言い得ているように思う。弟はいつも姉を驚かせようと思っているのかもしれない。「思わぬところから」の字余りに戸惑いが、「弟」の字足らずに驚きがある。(『水を朗読するように』邑書林2008・12・12)


片恋や水をからかふ糸蜻蛉 亀田憲壱
 糸蜻蛉の産卵の様が「水をからかふ」ように見えるのだろうと思う。いや、実は糸蜻蛉は産卵しているのではなくて、水をからかっているのだということなのかもしれない。これに「片恋」をかぶせれば、糸蜻蛉に翻弄される水が、片恋の主であるように読める。こんな情景に「片恋」の切なさを見つけてどうするのだとちゃちを入れたくなる巧みさだ。(『果肉』富士見書房2006・8・31)


日の重し牡丹の果ては見ず帰る 宇咲冬男
 春の霞のかかったどんよりした陽を「重し」と表現したのだろう。「牡丹の果て」は、散り敷く姿をイメージしている。一日牡丹園に遊びながら、その散り際は見ることがない。牡丹とのかかわりのありようを通して、私達の「生」で見果てることなど一つもないことを悟る。しかし、果てを見届けることがどれほどのことかとも思うのだ。(『塵劫』文學の森2006・7・7)


鷹の眼の氾濫さびしめり つつみ眞乃
 猛禽類の持っている眼の鋭さを「金の氾濫」で言い止めている。その眼差しが鋭ければ鋭いほど、寂しい思いが「作者」を襲う。眼は、命を奪いながら生きるものの厳しさと気高さに輝いているからだろう。「孤独な独白」。齋藤愼爾の句集の性格を論ずる「解説」の言葉として印象的だった。(『水の私語』深夜叢書2008・1・13) 


一人づつ増えて探梅らしくなる 中原道夫
 「一人づつ増えて」といっても、大きな人数ではない。いや大人数ではなくて、気心の知れたもの同士の集まりゆえ、きっちりとした時間、決まった場所に集合というのでなくても可能なである。手元の「歳時記」に、「探梅のこころもとなき人数かな」(後藤夜半)があった。あるいはこの句の本歌取りなのかもしれない。(『巴芹』ふらんす堂2007・9・20)


からの校内放送五月来る 石 寒太
 小学校か中学校の校内放送だろう。声があちらこちらに響いて返り、海の方角から声が聞こえてくるように感じられる。学校は高台にあるのかもしれない。作者に学校の場所はしかと知れないのだ。海辺の町の五月。海も空も輝いていそうだ。(『生還す』ふらんす堂2007・12・22)


ひとり欠けみんな集まる返り花 勝又千惠子
 親族が亡くなり、その葬儀に集まってくる親族。親族とはいえ、誰かが亡くなるということでもないかぎり「みんな」が集まることは難しい。親族が欠けるということのみが、親族を集める力なのだ。あまりにも多忙で、かつ親族が解体に向かう時代を私達は生きている。(『夜行バス』揺籃社2007・12・25)


もみがらへ豊かに浮いて冬林檎 三宅やよい
 これは林檎箱が木箱の時代の懐旧的な情景だろう。木箱いっぱいに籾殻を入れ、そこに林檎を収めて保存したものだった。「豊かに浮いて」に共感できる世代も限られているだろう。思わず巻末の作者の生年を確認してしまった次第。同世代であった。(『駱駝のあくび』ふらんす堂2007・1・24)



綿虫のむらさきだつをともにせり 恩田侑布子
 飛んでいるときは白にしか見えない綿虫も、手に受けてその綿毛を観察すると、確かに「むらさきだつ」色をしているようだ。その色のあわいが、綿虫の存在に通じる。綿虫は何でこんな寂しい季節を選んで生きているのだろう。そんなことをふと思う。(『空塵秘抄』角川書店2008・9・21)


ペン皿に切手の古ぶ啄木忌 菱科光順
 石川啄木の忌日は、四月十三日。ペン皿に何かの拍子に使い忘れられ置かれたままになっている切手が一枚あるのだろう。手紙を出す時には、その切手のことが思い浮かばなくて、まとめて保存してあるものを使うか、郵便局で購入して出すこととなる。ペン皿の切手は古ぶばかりである。存在に気が付くのは、つれづれのもの思いのときなど使わないときばかりなのである。啄木忌は、そんなもの思う一日の一こま。
 作者は、忌日の作品が多い。「夜通しの雨も桜の虚子忌かな」もそのひとつ。虚子忌は四月八日。(『糸瓜の風』本阿弥書店2005・12・15) 


秋の野や背中毛深き立羽蝶 小林千史
 毛深い背中を立羽蝶に発見する作者。確かに蝶の背中の毛深さに驚くようなことが私にもあったが、私にはそれが句材にはならなかった。それは単なる昆虫観察の範疇の驚きでしかなかったからである。「秋の野」を配した作者は、もっと深いところで感ずるところがあったのである。それは命を見る神の視点をも感じさせる。遠くはないが、俯瞰の視点が蝶の背中には注がれているだろう。(『風招』富士見書房2006・7・31)


