ベートーヴェン:「大フーガ」変ロ長調 作品133

 12番、15番の後に書かれた13番の終楽章として作曲されたこの曲は、井上和雄著『ベートーヴェン闘いの軌跡〜弦楽四重奏曲が語るその生涯』という本に詳しい。著者自身もカルテットでベートーヴェンを演奏してきたが、著者は13番を統一感を欠いた作品と見なしている。その背景には先に書いたように甥カールとの確執をはじめとした晩年の悲劇があるとする。「崩壊」というキーワードでもって後期弦楽四重奏を語る井上氏ではあるが、この「大フーガ」についてはやはり圧倒されずにはいられないようである。
 伝統形式に縛られず、常に新しい音楽の形式を模索する闘うベートーヴェンは、14番の原型としてこの曲を作曲したように思われる。彼は終楽章で現れるフーガの重要性を意識していたと思われ、「大フーガ」で持ってカヴァティーナの結論を導き出すことを思いついたのであろう。カヴァティーナは作者自身思い入れのある楽章であり、その美しい内省ある音楽は、人間の孤独をひしひしと感じさせる。その重みを受け継ぐにはやはりこの「大フーガ」がなければならないように思われてならない。それは14番で私達が終楽章に到達する時の感動にも通じる「人間であることの悲しみ」の表出そのものではないか。
  しかし、この「大フーガ」の重みは極限に達しており、演奏者に対する極度の技術な要求だけでなく、おそろしく内省的な性格、かつ長大な演奏時間によって聴衆にも忍耐を強いるだろう。
 ベートーヴェンが完全に聴覚を失った1825年から1826年にかけて作曲され、13番が初演されたとき、2つの楽章がアンコールで演奏されたそうだが、この「大フーガ」は取り上げられなかった。ベートーヴェンは「どうしてフーガじゃないんだ?」と罵り、罵詈雑言を並べた。しかしながら、この不人気は、「大フーガ」の高度な抽象性と長さによるためであろう。ベートーヴェンは出版者にせがまれてしぶしぶ新たなフィナーレを作曲し、このフーガを独立させることになったわけである。

 作曲家の佐藤眞氏は、『クラシック名盤 この一枚』の中で、シェーンベルクの歌劇『モーゼとアロン』、同じく『幸福な手』、さらに同じ作曲家の『ヴァイオリン協奏曲』を音楽史上のベスト3とし、その後にやっとベートーヴェンの「大フーガ」がくると述べている。さらに「「大フーガ」はとりわけその第1フーガは、シェーンベルクの音楽世界にきわめて近い。この第1フーガの良さに陶酔できない人には、シェーンベルクの良さなど到底わかりっこない」という。
 シェーンベルクの音楽がどれほど優れているかは音楽の専門化でもない私には「到底わかりっこない」が、それでもなお、この「大フーガ」が古今の音楽作品の中で一種独特の地位にあることはよくわかる。

総括

 この曲はベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集の中で「合奏」はしやすい部類であろう。特に技術力があり、複雑な内声部を見事に鳴らし切れる団体には打ってつけの作品であるはずだ。そういった機能美・構築美といったものを最大限に聴かせてくれるのがクリーヴランドQである。このアンサンブルの素晴らしさは一聴の価値がある。一方、技術力があるからといって、技術的に優秀な団体がすべてこの曲を感動的に「演奏」できるというわけではない。技術力だけではなく、精神の高みまで要求されることを鑑みれば、難物中の難物なのである。「大フーガ」はベートーヴェンの前衛性、人間性、芸術性の総てを体現した音楽であり、形にならないものを形にしていく「闘い」の精神を感じる。人間としての感情のすべてを、フーガの中に封じ込めていくのである。そのような曲を感動的に演奏することは極めて困難だろう。さしものブダペストQも抽象的な側面だけが際立ち、深い情感を表出しきれていない。むしろ、ズスケQのように「朗らかさ」、「ユーモア」にも焦点を当てた演奏のほうが多彩な魅力を放っている。
 このような複雑な魅力を放つ「大フーガ」において、感動できるCDはたった二枚しかない。ヴェーグ四重奏団のステレオ録音とゲヴァントハウス四重奏団の録音である。どちらも、「大フーガ」の持つ複雑な魅力、高貴な精神を体現し尽くしており、神々しい輝きを放っている。「大フーガ」には後半になって一際泣ける箇所がある。抽象的な構造の中に突如としてヴァイオリンが泣き節を歌い、総ての楽器がそれに呼応して見事に天へと昇華されていく最高のクライマックスである。この二団体ほど、このクライマックスを美しく演奏した団体は存在しない。現状において、こと「大フーガ」に関して、この二団体を超える演奏は存在しないと断言できる。

