ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130

 12番、15番の後に書かれたこの作品の不可思議さは、井上和雄著『ベートーヴェン闘いの軌跡〜弦楽四重奏曲が語るその生涯』という本に詳しい。著者自身がカルテットでベートーヴェンを演奏してきた体験をもとに、ベートーヴェンの生涯と弦楽四重奏曲との相関関係を探っている。著者はこの作品を統一感を欠いた作品と見なしている。そればかりか、後期弦楽四重奏に関しては、初期・中期と比べて芸術的に劣るように論じている。その背景には甥カールとの確執をはじめとした晩年の悲劇があるとする。井上氏の言う「崩壊」というキーワードでもって後期弦楽四重奏を語ることも一つの見識だろう。しかし、果たして本当だろうか。私には何度聞いても伝統形式に縛られず、常に新しい音楽の形式を模索する闘うベートーヴェンを感じる(それが成功するのは14番である)。彼は終楽章というものを全楽章の中で(特に形式面で)重要視していたと思われ、大フーガで持って前楽章の結論を導き出すことを思いついたのであろう。作品は6楽章からなる。一楽章は序奏の深い思索から始まり、主部に入ると弾力ある活気のある音楽となる。その朗々とした明るさを持ちながらも、発狂寸前の感情の発露を含んだ音楽はまさにベートーヴェンならではである。どこか逃げていくような趣の二楽章、飄々としながらも深い情感を持った三楽章、懐かしい旋律にしみじみとするような四楽章、それらは全て短い音楽であり、弦楽四重奏の小品のようでさえある。とりとめもないような旋律が不思議と心に響くのである。五楽章のカヴァティーナは作者自身思い入れのある楽章であり、その美しい内省ある音楽は、人間の孤独をひしひしと感じさせる。そしてそれら全て、形にならない楽章を経てついに大フーガに至る。それは14番で私達がフィナーレに到達する時の感動そっくりではないか。演奏は、その全体像を見失わぬように抒情と開放感を感じさせつつ深い思索を展開しなければならない音楽ゆえ、演奏家を厳しく選ぶのである。しかしながら、初め置かれた大フーガは、その後「難解だ」という仲間の助言を入れ、もっと短いフィナーレを書いて代えてしまった。そのフィナーレがベートーヴェン最後のまとまった作品となる。大フーガは後期弦楽四重奏曲の一つとして扱うべき作品であり、本ページでは扱わないことにする。それだけ内容が濃く、長大である。僕は新しく書かれたフィナーレのリズム感と不思議な明るさに、ベートーヴェンの魂の自在さを感じるものである。しかしながら、真実のフィナーレは大フーガである。

総括

 この曲はベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集の中でも超がつくほど演奏が難しい曲であると思う。12番〜16番までの曲それぞれが全く別の顔をしている。その中で13番はベートーヴェンの精神世界のファンタジーを最も色濃く体現した音楽であり、形にならないものが形を求めて彷徨うような趣を感じるのだ。そのような曲を感動的に演奏することは極めて困難だ。多彩な魅力を引きだそうとする意欲的な演奏としてプラジャークQがあるけれどベストとは言いがたい。印象的な演奏はヴェーグQの新盤か、バルトークQか、バリリQということになる。ヴェーグQは枯淡であり、すすり泣くような淡い表情が独特である。バルトークQはひたぶるに美しい演奏。バリリQは甘美でしなやかで美しい。バリリQは録音がモノラルというのがやはり辛い。演奏・録音と揃った理想的な演奏はないが、総合点の高さからブダペストQを挙げたい。ちなみに、カヴァティーナが最美なのはハンガリーQ。

本音で迫る比較試聴

レナー弦楽四重奏団 Lener String Quartet <rec. 1926-1927> Shinseido

1st 9'09'' 2nd 2'01'' 3rd 6'29'' 4th 2'45'' 5th 5'43'' 6th 7'49''

