ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131

 ベートーヴェンの作曲した弦楽四重奏曲全16曲のうち、最期から2番目に作曲された作品である。楽譜の出版段階で、順番が15番と入れ替わってしまったために、14番となっている。
 最期の5曲のピアノ・ソナタ、交響曲第9番、『荘厳ミサ曲』を相次いで完成した後、ペテルブルクの貴族ガリツィン公から弦楽四重奏曲の作曲依頼に応えるため、12番、15番、13番を順に作曲。これら、「ガリツィン四重奏曲」が完成したのは、1825年のことであった。
 しかしながら、ベートーヴェンの創作の泉は枯渇することなく、自主的にこの14番と最期の弦楽四重奏曲16番とを1826年に完成させるのである。それは彼の死の前年のことであった。
 14番は7楽章からなるとされる。しかしながら、各楽章は断絶なく、続けて演奏される。まるで、一つの曲のように扱われる。交響曲第5番「運命」や交響曲第9番「合唱付き」で見られた<苦悩を超えて歓喜へ>といったモットーはすでに消失し、内省的な精神世界が描かれているかのように思わせる。
 一楽章は身をよじるような悲痛な旋律が幾層も重ねられ、次第に巨大なフーガとなる。全世界の苦悩を一身に背負ったかのような音楽である。二楽章になると、彼岸の世界から響いてくるような懐かしい舞曲が奏される。しかし、一楽章の耐え難いほどの寂寥感は、その明るい音楽の陰に隠れながらも、やはり老年の日の陽光のように滲んでいるのである。三楽章は思考が断絶したかのような狂おしい決意の音楽であり、四楽章の長大な緩徐楽章への布石として短い音楽になっている。その四楽章は歌心に満ちた美しい音楽である。変奏曲形式で美しい旋律がこれでもかと形を変えて歌われる。前三楽章の孤独があるから、なおさらこの幸せな音楽は切なく感じられる。最期の春の日の名残惜しさは胸が締め付けられるよう。五楽章は一転して活発なスケルツォである。弾むようなリズムに、魅惑的な音色、絵のようなピッチカートが印象的である。六楽章になると、途端に沈み込み、ヴィオラが主役となってカヴァティーナとなる。冷たく押し黙ったたまま、過ぎ去った全てを抱きしめ涙を流しているような音楽。7楽章は身を切り刻んでいくような闘いの音楽となる。しかしながら、それは精神の闘いであり、そしてついにベートーヴェンが手にしえなかった愛への甘美な夢が合間を縫って懐かしく歌われる。

総括
 
 つまるところ、この奇跡のような音楽の魅力を満喫するには
スメタナQが一番ではないか。スタンダードたる演奏だと思う(バリリQも良いがモノラルなのが残念)。交響曲や管弦楽が大好きで室内楽を聴く場合には、東京Qが一番かもしれない。豊かな音楽がそびえている。僕個人の好む演奏として、プラジャークQターリヒQがある。前者は現代的な演奏スタイルでありながら、古き良き室内楽の伝統をも体得している。後者は家庭的アンサンブルでありながら、室内楽の真髄を突く。カペーQやバルトークQも良いけれど、録音が今となっては古いかもしれない(レナーSQは一聴の価値あり!)。しかしながら、これら全ての演奏の頂点に聳え立つのがブダペストQ(ステレオ)ハンガリーQ(モノラル)だ。どちらが一番素晴らしいかというと好みの問題。前者には磨き上げられ、練り上げられたがっちりとした味わいがあり、後者はしみじみとして飄々、流麗しなやかな美しさがある。しかし、どちらも普遍的な感動に達している。以下比較試聴の詳細である。(これだけ聴き比べるのは大変だった。本当に16曲全部やるのか?何年かかるんだろう。しかも14番ですら、まだ聴いていない演奏があるというに。) 

本音で迫る比較試聴

カペー弦楽四重奏団 Capet String Quartet <rec. 1928> オーパス蔵

1st 7'26'' 2nd 3'15 3rd 0'51'' 4th 12'22'' 5th 5'43'' 6th 1'50'' 7th 5'46''
 
 室内楽愛好家には神品のごとき扱いである。以前はセットもので発売されていたため、入手しづらかったが、SP復刻で素晴らしいCDを発売しているオーパス蔵が一枚もので復刻してくれた。膨大な針音の中から、妙なる楽音が聴こえてくる。楽聖晩年の融通無碍の境地。カペーらの演奏は、ルバートやポルタメントによって甘美さを追求したもの。それでいて演奏スタイルは結晶化しているため、むしろ他団体よりも速い。神品とはこういうものを指すのだろう。これならマルセル・プルーストが惚れるわけだ。プルーストは『失われた時を求めて』の作者である。彼は自分の部屋にカペー四重奏団を呼んで演奏させていたというからうらやましい。一楽章からして空気に溶けていくような、まるで楽器の音じゃないような、不思議な音。彼岸からおずおずと響いてくる懐かしい子守唄のようだ。それでいて胸が締め付けられる。二楽章も飄々としており、リズム感より、融通無碍の境地。四楽章はひたすら甘美な夢を見させてくれる。五楽章になると、豪快にチェロが活躍し、厳しいリズムを踏むが、それでも独特の甘美さは消えない。それでいてバリリQのようにべたっとしない甘美さ。漂う感じなのだ。六楽章はとびっきり甘く、切ない。その情緒は史上最高だろう。フィナーレはアッチェレランドが次々にかかるが、オーパス蔵の復刻では、シンフォニックに聴こえ、その疾走感がまたやるせない気持ちにさせる。録音が古いのだけが心残りだ。