本音で迫る比較試聴

レナー弦楽四重奏団 Lener String Quartet <rec. 1930> Shinseido

16'25''

 レナー弦楽四重奏団のベートーヴェンについてまとまった演奏評を見たことがない。カルテット博士である幸松肇氏の紹介文を読むと、「第2次大戦以前にベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を録音した団体は、このハンガリーのレナーSQしか存在しない。リーダーのイエネー・レナーは、ヨアヒムの高弟フバイからドイツ流のベートーヴェン奏法を身に付け(中略)、優美にして流麗なボウイングの美しさで人気を博していたが、この全集を耳にして頂ければ、知性と感性のバランスが整った品格の高さにも魅力があったことがお分かり頂けよう。初期では爽やかなアンサンブルが、中期では小気味良い推進力が、後期では調和のとれた構築美が神々しい輝きを放っている」(『クラシック名盤大全 室内楽曲篇)。
 SP復刻の技術はノイズリダクションなどを行なっているため、現在の復刻技術の観点からすれば写真にあげた新星堂盤の音質は最上ではないかもしれない。また、録音状態は曲によって盛大なパチパチノイズが激しかったり、ぼやけた芯のない音のものもある(1926年代録音など特に)。しかしながら、年代を考えれば驚異的に良いのであろうし、戦前の名カルテットといえば、カペーかブッシュという方には是非聴いていただきたい逸品である。
 この「大フーガ」は、ふっくらとした柔らかさと第1ヴァイオリンのヴィヴラートがかった歌いまわし、甘美なポルタメントにほっとさせられる。通例、このような演奏方法は必ずしもベートーヴェンの音楽にはそぐわないかもしれないが、レナーはじめとする四奏者が心技一体となっているため、ベートーヴェンが作曲した音楽の堅牢な構築を犠牲にせずに、様々な情感を明るみに出すことに成功している。
これだけ「大フーガ」を晦渋なものとしてではなく、後期弦楽四重奏が持つ大きな魅力の一つ、その幽玄夢幻とでもいうべきファンタジーとして聴かせてくれたのは、レナー四重奏団だけである。

ブダペスト四重奏団 Budapest String Quartet <rec. 1951> United Archives

16'26''

 録音の加減とはいえ、ステレオ録音との音の違いに驚かされる。まろやかかつ柔軟なハーモニー、憂愁さえ感じるしなやかさ。第2ヴァイオリンがゴデツキーであるが、彼一人の存在によってここまで演奏が異なるのだとすれば、相当な実力者ということになる(なお、ブダペスト四重奏団はSP時代にもベートーヴェンの弦楽四重奏曲を作品18-5を除く全てを録音している。印象はステレオ盤の演奏にうまみとアンサンブルの充実感を足したような演奏で、やはりこの50年代のモノラル録音は変わっていると言わざるを得ない)。しかし、この「大フーガ」は耳に快し、親しみやすしといえど、大きな感動を伴わない。彼らとしては突っ込んだ解釈が聴かれないのが残念でならない。ステレオの再録音盤に至ってもその印象は変わらない。

ヴェーグ四重奏団 Vegh Quartet <rec. 1952> Music & Arts

16'42''

  ヴェーグ四重奏団は本当に素晴らしい四重奏団である。その素朴かつ音楽が持つ純粋な美しさを体現したアンサンブルには唸らされる。この「大フーガ」の演奏も名演である。ただ、再録音のステレオ盤の凄さと比較しなければの話である。ステレオ盤は無駄を切り詰めるまで切り詰め、ひたすら求道的な高潔な演奏であるが、この旧盤では素朴さと情緒がこもり、まだ音楽を聴かせてくれようとする趣がある。遅いテンポでじっくりと運んだ演奏であるが、いささかもだれるところがないのはすごい。ただ、再録音と比べると同じスタイルとしてはまだ昇華されきっていない中途半端さがある。それに冒頭はいくらなんでも粘りすぎのような印象だ。

バリリ四重奏団 Barilli Quartet <rec. 1952> Westminster

16'47''

 バリリ四重奏団はやはりええわ!と身を乗り出すも、音楽が緩やかになる頃からテンポがもってりとするようになり、そのまま冒頭の覇気は戻ることなく、ゆったりとした情緒綿々たる演奏になっていく。14番では磨かれ抜き、ウィーン的な甘美さを普遍的なレベルにまで高めようとする姿勢に頭が下がる思いをしたのだが、「大フーガ」はそこまでのレベルには達してないように思われた。とはいえ、これがウィーンのベートーヴェンなのだ。前衛的な「大フーガ」であろうと、楽譜を研究し尽し、ウィーン情緒満点で演奏してくれたことに感謝。

