Kitakenが選ぶ
クラシックCDの

 ここに掲載する音楽と演奏は、私が勝手に最高だと思っている愛聴盤である。曲目はまったく自分の好みであり、名曲名演でも選ばれていないものが多々ある(たとえば、ブラームスの交響曲第1番)。
 演奏については、初めてクラシック音楽に出会ってきて以来、永らく聴いてきた様々な盤から、自分の心をわしづかみにしたものだけを選定した(2009年を迎え、曲目を大幅に増補した)。
 しかし、新しく良いものが出れば随時更新していく、という方針である(曲名の下に記載されたカラーの太字の演奏が推薦盤。本文中の黒太字は準推薦盤)。CD番号は指定されている場合には、その盤でしかその感動は得られないことに留意されたい。近頃は「リマスタリング」一つで、月とスッポンほどに音楽の感動が変わるためである。


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ビクトリア
エレミア哀歌
<ジョン・ホーバン指揮スクォラ・ディ・キエザ(1967)>テイチク

 
はるか昔に廃盤となってしまった幻の名盤。それまでは愛好家の方からご提供いただいたCD-R盤で大切に聴いていたが、偶然地方の小さな電気店で現品を見つけることができた。奇蹟である。コーラスのどこか懐かしい、そして素朴で原初的な歌声は、青空の彼方にある天界を思い出させる(私たちはかつてそこにいたのか?)とまで言わしめるほどに至純である。一度CDをかけると、金縛りにあったように聴きすすめてしまうことがある。下記レクイエムとは異なり、よりドラマがあり、合唱の掛け合いには真実の祈りが満ち溢れている。レクイエムと並び、ビクトリアの最高傑作ではあるまいか。

レクイエム
<ヒル指揮ウエストミンスター大聖堂合唱団他(1987)>hyperion

 魂を吸い取られるような曲。上へ上へと伸びてゆく香炉のたなびきのような旋律線に昇天させられそうになる。死ぬ時、天から降り注ぐ楽音がかくやと思わせる魅力がある。このCDは少年合唱だからこそ余計に美しい。モンテヴェルディよりもバッハよりも、モーツァルトのレクイエムよりも天に召されるような美しさを放つ鎮魂歌である。清く、切なく、その寂光に明滅する人の魂のはかなさを感じさせてやまない。厳しさすら感じさせる至純な響きを聴くならば、フィリップ・ケイヴ(Philip Cave)の指揮による演奏(LINN RECORDS)がある。しかし、少年合唱を用い、合唱団の厚みのあるハーモニーを聴かせるヒル盤の魅力には抗い難いものがある。録音はホールの残響をとらえたものだが、もう少し鮮明さがあればと惜しまれる。

シュッツ
十字架上の七つの言葉
<マウエルスベルガー指揮ドレスデン聖十字架合唱団(1966)>Berlin Classic
s

 このCDはまだ手に入るのだろうか。私の持っているCDはアマゾンで購入したBerlin Classics盤である。実はこの曲を聴き通せたことがさほどない。聴いていて居たたまれなくなってしまうのだ。その点ではマタイを聴き通すのと同じくらいの根気と精神の統一が(私には)いる。音楽は実に厳しく、それでいて純朴であり、芸術のふるさと、魂の楽音を思わせる魅力に満ちている。そのような音楽を最高に堪能させてくれるのが、マウエルスベルガーの演奏であり、少年合唱団、ボーイ・ソプラノとボーイ・アルトをソリストにも起用し、天使たちの歌声を再現した手腕にある。


モンテヴェルディ
歌劇「ポッペアの戴冠」
<ルネ・ヤーコプス指揮コンチェルト・ヴォカーレ(1990)> harmonia mundi

 序奏からしびれる(R・シュトラウスの歌劇「カプリッチョ」の序奏みたいだ)。その後の3人の女神の歌い交わしも天使のようにかわいらしく、それでいて人生の悲哀を色濃く滲ませる。ポッペアの妖艶さ、ネローネ、オッタヴィア、セネカを歌う歌手達も古雅で透明な歌唱が素晴らしく、モンテヴェルディの音楽の持つ美しさ、愉悦、人生を見つめる深い叡智の眼差しとを体現する。善が滅び悪がはびこるという珍しい設定は、それだけで現代の我々に通じるものがあろう。最後のポッペアとネローネの歌はまるで「ばらの騎士」の最後みたいで美しい。私が聴いたオペラの中でも最高傑作の一つに入る。ヤーコプス盤は適度にオーケストレーションを増やし、音楽に生命を吹き込んだ。

聖母マリアの夕べの祈り
<シュナイト指揮レーゲンンスブルク大聖堂合唱団(1975)>Archiv

 これは宇野功芳著『新版・クラシックの名曲・名盤』で紹介されていたCDで、はじめて聞いたときの感動は大きかった。素朴な少年合唱の歌声が夜のしじまに静謐な味わいを残す。「神の歌、人の歌」という言葉を思い出す名曲。二つ目のマニフィカトが良い。しかし、何度も聴くと飽きがくる。だから大事にしまっていて、時が来たときに聴き直すのである。ガーディナー盤やガッリード盤も非常に面白いが、ヴィヴラートたっぷりの男声には耳を疑う。特に、ガーディナー盤のターフェルは最悪だ。

バッハ
ブランデンブルク協奏曲
<ゲーベル指揮ムジカ・アンティクァ・ケルン(1986〜87)>Archiv

 
バッハの音楽など、私にはほとんど必要ない。抹香臭い、というか、どうも独特の説教臭さが感じられる。複雑で味わい深い楽想も、メロディー・センスも、嫌いではないのだが・・・。ただし、ここでノミネートする6曲だけは別格だ。これらは好き・嫌いを超越した人類の遺産であって、このブランデンブルク協奏曲も、古今東西のあらゆる協奏曲の中の最高傑作であろう。愛聴するのは、ゲーベルのロック魂。リステンパルトの優雅な美しさもニュアンス豊富で最高。貴婦人が踊る、とはこんな感じか?これら二つがマイ・ベスト。

無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ
<ジョルジュ・エネスコ>La Voce

 シェリングの高貴で、暖かみのある音色は、バッハの音楽の美しさを心ゆくまで味あわせてくれる演奏であるが、録音状態も良好とは言い難い、技術の衰えた往年の巨匠エネスコ(La Voce復刻によるCONTINENTAL盤)の録音を聴くと、不思議と精神世界に引き込まれてしまう。音色は艶があり、早めのテンポで淡々と進め、自分の魂の音楽としてこの曲を演奏する姿勢に打たれる。大バッハの音楽の素晴らしさを味合わせてくれる。初出LPは中古市場で350万を超えるという。これを聴いたら、他の演奏では物足りなくなり、評判の良いズスケやクレーメルの新盤などにも首を傾げていた。エネスコの他にはラウテンバッハーの演奏がとても良かった。

無伴奏チェロ組曲
<ピエール・フルニエ(1960)>DG

 カザルス(オーパス蔵)の演奏と共に言わずと知れた永遠の名盤。しかしながら、そのノーブルで自然体、しみじみとした情感を漂わせるフルニエの演奏に今は心が傾く。カザルスのはEMIの復刻盤よりもオーパス蔵の復刻のほうが音色、躍動感がビビッドに感じられ、無骨なだけのイメージを一新した。エネスコと同じように、自分の魂の音楽としてのバッハを聴かせてくれる。自分の魂を音にするからこそ、音楽は存在価値があるのではないだろうか。そう考えると、私にとってはフルトヴェングラーを超える演奏家はいなくなってしまうが。ステレオ録音ではソイテンの快活さに魅せられるが、ミクローシュ・ペレーニの演奏をぜひとも聴きたいものである。エンリコ・マイナルディのステレオ再録音盤を聴いたが、その深沈としてゆったりとしたスケールのある演奏には魅せられる。その遅いテンポに、とても付き合いきれないという方もおられるかもしれないが・・・。これも名盤だ。CDは最初にCD化されたCOC0-80165/67をとるべきだ。音のニュアンスや臨場感が違う。

平均律クラヴィーア曲集全曲
<リヒテル(1973)>Victor

 録音はぼやけているが、音質は幻想的で美しい。リヒテルの演奏は曲の美しさ・激しさ・逞しさ・厳かさを心をこめて奏したものであって、聴いていて、どこか遠くの世界に誘われるような錯覚を覚えるものである。彼にはもう一つ、インスブルックでのライヴ録音(昔回収騒ぎとなった曰くつきのCDで、現在はPOLO ARTSという中国のレーベルから発売)もあって、そちらは音質がさらに鮮明。演奏もライヴ特有の感興を感じさせて、どちらも傑作。どちらか一つ、ということになれば、やはりリヒテルが一つ一つの楽曲を吟味しながら収録したセッション録音である本盤となろう。評判の良いグールドは、曲の旋律美をあまりにも犠牲にしていると思う。

ゴールドベルク変奏曲
<グールド(1981)>SONY

 グールドの全スタジオ録音がLPを模した紙ジャケットの大全集として発売されたときは、驚き呆れながら、速攻で購入したものである。このセットは人生の宝となるだろう。例のバッハをはじめ、モーツァルト、ベートーヴェン、そしてブラームスなどなど、作曲家のジャンルも多岐に渡る。本当はそれをあげれば良いのだけれど、その中からあえて一枚。グールドのデビュー盤での曲目でもあり、二回目のスタジオ録音(グールド初のデジタル録音)ともなった。確か、これが生涯最後の録音ではなかったか?もしそうだとすれば、彼の録音人生はゴールドベルク変奏曲に始まって、ゴールドベルク変奏曲に終わったことになる。最初の1955年の録音はモノラルだが、一気呵成の素晴らしいテクニック。目が覚める思い。夢幻のニュアンスが込められている。そして、この最後のはテンポは遅くなり(部分的には旧盤より速い)、より考えぬかれている。哲学的だ。どちらも必携だが、私にはデジタル録音のほうが合う。

マタイ受難曲
<メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団他(1939)>
Philips

 高校時代生物の先生から借りて聴いたときの感激が今も残っている。僕が好きなのはコラールで、メンゲルベルクの指揮が劇的で胸を打つ。特に第二部の受難までのドラマは迫真的!何故か録音の古ささえ懐かしい。なお、CDはオーパス蔵からも復刻盤が出ているが、Philips盤との差は大きくない。むしろ最初にCD化されたPhilips盤のほうが、音がきれいでバランス良く、アナログ的な質感で良好である。将来、これ以上の良質な復刻がなされることを祈念する。リヒターの録音も素晴らしい。最初のステレオ録音と70年代にデジタルで再録音したものとを聴いているが、前者が求道的とすれば、後者はより人間的な大河のような演奏である。再録音盤はとかく批判されることが多いが、私はどちらも素晴らしいと思っている。再録音盤の慈愛に溢れ、大河のような滔々とした演奏はなかなか味わえないものだと思う。フランスの名手を集めたフリッツ・ヴェルナーの演奏は素朴さが聴きもので良いが、CDに聴く音はやや平板なのが残念だ。

