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私の原点は
福祉の現場

 



 【あぜ上三和子都議の経歴と自己紹介】

あぜ上都議は「子ども医療費助成制度」の生みの親

「命守りまっすぐ動」
                      (「しんぶん赤旗」09年6月5日首都圏版から)

 


「都政を暮らし第一に」
              「こうとう民報」09年4月号外
         ● 1・4面
         ● 2・3面
  あぜ上三和子都議のおいたちや実績を紹介しています。
  

 

【経歴】
▽1955年東京都中野区生まれ
▽1987年江東区議会議員に初当選。6期当選)
 江東地区副委員長。
▽議会では、医療・介護保険制度特別委員会委員長。文教委員など歴任。。
2009年 都議会議員初当選

家族

▽家族は、夫、長男
趣味

ハイキング・キャンピングなどアウトドアの遊び

映画鑑賞、料理

 

どんな人でも愛せる人に

 私は三人兄弟のすえっ子に生まれました。小学校時代のニックネームは、”金太郎”でした。中学生のとき、成績があがって有頂天になっていたとき、母から「勉強ができなくともよいから、どんな人でも愛せる人になりなさしい」と叱られました。この言葉は、今でも忘れない大切なことばとして生きています

私の原点は福祉の現場

 私は福祉施設と保育室の保育士として働き、障害のある人々や子どもたちから人の命の尊さと生きていくことの素晴らしさを学びました。「人として生きる」原点を教えてもらったと思います。また、自らも頸椀症になり福祉現場のきびしさも知り、思い悩んでいました。そんなときに出会ったのが、『空想から科学へ』という本です。「歴史は国民の手によってつくられる」、そしてそのかけがえのない一人ひとりを大切にする政治を求めて日本共産党に入りました。福祉の後退許さず、誰もが安心して生きてくるような政治の実現にいっそうがんばります。

日本共産党と私

 障害者の保母として働くなかで、障害のある人々に人の命の尊さと生きていくことの素晴らしさを学びました。しかし、自らも頸椀症になり福祉現場のきびしさも知り、思い悩んでいました。その頃『空想から科学へ』という本に出会い、「歴史は国民の手によってつくられる」ことを知り、目覚める思いで日本共産党に入党しました。

区議会議員になって

 区議になってから、結婚、出産し、家庭も仕事も両立されるようがんばってきました。区議会史上初の議員員出産で、二期目は授乳しながらの選挙でした。おおくの方々と出会い、ともに要求を解決するなかで、子どもも、女性も、お年寄りも、障害のある人もない人も、だれもが大切にされる社会づくりが大切と改めて思い、全力をあげています。

うれしかったこと

息子の拓くんが、受け持ちの先生に、「お母さんみたいに人のために役に立つ人間になりたい」と言ったと聞きました。自宅で宿題をみていても生活相談の電話がかかってきます。「まず相手の話をじっくり聞いてから」をモットーにしているので、時には二時間に及ぶこともあります。そんな会話をそっと聞いているのでしょうか。

 

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写真中央があぜ上さんの
おかあさん

 

 

あぜ上三和子都議候補の奮闘を
「しんぶん赤旗」が紹介


09
65日付


命守りまっすぐ行動

「人の命を大切にする政治に」。区議会議員に初当選するまで障害者施設と保育園で10年間働いてきた、あぜ上三和子都議候補の強い決意です。

 高校生のときのボランティアがきっかけで進んだ福祉の道。 施設は貧しく、重度の障害者が段ボール座って食事する姿に衝撃を受けました。労働条件は厳しく、自身も頚腕(けいわん)症で吐き気や手の痺れに苦しみました。

 「情熱だけでは続けていけない。福祉を大切にしない政治を変えなければ」。生きることの素晴らしさ、命の尊さを学び、これが議員活動の原点です。

 「まっすぐで抜群の行動力」と話すのは元同僚の保育士(53)。無認可保育所で働いていたとき、補助金の増額を求め、ともに運動をしました。「今でも私たちの思いを受け止め動いてくれる」

 区民の要求をていねいに取り上げて実現してきた認可保育園増設(500人を受け入れ)、区の中小業者を応援する地域経済活性化基本条例制定など数々の施策。「あぜ上さんは私たち住民の命綱」と慕われています。

 「事実を誠実に区政に届けること」が信条。現場に足を運びます。今年の4月には隣区の都立墨東病院を訪ね、院長、周産期医科部長と懇談。医師不足の中、懸命に働くスタッフの様子を目の当たりにしました。都立墨東病院を直営で存続させる署名行動にも参加し住民の声に耳を傾けます。

 5月には、75歳以上の医療費無料化を実現した東京都日の出町を訪問。高齢者施設長や高齢者の声を聞きました。

 「命を守ろうという現場の努力を応援する都政にしたい。都民の苦しみや痛みを間近で聞いてきた共産党の私だからできることがある」。前回失った江東区の議席を必ず奪還する決意です。

 

 

  

子ども医療費助成制度の生みの親
                   あぜ上三和子議員

 1992年、日本共産党区議団は「医療費の助成に関する条例」を、江東区機会史上初めて提出。提出説明に立ったあぜ上区議は、「『安心して子供を産み育てたい』『お金の心配なく子供の病気を治したい』という切実な声が高まっています」と区民の切実な声を紹介。

 そして「親たちの切実な声に応え、乳幼児の健全育成の推進を図るよう、本案提出するものです」と強く実施をもとめました。こうした議会での奮闘、そしておかあさんたちの運動により、区が「医療費助成」を提案することとなり、翌年4月から実施されました。


提案者名にあぜ上区議
の名前が(議事録から)

 


 

c)あぜ上三和子事務所  江東区千石2−8−16 日本共産党江東地区委員会内
 電話:03−3615−0130 Fax:03−3615−0253

Mail  miwakoazegami@aol.com