ハンガリー四重奏団 Quatuor Hongrois <rec. 1953> EMI

14'29''

 どの団体よりもタイムが速い。冒頭はふわっと始め、第1フーガもずっしりとした刻みで威厳たっぷりだ。この部分は彼らの再録音のステレオ盤と比べると、訴えかける力が全く異なる。ゆるやかな部分に入ると小気味良いテンポで運ぶが、ステレオ盤に比べると何となしに流している感じで、心に残らない。テンポ感もそれほど良くないように思った。ふたたび、快活なフーガに立ち戻ると如何にも朗らかな風情を一瞬見せ、その後はやはり凄い集中力と緊迫だ。ぐいぐいと語りかけてくる。しかし、それもステレオ盤と比べるとまだ完成されているとはいえない。肝心の箇所で彫りが浅くなり、せかせかした印象を受けるからだ。この点はスメタナ四重奏団によく似ている。

ハリウッド四重奏団 The Hollywood String Quartet <rec. 1957> Testament

16'04''

 テスタメントの復刻音は手堅いほうだとは思うが、どれを聴いても同じような音だ。クレンペラーしかり、シューリヒトしかり。カイルベルトしかり。このハリウッド四重奏団の録音のリマスタリングも室内楽としては大味だ。低音がぼんつきすぎる。しかし、第1ヴァイオリンの独特の透き通るような弦の音色と艶やかと評する以外に言葉のない節回しなどは克明に蘇っている。テンポは速すぎず、遅すぎず、まことに心地よい。最初のうちは適度の柔らかさをもった緊張感のある演奏だと思ったが、次第に凄くなる。緊張感が増し、熱を帯び、劇的になっていく。それでいて古典の格調をけして歌わないのは、「大フーガ」という難曲にあっても旋律線を美しく歌うという当たり前のことをきちんとやっているからであろう。惜しむらくは録音状態だ。

ブダペスト四重奏団 Budapest String Quartet <rec. 1961> Sony

16'50''

 14番や13番では名演奏を残してくれたブダペスト四重奏団である。13番は終楽章に新フィナーレを採用し、旧フィナーレである「大フーガ」はその直後に収録されている。
 果たして演奏は冒頭から気合を入れず、柔らかく始める。激しく打ち込む部分ではぎくしゃくした奏法が前面に出てきてしまい、これでは即物的にすぎる印象。ベートーヴェン特有の感情の表出、フーガの形を借りた怒りの表現のみならず、後期特有のファンタジーや情感が音化しきれているとはとても言えないように思う。
 ただ、後半になって「大フーガ」で一番泣ける箇所、あの抽象的な構造の中に突如としてヴァイオリンが泣き節を歌い、総ての楽器がそれに呼応して見事に天へと昇華されていくあの最高のクライマックスを、ブダペスト四重奏団はロイスマンの抜け切った高音とともに何とも言えない味わいで聴かせてくれる。やはり、ブダペスト四重奏団恐るべし、といったところか。

アマデウス四重奏団 Amadeus Quartet <rec. 1962> DG

15'25''

 アマデウス四重奏団、ズスケ四重奏団、ターリヒ四重奏団が共通して持っているのは、「明るさ」である。それは「楽観的」であるという意味ではけしてない。「大フーガ」を、晦渋な、暗いだけの音楽、怒りだけの音楽というように奏するのではなく、その複雑なフーガからベートーヴェンのユーモアをも聴かせてくれるのである。確かに、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲は諦観や苦悩、そして井上和雄氏の言葉を借りれば、「人間であることの怒り」が込められているように思う。しかし、そこには達観した人生肯定もある。「大フーガ」にはこうした複雑な側面があるようだ。
 アマデウス四重奏団の演奏は朗らかさを持っている。ターリヒは三者の中で知性と家庭的アンサンブルが聴かせるユーモアと安心感に秀でており、ズスケはドイツ的誠実さと格調の高さに秀でており、アマデウス四重奏団は歌心に秀でている、といえば良いだろうか。アマデウスもドイツの伝統的な四重奏団であるが、どうもズスケ四重奏団ほどの格調の高さや、ターリヒの知的ユーモアには達していないように思われる。安心できるオーソドックスな解釈であるが、がくっと聴き劣りがする。これはアンサンブルがやや雑であること、楽天的にすぎることに尽きるかもしれない。ターリヒやズスケはあれだけ朗らかさがあったとしても、フーガの裏に隠されたベートーヴェンの寂莫たる感情を常に私たちの前に明るみに出していた。しかし、アマデウス四重奏団の場合にはまだ「流しただけ」という印象がぬぐえなかった。それだけ、ターリヒとズスケ、特にズスケが凄いのだ、ということになろう。