われに
     
懸垂
与へしは誰ぞ
麦秋の放課後
中里夏彦
 「雲の質量」20句の巻頭に置かれた作品である。原句は歴史的仮名遣いによる総ルビが施されている。掲句は、麦秋期の放課後、校庭の鉄棒で懸垂をする「われ」の姿である。「与へし」とあるから、「われ」は、自分の意志で行っているのではない。先生に指示され放課後の居残りでの活動の可能性もあるが、「誰ぞ」は今日でそれが誰か分からなくなっている状態を示している。同級生か上級生などを考えた方がいいだろう。しごき、いじめにあった強烈な体験は忘れようもなく残りながら、その指示をだした相手は朧になってしまっているのだ。
 尤も、この「われ」は、作者そのものではない。「雲の質量」20句の連作の中で、作者を超えた主体であることが知られる。「人恋ひて/腹這へば/帆は/風孕みけり」「少年/睡り/白地図は/雲吹き募るかな」といった少年期を経て、「頑是なき/虚空/戦闘機/匂ふかな」「沓かなり/桜の/下の/篤き敬礼」と続く。そして「望郷の/魂とぶ/空か/色づく岬」「極北を/飛ぶ/玉砕の/栄と蝿」と展開する。
 ここでの中里は戦火想望俳句の系譜の継承者であろう。そしてそれゆえ「われ」の展開に自覚的である。泣き泣き懸垂をしていただろう児童は、やがて少年となり、戦に赴いて、望郷の思いを残して帰っては来なかったらしいのである。かつての戦火想望には、ここまでのドラマ的な展開は視野に収められていなかったであろう。(『流寓のソナタ』風の花冠文庫2008・11・15)


花冷えの水を張りたる近江かな 加藤喜代子
 「水を張りたる」には、水田を思うべきだろう。「桜」の語源には、田神の訪れを重ねた「稲(さ)座(くら)」説があるくらいだから、「花(桜)冷え」の水は、田に張られるに相応しい水だろう。一方、芭蕉の「行春を近江の人とおしみける」の背景には琵琶湖が存在するように、この句の「近江」にも琵琶湖は響いているだろう。花冷えの水を湛えている琵琶湖と水田の光景を俯瞰するような大きさがこの句の魅力になっている。
 作者は冷感に敏感な人らしい。「空のどこかまだつめたくて花林檎」「冷たさの詰まつてをりし林檎かな」「耳すこし冷えてもどりぬ花辛夷」などがある。(『霜天』ふらんす堂2005・12・24)


まだ乳首をさなき猪の皮を干す 谷口智行
 狩られ、毛皮となって干されている猪。その毛皮にはまだ幼い乳首が残る。出産経験もない若い雌の猪なのだろう。作者は生を全うできなかった命の無念さをこの乳首に見ているのだ。幼い時に見た兎の毛皮が干されている情景を思い出す。日常の生の裂け目を目撃したような印象で残っている。生の姿を止めながら、モノとなってしまっている毛皮の生々しさは、幼い眼に衝撃的だった。(『媚薬』邑書林2007・5・15)


桃むけば宇宙を零れ落ちる水 高岡 修
 立花隆の『宇宙からの帰還』に、左右、上下は地球地方のローカルな感覚だとあった。天地のない宇宙空間では、遠いか近いか、内か外かなのであるということだった。だから、天地、上下を必要とする「落ちる水」は、宇宙における地球地方の出来事なのである。日常的な像では、桃から零れ落ちる果汁なのだろうが、それを見ている視線は日常的ではない。これを宇宙という空間の中で起きている最も地球的な事象として見ているだ。ここでは「桃」も「水」も、宇宙の中で最も地球的な存在としてある。そして「零れ落ちる」という事象も。(『透死図法』シャプラン2008・4・29)


桜咲くさびしさ水を湯に変へむ 水野真由美
 この「さびしさ」には、桜が背負っている日本のさまざまな文化、歴史が遠く響いているのかもしれない。しかし、今は考えないでおこう。華やかさの裏に張り付いた感傷的な感情なのだ。水を沸かし湯にする。そこから、桜の花に張り付いていた原初的な寂しさの対極のような喜びを得ようというのだ。人が火を得た喜び。そして、水を湯に変えることができた喜び。自分の内から遠く蘇ってくる人の喜びを、この寂しさの中で知ることができるのだ。(『八月の橋』風の花冠文庫2008・8・3)


毎日が幸せな蝉だつたのか 田口 武
 田口の、弱いもの、儚いものに注ぐ愛情には独特なものがある。羽化してからの短い蝉の命に、ぎっしりつ詰まった幸せを願うのだ。「ラグビーの補欠薬缶の水を足し」も、蝉のように一所懸命生きる少年の姿に心寄せている。泣く句の多い田口ゆえに、目は潤んでいそうだ。「チームのために」できることが、魔法の薬缶と言われる傷んだ選手にかける水の補充であったとしても、少年に迷いはないのだろう。その少年の存在を田口の視線が救っている。「もしもコスモスが鈴なら鳴りやまぬ」「風鈴をもしも買ひ占めたとしたら」の少女のような想像力も田口のものだ。そんな田口の子育てが「哺乳瓶きれいに洗ひ雪が降る」「天花粉いとやはらかき児の全部」。「きれいに洗ひ」「児の全部」に心がこもる。(『さうぢやなくても』私家版2005・7・7)


くちあかく枯野の橋を渡りけり しなだしん
 「滝に来てくちびる紅くなりにけり」という句もある。作者にとって口の赤さは、人間存在の最も象徴的なものなのであろう。あるいは寒さによるものかもしれないし、口紅によるものかもしれない。しかし、口の赤さ一点に生を凝縮して見るような思いが、改めて赤を発見しているのだ。(『夜明』ふらんす堂2008・915)


たらの芽にどっと生者が寄ってくる 大林信爾
 タラの芽かきの人を敢えて「生者」ということで見えてくるものがある。こんな場面にも働く、人間の生きる業のようなものである。山菜の王様といわれるタラの芽採りをする人は多い。私も若い時に職場の仲間とタラの山に入ったことがある。地元の人も自分のフィールドはめったなことでは他言しない。そこを伝で強いて教えてもらって入った。なるほど小さな山の斜面には至るところにタラの木があって、やはり特別な山であった。しかし、時既に遅く人が入って後で、殆どかかれていたのである。それでも二番かき三番かきと、再度出てきた芽をかくことも珍しくはないらしい。「どっと」「寄ってくる」とは、いかにも強欲な姿を思わせる。(『浮木の亀』ふらんす堂2008・6・28)