レナー弦楽四重奏団 Lener String Quartet <rec. 1932> Shinseido

1st 6'31'' 2nd 3'15'' 3rd 0'42'' 4th 13'10'' 5th 5'59'' 6th 1'38'' 7th 6'41''

 レナー弦楽四重奏団のベートーヴェンについてまとまった演奏評を見たことがない。『クラシック名盤大全』の中で、幸松肇氏は次のように書く。「第2次大戦以前にベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を録音した団体は、このハンガリーのレナーSQしか存在しない。リーダーのイエネー・レナーは、ヨアヒムの高弟フバイからドイツ流のベートーヴェン奏法を身に付け(中略)、優美にして流麗なボウイングの美しさで人気を博していたが、この全集を耳にして頂ければ、知性と感性のバランスが整った品格の高さにも魅力があったことがお分かり頂けよう。初期では爽やかなアンサンブルが、中期では小気味良い推進力が、後期では調和のとれた構築美が神々しい輝きを放っている。」録音状態は曲によって盛大なパチパチノイズが激しいが、年代を考えれば驚異的に良く、この14番も音質が良好である。演奏はカペーのいくぶん流線型の融通無碍とは異なり、がっちりとした造形と懐かしいポルタメントで彩った旋律の妙なる歌わせ方から成り立つ。一楽章も幽玄よりは、現実的な響かせ方であり、二楽章もゆったりとしたテンポで歌う。三楽章の激情も抑制され、長大な緩徐楽章は淡々と奏しつつ、中間ではぐっとテンポを落として夢見るような内省的音楽を聴かせてくれる。頑固な見得の切り方も出てくる。五楽章もアンサンブルがしっかりとしており、六楽章も心のこもったハーモニーが素晴らしい。フィナーレはブダペストQのような情緒や伸びやかさを大切にした表現で、ギャロップ風のこの楽章の激情をいたずらに爆発させることなく、調和を図っている。これに比べるとカペーQの幽玄は素晴らしいがアンサンブルは雑。レナーSQには幽玄さはないが、アンサンブルの確かさと甘美な奏し方が融合した独特の魅力がある。これは名演奏である。

ヴェーグ四重奏団 Vegh Quartet <rec. 1952> tower record

1st 7'05 2nd 3'13'' 3rd 0'19'' 4th 12'48'' 5th 5'38'' 6th 1'53'' 7th 6'14''
 
 モノラル録音であるが、相当良質の音である。極めて生々しく、香ばしい残響もある。バリリQの名録音に並ぶ鮮明さである。演奏は、カペーQと比べれば現代的である。それでいて第一ヴァイオリンが突出するわけでもなく、あくまでシンフォニックに4つの楽器が絡む。速めのテンポで、いささかぶっきらぼうに進むので、甘美さは感じられず、むしろ素朴で滋味な音楽に聴こえる。後年のステレオ録音のような技術の衰えはなく、安心して楽しめる半面、どぎつい個性は感じられない。聴きこむほどに音楽の持つわびしさや寂しさをじっくりと味あわせてくれる。全編心静かに聴ける。残念なのは、録音が五楽章と六楽章で断絶しており、全七楽章の有機的統一感がなくなったことであろう。フィナーレの途中で音量が落ちる箇所もある。そのマイナス点を除けば、バリリQよりも素晴らしい。特に品格を犠牲にせずに、荒々しさにも欠けないフィナーレは味がある。

バリリ四重奏団 Barilli Quartet <rec. 1952> Westminster (Victor)

1st 6'48'' 2nd 3'13'' 3rd 0'47'' 4th 14' 09'' 5th 5'55'' 6th 1'56'' 7th 6'17''
 
 古き良きウィーンの味。洒落っ気たっぷりの艶のある弦の音。バリリの良いところはそれが彼らの音楽の一つとなっているところである。スタイルは現代風である。録音は鮮明であるが、残響はデッドで甘い音色がややべたつく。しかしながら、聴き進むうちに気にならなくなる。甘美さが前面に出て何とも幸せな音楽である。幸せも不幸せも虹色に輝く。ベートーヴェンの深刻さや如何に生きるべきかといった闘いは微塵も感じられない。四楽章は格別濃厚である。しかしながら、もっと飄々とした融通無碍も欲しいところ。フィナーレも深刻にならず、ウィーン音楽として演奏するが、スタイルは磨き上げられているので、手堅い名演と思う。

ハンガリー四重奏団 Quatuor Hongrois <rec. 1953> EMI

1st 6'39'' 2nd 2'32'' 3rd O'40'' 4th 11'56'' 5th 5'03'' 6th 1'32'' 7th 6'16''

ハンガリー四重奏団には66年のステレオへの再録音もあるが、これはモノラル全集である。録音は鮮明で、バリリQの録音よりも程よい残響があり、極めて鮮度良くみずみずしい。幸松肇氏はこの全集を『クラシック名盤大全』で推薦している。「ここには彼らが戦争中から暖めてきたベートーヴェン解釈の研究成果が実り豊かに結晶しており、アカデミックにベートーヴェンを聴いてみたいという方々にぜひお勧めしたい」とあるが、ベートーヴェンを愛する方々全員にお勧めしたい。彼らの演奏にはすっきりとしたみずみずしいフレージングとしっとりとした濡れた音色があり、どこかジプシー的哀感を漂わせる哀愁がある。その民族臭もほのかに漂うだけで、その速めの淡白な解釈は普遍性を獲得している。この14番は録音が時に不安定になる箇所がある。しかし、全体として気にならないレベルである。一楽章のしみじみとした悲哀、二楽章の飄々たる情緒、三楽章のいたずらに激情に走らない抑えた感情などを聴けば、すぐに彼らの演奏が心の宝となるだろう。四楽章は最速のテンポだが、せかせかせず、すっきりとしていながら生きて呼吸している。その神韻飄々、融通無碍とした風情は聴いたことがないほど美しい。最美であろう。5楽章もリズムの処理が誠に流麗である。彼らの演奏はみずみずしく流麗でしみじみとさせるのである。本当にすごいことである!六楽章もベートーヴェンの晩年の嘆きを伝えてやまない。フィナーレは名演である。きっぱりとした決然たるフレージング、懐かしく歌われる歌。こぶしをきかせて嘆くように奏する解釈もあり、こんな解釈は聴いたことがない。それでいてけして嫌味にならないのが、彼らの演奏の完成度の高さを証明するものなのである。