 レナー弦楽四重奏団はSP時代にベートーヴェンの弦楽四重奏曲を全曲収録した唯一の四重奏団である。ということは、世界初ということになるのだろう。この13番は録音が悪い。というか復刻に用いたSP盤が悪いのだろう。スクラッチノイズは盛大だが、演奏がどこかぼやけた芯のない音に聞こえる。SPのみを聴いて、彼らを評価することはあまりに危険だが、こと商品ということに限って批評することにする。一楽章は脱力感のある演奏で、リズムの処理なども明快であるが、レナーの甘美なポルタメントとたくみに混ざり合い、やわらかな音楽となっているのが心地よい。二楽章はおっとりとしており、いささかの緊張感もない。ここだけはもっと芯のある抉りがほしい。三楽章はハンガリー四重奏団の名演に比してやや弱いが、聴かせどころは押さえている。四楽章はテンポが速すぎる。もっとメロディーを堪能したい。ここはハンガリー四重奏団ともどもいまいち。ヴェーグQの新盤を聴かれたい。5楽章のカヴァティーナは夕映えのような美しさに満ち、そのファンタジーに溢れた甘美な演奏スタイルが郷愁を誘う。ベートーヴェンの悲劇は伝わらないが・・・。六楽章はリズム感が小気味良く、そのやわらかな響きとともに、やはりセンスの良い楽団であると思った。終結も「お話はこれでおしまい」とでも言いたげな和やかさがある。

ヴェーグ四重奏団 Vegh Quartet <rec. 1952> Tower Records

1st 13'42'' 2nd 1'58'' 3rd 6'15'' 4th 3'31'' 5th 7'00'' 6th 9'05''

 名録音であり、モノラルでありながら楽しめる。ただ無音部で次に生じる楽音がノイズとして混じる弊害を生じてしまっているのは残念。テープの劣化を思わせる。演奏は、朴訥として素朴。アンサンブルはステレオへの再録音よりもずっと良いが、しみじみとした味わいにはステレオ盤に劣る。三楽章とフィナーレはこちらのほうが名演である。しかし総じて再録音のほうが老年の悲哀や懐かしい味がある。13番にはそのようなファンタジーが不可欠であり、そのためには演奏者の精神力が必要なのである。惜しむらくは、一楽章とフィナーレの反復指定の尊守であり、進んだ音楽がまた振り出しに戻るのは本当に苛立つ。

バリリ四重奏団 Barilli Quartet <rec. 1952> Westminster (Victor>

1st 8'49'' 2nd 1'55'' 3rd 6'09'' 4th 3'08'' 5th 6'13'' 6th 7'33''
 
 難解な曲だと思う。一楽章はブルックナーの音楽にも似た神秘さを誇るが、バリリはあくまで、情緒と気品を保ち、優しく語り掛ける演奏を行なっている。旋律の美しさや4奏者の語り合いは艶やかで聴いていて惚れ惚れとする。二楽章も愉しく、三楽章の情緒と懐かしさ一杯の表情はそう聴けるものではない。だが、もう少し融通無碍を感じさせて欲しい。四楽章は変に強弱をつけずストレートに甘美に歌った解釈が素晴らしく、カヴァティーナも一番美しいかもしれない。最後はバリリがまるで体言止めのように、きっぱりと終えているのが独特だ。フィナーレも速めのテンポでリリシズムに溢れ、情感豊かで愉しい。枯淡さは全曲通じて得られないが、それをバリリQに求めることはできない。

ハンガリー四重奏団 Quatuor Hongrois <rec. 1953> EMI

1st 13'06'' 2nd 1'55'' 3rd 5'39'' 4th 2'40'' 5th 6'19'' 6th 8'42''

モノラルだが程よい残響もあり、音も鮮度良く、抜けが良い。演奏はハンガリーQ一流の虚飾ない淡白な演奏。ステレオへの再録音とは雲泥の差がある、と言ってよい。速めのテンポですっきりと流す。というと何でもない演奏に思うかもしれないが、淡白に進めつつ、スコアの読みは深くフレーズは生きて呼吸し伸びやかだ。幸松肇氏が『クラシック名盤大全』の中で推薦している通り、見事な全集である(全集として手元に備える価値がある!)。ただ、13番はやや物足りない箇所がある。一楽章は軽やかできっぱりとした決然たる演奏であるが、ブダペストQの深みに達しておらず、なだらかな呼吸感がない。反復もいらない。あれれ、と思っていると、二楽章ではぽつぽつとした間の取り方が神経質。セーケイ(第1ヴァイオリン)特有ののジプシー的解釈か?と思わせる。三楽章は濡れた音色といい最高で、美しい。この楽章だけはトップに挙げたい。ただ、四楽章になると最速スピードであれよあれよと進めてしまい、せかせかした印象で残念。5楽章のカヴァティーナは最美でみずみずしい。バリリQ以上である。コーダも慈愛に満ちて素晴らしい。余韻に浸りたい。フィナーレは快速テンポでリズムを飄々と刻む呼吸が素晴らしい。そのスコアの処理の仕方は民俗的な味がある。もっともこれは彼らの演奏全体に言えることだ。しかし、ヴェーグQやバルトークQよりも普遍性がある解釈と思う。解釈として研ぎ澄まされているのだ。ただ、やはり反復は余計だと思う。 