風彦の蓮あそびも古りにけり 豊口陽子
 日本において、環境的な意味での自然が発見されたのは、近代になってからだとものの本で読んだ記憶がある。それ以前の自然には、某かの神や霊が宿っていて、人間の内面生活と不即不離の関係にあったというのである。ならば、風が単なる大気の物理的移動となったのも近代以降ということになろう。「風彦」とは、近代以前から吹く風である。風が蓮の花を揺らしている光景が、ここでは近代以前の意味において反芻されているのだ。「古りにけり」は、そのように堆積した時間への思い馳せであろう。極楽の池にも咲くという蓮の花は、古代では夢のように美しい花だったろう。園芸用の草花が開発された現代とは違う古代の状況では、格別の存在感があったろう。2000年前の種から発芽した大賀蓮(古代蓮)を幾度か見たことがあるが、その美しさは現代と変わらないものだった。(『藪姫』風蓮舎2005・3・6)


少年よ國家より一人のをこそ 坂戸淳夫
 坂戸は後記で「一九四五年、四月初め郷里の部隊に入営せよという召集令状は、勤め先の会社での軍需要員であるという理由で取り消され、戦地行きは免れた。しかし、直後の六月十日、B29百二十機による大空襲に遭遇した。偶然としか言いようのない状況で命存らえることが出来たが、破壊された工場や防空壕で多くの先輩、同僚の無惨な死に立ち会った。今日なお、俳句にかかわり続けているのは、まさに恩寵としか言いようがない。以来、私の生き方、ひいて俳句を書く根底には、国家ー天皇制ー戦争ー死という問題が避けられぬものとなっていて、人生の終焉に近づくとともに、一層強まっているのを覚える」と書いている。与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」を引くまでもなく、一人の肉親、一人の友を思う強さが、時代状況の真理を見通す力を持つことがある。文学の想像力とはそういう力のことだろう。(『彼方へ』騎の會2008・6・10)


蕨餅奈良には大きなばかり わたなべじゅんこ
 石舞台、亀石、酒船石、鬼の雪隠など、石の文化を「大きな石ばかり」と一蹴してみせているようでもある。また、用途不明でも古代の石に対する信頼と信仰のようなものは伝わってくる巨石。それを見通して言っているようでもある。石の一々は分からなくても、正体は分かっていますというような分かり方である。「春朧ひょうんなところにぬらりひょん」「天も地も扉がいっぱい忘れ霜」など、わたなべはざっくり理解する名人のようである。(『seventh_heaven@』創風社出版2008・7・30)


月光にくすぐられゐる赤子かな 仙田洋子
 赤ん坊には不思議な微笑みがある。あやされているわけでもなんでもないのに、ひとり微笑むのである。赤ん坊の中から湧いてきた喜びの表情のように思える。仙田の、月光がくすぐっているように感じられる赤子の表情もきっとこれであろう。句集『子の翼』の前半は、見事なまでの「吾子俳句」である。
 筑紫磐井は句集のしおり「思えばこそ生まれる」で、「句集のT、U章はほとんどが子供を呼んだ作品である。仙田さんが、女流初心者と競わなければならない世界だ。そしてこれが意外に難しい。吾子俳句というのは、技巧を凝らしたり、経験の豊富さで詠んだりするより、結局、親の素朴な情感を表すには如くかないからだ」「技巧を殺して、母親たらしく詠んでいる。しかし、佳作になればなるほど仙田洋子から離れて世の一般の母親の思いになりやすい」と、ソフトな言い回しになってはいるが、批判的で評価は高くない。筑紫が評価するのは、吾子俳句が中心を離れたV章以降なのである。
 確かに世に言う吾子俳句である。そしてそれ以上でもないかもしれない。しかし、私のこの句集の評価は筑紫と違う。この句集は、前半の吾子俳句こそ命であろう。ここまで徹底して吾子を詠んだ巧みな作品群はそうはない。吾子俳句に徹する、母に徹する覚悟のできた作品だ。「女流初心者」には真似のできない、似て非なるもののように思う。冒頭近くに「花満ちてどかと豊腰妊婦かな」という覚悟の座った自画像がある。「なりたての母に大きな夏帽子」と詠んだすぐ後に「初秋の子の唇は母がもらふ」と、自分を母と呼ぶ衒いのなさに圧倒される。他の句にも子育ての刹那刹那が切り取られていて切ない。これだけ吾子俳句で丁寧な仕事をした人がいただろうかと思う。「「沈丁花かなしきときは子をおもふ」「百年は生きよみどりご春の月」「梅を干し赤子を干してゐたりけり」など。
 むしろ後半にある「この恋も金木犀のせいにせむ」などの恋の句の方が、句集という単位で見ると色褪せて見える。前半でこれだけ存在感のある母を造形したのだから、最後までその姿で統一した方が、一冊の本としては完成度が上がったはずだ。もちろん、一句一句は独立して鑑賞されるべきだから、恋の句があっても一向にかまわないのだが、句集の前半部は、その虚構性を詰まらないものとして照らし出す。一冊の本として見るとき惜しい気持ちになるのだ(『子の翼』ふらんす堂2008・8・3)



大花野あれは地球の切手だよ 中島砂穂
 「肉まんにつむじが一つ冬に入る」もそうだが、機知に富んだ見方が目を惹く。そしてその後にどこかしんみりとした味わいが残る。花野の美しさを、地球の切手に見立てて、話しかけの言葉で伝えようとする文体の効果。少年の頃に切手収集の真似事をし、いまでも郵便局で記念切手を見かけると使用するために購入する私は、小さい精巧な切手の世界の美しさは地球の花野のたとえにぴったりかもしれないなどと思う。地球を俯瞰する大きな視点と、小さな切手の世界を覗き込む視点が一つになっているのも楽しい。(『熱気球』ふらんす堂2008・9・25)