ハリウッド弦楽四重奏団 The Hollywood String Quartet <rec. 1957> Testament

1st 6'48'' 2nd 2'51'' 3rd 0'51'' 4th 13'50'' 5th 5'26'' 6th 1'59'' 7th 6'49''
 
 名前を聴くと怪しいと思われるかもしれないが、なかなかに素晴らしい団体である。スタイルは極めて現代的であり、バリリの甘美さ、ヴェーグの土臭い味わいに代わる抒情がある。妙な深刻さに捉われず、ひたすら歌うように演奏していく姿勢に好感が持てる。一楽章のゆっくりと宙をひらひらと落ちてくる落ち葉のような味わい、二楽章の飄々とした歌い回しは絶品である。残念なのは、この時代にしては録音がややにごることである。四楽章ではピッチカートがあまり上手くなく、興ざめな箇所がある。五楽章はメロスQそっくりのスタイルで、それでも抒情があるという上手さ。六楽章も良いけれど、七楽章はもう一つリズムに厳しさが欲しい。ここは聴くたびに惜しいと思う。

ブダペスト弦楽四重奏団 Budapest String Quartet <rec. 1961> SONY

1st 6'57'' 2nd 3'00'' 3rd 0'45'' 4th 13'44'' 5th 5'25'' 6th 1'57'' 7th 6'53''

 この全集は、最近では『クラシック不滅の名盤800』や『クラシック名盤大全 室内楽曲篇』などでも取り上げられ、また古来多くの評論家に絶賛されている。しかしながら、今はほとんど忘れ去られているといってよい。それは何故か?ずっと廃盤だったからである。SONYという会社は本当に文化の価値がわかっていない。それはEMIも同じだが、EMI以上にひどい。過去の名盤をほとんど再発売せず、やっと再発売してもどんどんリマスタでひどい音質に作り変えていく。私はこの全集を中古で1万五千円で入手した。それ以前は3万円の値がついていたのを見たことがある。2007年も末になってようやっと再発売された。慶賀すべきことだ。
 閑話休題。録音は鮮明だが、デッドだ。高音がいくぶんきんきんするのが残念で、LPだとかかつて出ていた初期CDのほうが音は良いかもしれない。私のはSRCR1901〜8というMaster Soundというリマスタ盤である(現行のものは聴いていないので音質についてはわからない)。演奏は一楽章からして、妙に神経質にも暗くなることもない演奏だ。磨き上げられた透明な音色で4本の線が絡むが、けして悲劇的になりすぎたりしない。淡々として虚飾を排している。二楽章も融通無碍である。ギスギスした録音が本当に残念だが、それでもこれが素晴らしい演奏であることはその確固たるテンポ設定、清潔かつ簡潔なリズム処理と四奏者の情の交わせ方で感じ取れるのである。効果を狙わない三楽章を経て四楽章に到達すると4本の線が絡み合いつつも音色の溶け合った一つの楽器のような演奏が噛み締めるように続けられる。繊細さを意識しすぎず、音楽は伸び伸びと呼吸する。豊かといってもオーケストラのように轟々と鳴らすわけではない。音楽が巨きいのである。表面的な美しさは皆無なのに、物足りなくない。不思議だ。宇野功芳氏は『僕の選んだベートーヴェンの名盤』でブダペスト弦楽四重奏団を酷評している。曰く曲を裸にし過ぎる、大味だ、メカニックだ云々。これらの楽章のどこにそんなものが感じられるだろうか?五楽章の素朴さを聴けば、四奏者が音楽を心から楽しみ、魂の音楽を奏でていることがわかるはずだ。六楽章は朴訥としている。プラジャークQのような無から生成してくるような趣はないが、音の織物が重ねられ悲哀の度合いが強まっていく。七楽章はゆったりとしたテンポ設定でフレーズの端に至るまで魂が行き届いている。徒に劇的にしない。これだけ孤独な戦いの趣を感じさせる演奏は他に皆無だ。ベートーヴェンの最晩年の寂寞たる心境が完璧に音化されている。コーダも最高の表現である。

アマデウス四重奏団 Amadeus Quartet <rec. 1963> DG

1st 6'58'' 2nd 3'05'' 3rd 0'56'' 4th 14'17'' 5th 5'27'' 6th 2'04'' 7th 6'30''

 アマデウス四重奏団のベートーヴェンを褒める批評家は歌崎和彦氏、柴田龍一氏くらいではないだろうか。インターネットでも廉価盤全集としての評価は上々だが、演奏に関してはあまり意見を聞かない。ところがどっこい、Amazon.comなどではすこぶる評判が良い。僕自身もけして悪くは思わない。一楽章などは十二分に悲嘆が伝わる。リンゼイQのようないたたまれないまでの緊張感に欠けるのは仕方がない。あくまでこの団体は親しみやすく、懐かしく甘い音色で語りかける音楽を聴かせようとする。技術的には完璧ではないかもしれないが、二楽章もすこぶるオーソドックスだし、三楽章の訴えも模範的。四楽章はけだるい甘さが出ていて聴かせる。五楽章も現代的。六楽章のみ、ひどく散漫なのはどうしたことか。フィナーレに入ると快速のテンポで如何にも情緒纏綿たる節回しを聴かせながら、模範的解釈を成し遂げる。この演奏に足りないものは、厳しさと寂しさかもしれない。