ハリウッド弦楽四重奏団 The Hollywood String Quartet <rec. 1957> Testament

1st 9'44'' 2nd 1'58'' 3rd 6'45'' 4th 3'33'' 5th 6'41'' 6th 6'52''

 録音は鮮明で抜けが良く聴き易い。一楽章は現代的なスタイルで情緒はあまり感じない。二楽章は普通。ヴェーグQ(新盤)の演奏は奇跡的だ。三楽章は良いテンポから瑞々しい音楽を聴かせてくれる。すっと音を弱めて遠き日を夢見るような解釈はセンスがある。四楽章も強弱を変にこだわらず、すっと流すからこそ、寂しさやわびしさがよく伝わってくる好例。おずおずとした奏で方が切なさを感じさせる。カヴァティーナだけは音が強すぎ、美観を損なう低弦のぼてつく響きががっかりだ。フィナーレはめちゃめちゃくちゃ速いテンポで凄い。これで録音がもっと良ければ・・・とは言うまい。

ブダペスト弦楽四重奏団 Budapest String Quartet <rec. 1961>

1st 10'02'' 2nd 1'52'' 3rd 6'22'' 4th 3'19'' 5th 6'42'' 6th 7'33''

 一楽章の序奏からして深刻になりすぎない軽さを持ち、主部に入るとリズム処理が明快。透明な音色は相変わらず、彼岸の響きのようだ。録音は古いが、14番の七楽章ほどきんきんとしないので助かる。それにしてもこの一楽章は絶品である。寄せては返すような波のような音楽の呼吸が見事に音化され、力の抜き方が絶妙なのである。音楽の意味をこれほど教えてくれる演奏はない。二楽章も名演である。駆けていくような音楽からきちんとニュアンスをつかみ演奏している。三楽章はじっくりとした味わいがある。懐かしい歌を情緒満点に歌っている。四楽章は神経質に複雑なスコア指定のリズムにこだわらず、流線型で旋律を大切に扱っているので、音楽を安心して楽しめる。カヴァティーナは美しいとはいえないが、内容美に満ちている。どんどん晩年の浄化された悲しみが伝わってくる。そのしみじみとした詠嘆はどうだろう。六楽章はその抜けきった開放感が素晴らしく、次第に切迫感のようなリズムが凄まじさを増してゆく。効果を狙わずにベートーヴェンが最後まで豪快で笑いながら辛い人生と闘い続けたかを伝えて止まない。

アマデウス四重奏団 Amadeus Quartet <rec. 1963> DG

1st 8'31'' 2nd 1'54'' 3rd 6'08'' 4th 2'41'' 5th 6'32'' 6th 7'27''
 録音にデリカシーがない。アマデウスQの音はもっとやわらかではないかと連想するが・・・。14番でも思ったことだが、ぎすぎすとした音である。それでも、抜けは悪くないし聴き辛いことはない。一楽章は思い入れなく序奏を開始して、主部に入るとリズミックでダイナミックである。かといってそれらは室内楽的アンサンブルにおいての限度であって、オーケストラのような轟々としたものではないことを買いたい。ブレイニンの甘美な音色が彩りを加える。息の合ったアンサンブルで、線がはげしく絡み合う箇所など小気味良い。二楽章も水準以上の演奏だが、ここまで聴いてもしみじみとした情感とか切なさといった寂寥感が皆無なのが気になる。三楽章もなんだか愉しすぎるような気がする。恋人同士の会話みたいな和み系の演奏である。ブレイニンの弦も泣き節でかきくどくような印象。四楽章は変。飄々とした音楽と彼らの音楽性とは水と油なのかもしれず、ぎこちない。5楽章は相変わらずべたっとするくらい甘美で、凄絶な悲しみが感じられない。いい曲だとは思わせてくれるが・・・六楽章はややアンサンブルが雑だが、解釈としては良い。 