オルガンや寒月光の匂いして 高橋修宏
 「ここには、最も尖鋭な表現が、紛れもない俳句形式として展開しているのだ」(宗田安正・帯文)が、句集『蜜楼』の本懐であるとするならば、この句は句集の代表句とはなりえないであろう。句集の中にあってはむしろ淡い印象の句だからだ。しかし、一読して心に残ったのはこの句。かつての小学校の教室の冬の夜の趣だ。こんな冬の夜の教室を見たかと言えば、見ていないのにもかかわらず、かつて過ごした教室の空間の時間外の姿に遭遇した思いはする。「寒月光の匂い」は、時代に遅れてきた匂いだ。そして、あの時代を理解する匂いだ。(『蜜楼』草子社2008・7・1)


がまずみのを噛み捨てて山に入る 青柳志解樹
 赤い実をつけると直ぐに目に止まる。低木のガマズミの木は山道の端に多く見られる。小さい頃、学校帰りや山遊びで、目にすると争って食べたが、美味しいというのではない。酸味が強く実もほとんどないから、酸っぱい種を噛んでいるようなものである。それでも不思議と口にした。「噛み捨て」「山に入る」ともに、がまずみをよく知っている人のものだ。私達の地方では「ヨツズミ」と呼ぶ。(『四望』角川書店2007・6・27)


枯野の日集めて来たる郵便夫 橋昭子
 昔日の中の郵便夫の趣だ。バイクで配達する現在の郵便夫ではなく、徒歩で一日経けて配達しているころの姿を彷彿とさせる。私の幼い記憶の中にも、初老の郵便夫は大きなバッグを肩に歩いていた。「枯野の日集めて」は、ゆったりとした徒歩の動きを表現している。それはそのまま時代の時間のスピード感の表現でもあろう。作者は昭和2年生まれ。私の思い描く郵便夫よりも更に以前の姿が思われているのだろう。(『光の子』角川SSC2008・8.・30)


空蝉が廃墟のやうに思はれて 冨田拓也
 空蝉は廃墟のようだという感受は、突飛でも意外でもないだろう。一つの命が出ていった後に残された命無き形なのであるから。意外性があるとすれば、廃墟という言葉によって空蝉が巨大化されていることであり、クローズアップ化されていることである。かつ「思はれて」という「主体」の思いの中に封鎖してしまっていることである。廃墟の問題は須く作者の内のドラマになっているのである。『青空を欺くために雨は降る』愛媛県文化振興財団2004・3)


海抜を考へてゐる草むしり 山本紫黄
 無心になるという場面があるとすると、単純作業に没頭しているときがその一つだろう。そして、草むしりに打ち込んでいるときもその一つだろう。動いている手と草の関係が全てのような世界である。しかし、無心といっても、実はあらぬことを考えているというのが本当のような気がする。ここでの「海抜」はそれではないか。ふと浮かんだ疑問。現在草むしりしている自分がいる海抜の高さ。本質的にはどうでもよいことであり、様々に推定する想いは浮かぶだろうが、草むしりの中で解決するものでもない。これは徒然に無心に考えるのを目的としたテーマであって、問題解決のためのものではないのだ。解決しないからこそ考えているのだ。(『瓢箪池』水明俳句会2007・8・15)


手鏡にしまふ逢瀬のかな 金子 晋
 逢瀬を照らし出す灯(あかり)の中で手鏡を使う女。その鏡の中に灯は映り込んで輝く。手鏡をしまうとき、その灯も一緒にしまわれたような錯覚を持つ。逢瀬の心の輝きと儚さを、鏡が光として持ち帰るような一瞬だ。ドラマの一場面のようだ。「青春の鱗の日々がみな落ちる」「日本(ひのもと)に死して陽炎(かぎろひ)たらんかな」「愛されぬ猫にて候墓の上」「明日といふ日のあればこそけふ蕾」など。(『君我歌』田工房2008・5・8)


いもうとの仕返しにゆく青田道 姜 h東
 幼い兄妹の一場面。回想句であろう。いじめられて帰ってきた妹の敵討ちに兄は、悪ガキを懲らしめるために青田道を行くのである。幼い兄の精一杯の愛情表現である。私事だが、残念ながら小生はいじめられっ子の方であって、このような武勇伝を持っていない。逆にいじめられた小生のために、妹が相手に精一杯に悪口を言いに出掛けたことはあるらしい。小生は忘れてしまったが、妹の印象には残っているらしい。情けない兄であったことを、思い出したのである。(『突進を忘れし犀』文學の森2008・3・20)


木のベッド匂ひて雪の降りはじむ 井越芳子
 木のベッドが匂うのは新しいゆえだと考えるのが一番だろう。しかしここでは、日常使用している自分のベッドではなく、初めて使う旅先のベッドへの小さな違和感として匂ってくるものと考えた方がよいように思う。もちろん、違和感といっても不快なものではない。雪も、そうした非日常の思いの中に降っている。心地よい旅の夜を飾っているだ。「行く春や花のやうなる都市見えて」の都市も、「作者」が住む都市ではなく、旅先の都市であろう。(『鳥の重さ』ふらんす堂2007・9・25)


てふてふの辺りにの多からむ 佐藤文香
 蝶々の辺りの色は、蝶々が訪れる花々の色彩だと考えるのがよいのだろう。短い一生を豊かな色彩の中で蝶は生きているという発見が作者にはあっただろう。しかし、花々を色に還元して感じとる中に、また「む」と推量する主体として最後に現れた「作者」の姿の中に、この句の意味はあるのだろう。「む」によって花々は抽象化されるとともに、「作者」の心中の意味になっているのだ。それは蝶から距離を置こうとするどこか孤独な「作者」像を結ぶ。また、その一方で「てふてふ」に自己投影しようとする「作者」像をも結ぶ。「逆光の汽船を夏と見しことも」「糊代をはみ出してゐる薄暑光」など、光の中で出会う自分を描く。この句の色もまた光であろう。(『海藻標本』ふらんす堂2008・6・3)