ジュリアード弦楽四重奏団 The Juilliard String Quartet <rec. 1969> Sony

1st 6'34'' 2nd 2'50'' 3rd 0'55'' 4th 15'36'' 5th 5'28'' 6th 2'19'' 7th 6'54''
 
 彼らの実力からして食い足りない記録である。ラズモフスキー3部作で聴かれる快刀乱麻を断つような勢いに欠け、どこか居心地が悪い。メンバーの半数が入れ替わったことも原因するのだろうか?音色は枯れた、厳しい音である。スパッスパッと切れ味良いリズム処理。そこはかとないニュアンスをつけながら枯れきった味わいを残す一楽章。寂しさをにじませた四楽章。技術一辺倒にならず見事だが、メンバーが変わらなければもっと革新的で白熱した演奏になったのではないか。五楽章はアルテミスQと並んでかっこいい。そこに内容もあるのが見事だ。フィナーレはいささか重すぎる。全体として統一感がやや薄い。

ハンガリー四重奏団 Quatuor Hongrois <rec. 1966> EMI

1st 7'41 2nd 2'52'' 3rd 0'42'' 4th 12'46'' 5th 5'17'' 6th 2'02'' 7th 7'00''
 
 EMIという会社の録音は本当に劣悪である。これはステレオ録音であるが、残響がほとんどないのは良いとしても、ぎすぎすとした高音のきつい音になっている。これでは演奏者がかわいそうだ。それでもこの四重奏団の魅力は理解できる。カペーQに匹敵する融通無碍、飄々としたリズム感、清潔なハーモニー。こういう美しいカルテットも良い。今ひとつ豊かさは欲しい。フィナーレは名演の一つ。遅いテンポなのに、緊張感は維持されており心憎い。必ずしも好みの演奏ではないが。録音の硬さに耐えられれば、オーソドックスで聞かせどころを心得た一楽章や二楽章、繊細な四楽章、五楽章が味わえる。フィナーレは内声部からハーモニーまでぎっしりと充実しており、立派だ。泣き所もある。

バルトーク四重奏団 Bartok Quartet <rec 1969-1972> Hungaroton

1st 6'15'' 2nd 3'03'' 3rd 0'52'' 4th 13'16'' 5th 5'15'' 6th 1'54'' 7th 5'29''
 
 僕にこの弦楽四重奏曲の魅力を教えてくれたかけがえのない演奏である。録音は低音のやせたもので、第一ヴァイオリンが突出しすぎている。妙な録音で今となっては聴き辛い。演奏スタイルはハンガリー風というか、ジプシー哀歌風の非常に癖のあるもので、ドイツ的とかウィーン的なるものとは程遠い。それでいてベートーヴェンの切なく、やるせない精神が聴かれるのだ。一楽章から訴えかけるように始まるジプシー哀歌は、ベートーヴェンの音楽の本質を突いていると思われるし、四楽章の一途な盛り上がりも、晩年の孤独を思わせて感動的だ。五楽章のスケルツォの小気味よさはシンフォニックではないが、親しみやすいアンサンブルに好感が持てる。六楽章のカヴァティーナが何ともまた切ない。何とベートーヴェンとは孤独な人だったのだろう。それをコムローシュ(第一ヴァイオリン)は血で共感して演奏している。七楽章は荒れ狂うベートーヴェンの魂そのものであり、感情は洪水のように溢れ出る。悲哀も憧憬も怒りも狂おしい愛も、刹那的な疾走感を持って奏される。その流麗さはリンゼイQの演奏にはない魅力だ。フィナーレの演奏だけでも永遠に忘れがたい名盤だ。

スメタナ四重奏団 Smetana Quartet <rec. 1970> Supraphon

1st-2nd 9'11'' 3rd 0'47'' 4th 13'07'' 5th 5'29'' 6th 1'51''7th 6'25''
 
 宇野功芳氏激賞のディスク。僕も何回も聴いたけれど、それほど良いとは思わなかった。スメタナQを聴くなら、バリリQやターリヒQを聴いていたい。音色はかすんだ滋味深い音である。オーソドックスな演奏であり、可もなく不可もない。全員揃ってリズムを刻む箇所などはいささか粗雑な面がある。模範的に過ぎて心を打たれないのは四楽章で、表現として申し分ないのだが、もっと美しい演奏は他にある。フィナーレも幸先良いスタートかと思いきや途中でテンポがやや落ち、疑問だ。同じスタイルながら、ドイツ的伝統ある名演を成し遂げたズスケQがあるので、なおさら物足りないのかもしれない。六楽章は模範的だが、それほど心に残らない。他に素晴らしい演奏はいくらでもある。

ヴェーグ四重奏団 Vegh Quartet <rec. 1973> Naive

40'52''
 