ハンガリー四重奏団 Quatuor Hongrois <rec. 1965-1966> EMI

1st 9'48'' 2nd 2'02'' 3rd 6'08'' 4th 2'54'' 5th 6'57'' 6th 7'41''

 繊細で美しい。線が細いからこそ生きる味もある。三楽章の融通無碍はハンガリーQの演奏が一番美しく表現しているかもしれないが、バルトークQが持つコクはない。一楽章、最終楽章ともに反復指示を無視しているのは感心するし演奏も美しいが、これらの楽章になるとやはりもう一つコクも欲しい。デリケートで触れると傷つくような淡い味はカヴァティーナを独特の魅力あるものにしている。しかしながら、これがベートーヴェンか、というと首を縦には触れない。もっと深い情念や人間臭さを底に秘めたものでなければならないはずだ。二楽章や四楽章が(美しいのに)さして心に残らないのはそのためもあるかもしれない。ベートーヴェンを漂白して、繊細な魂だけを取り出した演奏である。

バルトーク四重奏団 Bartok Quartet <rec. 1969-1972> Hungaroton

1st 8'49'' 2nd 2'05'' 3rd 6'16'' 4th 2'55'' 5th 6'08'' 6th 7'51''

 13番の演奏というのは超がつくほど難しいと思うが、バルトークQの演奏は数少ない名演奏の一つである。まず音色がこの世ならぬ美しさであること、そして抒情が溢れていること、速めのテンポで融通無碍に演奏されていることがポイントである。密やかな悲哀さえ滲ませながら、音楽は美しく脈動する。一楽章もつまらない演奏ばかりなのに、美しく、はかない。それでいてベートーヴェンの意志の強さが漲る。二楽章はヴェーグQのような枯れた味はないが、美しく小気味良い。三楽章は何ともいえない哀しみが満ち、この世ならぬ美音が氾濫する。四楽章もそうだが、魂たちが春の日の美しい夕焼けに漂うような演奏だ。カヴァティーナは速いテンポであれよあれよと進むが、その小味ではかないふんわりとした雲のような音色が良い。フィナーレもテンポは他の楽章に比べるとやや遅めだが、他の団体と比べれば速いほうで、美しく繊細でただただ聞き惚れる。これで録音がもっと良ければ。高音がややきつい。

ジュリアード四重奏団 The Juilliard Quartet <rec. 1970> Sony

1st 10'03'' 2nd 1'58'' 3rd 6'53'' 4th 3'07'' 5th 7'39'' 6th 8'27''

 16番の超名演があるので期待していたのだが、全く期待はずれ。水準以上の演奏かもしれないが、ぴんとこない。いつもの鋭利な刃物を思わせる切れ味を抑え、ふっくらとした音楽を創っている。反復をしないのもセンスが良い。しかし、突き抜けた何かに乏しいし、録音のせいか、ふっくらとした情緒ある解釈を支えるべき音色もそれほど美しいとは感じられない。フィナーレもおっとりとした遅いテンポがもたれがちだし、四楽章は強弱をつけすぎて音楽の流麗さを損なっている感じがする。

ヴェーグ四重奏団 Quatuor Vegh <rec. 1973> Naive

1st 13'42'' 2nd 1'59'' 3rd 6'27'' 4th 3'21'' 5th 7'19'' 6th 7'35''

 ステレオ再録音である。技術の衰えを不思議と感じさせず、音楽の中身を聴かせる。14番、16番同様、外面的な美しさには目もくれず、ひたすら精神的な深みを大切にする演奏である。4奏者の心の対話が胸を打つ。一楽章は地味な音色で、表面的美しさは皆無だが、しみじみとしたアンサンブルで好感が持てる。しかし、一楽章の反復は不要だと思う。二楽章も肩の力の抜け加減が素晴らしく良い。かすれたような音色がすすり泣きを思わせ感動的である。こんなのは聴いたことがない。三楽章もしみじみとした味わいは同じだが、ここは今ひとつ表面的にも洗練された音の美しさを求めたい。四楽章は、その目に涙をためて微笑むベートーヴェンそのものであり、カヴァティーナはジュリアードQの16番三楽章の超名演を思わせる枯淡の音色である。しかしながら、さすがにこの楽章の演奏は難しい。この楽章の美しさを完璧に表出したとは言いがたい。フィナーレはアンサンブル技術が落ちるものの、音楽だけが語りかける。神経質に間をとったり、テンポをぎくしゃくさせず、すっきり速めのテンポで演奏するのはセンスが良く、やはり素晴らしいカルテットだ。

