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助産婦(師)学会シンポジウム(抄録原稿)
2002年5月14日 於 パシフィコ横浜 


 本日のシンポジウムのテーマは「地域に根ざした助産活動、だから日本に助産婦が必要です」というタイトルがついておりますが、これは大変今日的な問題提起と、日本の助産婦がどんな未来を築いていくのかというような、問いかけを含んだテーマだなと感じています。
 今日は、カメラマンという立場でシンポジストとして参加させて頂くわけですが、ここ十数年間の間に写真を撮ることで見えてきたもの、妊産婦さんや助産婦さん、お産に携わる方々との出合いを通して感じたことなどをお話ししたいと思います。
 まずは簡単に自己紹介をさせて頂きます。
 私が一番最初にお産に立ち会わせて頂いたのは1986年、東京・大田区の青柳助産院という所でした。
 今は亡き開業助産婦の青柳かくいさんのことを小さな新聞記事で読んで、助産婦の仕事に興味を抱き写真撮影をお願いしたのがきっかけでした。
 助産院での日々の健診はとても家庭的で暖かなものでした。妊婦の心配事や食事のアドバイスや生活全般のきめ細やかな指導などは、核家族の若い世代にはとても安心できるものです。
 お産にも何度か立ち会わせて頂くうちに、私は自然な出産というものに大変感動致しました。 そして、助産婦の仕事は女性、ひいては人類にとってなくてはならない、とても貴重な仕事であるということを強く感じました。
 けれども、その助産婦の仕事が地域の中からだんだんと消えようとしている。
 ちょうどその頃、フェミニズムの流れの中から生まれた、女の身体は女のもの、もっと自分の身体や性を知り、語ろうよ,というような運動を知り、自分の中に眠っていたモヤモヤした気持ちが晴れるような気がしたのです。
 お産や助産婦さんとの出合いは、自分自身を見つめ直すとても衝撃的な出合いでした。
 産む側から社会に向けて発言してゆく人たちがどんどん現われて、海外のお産情報も知られるようになりましたし、マスコミでもお産の記事が取り上げられる機会が増えてきました。
 お産を取り巻く状況は少しずつですが変わってきたのではないでしょうか。
 そんな背景の中で、私はライフワークとしてお産の写真を撮り続けていますが、伝統的なお産の介助にこだわらず、産む人の気持ちや希望を取り入れ、柔軟にお産のスタイルを模索してゆく助産婦さんたちと出会うことができました。
 本日のシンポジストのお一人である豊倉節子さんもそんな一人です。
 助産婦同士の連携、医療との連携をしっかり持ち地域で助産活動を継続していくことは大きな努力が必要と察します。
安全性を確保しながら、産む側のバースプランが叶うように心砕き安産を紡いでゆく。
 神奈川県のいくつかの助産院でお産に立ち会わせて頂きましたが、経験豊かなベテランの方が多く、人間味に溢れ、いきいきと仕事をされているなと直感いたしました。
 小さな異常をもすぐさま発見できる優秀な精密機器も、人類には必要でしょうが、まずは人間と人間の触れ合い、心を裸にしてつき合うこと、妊娠、出産にはそんな素朴で原始的な要素があってもいいのではないかと思うのです。
 前に記した青柳かくいさんは毎月戌の日に、自分で使いやすいよう考案した腹帯に朱の筆で松竹梅と寿の文字を印して妊婦さんに渡していました。母になるという未知への期待と不安を膨らませ、母性が少しずつ宿る。そんな行程を助産婦が見守り支えているのです。
 女性が生まれ持つ偉大な力、出産・誕生というダイナミックで神秘な営みを女性自身が伝承していって欲しいと思います。