ロ短調ミサ曲
<ビラー指揮ライプツィヒ・バロック管弦楽団、聖トーマス教会合唱団>Rondau

 バッハが嫌い、苦手だ、という人物の推薦盤なんて信用しないほうがいいと思います。バッハの最高傑作として挙げられることの多い「ロ短調ミサ」でも、評価の高いリヒターやクレンペラーの名前は挙げたくないのですから(ただし、クレンペラーの「キリエ」だけは一聴の価値あり!)。コラールを愛する私は、できうる限り、汚れのないボーイ・コーラスで耳にしたい。ゲリンガー/ウィンズバッハ合唱団もなかなか良いが、録音、特に合唱が不鮮明なのが惜しまれる。その点、ビラーとバッハ以来の伝統を持つ聖トーマス教会合唱団の録音は、合唱の言葉がはっきりと聴き取れるのが嬉しい。生々しい録音も、少年合唱の魅力をしっかりと捉えている。ここの少年たちは本当に純朴で、祈りに満ちた天使の声を持っており、技術もしっかりとしている。ビラーの指揮もしっかりとしている。自然体で抜けきった演奏として、トン・コープマンも忘れたくない。合唱は大人だが、滅茶苦茶うまい。最初に聴くには、こちらのほうがいいかもしれない。古楽器の古雅で透明な響きも、音楽の至純さに貢献している。

ハイドン
交響曲全集
<ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカ(1969〜71)>DECCA

 
これは名盤である。クラシックの演奏史上でも、このプロジェクトは末永く記録されるべきである。その後アダム・フィッシャーの廉価盤が登場したが、ものが違う。ドラティのは短期間で集中して名門レーベルに録音しただけに、解釈の一貫性・演奏の素晴らしさ・録音の良さ、というあらゆる美徳が結集している。私は1991年に発売されたMADE IN USA盤で架蔵しているけれども(430 100-2 LM32)、音質はまだDECCAがLONDONと名乗っていた時期のものだけに、コクのある聴き疲れしない自然な音で聴ける。ただし、いくつかの曲の異版が収録されていない!ということは現行の「DECCA盤」も買わなくてはならない、ということになるか?ちなみに、104曲の全てが名演であるわけがない、と思われるかもしれないが、少なくとも、私にはどの曲を聴いても大きな違和感を感じない。確かにワルターやクレンペラー、シューリヒトやフルトヴェングラーと比べてどうのこうのと論じることができるかもしれないが、曲の美しさをこれだけストレートに味わえるセットもないだろう。

交響曲選集
<クレンペラー指揮(ニュー)フィルハーモニア管(1962〜72)>EMI

 
ハイドンの諸曲をグランド・スタイルの名演奏でまとめて、ということであれば、やはりこの選集は捨てられない。この選集には、88番、92番、95番、98番、100番、101番、102番、104番の諸曲が収められているが、どの曲も立派である。クレンペラーの演奏に特有の木管のクリアーさには心が静められる。なお、クレンペラーのCDはEMIから発売されているものは全て最初の廉価盤(クレンペラーの肖像画が書かれたシンプルなもの、できれば西ドイツ・プレス)で聴かなければならない。中古市場では高値であり、それが口惜しいところだ。

交響曲第86番
<ラトル指揮バーミンガム市響>EMI

 ラトルという指揮者は才気煥発である。ベルリン・フィルの時代よりも、ウィーン・フィルに登場してベートーヴェンを録音し始めた頃、つまり、まだイギリス出身のローカルさを持っていた頃のほうがずっと好きだ。彼はハイドンを得意としているようだが、この86番の演奏もとってもいい。グランド・スタイルより引き締まった肢体を持ち、知的ユーモアにも優れている。もっとも、私はこの交響曲の全てを愛好しているわけではなく(ハイドンは全てそうだが)一部の楽章をことのほか好んでいる。それはフィナーレであって、音の重層的な重なりと熱狂的な盛り上がりが素晴らしく愉しい。

交響曲第94番「驚愕」
<フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1950)>EMI
 フルトヴェングラーのお気に入りの録音の一つであるという(志鳥栄八郎著『人間フルトヴェングラー』)。演奏はウィーン・フィルの音色の美しさや愛らしく艶やかなニュアンスが芳醇であり、録音の瑞々しさも特筆したい。フルトヴェングラーの指揮は力が抜けて無駄が一切ない境地である。終楽章の大らかな愉しさは絶品である。なお、CDを選ぶならば、最初のCD化であるCC35-3169を選ぶべきだ。他には海賊盤ではあるけれど、カルロス・クライバー/ウィーン・フィルとか、クリップス/ウィーン・フィル(これはDECCA)なんてのも、愉しい。

交響曲第96番「奇蹟」
<ワルター指揮ニューヨーク・フィル(1954)>SONY

 
私のハイドン初体験盤であり、当時のワルターがどれだけ絶好調だったかを偲ばせる貴重な記録。珠のような美しさとはこのことを言うのだろう。こぼれるような情緒と瑞々しい感性が同化し、ワルター特有の切れ目のない歌いまわしが音楽を最高に豊かにしている。終楽章の知的ユーモアがこれほどの意味を持って鳴らされたことがあるのだろうか(←聴いてないからわからん)、とか言ってしまいたくなるほどの名品。なお、ウィーン・フィルと戦前盤も良いが、EMI盤は音が悪い。グエッ。

交響曲第100番
<ワルター/コロンビア響(1961)>CBS SONY

 
ワルターには戦前の爛熟のウィーン・フィルとの名録音もあり、演奏自体はそちらのほうがより魅力的である。特に終楽章の加速気味の興奮と溢れんばかりの情緒には虜になってしまう。しかしながら、ワルターは自分の総決算をステレオ録音することができた幸運な指揮者であって、二流・三流もいいところである寄せ集め交響楽団から、戦前のウィーン・フィルに負けないニュアンスを導き出している点を高く評価したい。それに枯淡な味わいはやはり老年故の武器であろう。他にはクレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管の名演奏もあって、こちらはベタつくような粘着性を持ったベートーヴェン的硬派の演奏である。

交響曲第102番
<クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管(1965)>EMI

 
この交響曲を初めて聴いたのは、ワルターのニューヨーク・フィル盤であって、終楽章のウィットに富んだ軽やかなリズムと自由自在といっても過言ではないオーケストラ・コントロールの魔術にめくるめく思いをしたものである。ただ、クレンペラーの重厚なアプローチによって、その終楽章は極めて壮麗かつ巨大な重みを持った伽藍となり、ハイドンが如何に物凄い音楽を書いたのかが如実に伝わるようになった。CDは西ドイツ・プレスのセット物の一枚を選ぶ。中古市場で高値なのが難点。

交響曲第104番 ロンドン
<シューリヒト指揮フランス国立管弦楽団(1955)>ERATO LP

 これはシューリヒトの数多い演奏の中でも最高の名演のひとつである。1楽章の出だしなど、何という厳しさ!深遠なものがぐんぐん迫る。主部は猛烈なスローテンポで始め、それが見事に曲想にマッチしている。2楽章の歌心も素晴らしく、3楽章の精神のきらめきもすさまじいが、独壇場はフィナーレだろう。シューリヒトのお得意の猛スピードで疾風のように突き進み、楽句の一つ一つの意味を探り出していく。中間部で一瞬夢からさめやらぬような表現が聞かれるが、そこにシューリヒトの天才性が発揮されている。コーダの灼熱など、いてもたってもいられぬほど。音の良い正規盤が発売されるべきである!ジギスヴァヴァルト・クイケン指揮ラ・プティット・バンドによる演奏は古楽器を用いながらも、荘厳かつ重厚な一楽章といい、透明な音色のフレッシュさを兼ね備えた味の濃いフィナーレといい、愉しい。チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルもほのぼのとした味わいを示した佳演で、その磨き上げられた音色と細部までこだわった味付けに惹かれるものがあるが、カラヤン/ベルリン・フィル(DG)のほうが、音楽の内容に負けない威容と勢いがあり、現代オーケストラの中では随一の演奏として堪能させてくれよう。

ピアノ協奏曲
<アルゲリッチ指揮ロンドン・シンフォニエッタ(年代未確認)>EMI

 これは素晴らしい演奏である。貴重なアルゲリッチの弾き振りであり、この愛らしい佳曲を珠を転がすような魅惑と爽やかさ、瑞々しい感性でもって演奏してくれる。終楽章の魅惑は天国的ですらあり、モーツァルトにはないハイドン特有の知的味わいが魅力を倍化する。

モーツァルト
交響曲選集21番〜41番
<クリップス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1972〜73)>Philips

 モーツァルトというと壮麗で雄大なワルターや淡々としながらはかない夢のようなシューリヒトの演奏をよく聴いていたが、最近ではクリップスにも魅せられる。それというのもこの天国的な美しさのクリップスの演奏に触れたからである。なんという美しさ、そして宝石を散りばめたようなニュアンスの愛らしさ!あらゆるニュアンスがはかなく明滅し、女性的でありながら男性的な構築美を見せつつも、情緒綿々たる演奏。はっとするときめきや英知に満ちて、絶えず優しく微笑みかけるモーツァルトである。25番、ハフナー、プラハ、39番、40番、41番、どれも名演。まさに宝物。このCDの存在を知らしめてくれた福島章恭氏の著作には感謝したい。

交響曲第36番「リンツ」
<ワルター指揮コロンビア交響楽団(1960)>CBS SONY

 僕にとってワルターとコロンビア響によるステレオ録音は心の宝のような存在である。激しいドラマや身も心もどうになかるほどの精神世界を他の演奏家がどれだけ聴かせてくれたとしても、僕はワルターを忘れない。万人に語りかけ、そこに一抹の寂しさと音楽に包まれる至福とを心と身体に与えてくれる稀有な指揮者、それがワルターなのだ。この「リンツ」の瑞々しさはどうだろう。これが80歳を越えた老人の演奏だろうか。フィナーレのさわやかさと聡明さ。チャーミングなニュアンスと満たされるような幸福感。こんな表現が現代どこで聴けるのだろうか。次点はクレンペラー/フィルハーモニア管。クレンペラーの質実剛健な指揮ぶりからは想像できないほどに、流れるような爽快さと活き活きとした魅惑を振りまいていく。

交響曲第38番「プラハ」
<ワルター指揮コロンビア交響楽団(1959)>CBS SONY

 ワルターの最高傑作の一つ。「プラハ」はシューリヒト指揮パリ・オペラ座管弦楽団による名盤もある。その枯淡な味わいと雑然としながらも叡智に満ちたキラリと光るニュアンス。その超スピード。最高の演奏の一つであることに疑いはないが、ワルターのステレオ録音が持つ音楽の豊かさ、チャーミングな表情、翳りあるドラマティックな表情、それが今の僕には切々と心に染みるのだ。一楽章のロマンティックさもさわやかなフレッシュさに溢れ、そのメルヘンチックな旋律とともに魅せられる。楽団員全員も心から音楽を奏でていることがわかり、感動的だ。