ターリヒ四重奏団 Le Quatuor Talich <rec. 1980> Caliope

1st 12'53'' 2nd 2'03'' 3rd 5'57'' 4th 3'16'' 5th 6'13'' 6th 7'31''

 僕に13番の魅力を教えてくれた忘れがたい名盤である。家庭的アンサンブルと名づけたくなるほど、4人の演奏者が身近に感じられる録音であり、溶け合うのではなく、自己主張しつつ、時に調和するという音作りである。したがって、素朴さが前面に出てくる。音色は滋味で塩辛く、弦楽四重奏というジャンルの醍醐味を感じさせる演奏なのだ。13番は彼らの傑作の一つである。一楽章は激しい部分と抒情的部分とのコントラストを弱め、ひたすら音楽の流れとしみじみとした情感を大切に演奏する。二楽章から四楽章にかけても、妙な小細工をせず、余裕を持たせたテンポで演奏し、そこに4人の語らいがある。ターリヒQで聴くと中間楽章のつながりがしっかりと感じられる。カヴァティーナも素朴で、素朴すぎる箇所もあるけれども、旋律の歌い方は胸を打つ。フィナーレは理想的なテンポで演奏も抜群である。惜しむらくは、一楽章の反復指示を守っていることと、やっぱり磨きあげられた溶け合った響きの美しさである。

ズスケ四重奏団 Suske Quartet <rec. 1980> edel classics

1st 9'26'' 2nd 2'04'' 3rd 6'33'' 4th 3'08'' 5th 7'22'' 6th 8'15''

 録音は聴きやすい。序奏から濃厚な音色と分厚いハーモニー。彼ら特有のいくぶんザラザラした塩辛い音色弦の音が独特だ。主部に入っても、テンポを上げず、それでも飄々とした印象を持たせるのが心憎い。しかしながら、もともとが実直な性格の団体であるためか、真面目だなあという感じが付きまとう。この世ならぬ美しさだとか、はっとするような瞬間がなく、緊張感が一貫しないのが残念だ。枯淡というのともちょっと違う気がする。反復をしないセンスの良さは書き留めておきたい。二楽章や三楽章では伸びやかなズスケの高音の美しさと甘くなりすぎない素朴な解釈が好ましい。四楽章は主題をすっきりと奏し、和やかな微笑みに満ちており素晴らしい。カヴァティーナもヒューマンな感動に満ちており、その温もりに身を浸す幸福は如何ばかりであろう。
残念なのは、フィナーレのテンポがやや重過ぎることだ。

アルバン・ベルク四重奏団 Alban Berg Quartet <rec. 1982> EMI

1st 9'44'' 2nd 1'54'' 3rd 6'49'' 4th 2'54'' 5th 7'01'' 6th 7'47''

 名盤選びでは必ずと言ってよいほど、アルバン・ベルクQが断トツで一位を獲得する。そんな馬鹿な話があるか、と僕はいつも思っている。ちっとも良くないからだ。この13番も単純に聴けばけして悪くはないが、この演奏が最高かと言われれば断固否定する。14番と比べて随分ピヒラーの神経質さは薄れているが、それでもやはり録音のせいもあるかもしれないが高音が刺激的だ。一楽章と最終楽章の反復を行なっていないのは良いと思うし、解釈もスタンダードである。それでも何か表面をなぞっている感じであり、カヴァティーナもそれほど心に響いてこないのである。二楽章も繊細で美しいが、他にもっと素晴らしい演奏がある。四楽章はテンポが速すぎ、心に残らない。

スメタナ四重奏団 Smetana Quartet <rec. 1982> DENON

1st 12'34'' 2nd 2'02'' 3rd 6'49'' 4th 3'19'' 5th 7'06'' 6th 9'31''