ハンガリー四重奏団 Quatuor Hongrois <rec. 1966> EMI

15'07''

 デッドな録音だが、EMIとしては音が聴きやすい。ヴェーグ四重奏団のステレオ盤と同じく、無駄を削ぎ落とし、ひたすら精神の音を聴かせてくれる演奏である。ゆるやかな部分は速いテンポで如何にもはかなげに奏する。
録音がやや荒れるのが残念だ。最初はヴェーグ四重奏団のほうが良いかなと思っていたが、どんどん集中力が増し、緊迫し、クライマックスまで一気呵成に聴かせる。しかし、時折ユーモアを感じさせる表情を聴かせるのがうまい。ヴェーグ四重奏団もハンガリー四重奏団も演奏に構築美や音の美しさとかそういった外面的なものを超えた何かががある。両者のステレオ録音は、「大フーガ」の演奏の中でも、奥の院という感じがする。

バルトーク四重奏団 Bartok Quartet <rec. 1969~72> Hungaroton

16'52''

 バルトーク四重奏団は、私をアルバン・ベルク四重奏団から卒業させてくれたかけがえのない四重奏団である。何といってもそのジプシー的な哀感とでも言うのか、ハンガリー民族特有の歌いまわしが濃厚にある。第一ヴァイオリンのコムローシュはまさに天才であり、この大フーガでもその歌いっぷりが聴ける。
 ただ、この長丁場、複雑な声部の絡みをコムローシュ以外のメンバーがどれだけ消化しているかに問題がある。激しい部分で意外に彫りが浅くなってしまい、全体を通じての遅いテンポで緊張感が一貫しないことも、コムローシュ以外のメンバーの技術に問題があるように思う(これは録音の問題ではない)。比較すると、メロス、クリーヴランド、東京、といった四重奏団は激しい部分の表現では突出していることがよくわかる。気迫・情報量・構築美という3要素を満たしているからである。しかし、やはり抒情味ということになると、3団体にはない「味」がバルトークにはあるのだ。

ジュリアード四重奏団 The Juilliard Quartet <rec. 1970> Sony

14'47''

 jジュリーアドの全集セットの演奏の中では一番最後の録音になる。すでに第二ヴァイオリンとヴィオラが交代しており、ラズモフスキー3部作に聴かれるような緊張感はここにはもう聴かれない。どこをとっても感銘を受けるような瞬間がない。それは一つにあまりにこの曲を古典的に演奏しすぎているような印象があるのだ。フーガの複雑な絡みと生き生きとした躍動感とを味あわせてはくれない。どこかのっぺりとしている。音色はいぶし銀のような音で、ぬくもりを感じさせる良い音なのであるが、肝心要の緊張感や構成美が感じられないのが至極不満だ。こんなに軟弱な音楽だったのだろうか?それに録音も好ましくない。16番の名演はやはり突然変異か。

ヴェーグ四重奏団 Quatuor Vegh <rec. 1972> Naive

15'35''

 まことに高潔な演奏である。格調・厳格さを併せ持ち、ひたすら無心にベートーヴェンの魂に接近せんとする演奏であり、これまでの演奏団体が聴かせてくれた様々な感情的側面を全く削ぎ落としていくような、ノミで身を削っていくような演奏である。無駄がなく、枯れ切った印象さえない。あの泣けてたまらないクライマックスさえ、ひたすら高みへと上り詰めていくようであり、こんな演奏は今までなかった。あのブダペスト四重奏団でさえここまでの高みには達していない。彼らの演奏はやや晦渋すぎた。ヴェーグ四重奏団のそれは厳しい演奏ではあるが、けして晦渋にはならず、聴く者の胸に直接訴えかけてくる。これは凄い。他の演奏団体と比較云々するタイプの演奏ではない。目指すところがまったく違う。
 あまりに厳しい演奏であるがため、聴き手を拒絶するような孤高さがあり、その緊張感には圧倒されずにはおれない。背筋がぴーんと伸びる。ベートーヴェンの後期四重奏曲を神品とする者には、超名演だろう。ただし、これは、日に何度も聴くような類の演奏ではない。

ターリヒ四重奏団 Le Quatuor Talich <rec. 1977> Calliope

15'30''