交響曲第40番
<ワルター指揮コロンビア交響楽団(1959)>CBS SONY

 僕は40番の演奏はワルターがあれば良い。ワルターには52年のウィーン・フィルとのライヴ(モノ)もあるが、一楽章の有名な主題をポルタメントで奏するユニークさには抵抗を覚えることもある。もっとも二楽章、三楽章の中間部の孤独さ、フィナーレの焦燥感、最高傑作の名に恥じないであろう(私の「刷り込み」盤である)。このステレオ録音は一楽章の有名な主題が何とも言えない澄み切った回顧的な響きになっており感動的だ。二楽章も透明な音色と歌の豊かさが最高であり、三楽章の精神的な立派さは52年のライヴからは想像できないものがある。フィナーレの充実した進行も忘れられない。僕はこのフィナーレが大好きで日に何度も聴くことがある。クレンペラー/フィルハーモニア管の最初のステレオ録音(1956年録音)も、深沈として哲学的な内容をいっぱい孕んだロマンティックな演奏であり、素晴らしい。


交響曲第41番「ジュピター」
<ワルター指揮コロンビア交響楽団(1960)>CBS SONY

 ニューヨーク・フィルとのモノラル録音
は演奏だけをとればもっと素晴らしいのかもしれない。しかしながら、ややベートーヴェン風になりすぎ、音の鮮度も悪い(聴き辛くはない)。このステレオ録音の音色の瑞々しさと静けさ、モーツァルトの美観からはみ出ない限りの立派さはやはり僕には最高の演奏なのである。フィナーレの澄み切った美しさとフーガの立派さ、コーダの切ない弦の表情に、癒しを与えるような管楽器の響き。立派でありながらこれだけ切なさで胸を焦がせる演奏が他にあるだろうか。カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団の演奏はあの高名なチェリストの精神世界の体現のようで、そのドラマに圧倒される。

セレナード・ディヴェルティメント集
<ヴェーグ指揮カメラータ・ザルツブルク(1987〜1991)>Capriccio

 10枚組みなのに廉価盤扱い。あの弦楽四重奏の神様シャンドール・ヴェーグが指揮をつとめ、モーツァルトのいわゆる娯楽音楽を演奏している。演奏はどこか襟を正したくなる清新さに満ちていて、愉しい音楽の中からも、モーツァルト涙に濡れた魂を白日のもとにさらけ出した。10枚にはいろいろな音楽が収められているが、どうか好きな音楽を自分で見つけていただきたい。ここだけの話、K.251のロンド・アレグロ・アッサイはモーツァルトの音楽の中で一番好きだ。内緒だよ!本当に美しいんだから。それにしても、「ポストホルン」は何で収められていないの?

ピアノ協奏曲全集
<内田光子(p)/テイト指揮イギリス室内管弦楽団(1985〜91)>Philips

 モーツァルトの宝はピアノ作品にあると思う。ピアノ協奏曲全集の中では、やはり涙に曇った内田光子を。麗しい貴婦人のような優雅さも最高だし、テイトの伴奏も素敵だ。有名なK.466も素晴らしい。デジタル録音ではピカイチだと思うが、演奏自体ならばルフェビュール(p)/フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル。K.482なら、イギリス室内管弦楽団を弾き振りしたバレンボイム盤、そしてK.488はやはりハイドシェックとヴァンデルノートのEMI盤の終楽章が最美。K.545はベタかもしれないが、バックハウス/べームのウィーン・フィル盤。これら三つだけを別に備えておけば万全。

クラリネット協奏曲/クラリネット五重奏曲
<シフリン(cf)/シュウォーツ指揮モーストリー・モーツァルト管(1984)>Delos

 宇野功芳氏特選の盤で、全く同じ、というのも気が引けるが、素晴らしいのだから仕方がない。シフリンはどうやら普通とは違うクラリネットを使い、多様な音域を使うことができるようだ。オーケストラも涼やかで、シフリンの表現もワビ・サビを感じさせる見事なもの。録音もややぼやけているのが怪我の功名。併録のクラリネット五重奏曲も名演。

フルートとハープのための協奏曲
<トリップ(fl)/イェリネク(hp)/ミュンヒンガー指揮ウィーン・フィル(1962)>DECCA

 DECCAの音質は、ユニバーサル・ミュージック傘下に入る前の、「ロンドン」の頃のほうが良かった。コクやうまみがあり、艶のある音質。おそらく、この名盤もロンドン盤で探したほうが賢明。高雅で華麗で美しく、愛らしくも切ない。こんな複雑な音楽が書けるのはモーツァルトだけだろうし、演奏がまた絶品だ。ただ一つ不満といえば、ミュンヒンガーの指揮だけがいささか大味。評判の良いランパル/ラスキーヌ盤はパイヤールが台無しにしてくれている(テンポがせかつき、細部も雑)。残念。

ピアノ・ソナタ全集
<リリー・クラウス(1956)>EMI

 高校二年生の時、宇野功芳氏による熱烈な批評を読んで、今はもう閉店した学芸大のCD店に注文したのがこのCDだ。懐かしいCDで、当時仲良しで片思いしていた女の子と買いに来て、カセットに録音してやり、一緒にそのキラキラした音楽の美しさを語り合ったものだ。演奏は情緒に溢れ、ロマンティックでありながら、キリリとした造形であるが故に、全体はすっきりとして透明な天国的表現である。今ではもう望むべくもないスタイルかもしれないが、あの放課後の美しい空と当時としては高い買い物の財布の痛みとともに、このピアニストの全集を懐かしく思い出し、つい大切にしてしまう。ステレオ録音の名盤というとワルター・クリーンがある。珠を転がすような愉悦と、繊細な情感が魅力である。クラウスのステレオ再録音盤が再発売されたが、こちらは抒情味が増しており、モノラル盤にはない美しさがある。もう一点、忘れられないのはペルルミュテール。VOXから2007年にようやく復刻されたが、ノイズはあるものの、その艶やかなタッチは「またたび」である。

モーツァルト 室内楽曲作品集
(CDタイトル:モーツァルト曲集<ウィーン室内合奏団(1969&1971>ART UNION

 何とも美しいモーツァルトの室内楽の名曲集。日本で収録されたウィーン・フィルの名メンバーたちによる一品。微笑み、慰め、馥郁たる天国的な調べ。そこに何とも言えぬ儚さ、無常を感じる。これがモーツァルトの味だと思う。録音も極上。特にアイネ・クライネ・ナハトムジーク、フルート四重奏曲が美しい。前者にはワルター指揮ウィーン・フィルのものがある。復刻盤は廃刊となったクラシック・プレス(ワルター特集号)についた付録のものが最高に良い。


歌劇「フィガロの結婚」
<クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1970)>EMI

 私の好きな曲を10曲挙げろと言われたら、必ずこの曲とこのCDをセットで選ぶ。それだけ大好きである。遅いテンポによって各声部が明確になり、今まで聴いたこともないような濃厚でいて透明な、匂うような音楽美が花園のように咲き乱れる。木管楽器、フルートの寂光、グリストのスザンナ、伯爵の美声、どれも天に遊ぶような陶酔。そして音楽の造形は極めて強固であり、オペラ全体の造形は、壮麗かつ雄渾な、ベートーヴェンに接近した力強い一大交響曲となっている。鈍長さなど微塵もなく、リズムはよく弾む。これを聴くとクライバーも物足りないし、ワルターの戦前のライヴも遠く及ばない(ANDANTEから出ているライヴ)。昔出ていた輸入盤のほうが音がずっといい。

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
<フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1953)>Arkadia

 昔はワルター/メトロポリタンの演奏を聴いていたのだが、フルトヴェングラーの1954年のライヴ録音を聴いて、その達観した静けさと沈み込んでいくような深さに圧倒された。私があげたのは1953年のライヴのほうで、しかも海賊盤である。しかしながら、音の情報量の多さ(ステレオ録音並み)、フルトヴェングラーの覇気(1954年の深みにエネルギーが加わる!)はこちらのほうがずっと巨大であり、歌手陣もより自在に羽ばたいている。もっとも、第一幕のフィナーレではオーケストラも歌手もアンサンブルが乱れに乱れる箇所があって口惜しい。この二種は手元に必ず置いておきたい。芸術のふるさと、といった感がある。

歌劇「魔笛」
<ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ(1990)>EMI

 現代楽器による演奏をとれば、ブルーノワルターのメトロポリタン・ライヴが最高だ。ワルターの素晴らしいHPを運営されているDANNOさんのご好意でこの演奏のLPを聴くことができた喜びは今のように思い出す。実況録音であり、音は古い。魔笛のドラマ、音楽の美しさをモダン楽器でここまで美しく、そして意味深く、迫真的に演奏できた例は皆無である。序曲は古今東西随一の出来。宇野功芳氏はせかせかしたテンポで焦るように進行と述べるが、ノリントンによる古楽器の名盤を聴いた後では、そんなに極端には聴こえない。2006年ついにCDで蘇った。序曲における管楽器奏者のミスは編集されているし、音の鮮度も減退した(残念!)。さらに英語歌唱というハンデもある。しかしながら「魔笛」のドラマをこれだけ活かした演奏は皆無であり、一度は聴いてみるべきだ。魔法の鈴の美しさ!ステレオではノリントンが清澄で、キラキラとした輝きを放つ名盤。ワルター盤は滅多に聴かないが、ノリントンはその美しさに何度も手に取る。歌手もパパゲーノを除いて満点の出来。現時点ではノリントン盤が最高だろう。パパゲーノはベーム盤のフィッシャー・ディースカウを聴く。


戴冠ミサ曲
<リステンパルト指揮ザール室内管弦楽団(1963)>仏ACCORD

 モーツァルトの宗教作品はどれも素晴らしい。本当は全集盤を入手したいところだが、どれも食指をそそらない。かつてLPで出ていたというモラルトやグロスマンといった名盤がCDでも復刻してもらえれば最高だし、少年合唱を使ったさらなる名盤が登場することを祈る。当座満足できるのは、このリステンパルト盤であって、シュテッヒ=ランダルのソプラノが美しい。合唱は残念ながら、少年ではないけれど、リステンパルトの素朴な指揮ぶりが魅力的である。アニュス・ディの天国的な美しさなど、居ながらにして天の花園にいるような錯覚を覚える。本当は少年合唱を使ったグロスマンやモラルトらの名盤の復刻を祈っているのだが・・・。

レクイエム
<Bernard Labadie指揮Le Violons du Roy(2001)>DORIAN RECORDINGS

 
おそらく、ベルナール・ラバディエ、ル・ヴィオロン・デュ・ロイとでも読むのだろう。録音は2001年9月20日、ニューヨークでのライヴ。そう、貿易センター・ビルでのテロの9日後のライヴである。一体、演奏家たちはどんな思いで、この日を迎えたことだろう。演奏は静謐さと深い祈りを讃えた立派なものであって、過激なドラマがあるわけではない。激しさよりは、祈りとしての音楽を追求している。オーケストラ、コーラス共々に優秀である(ややオケは薄手かもしれない)。なお、採用している版はレヴィン版(アーメン・フーガの復元が聴ける!)。これを聴いたら、ジュースマイヤー盤には戻れないだろう。ただ、シューリヒトのシュテファン寺院でのライヴ録音は耳にしておきたい。お薦めは、Archiphon盤。鮮度良い。主観の塊。まさにロマン。ずっと泣いているような演奏だ。