 全楽章が一つのトラックにまとめられている。その心意気は認めるが、CDで聴くといささか不便だ。ただし、全楽章が一つに結ばれるというベートーヴェンの意図は体現されている。演奏は旧盤と比べると別の団体かと思わせるほどの違いがある。最初の頃の印象は次のようなものだった。「各奏者の技巧の衰えが痛々しい。ふにゃふにゃぎーこぎーことしている。それでも、楽譜から新しいもの、内容を掴み取ろうせん姿勢が胸を打つ。精神世界そのものの体現のような演奏で、音色もお世辞にも美しいと言えず、響きがあたたかいのだが、晦渋である。しかし、オルガンのような響きのチェロといい、独特の音のバランス感覚が聴いたことのないようなファンタジーを生んでいる箇所もある。録音は鮮明だが乾いた音。全体を通じてユニークな演奏という演奏である。」何度も聴くうちに、そして様々な演奏を聴いた後で、この新盤は強く語りかけてくるようになった。弱音部のこの霞がかった仙境のような空間は何だろう。一楽章からそれが立ち込める。消化された悲しみが空気のように立ち込め、温かなハーモニーとなって聴く者に寄り添う。二楽章も和やかな温かさに満ち、愉しい。チェロはオルガンのような低音を響かせ、アンサンブルは表面的な美しさではなく、音楽の中身を聴かせる。長大な緩徐楽章はゆっくりとしたテンポで懐かしく奏され、汲めども尽きせぬファンタジーが溢れ出す。スケルツォは快活で素朴な味が良く、六楽章に入ると四奏者の心が一つとなって有機的な音楽美を聴かせる。フィナーレは速めのテンポだが効果を狙わず、情緒やしみじみとした境地を語る。コーダのクライマックスのみズスケQと同じでふにゃふにゃとギャロップ風に駆け込むのが惜しい。ただし、
それが不思議な爽快さに繋がっていることは聴き逃すべきではない。

ターリヒ四重奏団 Le Quatuor Talich <rec. 1979> Caliope

1st 7'25'' 2nd 3'26'' 3rd 0'51'' 4th 13'49'' 5th 5'34'' 6th 1'59'' 7th 6'25''
 
 これは名盤である。録音も良い。親しみやすいアンサンブルである。4人の奏者の音はいずれも線が細く、塩辛い(渋い)。それがベートーヴェンの晩年の心象を余すことなく伝えてくれる手段となっている。バルトークQに聴かれたような独特な節回し、ニュアンスに富んでいる。しかし、バルトークQのような癖はなく、スタイルはあくまでオーソドックスである。第一ヴァイオリンばかりが活躍することはなく、聞かせどころになるとすっと退いて、チェロやヴィオラも活躍するという阿吽の呼吸。厳しい音楽とはならず、聴くものに語りかける演奏だ。何ともほっとさせる。一方で知的な楽譜の読みによって唸らされる箇所が頻出する。一楽章もわびしさや寂しさを如実に伝えてくれながら、音楽を聴く楽しさを忘れさせない。二楽章も飄々としており、絶妙のリズム感。四楽章は静けさに満ちて深遠なものを秘めながら、美しく軽やか。五楽章は舞曲としてチャーミングに演奏し、ピッチカートは小味で繊細。六楽章も一楽章と同じことが言える。かすれたような音を出しながら、深遠な悲しみを予感させつつ、フィナーレに入るときびきびとしたリズムを刻み、叙情的部分は綿々と歌う。僕としてはイン・テンポで一息に演奏して欲しかったが、このような解釈も十二分に首肯しうる。ポーカーフェイスの知的で親しみある四重奏団と言える。絵のように美しい箇所もある。かような名盤がいささかも省みられないのが残念だ。ジャケットはセンスのかけらもないけれど(安っぽい新興宗教のイメージ画みたい)。

ズスケ四重奏団 Suske Quartet <rec. 1981> edel classics

1st 7'24'' 2nd 3'04 3rd 0'56 4th 15'01 5th 5'40'' 6th 2'01'' 7th 6'12''
 
 日本では「ベルリン弦楽四重奏団」というらしい。初めて買ったとき、何てつまらない演奏なのだろうと思った。暖色系の音。秋の日に狩に出たような朗らかな響き。ズスケの朴訥とした節回し。弦の音は塩辛い音で良いのだが、これはだめだと食わず嫌いしていた。しかし、である。何度も聴いているうちに、これはすごい演奏だと思うようになった。地味が滋味だと感じられるようになったのは、フィナーレのリズムの刻み方を聴いていたとき、そして突然ヴィオラがうめき声を上げる箇所を聴いたときで、これなかなかすごいのでは、と他楽章も聴いたところ一回聴いただけではわからなかった細部の味付けが見えてきたのである。すなわち表面はオーソドックスで、きっちり演奏しているが、その塩辛い弦の、暖色系の響きの裏に精神の炎がゆらゆらと燃えているのが感じ取れたのである。あらゆる箇所で妥当な解釈を掲示し、総合点はもっとも高い。しみじみとした味わいも見事だ。ただ一点、フィナーレでクライマックスにかけて盛り上がる箇所でズスケはリズムを鋭く刻むのではなく、柔らかく奏でてしまった(ヴェーグQ新盤は最悪で、ふにゃっふにゃっとやっていくものだから、緊張感が途切れてしまう)。

スメタナ四重奏団 Smetana Quartet <rec. 1984> DENON

1st 7'14'' 2nd 3'17'' 3rd 0'52'' 4th 14'01'' 5th 6'12'' 6th 1'32'' 7th 6'32''