 スメタナ四重奏団はアナログ時代にこの曲を含む後期セットを収録しているが、これはデジタル録音による全集中の一枚である。名演奏だと思う。一楽章、六楽章ともに反復を守っている。彼らは六楽章にベートーヴェンは本来想定した大フーガを置いている。他の団体もそのようにしている場合があるが、大フーガは別にページを設けるため、新しいフィナーレのほうを試聴の対象とする。
 一楽章は序奏のアンサンブルが素朴。四奏者の音がすべてブレンドされ、いぶし銀のような音色を出しており、聴かせる。思念的な重さがないのは物足りないかもしれない。主部に入るとリズムが弾む。アンサンブルは今ひとつの閃きを求めたい。二楽章、三楽章は音色といい、解釈といい、納得である。四楽章の美しい旋律をスコア指定に惑わされず、すっきり奏するセンスの良さ、遅めのテンポでじっくり運ぶカヴァティーナの抒情に満ちた温かい表現はことに素晴らしく、ステレオでは第一級の演奏ではなかろうか。フィナーレも愉しい。不思議なのは一楽章も六楽章も反復を守っているのに、少しも嫌ではないのである。彼らの解釈は重さとか深刻すぎたりせず、美しい音色によって解釈としても枯淡だからかもしれない。

メロス四重奏団 Melos Quartet <rec. 1984, 1986> DG

1st 13'34'' 2nd 1'53'' 3rd 6'25'' 4th 3'05'' 5th 6'57'' 6th 9'28''

 名演である。14番や16番ではやや詰めのきつさと激情的な演奏が気になったが、13番ではそれを感じさせない。アルバン・ベルクQやリンジーズやジュリアードQと同じく、現代的なシンフォニックなスタイルであるが、メロスQのほうがこの曲では一枚上手だ。リズミックな部分と抒情的部分との対比がもっとスムーズで、4つの楽器の絡み合いが鮮明であり、ゆったりとした部分ではしみじみとした音色で歌う。懐かしいニュアンス。一楽章もバルトークQほど天才肌ではないが、その情熱と真摯な姿勢が素晴らしい。二楽章はヴェーグQの新盤の味はないが、技巧的なうまさと音楽の魅力とをうまく融合して爽快に聴かせる。三楽章もうまい。融通無碍とした抒情を十二分に伝えてくれる。四楽章は主題に強弱をつけすぎるが、小細工には感じさせない。期待のカヴァティーナの美しさはメロスがもっとも良い。テンポが速めだが、旋律をゆったり演奏することで堪能させてくれるのだ。響きも伸びやかで温かい。フィナーレも彼らとしては落ち着いたテンポで模範的な解釈であるが、反復を行なっていることだけが残念だ。一楽章の反復も合わせて、不要である。

リンゼイ弦楽四重奏団 The Lindsays <rec. 1980年代> ASV

1st 14'33'' 2nd 2'00'' 3rd 6'39'' 4th 3'22'' 5th 8'37'' 6th 9'42''

 リンジーズはイギリスを中心として高い評価を受けた団体である。彼らには二つの全集録音があるが、これは旧盤全集の中の一枚。しかし、録音年代は明記されていないし不親切だ。録音はおそらく84年〜87年の間だと思われるが、それにしては録音が悪い。この13番もホールの残響が入り、彼らの演奏から樹脂が飛び散るような迫真性がとれてしまっている。それは残念だが、円く溶け合った響きとともにきれいな音になっているのは確かだ。一楽章からしてふんわりとした柔らかい響き。いたずらにリズミックな部分と抒情的部分とを対比させないし、なだからに呼吸する姿勢は買う。二楽章、三楽章、四楽章もまずは模範的な解釈であり、華美にならない、滋味な音色も心地よい。カヴァティーナの中間部のまるですすり泣くような音も素晴らしい。しかし、それ以上に感動することはない。感心はするが、感動はしない。これは東京Qやアルバン・ベルクQ、ジュリアードQも同じであるが、本当にこの曲の演奏は難しいのだ。したがって、バルトークQのような霊的な美しさやヴェーグQのような精神世界そのものといった演奏が成功するのかもしれない。あるいは、ターリヒQのしみじみとした情感がこの曲の演奏の王道なのかもしれない・・・。

東京弦楽四重奏団 Tokyo String Quartet <rec. 1991> BMG

1st 13'26'' 2nd 1'57'' 3rd 6'52'' 4th 3'15'' 5th 7'07'' 6th 9'33''