ベートーヴェン

交響曲全集
<朝比奈隆指揮大阪フィル(1996)>CANYON CLASSICS

 各曲のベストはいろいろ挙げられるが、全集としてのまとまり、音質の優れたもので、と考え合わせるとどれも帯に長し、たすきに長しで困る。シュミット=イッセルシュテットとウィーン・フィルのベートーヴェン全集はそのコクのある音色といい、素朴な造形といい、威圧的にならない良い意味での軽さといい満足できる。CDは輸入盤組み物で、バックハウスやシェリングとの協奏曲録音が一緒になったものが、鮮度良く素晴らしい。もっと音にドラマとロマンを持たせた演奏としてはワルターが晩年コロンビア響と録音したものがとても素晴らしい。ただし、音質は最初期盤の35DCシリーズに限る。もっと一気呵成に聴かせてくれる演奏を求めたい場合にはレイボヴィッツになる。一番優れた復刻はMenuet盤だろう。音の抜けが良く、何より音をいじくった形跡がないため、自然な音だ。Chesky盤は評判が良いが、あまり感心しない。ピッチも若干低めに設定(こちらのほうが正しいのかもしれない?)してあり、おとなしい印象。中・高音を張り出しすぎた音作り。また、4番・7番を収録したディスクは音がひっこんでいてぱっとしない。もっと普遍的で至純な演奏が聴きたいときは、ヴァント/北ドイツ放送響のデジタル録音による全集だろう。特に、日本独自発売のSACDによるリマスタリングは素晴らしい。ベートーヴェンが理性と情熱を調和させた見事なスコアの緻密さをじっくりと味わえる。しかしながら、色々聴いた後で一番ほっとするのは朝比奈隆と大阪フィルの6回目。の素朴で無駄な力が抜け切っていながら、懐の大きい雄大な演奏である。評判の良い新日本フィルとの全集はまだ無駄が多い。

交響曲第1番
<フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1952)>EMI

 フルトヴェングラーの指揮は何も特別なことをせずとも、聴きなれた音楽から聴いたことのないような温かい響きを作り出す。オーケストラの響きも芳醇で、最高級のワインのような(飲んだことはないが)たっぷりとした味わいである。モノラル録音で抵抗もあるが、CC30-3361/6は音色は控えめだが、鮮明でフレッシュ。余談だが、TOCE7530/4は神格化されすぎている嫌いがあるのではないかと思う(弦のざらつき!)。もっと優れた復刻を期待したい。ワルター/コロンビア響の回顧的な演奏にも大いに惹かれる。シューリヒトとフランス国立管のステレオ・ライヴの至純かつ透明な演奏もいい。

交響曲第2番
<シェルヘン指揮ルガノ放送管弦楽団(1965)>PLATZ

 これは中学生の頃に聞いて感激したCDで、手塚治虫の『ルートヴィヒ・B』における楽聖の姿を彷彿とさせるすさまじい情熱に興奮したことを思い出す。その後ワルター/コロンビア響の名演を聴いたが、すぐに好きになれなかった。このすっぱいりんごを食べるような情熱に、楽聖の青春時代を想う。いまでは、ワルターの演奏のほうを立派さ故に高く評価してしまうが(ただし、音質は最初に国内でCD化されたものに限る(35DCシリーズ))、シェルヘンの演奏は大切な思い出の演奏であることに変わりはない。愛聴盤としてはこちらだ。

交響曲第3番「英雄」
<フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1952)>EMI

 フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1952)スタジオ録音は、気品と各楽器の魅力的な響きで魅了してくれる。雄大なスケールで迫る音楽。昇華されきった魂の音。人間が出すとは思えないぞくぞくするような和音。一楽章の中間部のブルックナーのような霊的な響き。スケルツォの中間部の朗々たるホルン。フィナーレの回顧的な音楽。何万言費やそうとも表現しきれない演奏だ。モノラル録音で抵抗もあるが、音色・音質ともにもっとも無難なのは、初期CDであるCC35シリーズの一枚(CC35-3161)ということになるだろう。ステレオでは名演としてワルター/コロンビア響(音質は初期CD(35DCシリーズ)に限る)。前者は新鮮なニュアンスとロマンティックな歌いまわしに壮大さが結びついた傑作であり、ワルターの総決算たる赴きである。巨大でありながら、常にない寂しさを湛えた大河の流れのような一楽章。二楽章の高貴で意志的なドラマ。三楽章のみ常々のシューリヒトで音の遊びが頻出する。フィナーレも超名演だ。古楽器スタイルの名演としてはノリントン/シュトゥットガルト放送響がすごい。弾むリズムと獣が飛び掛るような攻撃的な勢いが抜群だ。ドラマと深みも十分に感じさせてくれる。少々あざといが。評判の良いモントゥー/アムステルダム・コンセルトへボウはさっぱりしていて、軽やか。私の嗜好とは異なる。それを選ぶくらいなら、シューリヒト/フランス国立管によるステレオ・ライヴ(Disques Montagne盤を見つけてください)。枯淡でありながら、重厚でスケールの大きい鋳型に、今まで聴いたことのない楽想の抉りをいっぱいにつめ、音自体には軽さがある。これに唯一匹敵するのは、ニキシュの弟子であったジョルジュ・ジョルジェスク(ジョルジュ・エネスコ・ブカレスト・フィル)の録音(ELECTRE RECORD、1961年の録音)。エロイカを聴き込んだ者には福音となろう。

交響曲第4番
<クレンペラー指揮ウィーン・フィル(1968)>Testament

 ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1973)(ALTUS)は東京でのライヴ録音で、これを長い間ベストと思っていたのだが、クレンペラーのライヴ録音を聴くにつれてこの曲に対するイメージが変わった。このように、曲自体に対するイメージを変えさせ、それまでさほど好きではなかったこの曲を心底傑作だと思わせたクレンペラーは偉大だと思う。クレンペラーにはバイエルンでのライヴもあるが、それよりも朝比奈隆/新日本フィルとの全集中の一枚を取りたい。クレンペラー以上に直接的な迫力があり、その情熱的な盛り上げ方が素晴らしい。他には、カルロス・クライバーのも好きだし、ワルター/コロンビア響も最高だが、峻厳な響きの戦慄さという点ではムラヴィンスキーを凌ぐ者はいない。その禊を切るような音は彼の指揮したショスタコーヴィチ的ですらある。厳しさと冷たい情熱。贅肉を殺ぎ落とし音楽の核を取り出して磨き上げたような演奏だ。フルトヴェングラーとウィーン・フィルによる全集中の一枚(1952年録音)も大好きだ。芳醇な音色とほとばしるようなエナジーに溢れている。初期CDであるCC35シリーズで聴こう。

交響曲第5番
<フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1947)ライヴ>DG

 フルトヴェングラーの渾身の「第五」。戦後ナチスへの協力疑惑が晴れ、ようやく演奏許可された直後だけに、彼の指揮はオーケストラも聴衆もリスナーも巻き込まざるをえない猛烈なものである。死んだ気の感情移入、万感の想いをこめた音色、最高の再現芸術を聴く。フィナーレのコーダの加速は、最後まで運命と闘いぬいたベートーヴェンの血みどろの姿のようだ。モノラルだが音の古さは感じさせない。ステレオではムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIA)、セル指揮ウィーン・フィル(ORFEO)。最近聴いた中では、ハイティンク/ロンドン響(LSO LIVE)も素晴らしかった。ラトル/ウィーン・フィルもややあざといかもしれないが、やり尽くしていて好きだ。曲自体の美しさを味わいたいときに、私が手を伸ばすのはイッセルシュテット/ウィーン・フィルなんだなあ。

交響曲第6番
<フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1952)スタジオ録音>EMI

 ワルターの演奏も好きだが、私はもともとこの曲が好きではなかった。フルトヴェングラーを聴き及んで、その価値を知った。3番で言った演奏特徴がそのままあてはまる。宇野氏が言うような気詰まり感は感じられない。むしろ純粋なシンフォニーとして演奏するフルトヴェングラーが大好きだ。四楽章の嵐は力んだ個所が皆無なのに戦慄を感じさせる。深遠から鳴り響くような物凄い音である。CDは、やはり、初期CDであるCC35シリーズの中の一枚(CC35-3163)を選ぶべきだ。柔らかい極上の絹織物のように、音が重層的に重なっていく美しさを堪能できよう。

交響曲第7番
<フルトヴェングラー/ウィーン・フィル(1950)>EMI
 
 一楽章の出だしの和音は精神そのもの。フィナーレの魂を削る熱狂。こんな演奏をステレオで聴いたら腰を抜かすことだろう。ただし音はきんきんとして悪い(ただし、初期CDであるCC35シリーズ中のもの(CC35-3164)か、日本フルトヴェングラー協会の復刻盤(非売品)ならばかなり改善されている。もっとも後者はピッチが低いが・・・)。したがって、ベルリン・フィルの戦前のライヴ盤も候補になるが、音の良いCDがなかなか見つからない。宇野功芳氏のラスト・リサイタル(宇野/新星日本響)は驚き。私は聴きに行ったが、会場で聞いた演奏よりもこのCDのほうがびっくりした。一楽章やフィナーレの大暴れは恥ずかしくなるくらい。往年の指揮者の物まねかもしれないが、なかなかここまで思い切れるもんでもない。事実フィナーレのコーダなどステレオ史上最高の熱狂ではないか。でも出だしのアインザッツは効果的とはいえない。ステレオ録音の名盤といえばクレンペラー/フィルハーモニア管の超スローテンポがすごい(全集中に含まれる二度目のもの)。さらに、オーソドックスでありながら、緻密に磨きぬかれ、峻厳たる名演がヴァント/北ドイツ放送響の全集中の演奏であり、ステレオではワルター/コロンビア響の音のうねるような演奏(ただし、盤は初期盤(35DCシリーズ))と並んで第一に選びたい。決して忘れられないのが、ジョルジュ・ジョルジェスクの全集(LYS)中の一枚から。これは玄人向きの理知的な演奏である。楽曲を解剖して真実をさらけ出していくようなユニークな解釈と切れ味の良さがある。

交響曲第8番
<シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィル>KING

 第8番は一度も良い音楽だと思ったことがなかった。強いて言えば、ワルター/コロンビアの演奏が初体験だったが魅了されたことを覚えている。その後シュミット・イッセルシュテットとか、ジンマンとか、ブリュッヘンとか、シェルヘンとか、フルトヴェングラーとか、ヴァントとか、トスカニーニとか、コンヴィチュニーとか、その他数多の演奏を聴いてきた。しかし、感動はしなかった。オーパス蔵のワインガルトナーの復刻盤も幻滅以外の何者でもなかった。この曲は面白い音楽なのだ、と思うと、一番最高なのがノリントン/シュトゥットガルト放送響の演奏で、超スピードでバキバキと金管を鳴らし、打楽器を最強打させた演奏が面白い。静かな部分のちょっとした繊細な表情も美しい。それでもやはり、改めて聴いてシュミット=イッセルシュテットの演奏は美しく、茶目っ気があり、そのコクのある響きに癒され、ベートーヴェンの朗らかさに出会った気がした。現行のユニバーサル盤ではなく、以前出ていたKing Record盤か輸入盤のセットの中から聴くべきである。前者は音にコクがあり、艶があり、なおかつ音が豊か。後者はさらに鮮度が良い。

交響曲第9番「合唱つき」
<フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団(1951)>DELTA