 スメタナ四重奏団はスプラフォンのアナログ録音もあるが、これはデジタル録音による全集中の一枚である。録音は若干高音がきんきんする。演奏はアナログ時代のものよりずっと良い。何より、四奏者の音色が完全にブレンドされ、いぶし銀のようであること、そして解釈としても枯淡に達しているからである。
 一楽章の神秘的な楽音を、そのいぶし銀のような響きで純化していく手腕は素晴らしいものがあり、一途に切なくなる。二楽章は神秘感に溢れた演奏で、表情も繊細で美しい。威厳のある三楽章も良い。四楽章の長大な緩徐楽章は胸が広々としていくような豊かさ、温かさに満ち溢れ、懐かしくて仕方がない。音色がなんと美しく調和していることだろう。5楽章はアナログ時代と比べ、テンポも落ち、素朴そのもの。勢いのあるリズム感がやや衰えたか間が空きすぎる箇所もあるが、質朴とした風情は素晴らしい。六楽章はテンポが速すぎて唐突な印象も受けるが、余計な思い入れを排除して間奏に徹するところに彼らの美学があるように思う。フィナーレは充実した名演奏であり、解釈としても磨き上げられている。全体を通じて、ブダペストQの透徹した演奏とハンガリーQの飄々たる風情と並んで、この演奏は万人に愛される解釈という意味で完成されていると思う。録音が今一歩すっきりとしていれば良いのだが。

アルバン・ベルク四重奏団 Alban Berg Quartet <rec. 1984> EMI

1st 6'48'' 2nd 3'06'' 3rd 0'50'' 4th 13'23'' 5th 5'35'' 6th 1'33'' 7th 6'25''
 
 日本の批評家先生方が毎年名曲ベストで一位に選出するディスク。貶すのは趣味の悪いきたけんだけ。第一ヴァイオリンのピヒラーの神経質で時にひゃんひゃんした音。バリリと比べて形骸化したウィーン訛り。豪快すぎて美観を失った五楽章、フィナーレ。響きがぼてつく。すっきりと流した六楽章もまったくしみじみとしない。四楽章も響きがぼてつき、悲しみもムードだけ。一楽章も同じ。心に響かないのだ。だから、印象に残らない(印象的なのはフィナーレの物凄いチェロの刻み)。弦楽四重奏曲第15番ではあれだけの名演を成し遂げながら、この14番ではどうしたことか?悪い意味でヒステリック。まあ、僕の耳が悪いのでしょう。同じスタイルなら、よりきっちりと仕上げ(すぎ)、精神的な演奏をしているメロスQがある。

メロス四重奏団 Melos Quartet <rec. 1984 & 1986> DG

1st 6:14 2nd 2:50 3rd 0'38'' 4th 3'22''- 1'27'' - 2'08'' - 1'02'' - 3'19'' - 1'20'' 5th 2'12'' - 2'48'' 6th 1'52'' 7th 6'40''

 ネット検索しているとメロス四重奏団の評価が高い。しかしながら、永らく廃盤だったので入手困難だった。2004年5月に再発売された。一万ニ千円。それを高いとみるか安いとみるかは人それぞれだが、ターリヒQのような超名盤が全集という形で5千円代であることを考慮すればやはり高い。演奏はドイツ的硬派である。すごいテクニック。ヒステリックなほど泣き喚く弦。音色は格別美しいわけではないが、ざらついた味のある音で好感が持てる。メルヒャーの高音はややきついが、録音のせいもあるだろうか。かなり切り詰めた演奏であり、細部まで徹底的にがっちりやっている。しみじみさとは程遠いオーケストラのようなアンサンブル。もちろん、それも一つの弦楽四重奏の究極であり、演奏スタイルも正しくドイツ風である。五楽章は現代風でかっちょ良く、すかっと爽快。フィナーレは出だしの悲痛な運命動機を流線型に処理するのがいただけない。踏みしめる力が物凄く、そのシンフォニックな厚みとともに、交響曲でも通じる音楽だなあと感じる。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏に特有の精神世界のような神秘的ファンタジーに欠けるのが難点。マッチョ(悪い意味ではない)で激情的なオーケストラ・アンサンブル。好きな人には堪らないのでは。

リンゼイ弦楽四重奏団 The Lindsays <rec. 1980年代> ASV

1st 9'22'' 2nd 3'06'' 3rd 0'57'' 4th 15'57'' 5th 5'26'' 6th 2'21'' 7th 6'50''

 リンジーズの二つある全集のうち、これは旧盤全集の中の一枚である。録音年代が明記されていないのが不親切だ。おそらく84〜87年の間に収録されたはずだが、それにしては録音は全体的に良くない。この14番は生々しい響きをそのままリアルに伝える録音だが、車の音のような轟々とした雑音がうざい。新盤に比べて厳しさがより前面に出て、どろどろとした情念をリアルに伝える。一楽章も他のどの団体よりも遅いテンポでたっぷりと歌い、カロリー満点。二楽章も融通無碍よりはベートーヴェンの荒々しさを伝え、三楽章の悲劇性の表出、こってりとした四楽章を得ると、リズミックなスケルツォもごつごつとして熱い。6楽章も泣き節。ここまでくるともう圧倒されるしかない。フィナーレはまさに慟哭だ。遅めのテンポでありながら全然低回せず、緊張感が漲り、凄まじい怒りと悲しみが爆発する。このフィナーレは名演だ。中間部の嘆きをリアルに音化して意味を持たせた演奏はバルトークQとリンジーズの旧盤以外には存在しない。

東京弦楽四重奏団 Tokyo String Quartet <rec. 1990-1991> BMG

1st 5'45'' 2nd 2'54'' 3rd 0'46'' 4th 14'32'' 5th 4'58'' 6th 2'00'' 7th 6'27''