半分は花半分は南瓜の子 渡辺純枝
 南瓜の雌花は、大きな花の下に青々とした大きな将来実となるべき「南瓜の子」がある。ダンゴのように二段重ねになっているのだ。「半分は花」「半分は南瓜の子」とはよく言ったものだと思う。胡瓜の雌花も、小さな「胡瓜の子」に胡瓜の花が咲くが、「半分は花」「半分は胡瓜の子」」という感じではない。花を上に向けて重なっているように見える南瓜だからこそ言えるのだ。「山下りてなほ日の余るわらび餅」「朝よりも夜があたたか桃の花」「鹿の子は草の匂ひを糞りにかり」「髪熱くなるまで遊び豆の花」など、どれも小さくささやかな気づきの魅力に満ちている。 (『環』ふらんす堂2005・6・25)


かたつむり死ぬにいい日は生きるにも 中原幸子
 西行の「ねがはくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ」を思う。確かに死にたい日は一番生きたい日だ。死も生も同じ一つの願いであることを、この句は喝破している。おそらく死にたい日を持たずに生きている「かたつむり」は、別の哲学による生の姿だろう。私たちの生死観は、その生に照らされている。(『以上、西陣から』ふらんす堂2006・7・7)


白神や一の子分の春の星 安西 篤
 「初夏東北 五句」と前書のある作品の五句目に置かれている。前書から、白神山地に瞬く春の星の景を、このように見立てたと読むべきなのだろう。「初夏」とありながら「春の星」とあるのは、「作者」が「白神」に相応しい星を選択したためであろう。現実べったりの書き方をしている訳ではない。そして、もちろん、「白神や」と書いてしまったら、句は「白神山地」を離れている。だから「一の子分」として「春の星」も見えてきたのだ。「白神」をネットで調べたら、「白鳥」「繭」を神格化させたものとあるのが目に止まった。真偽のほどは定かでないが、「白鳥」説には惹かれる。「子分」という言い方に安西の師・金子兜太の面影がほのぼのと宿る。(『秋情』角川書店2007・5・9)


山上にのにおいのしていたり 森さかえ
 この鮫の匂いは、山が海底に沈んでいたころの太古の記憶からしてくるものだろうか。殆どの山が地層に太古の海の記憶を沈めている。鮫もまた太古から生き延びている動物だ。その山に鮫の匂いを感得できる人もいるだろう。作者の資質は、きっとそういうところにあるのだろうと思う。句集『やさしい春』は、ライトバースの流れにある。しかし、その根底にペシミズムのような澱がある。「目から鼻へぬける青空豆の花」「山ぼうし淋しいときの洗面器」「みずすまし空がどんどん甘くなる」など。(『やさいし春』文學の森2007・12・25)


風の噴水薄情と言わば言え 寺井谷子
 風になぶられている噴水を目の前にしながら、胸中を去来する思い。何事があったか知らぬが、人に「薄情」と思われても仕方がない立ち回りをせざるを得なかった自責の思いと向き合っているのだ。もちろん、本当に「薄情」な人は、このような自問はしないから、「薄情」は「作者」に荷の重い役回りなのである。それでも、「薄情と言わば言え」という言葉を自分に与えることで、受け入れる決意ができたのだ。「7・5・5」の変則のリズムが身を切っている証拠だ。句集『母の家』全体は、非常に穏健な世界の内にあるのに、ときとして破綻する思いに、この作者がいる。「縊るなら躑躅の色の緋(あか)き紐」にもどきりとさせられる。(『母の家』角川書店2006・4・24)


少年の鐵気ほのかに西瓜食ふ 武田 肇
 日焼けした夏の少年に鐵気(かなけ)を感得する感性が鋭い。鍛えられ、日に焼けた男の体は、鉄や銅などにたとえられるから、少年にほのかな鐵気がしても不思議ではないし、意外でもない。尤もそれはこの句に出会って以後の感想としてである。少年が帯び始めた男の匂いを「鐵気」と言い止めることで、少年が持つ内面の問題にまで迫っている。「遠き身を鐵棒に折る暮春かな」「四歳の夏より前は風ばかり」「五月雨やドルフィンの香の通學路」「水門と入道雲とふたりきり」「あすよりは君を隠さむ吾亦紅」など、どれも回顧的で哀しく美しい。(『海軟風』銅林社2008・2・1)


涅槃図に花のさかりの沙羅双樹 坂本宮尾
 釈迦の入寂を描いた涅槃図には、「門下の大衆をはじめ天地に生を受けた諸天、鬼神、禽獣虫魚など五十二の衆生すべての愁嘆の有様」(山本健吉『日本大歳時記』)が描かれている。沙羅双樹も悲しみのあまりに花の色を白に変じたのである。涅槃図の花盛りは、悲しみの表現なのだが、それを作者は純粋に花の盛りとして取り出して見ているのだ。図の表現として見れば、それは作者の意図や涅槃図の意味を越えたものを獲得してしまっているのだ。作者は花盛りを美しいと見ているはずである。(『木馬の螺子』角川書店2005・9・30)


芹の水むかしの未来きらきらと 池田澄子
 池田の句は、中村草田男の「はまなすや今も沖には未来あり」(原句の「はまなす」は漢字表記)の「本歌取り」であろう。草田男の句の未来こそ「きらきらと」輝いているからだ。輝く海の沖に、芹の葉隠の「芹の水」を対比させる。これは若き日に輝いていた未来を語る個人的な感慨とも、上昇期から下降期に転じた日本社会の現在の感性とも読める。きっと二つ重ねあわせているのであろう。(『たましいの話』角川書店・2005・7・7)


