読書のアニマシオン公開研究会

ーまどさんの詩でアニマシオンー


 まどさんは、今年11月で100歳。いまもなお、詩を生み出している。

 「ぞうさん」「ふたあつ」などは、誰もが一度は耳にしたことがある童謡。

おもわず、うなってしまう軽妙なことばあそび。心をゆりうごかされる内容豊かな数々の詩。自作のファンタジックな絵も素晴らしい。

まどさんの人や自然を見つめる心が限りなく深く、そして、優しいからだろうと思う。

2009年11月14日(土)東京の暁星小学校で、読書のアニマシオン公開研究会が開かれました。
 

40人の参加者があって、活発な和やかな雰囲気でおこなわれました。


内容

 PM1:00〜2:30

 記念講演「まどさんの詩につづく道」

    詩人・児童文学作家  こやま峰子さんによる講演がありました。

まどみちおの詩と人生

 

こやま峰子

 

 まどみちおさんの詩を勉強すればするほど、すごいなと思うばかりである。詩を生み続けることは、すごく大変なことだとつくづく思う。

 まどさんは、今から100年前に生まれ、4歳の時に、家族と別れて祖父母に育てられた。祖父は厳格な人であったという。まど少年は、自分だけおいて行かれたという寂しい思いがあったのではないだろうか。そんな屈折した思いが、まどさんの詩『のみ』に表現されている。『のみ』の2連に「見たこともないのに、見たことがある」とあって、兄妹など家族への思いが表現されているように思う。

 10歳になってから、はじめて両親のいる台湾に行けることになった。祖父との別れと新しい家族の出会いそのころ『かきね』という詩をかいている。自分が後から入ったと言う思いがあったのではないだろうか。また『ランタナ』という詩もあって、落葉する様子が描かれていて寂しさがあらわれている。

 13歳のとき、中学受験を体験するが、失敗してしまう。母親は落胆し、精髄カリエスになってしまう。まど少年は、母の看病をすることになり、母の具合がよくなくて、中学受験はあきらめることになる。まど少年は、台北工業学校土木科に入学する。まど少年は 19歳の時、詩に関心を持ち、詩を発表しはじめる。

 20歳で、総督府港湾土木課に入り高原という人にさそわれて教会に行き、聖書を読み、神の存在を知り、自分を癒すことになる。この癒しの心はこれからのまどさんの詩の中に流れ続けることになる。

 25歳(1934年)の時、『コドモノクニ』という雑誌に35編の詩を応募し、そのうち1編『雨ふれば』が特選に選ばれる。『雨ふれば』という詩は今後のまどさんの詩を決定づけることになる。『雨ふれば』は、まどがはじめて書いた定型詩である。

 26歳(1935年)の時に、与田準一から、上京のすすめがあり、資料を集めたり、多くの雑誌に投稿したりするが、胆嚢炎になって、上京は断念することになる。

 29歳(1938年)に台北で、教職に就くが、この年に日中戦争がはじまる。国民精神総動員が叫ばれ、軍国主義のもと戦意高揚のうたが流行していく、戦争は拡大していく。まどさんは、この時代に、戦争肯定の詩を書いている。

 このときにまどさんが、書いた『毒ガス』という詩がある。この詩は現在封印されている。この詩は1938年に発表されている、戦争の時代に対するまどさんの素朴な思いが籠められている。これは、まどさんが書いた反戦詩である。また、『ガーゼ』という詩もあって、ガーゼでやさしさを包むという内容の詩でこれも同じ思いの詩であるといえる。

 後に、まどさんは、戦争への協力する詩を書いたことに対して「そのことはわすれてはならん」と自らを戒めている。特高警察の元では私も書くかもしれない。まどさんも「ふつうの人なんだな」と思う。

 30歳の時、教会に通っていて、知人から長山スミ子さんと知り合って結婚することになる。このころの詩に『わたしのさんすう』という詩があって、子どもの心をつかんでユーモラスな詩である。

 31歳のとき、長男が生まれるが、まどさんは、日中戦争の悪化に伴って入営することになる。入営後、シンガポールで敗戦を迎え、収容所に入れられ、書きためた詩はすべて焼却される。鹿児島に戻ってから。川崎の味の素の工場で守衛として働き始め、創作意欲が湧いて『あり』などの詩を書いている。『あり』は後の『ぞうさん』ににていて、小さな存在を肯定する詩である。

 このころのまどさんの詩から、詩はこうでなくてはならないと思う。

@       リズム感のある詩

A       リ・サウンド(気持ちよい響き)のある詩

B       リリシズム 子どもの情緒・情操にとどけられる詩

C       リアリズム 見たことに近い物の表現の詩

 まどさんの詩は、リアイリテイがるから共感してもらえるものだと思う。

 1948年、与田さんから再度、上京の誘いがあって、婦人画報社に入社し、『コドモノクニ』(のちに『チャイルドブック』となる。)編集に携わることになる。

 1951年、まどさん46歳のとき、童謡『ぞうさん』を発表する。NHKで團 伊玖磨氏が作曲し、放送されて子どもの心に寄り添う詩として親しまれるようになる。

 まどさんの詩は、いやなことがあっても、母親の限りない愛や光につつまれていれば、悲劇的なことにはならない。信じる物があれば救われる。そんなことを思わせる詩である。NHKの「うたの絵本」という番組で『ことり』など、100曲ぐらいのまどさんの詩は放送された。

 59歳の時、第一詩集『てんぷらぴりぴり』が出版される。「しまうま」や「たまねぎ」「ぞうきん」「けしごむ」「ぶらんこ」「ちきゅうのようじ」などの詩がおさめられている。「ちきゅうのようじ」という詩から思い浮かべるのは「引力」によって地球の胸に抱かれたいという思いが浮かんで、「そうだったのか。」ということがわかってきた。「全部分からなくてもいいんだよ。」というメッセージが伝わってくる。


 PM2:45〜PM4:30

 まどさんの詩でワークショップ

 ワークショップA=考えよう・おぼえてみよう

 (まどさんは、どんなことばで詩をつくったのだろう)(楽しく詩を覚えよう)

当日配布された資料から

PDFファイルで紹介します。ここをクリックしてください。

 ワークショップB=わたしならこんな詩に・詩をつくってみよう

 (まどさんの詩の続きをつくってみよう)(まどさんの絵をみて詩をつくろう)

PDFファイルで紹介します。ここをクリックしてください。

 くわしくは、「岩辺泰吏 午後の歩き方」で報告されています。

  http://ameblo.jp/iwanabe/


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