 名演である。昔聴いたときは、線が細すぎるような印象を受けたのだが、むしろその脚色のない、四奏者が奏していることのわかる風情が素晴らしい。冒頭から気迫がこもっているが、激情や苦々しい感情の発露というよりは、音量調節を微妙に変えてニュアンスを付けることによってきめの細かい、格調を失わない演奏を展開している。
 ターリヒ四重奏団の演奏はけして感情的になりすぎず、深刻になりすぎず、常に知的でユーモアにも溢れている。以前家庭的アンサンブルと書いたが、ここでの印象も変わらない。四奏者がそれぞれ語り合うような素朴な味があり、懐かしさを感じさせる情緒もある。これまでの彼らの演奏もすべて水準以上の演奏を聴かせてくれていたが、やはり唸らせるものがある。生きる悦びを「大フーガ」から感じさせるのである。親しみやすさという面でも東京カルテット以上である。
 もっとも、これは「大フーガ」ではない、という方も当然おられるだろう。しかし、いたずらに晦渋さを目立たせるような演奏よりも、音楽を聴く悦び、演奏する悦びを忘れない彼らの演奏に慰められた思いである。あのカヴァティーナの後におかれた「大フーガ」としては、新フィナーレに通じる人生肯定がある。

ズスケ四重奏団 Suske Quartet <rec. 1981> edel classics

15'37''

 これは非常な名演奏だ。ズスケ四重奏団のベートーヴェン全集は愛好する方の多い演奏である。告白するが、私はどちらかというと、ズスケの時に聴かせる、引っ掛けるような奏法が苦手で、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲もあまり聴かない。真面目、誠実そのものといったヴァイオリンを聴かせてくれるのだが、もっと面白みが欲しくなる。それでも、ことベートーヴェンの弦楽四重奏の場合はそういう私が苦手とする面が陰をひそめており、ズスケの良い部分、オーソドックスな誠実そのものの演奏を聴かせてくれる。
 このズスケ四重奏団の「大フーガ」はターリヒ四重奏団と同じで、けっして明るさや音楽を聴く悦びを失わせない演奏である(多くの演奏がそれだけ気詰まりだということだ)。さらに、ターリヒ四重奏団と違うのは、これがドイツの正当な解釈なのだ、という気合を感じさせるところである。凛としており緊張感を失わない。そして、何という清純な志のある演奏なのだろう。音が濁ることなく、感動的なクライマックスでは、あの人間であることの悲しみを訴えるような泣き節に至るまでを、けして人生肯定の朗らかさを忘れることなく絶妙なテンポとリズムの刻みで聴かせてくれる。
 ターリヒ四重奏団とどちらが良いかということになると、やはりズスケ四重奏団のほうが厚みと気迫がより音化されている点で、後者を採りたい。

スメタナ四重奏団 Smetana Quartet <rec. 1982> Denon

14'43''

 スメタナ四重奏団の、これは再録音のほう。スプラフォンに入れた旧盤は13番のベストに挙げる人も多いが、14番の出来が納得いかず、聴かずにいる。もちろん、そのうちに入手して聴き比べることになる。
 この再録音盤でとられているDENONのPCM録音方式というのは、確か何か賞を受賞したはずだが(海外での授賞。授賞式にはご健在だった音楽評論家の志鳥栄八郎氏が参列されていた・・・はず)、はっきりと思い出せない。このPCM録音というのは、Telarkの録音に似て、やや音が加工されているような印象を受ける。それに全曲そうだが、残響がとても豊かだ。
 スメタナ四重奏団を聴くとほっとする自分がいる。だが、口惜しいことに、この再録音盤ではアラが目立つことに次第に気づく。13番、14番、16番もすべて名演であると思うのだが、晩年ということもあり技術的な衰えが時折目立つ。音楽の重心が軽くなり、一層枯れた味わいが増す一方、求心力に欠けるのだ。音色は見事なまでに統一され、音楽は流れるように流麗になった。14番などでは欠点が出すぎず、しみじみとした感動を与えてくれたが、「大フーガ」の場合、その最後の演奏スタイルがやや散漫というか、「流れすぎ」の印象を与える。細部の彫りの浅さが気になるからであろうか。速めのテンポがせかせかした印象になるのはこれは問題だ。
 ブダペスト四重奏団のステレオ録音ははっきり言って本当に嫌な音だ(これは録音のせい)。しかし、その録音のハンデがあっても、やはり彫りの深さがあって聴かせるものがあった。聴いていてやはりブダペスト四重奏団の演奏のほうが良いな、と思った。

アルバン・ベルク四重奏団 Alban Berg Quartet <rec. 1982> EMI

15'31''