土中より官能出でて野焼きかな 上田睦子
 女性俳人の句の言葉がなべてなめらかになって行く中で、上田の言葉はごつごつして、リズムもとんがっている。貴重な作風だ。「土中より官能出でて」の表現には驚く。拙句に「焼野匂へり/遠く//性慾花のごとし」(『黄昏の薔薇』)がある。上田は「花」というような生やさしいものではない。「土中」だ。もっと根源的な性のうずきを表現しているのだろう。(『木が歩きくる』ふらんす堂・2004・10・3)


花の中なかりけり福寿草 田正子
 福寿草を見ながら、無意識のうちに感じていることを言葉にしたら、きっとこんなことだろうと思う。花の輝きの照り返しを感じながら、何も考えていないと思っているようなとき、心はこんな動きをしているように思う。作者の花の佳句のどれにも、そんな印象がする。「花のうへ花湧き出でてひかりけり」「はなにらの向きのそろわぬ明るさよ」「それぞれの眠たさにゐて花楓」「日の匂ひして生けらるるすすきかな」「花びらの裏は冷たし石蕗の花」「薄き日のにじむ落葉を掻きにけり」など。(『花実』ふらんす堂・2005・9・10)


の世や椅子の窪みに花残り 高澤晶子

 屋外に置かれた椅子であろう。あるいは観桜のために仮り置きされたものかもしれない。人の尻型にわずかに窪んだ椅子の上に、風が運んできた花びらが残っている。これもしばらくの間の景である。やがてまた風がどこかに運んでゆくに違いないのだから。「風の世」とは、高澤が見た儚い、移ろう世界のことであろう。しかし、そうであればこそ、椅子の窪みに残る花も美しい相を帯びて見えてくる。肉親、友人と、高澤もまた喪失の世代としての五十代を生き始めている。そうした眼が見る美がこの句にはあろう。(『レクイエム』深夜叢書・2004・10・20)



遠桜魚のわたを抜く真昼 中林明美
 「遠桜」というとき、視覚的な遠い距離をいうのが普通であろう。しかし、この句の「遠桜」は、心的な距離の遠さのように思われる。だが、思わないことで遠いのでなく、思うことで意識される遠さとでもいうべきものであろう。昼餉のために魚の腸(わた)を抜きながら、脳裏に甦ってくる桜との距離。ここには魚の腸がもたらす思いが働いているだろう。思えば多くの魚の腸は実に慎ましやかな大きさだ。体の大部分は「肉」であり、魚が生きるために必要とする能力がどこにあるか如実に語っている。慎ましやかな腸の能力によって生きているとは到底思われないのだ。そのことが、思うことで遠く存在する桜と響く。(『月への道』富士見書房・2003・12・20)


花冷や句集おおかた遺書めきて 山口  剛
 現在の句集の大方は編年体の編集をしている。数年または十数年、ときには何十年という作者の生きた時間を辿ることになる。この編年体編集の句集は、何よりも編む著者に自分の人生を辿ってもの思わせることになって作者に照り返しているに違いない。「遺書めきて」は、編年体の句集を読んだときに無自覚に、漠然と感じていたある種の思いに形をあたえた言葉と感じた。
 かつては句集は季題別編集が中心だったと思うが、この季題別編集は、「作者」の生活を分割してしまって、なかなかその人生など浮かび上がらせてくれない。俳句が季節の詩であるとするならば、季題別の方が遙かに合目的的な編集であろう。季題別編集から編年体編集への移行は、俳句観の変化を示すとともに、俳句がそれだけ「小乗」的な詩になってきているということなのかもしれない。
 境涯の代表的な俳人とされる村上鬼城の句集は、季題別に編集されていた。これは鬼城俳句を編年体に編集しなおす資料を持つ一部の研究者はともかく、一般には鬼城の境涯の姿を理解するのに苦労するものとなっている。鬼城研究が広がりにくいのも、案外このあたりに原因があるのではないか。しかし一方、境涯の鬼城でさえ、自身に軸を持つ編年体の編集をしなかったことの意味は考えてもよいのではないか。鬼城でさえ、軸は季題という「大乗」にあったのだろうから。
 テーマを立てて句集を編集するというのは、新興俳句の高屋窓秋あたりから始まったのだろうか。「季題」を真に越えようとするのであれば当然の方法論だと思うが、この句集編集の意味が真に理解され考えられているとは思われないのが現状であろう。
 なお、山口氏の句集は季題別になっている。この句のある作者ゆえの編集方針であろう。(『午後』梅里書房・2004・10・10)


一生に一死残りし菊の酒 中里麦外
 一つの生に一つの死は必ずセットされている。一つの生を生きているいうことは、一つの死が残されているということでもある。また、一つの生を生きたということは、一つの死を残せるということでもある。旧暦九月九日の節句の宴に、詩歌とともに楽しんだのが菊の酒。ここでは詩歌をこそ生とする生き方の象徴または自負なのであろう。(「権現」言霊社・2004・9・9)


かくもゆるい下り坂では母子たらず 志賀  康
 「親不知」「子不知」は、その急峻さに、子が親を思うことを忘れ、親が子を思うことを忘れるゆえの命名だったはずである。これに従えば「ゆるい下り坂」では、子は母を思い、母は子を思う心の余裕が生まれることになる。しかし、「ゆるい下り坂」は、希薄な母子関係を生むばかりだというのがこの句だ。弛緩した状況は弛緩した関係を生む。(『山中季』風蓮舎・2004・9・20)