 相変わらず、暖色系の豊かな音、やわらかく心地良いハーモニー。オーケストラのような巨大なサウンドである。解釈としてはオーソドックス。しみじみとしたわびしさに欠けるのはこの曲には致命的である。どの楽章を聴いても最高に優秀な演奏である。技術としても万全で模範的な解釈であるからだ。しかし、それ以上のものがあるかと問われれば首を傾げざるをえない。一楽章はどうもつまらない音楽に感じるし、二楽章もヴェーグQ(新盤)の味が懐かしい。カヴァティーナは美しいハーモニーだが、それ以上に痛切な訴えが欲しいと思ってしまう。一楽章、フィナーレともに反復指示を守っているのも気に入らない。この曲はオーケストラ的な演奏は似合わないかもしれない。

クリーヴランド四重奏団 Cleveland Quartet <rec. 1995> Telark

1st 15'11'' 2nd 1'59'' 3rd 6'47'' 4th 3'52'' 5th 6'58'' 6th 10'20''

 温かい音色に、4つの楽器が溶け合った朗々とした和音。それでいて、もたれたり、繊細さに欠ける印象はなく、見通しが良い。爽やかさも残すという不思議な印象。しかし、この全集の(テラークの)録音は本当にひどい。僕の耳はいつも疲れてしまう。気持ち悪くなるのである(ヘッドフォンで試聴)。他の名団体が時に聴かせる絶美の音色は一度も現われない。表現のオーソドックスさとおおらかな響きは相変わらず。しかし宮城谷氏が言うように「何かが足りない」。ちょっとした旋律の奏し方にセンスはあるのかもしれないが、世界中で25回チクルスを行い、体にベートーヴェンを染み込ませた団体としては、心に響かない演奏になっている。一楽章などゆとりのあるテンポで雄大である。しかし、いらぬ反復のせいで興冷めである。それはフィナーレも同じである。中間楽章もまあ普通。彼らの全集のどこがいいのか、僕にはいまだわからない。

ゲヴァントハウス四重奏団 Gewandhaus-Quartett <rec. 1997> NCA

1st 8'56'' 2nd 2'01'' 3rd 6'38'' 4th 3'27'' 5th 6'40'' 6th 8'14''

 リンジーズやアルバン・ベルクQの路線であり、それらよりもっと豊饒な響きによるふっくらとしたダイナミックスが特徴の演奏である。開放感と牧歌的なのどかさがこの曲にはぴったりである。やや低音がだぶつく残響の多い録音が残念ではあるが、彼らの呼吸に合わせてのびやかに伸縮する音楽は美しい。メロスQのようなえぐりや繊細な表情に欠けるのはマイナスであり、二楽章や三楽章も美しいけれどこれがベストではない。カヴァティーナもヤーコプティムのチェロが幾分ポツポツと音が途切れがちで豊かに溶け合っていない。ただ両端楽章の反復を無視したり、プラジャークQのように妙にわずらわしい強弱やリズム感をつくらないので、音楽が巨きい。彼らの全集は本当に安心して聴ける豊かさがある。

プラジャーク四重奏団 Prazak Quartet <rec. 2003> Praga

1st 12'40'' 2nd 1'54'' 3rd 6'19'' 4th 2'58'' 5th 6'16'' 6th 9'17''

 プラジャークQとしてはいまいち。他の諸曲と同じように、冴えたアンサンブル、シンフォニックな厚み、それでいて機械臭を微塵も感じさせない、枯れた音色から艶のある歌まで、素朴さと洗練とを自在に駆使した演奏ではある。しかし、14番の素晴らしさから予想されるものではなかった、解釈も妥当であり、テンポも違和感はほとんどない(カヴァティーナがやや速いか。しかしバルトークQはもっと速いのにこんな不満はなかった)。一楽章はしみじみとした情感とリズミックな部分との対比が明快で、愉しい。しかし、しきりにバルトークQの抒情的美しさが懐かしくなる。反復も疑問。二楽章もヴェーグQのすすり泣きのニュアンスはなく、愉しく豪快に笑う。それでいてかすれた音で抒情に浸る。三楽章も曲想の描き分けが自在。しかしながら、少々めまぐるしいと感じるのは僕だけか。四楽章は主題に強弱をつけすぎ、流れを不自然にする箇所があり、馬脚を現したか?やはり技術優先の団体なのだろうか。五楽章もいまいち心に残らない。フィナーレは名演。テンポも理想的。ただし、やはり神経質に主題を処理する箇所があり、抵抗はある。

タカーチュ四重奏団 Takacs Quartet <rec. 2003-2004> Decca

1st 13'53'' 2nd 1'55'' 3rd 6'26'' 4th 3'08'' 5th 8'17'' 6th 9'19''