 フルトヴェングラーのバイロイトでの伝説的な第9(1951)の記録である。MYTHOSの豪華復刻BOX所収の板起こしはのけぞるほどの凄い音質だった。最も初期のLPからの板起こし(英HMV)で、一楽章の深遠さと42年のライブを想起させるようなど迫力、二楽章の彫りの深いリズム。そして三楽章の永遠の詠嘆、フィナーレの神がかった音のドラマ、・・・体中がしびれたほどだ。しかし、独特の板起こし故、ノイズがフィナーレではやや目立ち、音質自体も人工的な感じがするのも気になることは気になるようになってしまった。その点、DELTA盤は音作りは地味だが、真面目で好感が持てる(これも初期英HMVのLPからの復刻)。臨場感はないが、自然で素朴な音であり、これがフルトヴェングラー・サウンドに近いのかもしれぬ。さらなる高復刻を望む。ベルリン・フィルとの1942年のライヴはVenezia盤が最高復刻。うねるような迫力と繊細な表情も見事に復刻されている。また、最後のルツェルンでの第9はフルトヴェングラー・センター盤(非売品)が優秀復刻だ。何せ、フルトヴェングラーの未亡人が所持していた音源(放送局のコピーとの説)から、オルセンが作ったオープン・リールが音源なのだ。この3つは絶対に手放せない。ステレオ録音からは、朝比奈隆/新日本フィルとのライヴから採る(ミサ・ソレムニスとのカップリングのもの。全集中の演奏とは異なる)。怒涛のような迫力とスケールが最高だ。朝比奈隆はこんなに素晴らしい指揮者だったのだ!クレンペラーのベスト第9はウイーンでの1960年ライヴ。生命力、表現の深さ、情報量すべてにおいてスタジオ録音に優る。最近は、クレンペラーを聴く機会が増えた。隠れ名盤としてシューリヒトのステレオ盤。理知的な光に照らされた愉しさと弾むような爽快さを持つ。他には、ラトル/ウィーン・フィルジョルジュ・プレートル/ウィーン響も面白い。

弦楽四重奏曲全集
<ブダペスト四重奏団(1958〜61)>CBS SONY

 全集としてブダペスト四重奏団のステレオ録音を手元に置いておきたい。どの曲を聴いても確かな手ごたえと妥当な解釈とを感じる。虚飾を排し、精神のみで勝負したような演奏であり、透明な響きの中から音楽の豊かさや素晴らしさがぐんぐん聴こえてくる。同四重奏団のモノラル全集(United Archives)も良いはずなのだが(より音に艶があり、美しい)、こちらは復刻状態が満足できない(曲によって音揺れが激しい)。1940年代にSP録音したものも良いが、それよりはUnited Archivesのものをとりたい。ブダペスト四重奏団と並んで最高峰はスメタナ四重奏団のデジタル録音による全集である。録音は良好だが、若干高音がきんきんする。そのしみじみとして調和のとれた音色と枯淡たる演奏には感服する。スコアの読みは万人に受け入れられる普遍的な域に達していると思う。ブダペストQのように近寄りがたい厳かさはない。両全集ともスタイルが全く異なりながら、演奏芸術を極めていることを面白いを思う。他には全集として薦められるものは少ない。ハンガリー四重奏団(1953)はやはりはずせないだろう。音の艶とすっきりとした爽やかな切れのあるアンサンブルが光り、神韻飄々たる情緒の中にも、磨き上げられた精神の音と造形美を発見する。デジタル時代の名演としては断トツでエンデリオン弦楽四重奏団(WCJ)が良い。べーレンライターの新校訂版による演奏であり、知的好奇心を満たしてくれるだけではなく、模範的で音色も美しく、解釈も納得の名盤。録音も豊かで充実感のある演奏だ。どれか一つならまずこちらを選びたい。

弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」
<ブダペスト四重奏団(1952)>United Archives

 その朗々たる美しさ、情緒、雄大さ、テンポ。その全てがこの曲の求めるものと合致している稀有な演奏。リマスタリングもこの曲に限ってはすこぶる良い。味がある。コクがある。そしてしみじみとしたアンサンブルの妙もある。この演奏以外の全ての演奏が物足りない。彼らのステレオ再録音も適わないのである。一楽章の第一主題からして優美であり、二楽章のしっとりとした情感も最高。フィナーレに至っては古きよき時代のかけがえのないものが羽ばたいている。

弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」
<プラジャーク四重奏団(2000)>Praga

 私が一番好きな「ラズモフスキー第3番」の演奏に、このプラジャークQの超名演があるのは嬉しいことである。彼らの演奏には、他の現代的楽団にはないものがある。それは古き時代の奏法である。かすれるような音色、におうような繊細な響かせ方、けしてうるさくならないフォルテ、泣き節のような節回し・・・。そこに現代的でシンフォニックな造形と胸のすくようなテクニックが共存するのである。フィナーレを聴いてみよう。うなるようなテンポで煽り、深い嘆きと情熱の爆発を音化しつつも、すっとしたわびしさや懐かしさを綿々と漂わせ、聴くものに白熱だけではない、あのベートーヴェンを聴くときの「人間の孤独」を胸がいっぱいになるほど実感させてくれる。

弦楽四重奏曲第13番
<ブダペスト四重奏団(1961)>CBS SONY

 これは名盤だ。音は古いがステレオでいくぶんきんきんするが、磨き上げられ、練り上げられた至純の解釈である。軽やかさを持ちつつも、聴いた後ずっしりとものが残る。しみじみとした味わいや情緒よりは彼岸を感じさせ、透明な音色の内奥に燃える炎の核が素晴らしい。たとえば一楽章の生きて呼吸する様はどうだろう!寄せては返す波のように、音楽がその真の姿をさらけ出している。カヴァティーナのみもっと音色の美しさを求めたいが、内容たっぷりである。そのカヴァティーナが最美なのはハンガリーQの旧全集中の一枚とエンデリオンQの一枚。どちらも魅力的であり、他の楽章も模範的な名演奏。ヴェーグQ新盤の枯淡もけして忘れたくないところ。なお、「大フーガ」についてはこのヴェーグQとゲヴァントハウスQ(NCA)を超える演奏はないと断言できる。13番や「大フーガ」というのは演奏の難しい曲であり、その点は比較試聴のページを参照。

弦楽四重奏曲第14番
<ブダペスト四重奏団(1961)>CBS SONY

 この曲の理想的な演奏というのは存在しないのかもしれないと思っていた。全楽章に渡って完璧な演奏は存在しないと思っていた。フィナーレを激情的なものにすることがかつての自分の嗜好だった(プラジャークQやバルトークQ)。しかし、様々な演奏を聴いてきて変わった。スメタナQのデジタル録音の演奏(DENON)のように温かさを失わずに、調和された音色を保ち、豊かに響く解釈こそスタンダートと思う。最新録音では、古典四重奏団の演奏がベストセレクションだと思う(最初の録音)。その霊気漂うような透明感のある演奏は、オーディオ・ルームの温度が変わるような錯覚を覚える。ハンガリーQの旧全集中の演奏も素晴らしい。このしみじみ飄々たる流麗な風情はどうだろう。モノラルでさえなければ一番好きな演奏に挙げたくなるのだが。ブダペストQの旧全集(1952)も良かったが、至純なまでに磨き上げられたステレオ盤の、禁欲的で素朴な音でありながら透明な響き、聴き終わった後のずっしりとした充実感にはやはり何ものも及ばぬようである。

弦楽四重奏曲第16番
<ジュリアード弦楽四重団(1969)>SONY

 この曲は三楽章が泣ける演奏でなければだめだ。その点ジュリアードQは思う存分泣かせてくれる。身をよじるような悲しみという点では、1970年のライヴ録音(Ermitage)も捨てがたいのだが(もっと泣き節になっている!)、こちらの全集のほうはより淡く、漂うような悲しみに満ちている。諦めに似たポエジーが身を包み、懐かしい世界が虹色に輝く。旋律は聴く者の魂を掴み、私たちが孤独であることを慰め、ともに泣いてくれるのである。

ピアノ・ソナタ全集
<バックハウス(1952〜69)>LONDON

 バックハウスのステレオ盤の雄大さと音楽の豊かさに圧倒される。これがあれば私には十二分。最新のリマスタリング盤は整音されすぎて、演奏の人間味やスケールがかなり失われている(音色は良いのだが)。F00L-29001/9をお試しいただきたい。当時2万7千円もしたCD初出時のものである。聴き疲れのしない柔らかな音色で、スケールの巨きさ、目の前で弾いているような人間味が満点。初出LPで聴いた印象に近い。虹色の光彩を放つ黄金のタッチではないかもしれないが・・・。最近は最後の三大ソナタを聴くことが多いが、この全集に匹敵する演奏はないのではないか。ルフェビエールの作品111も良かったが、やはりバックハウス。ハンマークラヴィーアの演奏も人は色々言うが私は好きだ。現代の最新録音での名盤は?グルダの全集は音は荒いし(打鍵が強すぎるのかも)、ヒステリック。ポミエは理知的で、冴えた録音が楽しいが、ちょっとした節回しとテンポ感に違和感がある(解釈はフランス風の軽さを持ち、ドイツ的解釈の価値観を揺さぶってくるのだが)。グードは絶賛されているピアニストであり、全集も出ているが、録音がこもっていて残念。それに演奏自体も深みのある音に欠ける。表現は素晴らしいのに・・・。最新録音ではコヴァセヴィッチが最高だろう。スタインウェイの胸を射抜くような音色と硬質なタッチ、強靭なダイナミクスが物凄く、作品110の終楽章のラストなど、目がくらむほどの世界観だ。他の諸曲も緻密で圧倒的!この演奏に足りないものがあるとすれば、温もりのある情緒だろう。打鍵が汚いのも玉に瑕。

荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)
<ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニック他(1948)>M&A

 この曲の最高の演奏。ワルターの最高傑作の一つである。実況録音である。クレンペラーの偉大さも捨てがたいが、このフルトヴェングラーに匹敵する音のドラマに一度でも触れればたちどころにワルターにはまる。僕はワルターを穏健な指揮者とも思えないし、マーラーの第9ライヴなどを聴けばやはり偉大な天才だと思う。本CDも実況録音だが、グローリアのすさまじい加速効果や楽器のえぐり方、合唱の雄弁さ、アニュスディにおける悲劇感の表出のものすごさは宗教曲という枠組みを逸脱した「魂の音楽」がある。僕はだからこそベートーヴェンの凄さを感じるのである。クレドも素晴らしい。しかし音が劣悪なため(放送局の音源にアクセスしたいところ)、クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管の録音が現状ではステレオ録音の最高峰だろう(音質は最初にCD化された西ドイツ・プレスの輸入盤に限る)。厳しく、荘厳な名演!個人的な好みとしてはバーンスタインがニューヨーク・フィルと録音した盤があり、ワルターと同スタイルのドラマティックな演奏である。特にアニュス・ディの打楽器最強打!こうでなくてはならぬ。

シューベルト
交響曲第五番
<ワルター指揮コロンビア交響楽団(1960)>CBS SONY

 僕はこの曲とこの演奏が大好きだ。老年の巨匠が過去を懐かしく歌うようなそんな趣がたまらない。その回顧的な味わいこそワルターの一つの魅力となっていると思われる。1楽章の懐かしさ、2楽章の悲喜こもごもの思い出、3楽章の愉しい舞踊、フィナーレの語りかけてくるようなしみじみとした人生に対する感動。シューベルトの曲が生き生きとよみがえる。ワルターの晩年のステレオ録音は最初にCD化されたものを聴こう(35DCシリーズ)。プロデューサーであったマックルーアの音である。

弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
<ケラー四重奏団(1989)>Hungaroton

 大曲の構成にはなかなか難渋するシューベルト。しばしば冗長となりがち。とはいっても、最近の研究成果ではシューベルトはわざと曲を長くしていたという説も出てきた。一つ一つの曲を愛するあまりに、終わりたくなかったのかもしれない。シューベルトらしい話ではある。弦楽四重奏曲の中ではやはりこの名曲が最高傑作だろう。演奏はケラー四重奏団が永遠の名盤である。彼岸の彼方からの便りであって、この青白い光を湛えた演奏を一度聴いてしまうと、他の演奏が馬鹿らしくて聴けない。特にウィーン系のお花畑は遠慮したい。

弦楽五重奏曲
<カザルス/ヴェーグ他(1961)>Philips

 
シューベルトの室内楽の中では、この弦楽五重奏曲も素晴らしい。シューベルトが書いた室内楽の「グレート」だ。最晩年のカザルスのもとに、シャーンドル・ヴェーグ他名手が結集したこのライヴ録音は、演奏技術がどうのうこうとか全く関係ない味の濃いものであって、情緒が溢れてくる。カザルスは唸りっぱなしだが、それもわかろうというもの。アレグレットの力強さと哀愁には打たれる。脱帽、とはこういう演奏を聴いたときに感じることである。

ピアノ・ソナタ選集
<内田光子(1996〜2001)>Philips

 
私のシューベルトのイメージを変えてくれた思い出の演奏たちがコンパクトに収録されている。どんなイメージを持たれるかはお聴きになられる方々の感受性次第。いろいろな聴かれ方があってよい。私にはシューベルトは彼岸から現世を夢見た作曲家と感じられる。録音にいまひとつ冴えがあればと惜しまれる(←優秀録音ではあるが・・・)

歌曲集『
美しき水車屋の娘』
<フィッシャー=ディースカウ/ムーア(1971)>DG

 
この歌曲集を人生においてもっとも多感な時期に聴けたことは自分の財産である。フィッシャー=ディースカウはやっぱりうまい。ムーアの伴奏も楽曲に込められた意味を抉り出すかのようで、心理描写がうまい。フィッシャー=ディースカウはテナーに思えるほどに美声のバリトンであるが、この人の搾り出すような憧れ声は思わず目頭が熱くなる。終曲の「小川の子守唄」には何度慰められたことだろう。私にはこれ以外の盤が受け付けられなくなってしまった。評判の良かったボストリッジ/内田光子も神経質なだけ。慈愛の心が感じられない。シューベルトの本質は「彼岸からの憧れ」である。

歌曲集『冬の旅』
<ホル(バスバリトン)/マイセンベルク(p)(1995)>Preiser
Records

 
どうも日本国内では流通していないようで、Preiser(ウィーンを本拠とするレコード会社)から直接通販する必要がある。ホル、といえば、最近では宇野功芳氏が絶賛されているが、私は氏のあげる推薦盤であるロッケンハウスでのライヴがあまり好かない。この1995年のライヴは、ロッケンハウスでのライヴと同じ伴奏者だが、表情はもっと練られ、ホルの表現も枯淡になってきた。劇的な感情移入はやや落ち着き、渋い歌い方でぐっと情感をこめるやり方がしみじみとさせる。しかし、ホルの激しい怒りや嘆きは相変わらずで、シューベルト晩年の痛切な精神状態を描いて余すところがない。どの曲も完全燃焼。マイセンベルクのピアノも内田光子スタイルで深い。なお、もしフィッシャー=ディースカウを聴いていないのであれば、ムーアとの70年代の録音を一度は耳にするべきだろう。

ベルリオーズ
幻想交響曲
<クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団>EMI

 じっくりとしたテンポを基調に夢幻の響きを味あわせてくれる演奏。クリュイタンスのドラマティックな演奏やミュンシュも良いが、今まで聴いたことのないような魅惑的な音色や深い思索を聴くと、クレンペラーの物凄さに圧倒されずにはおれない。特に一楽章、フィナーレのスケールの大きさはベルリオーズの音楽を超えてベートーヴェンの崇高さに達している。速いテンポで即物的かつ鮮烈な演奏をしたパレー/デトロイト響も素晴らしい。

シューマン
交響曲第4番
<フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1953)>フルトヴェングラー・センター

 フルトヴェングラー自身もこの録音が気に入っていたというほどの名盤。語りつくされた感のある名盤であり、フルトヴェングラーの指揮芸術の全てが幸福のうちに音として体現している様は驚異である。悪質なリマスタリングには閉口させられるので、ここは音をいじくらないフルトヴェングラー・センター盤を選ぶ。variable grade(SP)からの復刻であり、音はパチパチ・ノイズが激しいが、音色や雄大なうねりは如実に捉えられている。でも、もっとノイズのない復刻が欲しいところ。

ワーグナー
楽劇「ニーベルングの指輪」
<クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団他(1958ライヴ)>Golden Melodram

 クナッパーツブッシュの「指輪」全曲を鮮明な音で聴ける喜び。SyuzoさんのでこのCDの存在を知る。一部で不良品も流れたGOLDEN MELODRAMだが、私は業者にぎりぎりまで迫って正常品と交換できた。モノラルだが、それを感じさせない演奏だ。管弦楽団、歌手ともしっかりと奥行きを持って音が録れ、耳に心地よい。クナのモノラル・ライヴの中では最高の音質ではなかろうか。何よりホッター、ヴァルナイが素晴らしく、「ワルキューレ」「神々の黄昏」は絶品。弛緩しているという評価は、クナの深い呼吸を楽しめない人の評価である。アンサンブルも良い(悪いという人もいるが何を聴いているのだろう)。CDデッキが故障し、CD盤面に傷がついたため、もっと良質の復刻が出るのを心待ちにしている。ちなみに、彼は56年から58年まで全曲を毎年振っており、それらは全て入手できる。56年のライヴはOrfeo D'orから正規盤として2005年に発売されたが、音質はなかなか良く、演奏も絶妙の呼吸間、柔らかい音色がたまらない。有機的に絡み合う楽音!しかし、やはりもともとの録音が劣るのかスケールはあまり感じさせず、クナの醍醐味である深い呼吸感は58年ほどには感じられない。音も高音域寄りだし、全体を覆うノイズもある(これは経年劣化か)。歌手陣もやや劣る(歌い飛ばしやオケとのズレ(特にワルキューレ第一幕終結のヴィントガッセンの信じられないミス!))。クナの芸術としての楽想の深い抉りはやはり1958年を待たねばなるまい。57年のライヴはクナッパーツブッシュの入魂の指揮ぶりがすごいが、アンサンブルがやや雑である。管楽器群、やや雑すぎではないか?それでも大波に飲まれたような感銘を得られる。『神々の黄昏』は勢いがあって特に素晴らしく、感動的だ。『ワルキューレ』第一幕終結のヴィナイもあまり良くない。オケとずれとるわ!総合点が一番高いのはやはり58年盤。『ラインの黄金』(ファフナーとファーゾルと登場のティンパニ強打!終結の圧倒的なスケール!)、『ワルキューレ』(第一幕の驚くべき完成度、第二幕のフリッカの名唱、「魔の炎の音楽」の、永遠を思わせるほど気の遠くなる巨大さ!(「ワルキューレの騎行」でのワルキューレたちだけが絶叫調で前年のほうがまだ良い)『ジークフリート』(愛の二重唱の凄さといったら!)の3作はその深い呼吸とうねり、澄んだ情感に彩られ、クナの最後に辿り着いたスタイルとして感動的だ。『神々の黄昏』はさらに素晴らしい。57年の凄まじい情熱とど迫力はないが、『ジークフリートのラインへの旅』、『葬送行進曲』いずれも気宇壮大。最晩年スタイルとして落ち着いた風格は誰にも真似できない深い感動を約束してくれる。有名なDECCAへのステレオ録音をしてからのライヴだから、もはや解釈として完成されきっているのである。もちろん、モノラルによる全曲試聴はやっぱりつらい!そこでステレオ録音の名盤だが、これはカイルベルトのバイロイト・ライヴ(1955)しかあるまい。歌手陣は総じて最高。カイルベルトの指揮も適度な軽さとワーグナーの毒が充満しており、引き締まった輝くようなフォルムが見事である。ベームのバイロイト・ライヴも遠く及ばぬ。ショルティはオケの音色はさすがに最美。でも、全体として無機的であざとい。フルトヴェングラーのミラノ・スカラ座ライヴ(1950)はArkadia盤で聴けば、その真価がわかる。当時としては破格の名録音。

楽劇「神々の黄昏」
<クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団他(1951ライヴ)>TESTAMENT

 私に「指輪」の素晴らしさを味あわせてくれた思い出の名演奏。1999年に突如発売された。ショルティー盤で有名なプロデューサーであるカルーショーはもともとクナッパーツブッシュで全曲を録音したかったのだ。51年、バイロイト音楽祭の復活を受けて、この年フルトヴェングラーはあの第九をオープニングで振った。EMIと比べて、このデッカの音の良さはどうだろう。本当にステレオで残されなかったのが惜しい。それでも音の洪水と気の遠くなるような雄大さと深い叡智には頭をたれるしかない。

楽劇「トリスタンとイゾルデ」
<カルロス・クライバー指揮ドレスデン国立管弦楽団(1980〜2)>DG

 クライバーの最後の正式なスタジオ録音。演奏はガラスのような透明な響きと沈み込むような静けさが独特だ。醒めたエロティシズム、氷の官能性。歌手も素晴らしい。「トリスタンとイゾルデ」の音楽を常日頃から楽しむわけではないが、この作品も心のひだに染み付いて離れない不思議な音楽だ。フルトヴェングラー/フィルハーモニア管の伝説的な名演ももちろん愛している。復刻状態としてはEMIの初期盤が一番無難で良いだろう。しかしながら、フルトヴェングラー盤は人類の至宝のようなものなので、滅多には聴けない。ただ、フラグスタートは人はほめるが、神々しい声だとは思うけれど、ここでは衰えがある。

舞台神聖祝典劇「パルシファル」
<クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団他(1962ライヴ)>Philips

 僕にとってこの劇の「序曲」と第二幕の「聖杯の儀式の場面」、第3幕の「花の乙女たちの誘惑」、終幕の「聖金曜日の午後の音楽」、最終場面でのパルシファルの陶酔的な歌声、続く合唱の感動は一種の鎮魂歌である。いついかなるときに聴いても、心地よい安らぎを与えてくれる。劇の筋や解釈は僕には問題ではなく、この劇の「音楽」が必要だ。