 聴き通すのが辛い演奏だった。録音が悪く、どこに奏者がいるのかが不鮮明な録音であり、本当にEMIという会社はひどい。ちなみに、サイモン・ラトルは好きな演奏家だが、EMIから録音を出している時点でほとんどCDも買わなくなった。
 この演奏も多くの雑誌、音楽評論家によって絶賛されているが、どこが良いのかさっぱりわからない、というのはkitakenただひとりであろう。それだけ、私が変わっているということは自覚しているのだが、この「大フーガ」の演奏は平凡の平凡。どこをとってもひらめき、情緒、構築美を感じさせるものはない。ウィーンの団体としての品の良さはあるが、それさえバリリ四重奏団に比べれば形骸化している。今まで聴いたどの四重奏団よりも落ちるように思う。

リンゼイ四重奏団 The Rindsays <rec. 1980年代> Resonance

16'00''

 じっくりとした第1フーガといい、緩やかな部分を速めのテンポで奏する呼吸の良さといい、やはりリンジーズは只者ではなかった。メロス四重奏団と同様に重々しいずっしりとした内容を持っているが、リンゼイ四重奏団のそれはもっと情感が濃い。技術や美しく洗練された響きよりも、表現意欲が強いため、磨かれない生の音が頻出する。14番の演奏も素晴らしかったので、きっと大フーガも聴かせてくれる・・・はずという期待があった。その期待を満たしてくれるような演奏とは言えないまでも、これだけ重々しい演奏を聴かせてくれたことは喜びである。
 「大フーガ」の弦楽合奏版にはフルトヴェングラーの録音が残されているが、イメージとしてはリンゼイが一番近いような感覚を覚えた。それは一重に、カロリー満点の演奏だからに他ならない。

メロス四重奏団 Melos Quartet <rec. 1986> DG

4'55'' - 2'47'' - 3'32'' - 0'55'' - 1'48'' - 1'20''

 メロス四重奏団のは、多くの方が絶賛するセットである。私も入手してすぐにその質実剛健というか、筋肉質で硬質な、そして細部までぎっしり心を込めた、「演奏し尽くした」というような演奏に好感を持ったものである。こう書くと、クリーヴランド四重奏団のような演奏が思い浮かぶかもしれないが、メロス四重奏団のは一聴しただけで、「あ、ドイツの団体だ」というのがわかるような味がある。真剣勝負!という気合のある全集だ。
 「大フーガ」もメロス四重奏団ならではの演奏である。気合が入っている。しかし、激情に駆られるのではなく、落ち着いたテンポで奏するため、スコアの細部までが見渡せ、四奏者ひとりひとりの真剣な表情までが伝わってくる。緩やかな部分ではその情報量の高さから今まで聴いたことのないようなファンタジーが生まれている。ただし、録音はやや高音域がきつめで、そのせいか演奏をヒステリックな印象にしている。おそらく最初期のCDを聴けばそのようなことはないのかもしれない。デジタル臭が強い、と言えばわかってもらえるだろうか。
 しかし、聴き終わって、「感動的な演奏か」と問われると否定的にならざるをえない。繊細な味わいや情緒に欠け、もっとしみじみとした味わいを残してもらいたいのである。これはクリーヴランド四重奏団にも言えることである。感動的なクライマックスが、メロス四重奏団だと熱に浮かされたような激情としてしか感じられず、これも残念な点だ。

東京弦楽四重奏団 Tokyo String Quartet <rec. 1990~1991年>

15'56''

 堂々たる演奏だ。冒頭からして威厳がある。弦の音はかさついているが、重量感がある。けしていたずらに激情に走ることはなく、落ち着いたテンポと彫りの深さでじっくりとフーガの複雑な絡みを音化していく。激しい部分もけして汚い、きつい音にならず、柔らかさを持つ。緩やかな部分では気持ちテンポがもたれるように思うが、気持ちをこめぬいている。したがって、最近の団体にはなかなか聴かれない親しみやすさがある。そう、あの難解な「大フーガ」に親しみやすさがある!これはターリヒやズスケに通じる「味」だ。。
 東京カルテットを聴いていていつも思うのだが、4つの楽器が均質的で、それぞれがけして突出しない。これはすごいことだと思う。一つの楽器のようだ、とはまた違う。本当にオーケストラ・サウンドのようなのだ。例の身をよじるような、泣けてたまらないクライマックスもじっくりとしたテンポで聴かせ、クリーヴランド四重奏団のようなあざとさがない。コーダがまた懐かしさに満ちたヴァイオリンの音色といい泣かせる。このコーダの名残り惜しさは、今までの演奏では聴けなかったものだ。
 ただ、全体を通してやや気迫に欠け、のっぺりとしている感がぬぐえなかった。

ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団 Wiener Musikverein Quartett <rec. 1992> Platz

15'43''

 何じゃこりゃ!ウィーン・フィルのコンサート・マスターであるキュッヒルが第1ヴァイオリンだから期待したのだが、甚だ満足できない。熟しきれていない、青みがかった酸っぱい果実をかじったような気持ちになる演奏で、音色の艶の良さ、新鮮さはあるのだが、アンサンブルも雑だし、うまみや情感、感情の表出、音のドラマ、精神の飛翔といった多くの四重奏団が聴かせてくれた「大フーガ」の魅力を全く聴かせてくれない。そして、ヒステリックなまでの奏し方が聴いていて辛くなる。「心技一体」という言葉から遠い演奏。同じウィーンの団体バリリが泣く。あと、ホールトーンがちょっと怪しい。エコーでは?

クリーヴランド四重奏団 Cleveland Quartet <rec. 1995> Telark

16'13''

 クリーヴランド四重奏団は、13番も14番も16番も全部けなし続けてきたが(ファンの方、ごめんなさい、私の耳がおかしいのです(泣))、この「大フーガ」はいける。クリーヴランド四重奏団の凄さは機能的な構築美と圧倒的スケールである。さらに、怒りの表出といった面でも美観を損なわずに成し遂げている。
 クライマックスの味わいはブダペスト四重奏団に一日の長がある。ここはインテンポで奏するほうが感動的だと思うのだが、テンポをぐっと落としてしまうのである。それが残念。
 クリーヴランド四重奏団が良いのは、「大フーガ」がシェーンベルクなどの音楽に通ずるものを持っていることとも関係があるように思う。

ゲヴァントハウス四重奏団 Gewandhaus-Quartett <rec. 1997> NCA

16'04''

 少なからず驚かされたのは、先に上げたハリウッド四重奏団と全く同じタイムであることである。それだけでこの団体が只者ではないことがわかろうというもの。前回私は書いたように、「速からず、遅からず」というテンポが16分なのである(リンゼイもこのタイム)。この絶妙のテンポを若きエルベンが実践できているところにまず驚かされる。
 現ゲヴァントハウス四重奏団は1993年以来のメンバーであり、フランク=ミヒャエル・エルベン、コンラート・ズスケ、フォルカー・メッツ、ユルンヤーコプ・ティムという布陣であり、1995年にはベートーヴェン全曲チクルスを行なった。演奏してみて彼らが学んだことは聴き手に音楽の緊張を与えるのではなく、音楽の豊かさを感じさせたいということだったという。かくして、伝統から学んだ正当性と自発的に学び取った現代性を加味した模範的演奏が完成した。
 この「大フーガ」ではまったく雑音をたてず、三連音符を打ち込むテクニックに脱帽である。カヴァティーナもそうだが、彼らの響きはドイツの団体にしては柔らかく、それでいて透明であり、和音の溶け合いの見事さが光る。フーガのひとつひとつがけして荒びることなく、格調と気品すら漂わせつつ美しく響いていく。それも構築美を輝かせながら!緩やかな部分の美音の氾濫はいかばかりであろう。何とベートーヴェンは美しい音楽を書いたのだったか!14番や16番では若干外面的な美しさのみが際立ったような印象を受けたのだが、この「大フーガ」では音楽と演奏とが完全に調和している。クライマックスの神々しさも絶品であり、これと同じ体験をしたのはヴェーグ四重奏団の再録音盤以外に存在しない。ヴェーグ四重奏団と違うのはエルベンの繊細かつ芯のある抜けきった美音である。最新録音でこんな美しい演奏があるとなると、ズスケもターリヒも分が悪い。
 これは超名演奏である。 現代の全集としては真っ先におすすめしたい。

 なお、以前出回っていたセットは、ボックス取り出し口に三角の切れ込みがあり、箱の裏の社名の欄に2003という表記があった。これはひどい代物で14番の終楽章に大きなノイズが混入していた。最近出回っている新プレスでは改善されている。どうやら初期盤の不良だったのだろう。ただし、初期盤の音質が耳に優しい柔らかな響きだったのに対して、現行盤はヘッドフォンなどで聴くと聴き疲れがする。音が引き締まり、高音がきつく、どこかの帯域がカットされたような・・・。以前出ていた音であれば(そしてノイズがなければ)、本当に文句なしのセットなんだけどなあ。

プラジャーク四重奏団 Prazak Quartet <rec. 2003> Praga

15'34''