 東京弦楽四重奏団の演奏は、オーソドックスな解釈の名演である。テクニックは万全であり、オーケストラのようだ。音は暖色系でよく溶け合っている。繊細さにはやや欠けるきらいもある。しみじみとした感じはない。日本人中心の団体であるため、日本人演奏家特有のややのっぺりどっしりとした印象。同じタイプのメロスQやアルテミスQが持つ細やかさや品はない。しかしながら、高音がヒステリックになることはなく、あくまで音楽的なのは偉とすべきだろう。一楽章からして内容のある表現であり、深刻な悲劇が伝わってくる。上質なオーケストラのような演奏だ。二楽章、三楽章を通じてまずは模範的な解釈である。軽妙さとか、神秘的な印象は皆無。四楽章も巨大な歌が横溢する。如何にも朗々としている。五楽章は最速で小気味良い。それでいてシンフォニックで立体的であるのは最高に立派である。六楽章はカペーQやバルトークQが目指した甘美な悲歌ではなく、轟々としたオーケストラ音楽となっているが、そのスケールの大きな解釈もけして空虚ではない。フィナーレは快速テンポで、きれいごとでない悲痛な叫びを聴かせてくれる。テンポももたれないしメロスQやアルテミスQよりは東京Qを採りたい。残念なのは、一楽章と二楽章の間に断絶があることだ。

クリーヴランド四重奏団 Cleveland Quartet <rec. 1995> Telark

1st 7'23'' 2nd 3'00'' 3rd 0'50'' 4th 13'47'' 5th 5'20'' 6th 2'08'' 7th 6'48''

 すでに解散してしまった団体である。彼らが最期に残した全集の中の一枚。宮城谷 昌光氏が著書『私だけの名曲』で絶賛しており(この曲の演奏に限っては、「意図はわかるが、感情的側面を出すべきではない」としている)、音楽評論家の歌崎和彦氏も絶賛する全集である。期待に胸を弾ませながら聴いたのだが、私にはそれほど心に響く演奏ではなかった。一楽章、二楽章ともにオーソドックスな解釈であり、技術的にも素晴らしい。弦の音色はあたたかく、特にチェロの活躍に目を見張るものがある。しかし、いささか轟々たる印象が強すぎる。ワルターがアメリカのオーケストラを初めて聴いたとき、「その地響きするようなカンタービレに驚いた」と述懐しているが、その印象そのままなのだ。しかも、気持ちをこめようとしてもったいぶった入り方をしたりするので非常に有難迷惑である。三楽章は速いテンポで、四楽章もたっぷりと歌う。しかし、東京弦楽四重奏団には及ばない。5楽章は構造的でシンフォニック。チェロが素晴らしい。6楽章も音色、表現ともに申し分ないのだが「何かが足りない」。フィナーレに入り、快速で激情を表していく部分は幸先良いと思わせるが、途中でやはりテンポを粘り、チェロが鼻につき、クライマックスで全員が一瞬の間を空け、ぐっとテンポを落として泣き節を披露するが、それほど心に響かないのである。

ゲヴァントハウス四重奏団 Gewandhaus-Quartett <rec. 1996-1997> NCA

1st 6'23'' 2nd 3'00'' 3rd 0'49'' 4th 13'50'' 5th 5'56'' 6th 1'53'' 7th 6'25''

 この団体は、ジュリアードに始まる現代的なスタイルとは少し距離があり、18世紀から脈々と受け継がれてきた伝統的奏法に従って、現代的なスタイルとの融合を試みている。全集という形で、縦長のBOXセットに収められているものの一枚。実はこの全集、初回プレスにはフィナーレにノイズが混入していた(トラック11の0:41頃にぼーっという低音ノイズが入る)。NCAに抗議のメールをしたこともあるが、返事はなかった。この初回盤のBOXは取り出し口に三角の切れ目が入っている。また後ろの社名の欄近くに2003という年表記がある。しかし、現在出回っているセットには切れ目がなく、2003という表記もなく、またノイズも除去されている。これは嬉しいことだ。しかし、初回プレスと比べると全ての曲に関して録音がややきつい印象になっている(ヘッドフォンで聴くと耳疲れがする)。初回プレスだと、もっと滑らかで豊かな音だったのに。その点を除けば、安価の全集なのでおすすめ。演奏は第一ヴァイオリンのエルベンの美音が最高だ。ここに挙げたどの楽団よりも美しい。全楽章むらなく、標準的な演奏であり、厳しさにはやや欠けるがだぶつくぐらい豊かな音楽が楽しめる。各楽器が溶け合い一つの楽器のような音になる味わいはなかなかない。音楽評論の幸松肇氏が特選するわけである。

リンゼイ弦楽四重奏団 The Lindsays <rec. 2001> ASV

1st 7'26'' 2nd 2'46'' 3rd 0'46'' 4th 13'31'' 5th 5'11'' 6th 2'15'' 7th 6'36''

 好き嫌いが分かれる演奏かもしれない。僕自身は大好き。録音は良いが、問題はチェロの音にある。初めて聴いたときは、なんとガサツで粗暴な音だろうと思った(旧盤はさらに全ての楽器がごつごつしている)。通常期待するようなまろやかさは微塵もなく、切れば血が出るような濃さ。この特徴は旧盤と同じだが、それに独特の透明感に満ちたヴァイオリンの音色が絡む。ヴィオラも透明感がある良い音だ。音が練れてきているのだろう。精神性を追求し、ぶっきらぼうなくらい実直にベートーヴェンのスコアを音化していくが、旧盤のほうがやりたいことをやりつくしていて好きだ。タイムを見ても分かるが、皆常識的な時間で演奏されている。ごつごつとした響きや口当たりの悪いごりごりした奏法には変わりがない。歌う部分では澄み切った青空のような美しい和音が響き渡る。旧盤と比べてこの特徴が出てきたのだが、僕は旧盤の情念の塊といった音が好きだ。フィナーレは泣きじゃくるように駆けていくのが旧盤と同じだが、疾走せずに強調して粘る箇所に緊張感がない。とにもかくにも演奏とは不思議なものだ。アルバン・ベルクのほうが音色はずっと美しいはずなのに、聴き終えた感想はこちらの素朴な音のほうが美しく感服する。