ブルックナー
交響曲全集
<朝比奈隆指揮大阪フィル(1976〜78)>Disques Jean-Jean

 ブルックナーは、全集を含めて数え切れないほどのCDが発売されているが、つまるところ選ぶ選択肢は二つ。朝比奈隆の最初のジァン・ジァン盤全集とカラヤンの70年代のベルリン・フィルとの全集である。朝比奈はブルックナー指揮者としてギュンター・ヴァントを抜いて世界一だと確信するものであるが、全集としては日本で初めて達成されたものを備えるのが一番だと思う。日本で初めてブルックナーの全容が明らかとなり、受容されるに至った歴史的名盤なのだ。熱く巌の砕けるようなブルックナーであり、崇高な精神や気高さよりも、生命を削りながら、ひたすら硬い岩石に菩薩の姿を刻み付けていくような演奏である。5番、6番、8番、9番が肝。わくわくしっぱなしの豪快さが素晴らしい。カラヤンのは、何とでも批判できようが、この華麗なオーケストラの響きで輝かしいブルックナーを聴かされては、その金メッキの神の姿も信頼できようというもの、・・・というのは冗談だが、しかつめらしく荘重なばかりのブルックナーを聴かされてもつまらない。神の御業のような5番の絢爛さは人間が神として祭られる日光東照宮のような威容があろう。他にはヨッフムのDGへの全集をお薦めしたい。ベルリン・フィルをはじめとしたドイツの硬質な響きは透明で詩情に溢れ、シベリウス的な幽玄の風が吹いている。

交響曲第5番
<朝比奈隆指揮新日本フィル(1992)>fontec
 
熱狂的なブルックネリアンとは程遠い私が薦めるブルックナーなんて信用しないほうが良いと思いますが、この第5番だけは別だ。自信を持ってお薦めしたい。2008年にはDSDリマスタリングされて音質も一新し、神々しくも瑞々しい響きが堪能できる。スケールの豪快さは相変わらずだが、そこには一切の力みもなく、大自然が鳴動するような、あるいは宇宙の創世、あるいは天国の門の大伽藍が目の前に現出するかのような威容を誇る。ジァン・ジァン盤の行き着いた境地であり、驚くべき名演奏

交響曲第8番
<クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル(1963)>Victor
 
ウェストミンスターという失われたレーベルに遺された不滅の記録。Victorの献身的な探索によって、失われたと思われていたマスター・テープが見つかった。音質は様々な海賊盤の音質を超え、温かみと素朴さとを如実に伝えている。その後、ユニバーサル傘下から発売されることになった同演奏は残響を付加し、聴きやすい音に変貌していた。これでは良さが微塵もわからない。Vitor盤は地味な音質に感じられるかもしれないが、滋味に通じる。噛み締めるように遅いテンポ、派手さのない金管、素朴そのものの弦の響き、しみじみとした歌い口、オルガンのように重なっていく音のハーモニー、そして無骨な打楽器の音・・・。その全てが収斂する終楽章のコーダは、まさにクナッパーツブッシュの辿り着いた最高の芸術のひとつ。なお、このスタジオ録音に前後するライヴ録音(Dream Life)もあり、素晴らしい音質によって、クナの最晩年の至芸を堪能できる。ホールに響きが染み込んでいくような味わい深い演奏で、こちらを好まれる方も多かろう。他には朝比奈の最後のライブシューリヒトのウィーン・フィル盤(EMI)が、月並みだけれど、やっぱり良い。

交響曲第9番
<シューリヒト指揮ウィーン・フィル(1962)>EMI
 
シューリヒトの最高傑作の一つ。さらに言えば、ブルックナーの演奏史においても類稀な、そして稀有なまでの神秘性と神々しさを獲得した、何が何だかわからないほどの名盤である。一楽章の出だしから、アルプスの山頂に漂う雲の上にワープし、大自然の御業を眼下に、深遠な宇宙の広がりへと吸い込まれていく。ひたすら人智を超えたものに対する畏怖と崇拝の念が湧き、私などは怖ろしくなる。二楽章のスケルツォが表す抽象的な世界は、物質や精神を構成する最小単位の世界から、ビッグバンの最前線へと矢継ぎ早に運ばれるような異様な音楽。そしてトリオでは谷間に百合の花が咲き、生命の尊厳を敬虔に賛美する。三楽章は天国の門そのものといった境地。神秘的な和音の信仰や、クライマックスの阿鼻叫喚には、ひたすら何か得体の知れない巨大なものに包まれるような空恐ろしさを感じる。コーダの懐かしいメロディーには「赦し」を感じる。この演奏に比べれば、ヴァントもまだ器楽的。

ブラームス
交響曲第2番
<ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団(1962)

 ブラームスが描いた田園交響楽と評される。確かにしみじみとした郷愁は懐かしく、その尽きることのないロマンティシズムは綿々たる美しさを誇るが、一筋縄ではいかないのが、彼独特のセンチマンタリズムである。モントゥーの指揮はあらゆる楽音をもおろそかにせず、爽やかにロマンを謳歌する絶品。大変瑞々しい演奏で、どんなに細かい対旋律もくっきりと表出されながら、全体としての楽音に結びついていく逸品なのである。もう一枚、ワルター/ニューヨーク・フィルのモノラル録音も素晴らしい。フィナーレの暴れ馬は最高に興奮させる。

交響曲第3番
<クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィル(1950)>Seven Seas

 この演奏を聴いたら、他の演奏では物足りなくなる。フルトヴェングラーの晩年のレコーディングもDGから出ているが、実に物足りない。それだけクナの魔力がすごいのだろう。演奏は巨大であり、人間業を超えた深い呼吸間と共に、凄絶なドラマが人間的なるものを超えて迫るのである。一楽章など天地創造の音楽のようだ。二楽章は、音があふれて陶然となるだけではなく、洪水となって昇天しかねない猛烈な音楽だ。三楽章のメランコリックな味は極めて情熱的で濃厚なドラマに変わっており、いながらにして19世紀の超情熱的なロマンを感じてしまう。フィナーレの踏みしめるテンポとアマチュアのようなベルリン・フィルの熱演に打たれない人があるだろうか。

交響曲第4番
<ワルター指揮コロンビア交響楽団(1959)>CBS SONY

 ワルターの演奏が原初体験であり、今聴いてもその新鮮さ、瑞々しく、清澄で意味深い演奏だと思う。モーツァルト的な演奏かもしれないが、古典的に演奏したまとまり感は随一。ワルターのCDは最初期盤、またはSBMとかDSDなどのリマスタリングの被害を受けていないものを聴くべきだ(一番は35DCシリーズ)。2004年カルロス・クライバーが他界。長い闘病生活であったという話を聞けば、どう表現したらよいのかわからないが、とにかく彼は逝ってしまった。19世紀的な香りのする最後の巨匠であった。ヴァントやチェリビダッケ、朝比奈なども生きていたけれど、それ以上にである。それは彼の録音があまりにも少なく、すでに存在が伝説化されていたからであろう。彼の指揮したものすべてが最高傑作であるなどとはけして思えないが、4番のCDはベートーヴェンの5番、シューベルトの「未完成」と並び素晴らしいと思う。しみじみとした男泣きの音楽を、彼一流の鋭さで描く。ザンデルリンクのはしみじみとした晩秋の味があるが、ちょっとメリハリに欠け、遅すぎる。


マーラー
交響曲第1番
<ワルター指揮コロンビア交響楽団(1961)>CBS SONY

 ワルターの指揮は懐かしい歌を聴くようなそんなぬくもりを感じる。いろいろ聴いても最後に戻るふるさとのような。彼の解釈はマーラーの緻密なスコアを再解釈しつつ、そこに古典的な形式感をもたらす。したがってフィナーレも無意味に音楽が流れることはなく、すっきりとした見通しを示しつつも、音楽自体の魅力を直接語りかける。ワルターの演奏を聴くといつも「すべて偉大なものは単純である」という言葉を思い出す。ワルターのステレオ録音はCD最初期のものを選ぼう(35DCシリーズ)。

交響曲第2番「復活」
<ワルター指揮ニューヨーク・フィル(1957)>CBS SONY

 バーンスタインやクレンペラーも好きだが、ワルターの演奏はマーラーの純情さやあどけなさをきらきらと明滅させながら、懐かしい音楽を奏でてくれる。迫力や音のドラマは強くはないが、これほど安心感のある「復活」は存在しないだろう。CDは最初にCD化された56DCシリーズがベスト。ベルティーニの演奏も素晴らしい。緻密で繊細なダイナミクス。マーラーの残した楽譜から、彼の苦悩や悲劇、あこがれといったドロドロのものを耽美的なまでに美しく再現する。終楽章コーダでこれだけオルガンが聴こえる演奏もない。はっとするニュアンスに溢れる名演。三楽章冒頭の打楽器強打の箇所での雑音混入が惜しい。

交響曲第8番
<ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団>EMI

 ベルティーニの全集はどれも素晴らしいが、私が一番打たれたのはこの第8番「千人の交響曲」。東京はサントリー・ホールでライヴ収録された。合唱団を三つ、ソリストも海外から連れてくる贅沢ぶり。録音は見通しが良く、あらゆる細部まで聞こえる。第8番はいまいち巨大すぎ、何をやっているのかさっぱりわからんかった。ショルティー盤、クーベリック盤でもこれっぽっちも理解できず、ラトルの演奏で曲自体をようやく大まかに把握したところ、ベルティーニが他の諸曲と同様マーラーの本質を聴かせてくれた。素晴らしい。人間業とは思えないほどの音楽。

交響曲第9番
<ワルター指揮コロンビア響(1960/61)>CBS SONY

 ウィーン・フィルとの1938年のライブも凄い。第二次世界大戦前夜の記録であり、時代が生んだ超名演である。一楽章から異様な雰囲気がたちこめ、ヨーロッパの没落を予感させる極めて悲痛な演奏だ。ワルターはあのミサ・ソレムニスの指揮以上に神がかっている。いやユダヤ人として断頭台に立つような精神であったかもしれない。尊いのは最後まで音楽によって時代と闘ったことだ。フィナーレの最後の希望、全体に感じられる天国的な響きは、この世の響きではない。オーパス蔵から出た復刻CDは音が鮮明、ニュアンスが豊富であり、中間楽章の演奏の素晴らしさを味合わせてくれた。若干高音がきつめで、装置によっては聴き疲れするのが難点。雰囲気満点で楽しめる東芝EMIの初期CD(つまり、リマスタリングを受けていないもの)が一番無難かもしれない。しかし、マーラーの音楽だけに浸りたいとき、一番愛聴するのは、ワルター/コロンビア響。この晩年の静かな境地は万感胸に迫るものがある。この演奏の不思議なまでの安心感はまさに「癒し」である。過少評価されている録音で、「生ぬるい」と言われるが、過去の自分と向き合うようなその趣が何とも言えないのだ。人生の総決算たる演奏である。CDは最初のCD化である56DCシリーズで。バーンスタイン/アムステルダムも好きだが、ベルティーニを忘れたくない。彼の全集はどれもよく練れた音楽を聴かせ、繊細なダイナミクスからはっとするニュアンスに溢れた名演ぞろいだ。9番もいい。耽美的でありながら、ぞっとさせるような恐怖感、阿鼻叫喚もきちんと表出し、一楽章クライマックスの打楽器の最強打もこうでなくては!あまりやられなくなってしまったのが不思議でならない(他にはワルター/ウィーン・フィルとクレンペラー/ニュー・フィルハーモニア、それに2007年に発売された小林研一郎だけが死の衝撃たる強烈な打撃を刻印している)。フィナーレだけはテンポが遅すぎて緊張感がなくなる。フィナーレといえば、ノイマンは弦のさざなみが夕映えの美しさそのもの。ホルンの吹き方が独特で抵抗もあるが。ウィーン・フィルに似合いそうな演奏なのだが、マゼールくらいしか秀演がない。しかし、Testamentがクレンペラーのステレオ・ライヴを復刻してくれた。オケに乱れはあるが、ウィーン・フィルの美しさは格別だ。