闇を吸ふ椿あるべしいそぐべし 柿本多映
 闇を吸うことで闇の中に消えてゆく椿。ここに消滅の意味を見たにちがいない。「いそぐべし」は、見とどけたことが喚起した心の小波だ。しかし、「いそぐべし」といって、「どこへ」いそぐというのでもないであろう。もちろん、生きいそぐというのでもない。柿本は生きいそぐ時代はもう生きている。これは、いまある「生」の状態への危惧から生まれた言葉という以外にないものだろう。
 柿本は、一九二八年生まれ。「兜子關ホ耕衣鬼房敏雄留守」というような喪失の年代を生き、自身も癌を克服しての「生」である。あるとき「存在」が闇を吸う椿の姿で見えてきても不思議ではない。しかし、それだからこそ「いそぐべし」は反射神経のように恐怖とともに生じる生きる意志のようなものではなかろうか。(『粛祭』思潮社・2004・9・28)


冷えにねむる子の色をして 井田美智代
 「あまき汁ちぶさにためて花野行く」という句もあって捨てがたい。ここには富沢赤黄男や桂信子など世に知られた「乳房」とは違った乳房がある。作者が「ちぶさ」と平仮名書きしたのもそのためだろう。ここには、子と離れていても、自分が母であることを教えてくれる身体として乳房がある。そしてそれを肯定する姿勢がある。井田にとって「乳房ある憂さ」は遠い。母であることの自覚として乳房は心地よいものだろう。
 「春のうた子の耳ふたつ透けゐたり」「いつのまに少女となりて苺煮る」「風光ることに子の髪子の胸に」と、子を詠んだ秀作が句集には並ぶ。保守性というのではなくて、肯定性とでも言うべきものがこの作者の持ち味なのだと思う。単なる吾子俳句の記録や報告を越えたところに響く言葉を獲得しているからだ。
 もちろん、それは子育ての句だけの世界ではない。「団栗に打たるる闇を聞いてをり」「牧水の歩みし春も水ひかる」を見ても明らかだ。この句集を読んで気持ちがよいと感じるのは、この感性に一貫してぶれがないからだ。
 「赤ん坊」に桜の色を見つけたのも、この視線あってのものである。(『雛納』ふらんす堂・2004・9・13)


ピッコロにのイニシャル風光る 朝吹英和
 ピッコロに彫られた金色のイニシャル。そして光る風。青春性を意識して書かれたものであろう。ナイーブで清潔な像が結ぶ。(『青きサーベル』ふらんす堂・2003・4・28)


借りた返しに人はみな死ぬと 牛島 伸
 人体の殆どは水でできていると言われるが、なるほど生きるとはしばらく水を借りているということなのかもしれない。ならば、死とはこの水を返すことに他ならないだろう。(『亀甲紀行』裸樹の会・2004・8・25)


皿見れば皿思い出す薄暑かな 倉阪鬼一郎
 思惟という特殊な時間を除けば、私達の日常の意識の持ち方は、きっとこのようであるだろう。目の前に現れたものに意識を張り付け、そして思うのである。私達が日常で皿を思う瞬間は皿を見たときであろう。その瞬間以外で、皿を意識にのぼらせて生きている人は、限られた専門家か蒐集家の類である。私達の意識の現れ方は一元的であるので、様々な想いを抱えつつ生きていても、ある瞬間をみれば常に一元化された意識の表象を生きていることとなる。その中で、皿が現れるのは眼前に皿があるというような時に限られるであろう。これはそうした意識のあり方を喝破した句なのである。
 この句は「廃児」十五句の中の一句である。いわばその存在が人々の意識中にのぼることもなく「存在」した水子の存在がテーマにある。作者はその存在の幻影を「金平糖」「人形」「皿」「鞠」「はなびら」などに見るのだ。そしてそれらは、その都度眼前に現れたときにだけ、人々の意識にのぼるのである。もちろんそれを水子の幻影としてみるのは、作者の他に誰もいないだろう。
 最近パソコンの一つが不具合になった。修理に出そうともってゆくと、どうやら正体不明のソフトが起動していて、呼び出そうとするソフトに障害を与えているらしい。パソコンの画面も常に一つが占拠しているが、目に見えず起動するソフトは存在する。水子もそうしたひとつだと作者は言うのである。(『魑魅』邑書林・2003・4・20)


日向ぼこ生まれ変はるに欠かせぬ 山崎十生
 人間は、日向ぼこなどというあまりにも長閑な時間を持つと余計なことを考えるようになるらしい。死もその有力候補である。いま手許の『日本大歳時記』(講談社)を引いてみると、「日に酔ひて死にたる如し日向ぼこ」(高浜虚子)「うとうとと生死の外や日向ぼこ」(村上鬼城)「死ぬことも考へてゐる日向ぼこ」(増田龍雨)「いのち一つ守りあぐねて日向ぼこ」(久保より江)という具合に同趣の例句を見つけることができる。欠伸でもしながらぼーとしている姿を見て侮ってはいけない。死について思いめぐらしている哲学的な時間を生きている可能性大なのである。日向ぼこの代表句として想い出すのは「日向ぼこ父の血母の血ここに睦め」(中村草田男)だが、残念ながらこの歳時記は採用していない。この句も考えによっては同趣だが、ひたすら生に焦点を絞ってゆくところはいかにも草田男だ。こうして並べて見ると、草田男のよさが改めて思われる。
 掲句も、この伝統的な日向ぼこの系譜に連なる。やがて歳時記の例句になる日も来そうだ。ここでは死を生まれ変わるには避けて通れぬ過程として哲学する。死をネガティブなものからポジティブなものへ変換する哲学が日向ぼこの中で生まれているのだ。もちろん転生がフィクションであることを見ないふりをすることが必要なのだが。これもいかにも日向ぼこの哲学だ。
 ところで、山崎十生の旧号は「山崎十死生」である。なんで「生まれ変はるに欠かせぬ死」を抜いてしまったのだろう。平成十三年に改号したと略歴にあった。なんでこんなもったいない改号をしたのだろう。死を持つ号と言えば秋元不死男が思い浮かぶが、死を持ちながら生に恋々とする「不死男」を凌駕するいい号だと小生など思っていたのである。藤原月彦が「帝都」と改号したときも、なんて勿体ないことをするのだろうと人ごとならず思ったものだ。変な言い方をすれば、十生氏の「生まれ変はるに欠かせぬ死」では抹香臭い説教めいた言葉で響くが、十死生氏の言でならば俳言の響きが生まれるのだ。『招霊術入門』『伝統俳句入門』『花鳥諷詠入門』と、果敢な異化作業の作業主の名前として「十死生」はいい名前だと思うのだが。「十生」では、木乃伊取りが木乃伊になってしまう名前のように思う。尤もそうなるための名前ならば、言葉を挟む必要などないのだが。(『花鳥諷詠入門』富士見書房・2004・6・2)

