詩・歌のほとり

文・林  桂

*引用の詩歌の著作権は、作者に帰属します。

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殴る者殴らるる者彼らこそ光り輝くこの世のすべて 黒瀬珂瀾
 「水中ゆ現世へ還る一瞬に貴種として友のゴーグル光る」という貴種の友を持つ彼もまた貴種に違いない。戦後短歌の高みの正統な継嗣であることを強く自恃する存在であろう。三枝氏であったろうか。塚本邦雄、岡井隆、寺山修司、春日井建など戦後の綺羅星の才能以降に歌人たり得るためには、優れた短歌的表現力は不可欠であるという暗黙の了解があったが、俵万智の出現とそれ以降によって、それが瓦解したというような論を読んだ記憶がある。おそらくそれまでに築き上げてきた何物かがシャッフルされたことは確かであろう。
 黒瀬は、俵万智以降にあって、それ以前に繋がり、継承しようとする意志的存在であるように読める。「咲き終へし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をさらすを見たり」という彼もまた美青年でなければならない。「海に降る雪に似し汝(な)が嘘されどおまへの瞳が好きでたまらぬ」の如き相聞の名手でなければならない。つまり、歌詠みに与えられるべき名誉はすべて掌中におさめて出立する貴種でなけれならないのだ。それが「作者」が「黒瀬珂瀾」に課した世界なのである。
 序の春日井建は「男権中心主義」「女性型精神構造保持」という二つの軸で、黒瀬の世界を解き明かそうとしている。しかし、何より長文の序の熱こそが、ここで読むべきものだろう。春日井の期待が本物であることは容易に知れる。
 黒瀬の世界では暴力も輝かしい美に変貌するのだ。(『黒耀宮』ながらみ書房・2002・12・28)
 

はしゃぎている部分と黙りている部分 チューリップ咲きチューリップの 渡辺松男
 「平行世界における記憶の断片」であり「淡い夢のように思われましても単なる空想ではない」(あとがき)『けやき少年』は、それだからこそ淡く夢のような世界を描いている。この世界では、「はしゃぎている部分」と「チューリプ咲き」、「黙りている部分」と「チューリップの影」は、等価なのである。どちらも同じように見える世界を「けやき少年」は生きている。(『けやき少年』砂子屋書房・2004・8・9)


人間より早くぬゆえ犬猫は可愛ゆしされど飼わず ぬゆえ 久々湊盈子
 平成十四年一月、久々湊の義父で俳人の湊楊一郎が百二歳で亡くなった。十六年に及ぶ介護の日々の一端を、歌集『家族』で知った衝撃は今でも忘れられない。湊は新興俳句の論客であり、弁護士として新興俳句弾圧に抗した人として知られる存在である。その湊の老後なのである。
 「見るべきは見尽くせしという百歳の目をこじあけて眼薬をうつ」と詠う。こじ開けられた眼が、百歳になっても見尽くせるものなどないことを語ってしまう。生き尽くせることなどないことを語っている。「より深く悲しむために歌という器に盛りて人恋うこころ」とも詠む。詠むことの意味も、久々湊は先刻承知なのである。
 「死」とそれに纏わる気持ちのゆれと捻れ。それは犬猫に向けて働く気持ちの中でも確認される。人間は早く死なないために、「可愛ゆ」い存在ではない。しかし、死なないために供に生きるのである。(『紅雨』砂子屋書房・2004・8・20)


椿折るほどの高さに手を伸ばし吉井勇の歌集を選ぶ 里見佳保
 「図書館にて」の中の一首。きっとこれが作者の選択の方法なのだろうと思って心に止めた。
 「椿折るほどの高さ」という喩。これには否応なく高い枝作りの木を想起せざるをえない。背を伸ばしやっと下枝に届く高さの木だ。庭木などのすぐに手の届く椿ではなく、椿山のようなロケーションの椿だ。
 背伸びして手に入れるものは、図書館の一冊。吉井勇の歌集である。背伸びして、高貴なものや名誉に繋がるものを手にしようとするのではない。図書館がどのような棚作りをしているのかは不明だが、この手に届くのがやっとの本の位置はそのまま図書館での利用頻度が反映されたもののように読める。歌人として吉井勇はメジャーでも、図書館の棚の上ではマイナーな存在に違いない。そもそも詩歌の棚そのものがマイナーなのだが、その中でも、吉井勇が今どれだけ読まれているか。その名前と現在性のバランスの上で、やっと手の届く所にその歌集は置かれているのだ。もちろん、それは単なる偶然であったかもしれない。しかし、作者はその位置をそのように解釈したことは間違いない。だからこその「椿折るほどの高さ」なのだ。これは吉井勇という歌壇史の上での地位にも思い及ぶものだ。これが石川啄木や斎藤茂吉、与謝野晶子の歌集では「椿折るほどの高さ」の喩は生まれないだろう。
 たとえば、作者にとって背伸びをして手に入れるものが、「短歌」であったりする。それが作者の選択なのだ。名誉や経済に繋がるものではなく、自分の生き方に繋がるという意味で大切に選択されたものだ。そして、それは、一般には吉井勇の歌集のような位置に置かれるものでもある。この作者が清々しいのは、そうした選択を貫いているからだ。「思想などもたぬわれにも響くなり青年僧のまつげの長さ」の「響くなり」が選択である。「まつげの長さ」は、「思想」よりも確かに作者の生きる位置を照らしだすものとして選択されている。(『リカ先生の夏』角川書店2004・7・7)


