大宮教会神の言葉
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平和のために戦争?
 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、
その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるもの
であれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
                      コロサイの信徒への手紙 1章19, 20節 
                          (日本聖書協会 新共同訳)
 いま、世界中の良識ある人から非難を浴びている、イスラエルのガザ攻撃につい
て敢えて理解を示す余地が無いわけではないと言うことも可能です。
 パレスチナのアラブ人イスラム勢力には、遡ること六十数年前、武力によってそれ
までの2000年近く、自分たちの生きる場であったところを追い出された恨みがありま
す。イスラエル側は、追い出して確保した現在の領土ですから、アラブ側が強くなれ
ば、自分が追い出される番だと不安、恐怖感につきまとわれてきたはずです。
  事実、対イスラエル強硬派アラブ勢力は、「イスラエルを一人残らず海に突き落と
せ」というようなことをスローガンとして求心力を高めてきたのです。
 そして、現下、イランを中心にアラブ・イスラム側が、十分に力を
つけてきているようなのです。 
 「やられる前に、やれ、さもなくば、イスラエルの明日に平和は
ない」と、イスラエル側の焦燥感、恐怖感が限度にまで達したと
ころに、酷いパレスチナ問題の原因があるのだと思います。
 かつて戦争に走ってしまった頃のどこぞの国や、そんな恐怖感
には未だ遠いはずなのに、「やられる前に、やってしまう」備えをと集団的自衛権容
認、合憲を決めてしまった一内閣も同じ精神状態にあるように思えます。
  こうして「平和」のためと称する「戦争」は繰り返され、「平和を破壊」しないと、
一時の「平和」も得られないという構図が世界を支配しています。どうして、そんな
馬鹿なことになってしまうのか、その謎は聖書にしか解けません。
  「平和」に、「幸せ」に生きるために造られたのが人間です。神の像に造られたこ
とが、物語っています。十戒が与えられたことが、神のその意志を示しています。
そして、イエス・キリストが人類世界に来られたことも。
 それを、ことごとく裏切って、神の「平和」を破壊し続けているのが他ならぬ私たち
人間です。そんな「罪人」に平和を築くことが出来るでしょうか。ノアの時代のように
滅ぼされなくてもよいと考えられるでしょうか。
 神は、それでも、「平和」を語られました。否、差し出されました。それが標記の聖
書の言葉です。その差し出された和解、「恵み」を真実と信じる者は、下記のみ言
葉をも心から深く受け止め、生きるように命じられているのです。戦争が滅び、且つ
「平和」が世を覆う世界は、その先の物語にしかありません。キリスト教伝道の意義がここにあります。
 
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
  : しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りな
  さい。」                     
マタイによる福音書 5章:43,44節
  

大宮教会ステンドグラス
     田ヶ原弘製作