使ひ減りしては小さし雲の峰 原 雅子
 老いて小さくなってゆく母。「使ひ減りして」には、子としての自責の念がこもっていそうである。雲の峰は、そうした想いの中で仰ぐことで得られた像としてここに据えられている。それは母の小ささを一層強調するような像でもあろう。子の描く老母の像はいつも涙ぐましい。(『日夜』ふらんす堂・2004・9・1)


鮨喰わせ山見せて淋しかろ 松本勇二
 「勇二」は次男の名前。しかし、長兄は既に亡くなっている。「男子三人藁打つように育ててくれし」という三男は、「おとうとよ東京は走るように歩け」のように遠く離れて生計をたてている。はからずも山間の農家の後継役が回ってきた「勇二」も、職を故郷の外に得ているのだ。折りあっての帰省。父は鮨をとって久々の息子をもてなす。手入れを怠らない山も自慢する。木も大きく育っている。父のするのはそこまで。しかし、「勇二」には、父の寂しさが透けて見える。「かなかなやすでに村中透けており」は、その村に対する望郷の想いだ。
 松本は、ほぼ私と同世代。事情もほぼ同じだ。私達は山村に淋しい父を作り出してきた世代なのだ。私達は、都市部の労働力として田舎の労働力を調達された時代の子どもだった訳だが、如何なる機械化によっても立ちゆかなくなりつつある疲弊した田舎の労働事情の今日を作り出した子どもでもあった。淋しい父はここに立っている。(『直瀬』北溟社・2002・8・19)


大根煮る胸にひかりの届くまで 下山田禮子
 「胸にひかりの届くまで」は、結局祈りの言葉なのであろう。大根を煮る時間は、胸の想いに光が届くまで続けれる。大根を煮る時間は、想いを内に向かわせる時間でもある。その時間がいつしか祈りを呼ぶ。呼ばれた祈りは、想いが光となるまで続く。
 「死にたれば人来て大根煮きはじむ」(下村槐太)を思い出させる。句集『恋の忌』は、亡き父母を想い、また何度か大きな手術を経験したらしい自身を想い、喪失した青春を思う気に充ちている。その想いは、例えば夕刻、西日の中で、大根を煮る時間がもたらしたものであろう。(句集『恋の忌』文学の森・2004・7・12)


菜の花を着てゐるやうに歩きけり 東川治美
 山村暮鳥に「風景ー純銀もざいく」という詩がある。九行からなる一つの連は「いちめんのなのはな」の繰り返しである。ただ八行目に一連は「かすかなるむぎぶえ」、二連は「ひばりのおしやべり」、三連は「やめるはひるのつき」が挿入されている。一面に広がる菜の花畑の花明かりを視覚的な効果を狙って表現したものだ。
 「菜の花を着てゐるやうに」は、この花菜明かりの照り返しを身に感じているものであろう。一面の菜の花明かりとともに、その明かりを受けるわが身を感じているのである。花菜明かりを自分の身体のこととして描く視点には、ナルシズムの匂いがしないでもない。しかし、葉の花明かりはそういう明かりなのだとも言えなくもない。「着てゐるやうに」の皮膚感覚は官能的ですらある。 (句集『からっぽ』ふらんす堂・2004・7・22)


夏の暮契りては楕円なり 矢田 鏃
 飯(いい)、ご飯粒の楕円の形。それを不思議な形、根元的な形として見る目を獲得する。夏の夕暮れ。契りの後の夕餉に。飯を楕円の形として理解する中に、深く存在の認識に届こうとしている自分がいることに気が付いている。(句集『澎湃』田工房・2004・5・20)


たんぽぽの広げてゐたる日向かな 片山由美子
 日向明かり一面に広がる蒲公英の花。その陽の及ぶ範囲は、蒲公英の花明かりの力によって獲得したものであるとする。蒲公英の花明かりを愛でる想いがこの表現を獲得した。(句集『風待月』角川書店・2004・7・17)


鷄頭に古書のにほひの日和あり 仲 寒蝉

 鶏頭はその匂いを詠まれる花ではない。その色彩をこそ詠まれる花だ。手許の歳時記を繙いても、匂いの例句は見いだせない。その虚を突いてこの句は出現する。鶏頭と言われても、その匂いの記憶は俄に甦りがたい。そこで「古書のにほひ」と言挙げされると、鶏頭は俄に古書の匂いを放ち出す。庭先に相応しい花の匂いででもあるかのように錯覚される。(句集『海市郵便』邑書林・2004・7・30)



まんぼうの頭で泳ぐ残暑かな 椎名陽子
 「の」が古語の格助詞で、現在の「が」に当たる言葉だろうと合点するまでに暫く時間を要した。それと言うのも、『風は緑』は口語体の勝った句集であるからだった。この句は、マンボウの独特の泳ぎを「頭で泳ぐ」と表現したのだ。それはそれで納得がいく。しかし、最初の誤読からもなかなか自由になることができない。「まんぼうの頭」で「泳ぐ」という不可思議さに残暑は一瞬輝いたように思ったからだ。(『風は緑』夢書房・2002・10・10)