きくやホテルの相部屋で 暮尾 淳
保という名前を分解して
呆人と号していたのは
書や篆刻に凝っていたおれの父親だが
北への旅のみちすがら
見舞いに訪ねたそのときは
老人病院のベッドに身を起こし
赤い洗濯ばさみで
胸に白いナプキンを止め
握ったスプーンで重湯を掬い
飲み込むその音だけが
冬の薄日こぼれる病室に
長らえている黄落の身からの
苛立ちのように聞こえていたが
付添婦が姿を消すと
十分ほど眠ったろうか
すっと目を開き
どことなく怯えているおれの顔を
たしかに一瞬しっかりとらえ
シ・ヌ・ノ・ワァ・ハ・ジ・メ・テ
と口を動かし
照れたように笑い
しかし視線はすぐに張りを失い
スローテンポで
どこかへとさ迷って行った。
その父親が死んで二十五年
顔クリームを歯ブラシに付けて
歯を磨こうとしたのだから
朝から頭の具合はおかしかったのだろうが
乗り過ごして終着駅にやって来て
泊ったきくやホテルの相部屋で
ふと目を覚ましたおれは
そろそろ呆けが始まったのか
最後はどこで飲んだのか思い出せないのに
あの日については
親父の浴衣の縞柄や
廊下のスリッパの音までよみがえってきて
見知らぬ相客のいびきに眠られず
呆人さん一人呆人さん二人呆人さん三人・・・・
と何回も数え直して
夜が白むまで
親子二人で過ごしたのである。
 詩集『雨言葉』は、追悼詩集だ。死という形で過ぎて行く「生」に注ぐ切ない想いでできている。「きくやホテルの相部屋で」は、二十五年後の父への追悼詩。死して去ってゆく人々を大切に胸に仕舞って生きてゆくのが暮尾さん。「親子二人で過ご」すことができるゆえんだ。死の想いに暮尾さんの「生」は支えられている。人生の折り返し点以降の切ない生は、死者と伴走することなのかもしれない。身近にいるのは生者よりも死者の方かもしれない。
 羊を数えるように「呆人さん一人呆人さん二人呆人さん三人・・・・」と数える。その度に、様々な表情の父は眼前に甦ってくるのだろう。(『雨言葉』思潮社・2003・5・30)



ミルキィウェイ 愛敬浩一
眠るしかない日もある
起きるしかない朝があるように

言い争うしかない日もある
告白した一日があるように

自らを支えられないほどの喜びの日があるように
自らの過失について許しを乞う日よ

すべては自ら背負うしかないと
いやというほど思い知らされる日々よ

日々の飛沫
 「いつの間にか妙な”通勤詩”中心の詩集になってしまったことは自分でもうまく説明できない。砂子屋書房の田村雅之氏は、『平成のカフカは車に乗っているいるのですね』などと言ってくれたが、もちろん、そんなしゃれたものではない。ただ、結局は『失敗でしかなかった人生』が自分なりにみえてきたということだけであろう」と詩集の「あとがき」に見える。通勤詩は妙に饒舌だ。それは本当は饒舌でなくてもよいところで、饒舌になっているようなのだ。『失敗でしかなかった人生』が運転の意識の裏に張り付いてきて、それを凝視しないために、形而下の現象を語るのに饒舌になっているようなのだ。ただその中にあって、「ミルキィウェイ」は寡黙な詩だ。一瞬、『失敗でしかなかった人生』に向き合ってしまった後の悔悟のように。私も、いつもの道を運転しているとき、思わず意識が内に向いていることがある。大体、ちょっとした日々の悔悟であったり、怒りであったり、悲しみであったりする。思わず一人声を出してしまっていたりするものだ。子どもの迎えの車で、子どもを乗せていることを忘れて声を発し、「なんて言ったの?」と質問をされて、引き戻さることもある。車は日々の飛沫の中を走っているのだ。(『夏が過ぎるまで』砂子屋書房・2006・4・10)