R・シュトラウス
歌劇『ばらの騎士』
<カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場(1973)>Orfeo

 この盤には不満もある。まず第一に録音は鮮明なのは良いが、肝心の音質は硬質でシャリシャリ感があり、楽器の音色の再現ができていないこと(大きなマイナス)、これにより人工的な音質に感じられてしまう。もっと耳のある人が復刻をすれば、もっと楽器の味わいが捉えられたはずだ。さらに、歌手の中では主役クラスの元帥夫人(ワトソン)がいまいちだ。これを差し引いてもなお、クライバーの指揮は華麗で一気呵成、そしてニュアンスに富んでおり、生命力をギラギラとさせた名演奏である。オクタヴィアンを歌うファスベンダーはやや声が太すぎ、ゾフィーはポップだが、カラヤン盤のシュティッヒ=ランダルの美しさには一歩及ばず。ということになると、カラヤン/フィルハーモニア管の名盤は今だ手放せない。ただ、カラヤンの指揮はそつがないというだけで、深い抉りはいまいち。やはり、エーリヒ・クライバー(カルロスの父)の名盤も聴きたい。ウィーンのエレガンス、瀟洒、そして匂うような花々の美しさ・・・。ウィーン・フィルを堪能できるアルバムだ。

ショスタコーヴィチ
交響曲全集
<コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1962〜75)>韓国Aulos

 ショスタコーヴィチといえば、ムラヴィンスキーとコンドラシンが双璧であり、ロジェストヴェンスキーなどは音の暴力に終始し、音楽の美しさを微塵も音に出来ていないと思う。最近聴いたカエターニも評判が良いので聴いてみたが、全くつまらなかった。ムラヴィンスキーに全集盤が存在しないのは痛恨事であるが、幸いコンドラシンが優れた全集を残してくれた。ベートーヴェンに対するフルトヴェングラーと同じで、ムラヴィンスキーがトスカニーニ的であるのに対し、コンドラシンはより感情的であり、ドラマティックである。曲自体との相性はムラヴィンスキーのほうが一枚上手であり、ムラヴィンスキーの香り高い魔法のような棒さばきは冷たい水の底で何か得体の知れない大きなものがうねるようなものを感じさせて超絶的である。
コンドラシンは猛烈・熾烈・激烈。しかし、どこか客観的な理性があって、音楽を単純な悲劇にはしていない。4番・5番・6番・7番・8番・10番・13番がことに素晴らしい。特に4番・8番・13番の素晴らしさは同曲のベストである。廉価盤では中庸の美徳をいくバルシャイ盤があって、こちらも是非手元に置きたいところだ。


交響曲第4番
<ラトル指揮バーミンガム市響(1994)>EMI

 ショスタコーヴィチの交響曲の中でもこの曲は特に好きだ。5番など問題にならない。4番のすごさはその長大さと音楽の深さ、そして自暴自棄なまでの暴力的な音彩にあろう。それらが完全に結晶化し、人間の孤独と悲劇、救いがたいまでの絶望を表現していく。一楽章は血が流れるようだし、阿鼻叫喚が凄まじい。それでいて二楽章の愉しさや、フィナーレのメルヘンチックな楽想は音楽を聴く喜びを何度も感じさせてくれるのだ。ゲルギエフもなかなかだけれど、私はラトルのほうが素晴らしいと思う。バルシャイの廉価盤全集の一枚は、この指揮者の最高傑作だろう。ラトルに匹敵する演奏であり、録音もB級的ながら素晴らしい。ただ、オケの精度がやや落ちるのだけが残念だし、古典的にすぎる表情に一抹の物足りなさを覚える瞬間もある。やはり洗練と凄まじい凶暴さを併せ持つことがショスタコーヴィチの醍醐味だと感じる。録音がやや落ちるが、コンドラシン/モスクワ響の演奏は別格の超絶の名演。ただ、日常的に聴くには心の痛みを伴う。魅惑的な色彩感覚もあまりない。

交響曲第7番「レニングラード」
<バーンスタイン指揮シカゴ交響楽団(1988)>DG

 録音も素晴らしく、演奏も重々しく巨大。一楽章はじっくりと、愛情いっぱいに音楽の豊かさを表現していく。音彩のキラメキも愉しく、それでいて深みを持っている。例の行進曲がますます楽器を増やし、壮絶になり、ハラワタをえぐるようになってくるあたりの苦しみはたとえようもない。その後の盛り上げや最後の癒しも美しく、感動的。二楽章の苦味も抗し難く、三楽章のオルガンのような弦の響きにはしびれっぱなし。フィナーレのしつこいくらいの苦悩と悲劇の告白も結晶化されている。4番同様、バルシャイも凄い。

交響曲第8番
<ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1982)ライヴ>Philips

 このフィリップス盤は廃盤になって久しく、めったに見かけることはなかったが、2006年タワー・レコードが復刻した。1960年にロンドンで行なわれたステレオ・ライヴのほうがさらに劇的で完全にノックアウトされてしまう壮絶な記録であるが、この1982年のライヴはより冷静で落ち着いた味わいがある。盛り上げも効果を狙うことなく、意味深く鳴らし、えぐりは深いが内面に沈みこむような趣がある。二楽章や三楽章でさえそうだ。それでいてリズム感は絶妙である。四楽章も深みをずっと増している。しかしフィナーレはロンドン・ライヴのほうがずっと感動的だ。いや、演奏全体も(録音が良ければ)ロンドン・ライヴが最高かもしれない。しかし、弦が薄すぎ、音楽の豊かさを損なっているし、深みにやや欠ける嫌いがあるので、やはり1982年ライヴを大事に聴く感じである。しかし、このフィリップス盤はピッチが半音近く高いという問題がある。これを改善したRegis盤があるがノイズをカットして音質劣化させたリマスタリング音が聴き辛い。他にはscoraから出ていた1976年のライブもあるが、こちらは録音が引っ込んでいるのが残念だ。それを聴くならコンドラシンやバルシャイの全集中の演奏を楽しみたい。特にコンドラシンの一楽章は身体ごと爆発するようだ。

交響曲第10番
<ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1976)ライヴ>Victor

 ステレオ。やはりムラヴィンスキーの演奏が最高。一楽章からして内省的で孤独な音楽。盛り上がりはどんなに自暴自棄で過激になろうとも常に「真実のいのち」を感じさせる。星空に明滅するような魂からの呼吸も最高だ。二楽章も熾烈で凄まじい。三楽章は何ともいえぬ音楽で、その孤独でありながら、回顧的なまでの陶酔は絶品。だからこそ盛り上がりの絶望感は痛くてたまらない。フィナーレは恐ろしいまでのスピードでアンサンブルが疾走し、犠牲者たちの墓碑銘を刻印する。バルシャイもコンドラシンも遠く及ばない。

交響曲第11番「1905年」
<ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1959)>Victor

 モノラルだが、音は悪くない。ステレオだったら・・・。昔中国の第二次世界大戦に関する映画を見たときに流れていた音楽を彷彿とさせる。この音楽は描写的で、1905年に起きた歴史的に見ても残虐な事件を音楽で表しているからそう感じたもかもしれない。二楽章の虐殺場面。その後の人魂がゆらめくような音彩など、聴いていてつらくなる。まさに「永遠の追憶」。フィナーレはやや外面的な音楽だが、それでもムラヴィンスキーは意味深く曲想をえぐる。音質はBMG盤よりは、古いVictor盤をとりたい。コンドラシンの全集中の演奏も理知的なアプローチで悪くない。ステレオならこれか。

交響曲第12番
<ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1984)>Victor

 ステレオ。ムラヴィンスキーの最後の録音。統率力はやや衰えた感じでそれが残念でならない。その点1961年のモノラル録音はすばらしいが、ティンパニが溶け合わずポンポンする劣悪な音質が致命的。ステレオ・ヴァージョンもVENEZIAが復刻したが、ティンパニだけは相変わらず。この最後のステレオ録音(ムラヴィンスキーの最後の録音でもある)は激烈な迫力が聴きもの。やや大味な音質だが、三楽章の打楽器の連打は聴いていて身につまされる。金管はやや不調な気がするけれど。音楽的には11番に劣るかもしれないが、ムラヴィンスキーの演奏はそれには関係なく深い。誰の演奏を持ってこようともこのムラヴィンスキーの最後の録音には敵しえない。音質はBMG盤よりは、古いVictor盤をとりたい。

交響曲第15番
<ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1976)>Victor

 ステレオ。輸入盤は音が途切れたりするほど劣悪なリマスタリングだったが、国内盤は素晴らしい。左右の広がりも豊か。音楽は小編成なのだが、音楽はますます摩訶不思議。1楽章は「ウィリアム・テル」の動機による変奏曲みたいで、がちゃがちゃと様々な打楽器が光彩陸離とわめきちらす。それを意味深く統御するムラヴィンスキーがすごい。二楽章は昔、クラシックを知らない中学生の友人に聞かせたところ「すごい」と絶句したほど、暗い孤独な音楽であり、演奏。ますます深刻になっていく部分、盛り上げも聴いていてたまらなくなるほどつらい。フィナーレのコーダの精神世界。これは何なのだろう。神秘的でありながら、不健康なまでの瞑想感。音質はBMG盤よりは、古いVictor盤をとりたい。

弦楽四重奏曲全集
<ボロディン四重奏団(1978〜83)>Victor
<ベートーヴェン四重奏団(1956〜74)>Venezia

 ショスタコーヴィチの弦楽四重奏は交響曲など問題にはならないほど深く、暗い。特に8番以降が凄まじい。阿鼻叫喚と内省、絶望の音楽が涙が出ないほど結晶化されており、聴いていても、もはやいささかの救いもない。印象的なのは日本の神社などで聴かれる管弦楽に極めて近い音が多様されること。死や人間の根底に近づいたとき、我々の中に沸き起こる音楽もこのような音楽なのだろうか。ある意味でベートーヴェンの弦楽四重奏も及ばぬ境地かもしれない。音質はBMG盤よりは、古いVictor盤をとりたい。人間的な温かみがあるからである。なお、13番までの選集(CHANDOS)もボロディン四重奏団第1期メンバーの迫真の記録として貴重だ。ボロディン四重奏団の冷酷無惨さに対して、初演をほとんど果たしたベートーヴェン四重奏団の全集はもっと作曲家との心の距離が近く、共に嘆き、共にいたわり、共に感じ合うような優しい表情が独特である。人間ショスタコーヴィチの人間的な温もりを体現した演奏だといえる。Veneziaの復刻は良好と言えば良好だが、リマスタリングが万全ではなく、高音がきつすぎ、音質の劣化が甚だしい箇所もある(たとえば、13番冒頭など)。その点、Melodiya本家からの分売のほうが自然な音だが、全曲出ていない。口惜しいところだ。Melodiya盤の温かい響きでなければ、この団体の真価はわかりにくいだろう、とだけ付記しておく。仕方ないので、Veneziaを選ばざるをえない(Doremi盤よりは良いとの評価)。