プラジャーク四重奏団 Prazak Quartet <rec. 2001> Praga

1st 6'26'' 2nd 3'14'' 3rd 0'51'' 4th 13'59'' 5th 5'27'' 6th 1'50'' 7th 6'08''

 これは僕個人の好みとしては大好きな部類の演奏であり、14番のベストと考えていた盤である。この団体の演奏スタイルは現代風。速度は快速であり、シンフォニックに4つの楽器が絡む。それだけならばメロスQやアルテミスQと同じであるが、彼らはもっと洗練された練れた響きをしている。その第一の特徴は音色が全て溶け合っていること、第二の特徴として、擦れた響きや無骨な響きから、透明な詩情、洗練されきったフレージングといった具合に、我々が様々な団体に期待していた数多くの語法が自在に駆使されているのである。音色の美しさも渋くまろやかである。六楽章の冒頭の音など、カペー以来どこの団体が成し遂げられただろうか。フィナーレの超スピードはカペーやバルトークに次ぐ。しかも、カペーやバルトークが持っていた欠点がない(アンサンブルが雑になったり、低音が不足したり)。このテンポで始まったときの僕の感激はとても言葉にはできない。解釈はあくまでオーソドックスなのである。五楽章の途中で何回か遠くでくしゃみが聴こえる(しかも同一の音型の箇所で繰り返されるため、この演奏が切り貼りと編集の賜物であることがわかる。残念。)各楽章全て平均点が高く名演であるが、今聴くと落ち着きにいささか欠けよう。

アルテミス四重奏団 Artemis Quartet <rec. 2003> Ars Musici

1st 7'42'' 2nd 2'49'' 3rd 0'48'' 4th 12'51'' 5th 5'08'' 6th 1'55'' 7th 6'52''

 アルテミス四重奏団。この団体も評判が良いので購入してみた。890円だった。何でも曲によって第一ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交替するという変り種奏法。こういうアプローチもあってよいだろう。これは秀演である。録音は良い(最近、ヴァージンに移籍したけれど、録音が悪くなりませんよう)。弦の音は師匠にあたるアルバン・ベルクQとは対極で、渋い。枯れた味もある。こういう音はやはり滋味で好きだ。極めて現代的でシンフォニック。ストレートに進むが、それでも一楽章のフーガはきちんと悲劇的内容が伝わってくるし、二楽章もうまさだけに終わらず、飄々とした中にわびしさを味あわせてくれる。テクニックは抜群なのに、それが鼻につかない。四楽章も速いテンポでしっとりとした味わいもあり、見事だ。ズスケQはやや朴訥としすぎる。名演は五楽章。野人の音楽。楽しさも無類。チェロ、ヴィオラ、次々と自己主張し、内声のリズムが次々に表に飛び出してくる。東京Qにはいささか劣るがかっこいい。それでいてけして虚飾ではない。六楽章もアルバン・ベルク流なのに、こちらはきちんと心に残る。フィナーレだけは僕の好みではない。テンポを遅めに設定して、内声を生かすのはハンガリーQ、ジュリアードQ、メロスQもやっていたが、そのスタイルとしては完成されているとはいえ、重すぎる。フィナーレはソナタ形式とはいえ、立派さが前面に立つ音楽なのだろうか。

タカーチュ四重奏団 Takacs QUartet <rec. 2003-2004> Decca

1st 7'58'' 2nd 2'56'' 3rd 0'42'' 4th 13'27'' 5th 5'02'' 6th 2'17'' 7th 6'30''

 レコード・アカデミー賞を受賞し、評論家の方々に非常に評価の高かった全集中の後期集である。録音は高音の伸びは非常に良いが、低域が寸詰まりの音で、ややチェロの低音がボンつく。残響成分の伸びがなく、デッドなのに弦にうるおいが残るという不思議な録音。一楽章からして香りのある格調高い演奏である。悲しみが漂うように立ち上がり、線の細い4本の弦が絡みあう。分厚いハーモニーが生み出すオルガン的な響きはなく、ただただ繊細である。二楽章も同スタイルで、その匂う様な楽音の美しさを何とたとえよう。三楽章ではきっちりと決意を示した表現をとり、長大な緩徐楽章に入っていく。精神性というよりはやはりデリカシーや細やかな弦の表情に注意が払われており、伸びやかな音楽性よりも格調高さが選択されている。それにしてはピチカートが美しくない。弦の音色もそれまではあまり気にならなかったが、何となくモノ・トーンというよりも墨色のくすんだ感じがする。それがいぶし銀の音色にまで至ってはいないように思う。だから、ベートーヴェン特有の詩情、情感、懐かしい旋律群が羽ばたかず、さりげなさすぎる印象なのだ。繊細すぎる。5楽章はごりごりと音を立て、リズミックな活気に満ちているが、やはり細やかさや線の細いデリカシーに気を囚われすぎ、音楽の素朴さを欠いているように思う。六楽章も一楽章と同じで、音楽性が優れており、ベートーヴェンの悲愴な魂は匂うように漂う。フィナーレに入ると、ガリッガリッというチェロのえぐりで、勢いのあるギャロップ風のリズムが処理されていく。解釈として妥当であるが、やや唐突な印象である。というのも、激情を支えるべき情感豊かな旋律群が清々しさとさわやかさで留まり、真の再現芸術になっていないためと思われる。全体を通じて楽章ごとの有機的なつながり(本当は七楽章は続けて奏されるのだが)を欠いているようにも思われ、ムード的なベートーヴェンになってしまっているという感がある。