 プラジャーク四重奏団にはやや失望。現代で最高のテクニックと芸術性を備えたカルテットの一つであることは疑いなく、事実「ラズモフスキー」の3番や、14番の6楽章では呆然とするような名演を聴かせてくれるだが、出来不出来が激しいように思う。特に13番が今聴くと全然良くない。4番もひどかった。カヴァティーナは四奏者がばらばらのような印象を受けたが、さらに「大フーガ」は楽器の分離がやや悪く、低域が濁り、圧倒的な構築美を味合わせてくれない。全体としてこじんまりしているのである。また、擦れた音色を多用するのも情緒とか枯淡さというより、やや厭味を感じさせるところに問題がある。ブダペスト四重奏団が聴かせてくれたあの泣けてたまらないクライマックスも心打たれることがなかった。

タカーチ四重奏団 Takacs Quartet <rec. 2003-2004> DECCA

14'28''

 レコード・アカデミー賞を受賞した鳴り物入りの全集セットのうちの一枚。彼らの音色は幾分くすんだほの暗い音色であり、四本の線が繊細に絡まり、それでいてフォルティシッモでは見事に溶け合った自在な表現を聴かせる。
 この「大フーガ」は冒頭が何とも薄っぺらいのが残念だが、音楽が激してくると凄まじいアンサンブルを聴かせる。クリーヴランド四重奏団や東京カルテット、メロス四重奏団が聴かせた機能美・構築美をここでも堪能できる。しかしながら、3団体と違うのは激情になる一歩寸前で踏みとどまった柔和さがあることであり、飄々としたユーモアさえ香りのように漂わせるところが見事なのである。
 ただ、フーガの持つ重厚さはない。それはテンポの速さも関係があるのかもしれないが、14分半程度というのは相当な速さである。ハンガリー四重奏団の旧盤がほとんど同一タイムであるくらい。
 アンサンブルとしては満点だが、それがどれほどベートーヴェンを体現しているかが気になった。上手いなと思わせることがあっても、感動につながらないのである。これはどうしたことだろう。どんなに深刻な表現を聴かせ、ヴァイオリンがいくら泣き叫んでもポーズのようにしか感じられない。ムード的と言ったら言い過ぎだろうか。何かアルバン・ベルク四重奏団に似たところがある。もっとも、アルバン・ベルク四重奏団と違うのは形骸化した情緒は一切ないことで、これは好ましいことだけれど。

ウィハン四重奏団 Wihan Quartet <rec. 2005> LOTOS

15'48''

 これは素晴らしい演奏である。スタイルとしてはタカーチ四重奏団に似ているのであるが、彼らの場合はきちんと真実の表現に聴こえる。また、音色はスメタナ四重奏団を想起させる懐かしさがある。速いテンポでフーガを刻んでも、情緒的なそれでいて美酒を思わせるような第1ヴァイオリンの節回しが耳を喜ばせる。フーガは一本調子ではだめなのだ。どんなに複雑な音符の絡み合いがあろうと、機能美と構築美を優先してばかりではベートーヴェンにはならない。ベートーヴェンはモーツァルトよりも遙かにメロディーに頼って音楽を書いた人物である。旋律線を聴かせなければ、活かさなければ。すると、怒り、悲しみ、ユーモア、哀感、様々な情感、複雑な味わいが出てくる。これが「大フーガ」の魅力ではないか。緩やかな部分の繊細さはどうだろう。
 第1フーガの再現では、気持ちテンポを落とした心の込め方が堂に入っている。四奏者の心の通わせ合いがまた胸を打つ。重厚さがなくても、タカーチ四重奏団のように気にならないのは、内容がいっぱいだからだ。そして、あの感動的なクライマックス!身をよじるようなヴァイオリンの泣き節に答えて全ての楽器が収斂し、天空へと上り詰めていくようなあの音のドラマを絶妙のテンポと節回しで聴かせてくれる。ここはブダペスト四重奏団も泣かせてくれたが、それに匹敵する素晴らしさだ。終結の泣き節を絡めたゆったり目の決め方も美しかった。
 なお、このCDには録音の仕方のミスか、あるいは製造の問題か、ブシュブシュというノイズが時折入る。これは本当に残念なことで、再生装置によっては問題なく再生されるかもしれないが(現にこのCDの取次ぎをしてくれたロンドン在住のサポーターは「そんなノイズはどこにもない」と言っていた。何度も調べてくれたので彼女の言うことも間違いではないようだ。そして、LOTOS側もノイズはないと照会してくれた。良品交換してくれたが、そちらもノイズあり。むーん。日本製の装置だと合わないの?)、何ともはや。
 ウィハン四重奏団は現在ベートーヴェンの全曲演奏会を行なっている。それもチェコのプラハで。いやはや、来日してやってもらいたいもんです。