日本キリスト教会 大森教会


大森教報




大森教報 203号(2017年12月24日) 肉へと来たもう神        佐藤 泰將
 ヨハネの手紙 4:2〜4
 「イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです」と聖書は語ります。神が人となられたとは言わず、当時イエスはキリスト(救い主)であるという信仰告白でもあった存在者を主語として立て、このお方が肉「に」来たという言い方をしています。肉という低次元のもののなかに、牢獄のように考えられていた肉体をもつ存在となったといわれます。人が脱ぎ捨てて本当の自分が昇華されたいと願うそのところに救い主が来られたというのです。人が毛嫌いする次元をすべて受け止めてくださるお方が救い主として来られたとの宣言です。
 今わたしたちが自分を知るのはどうしてもこの体を持っている自分です。このところに救い主は来て下さった、わたしたちがわたしたちであるこのところに、すべてを受け止めつつ、ここを神の救いの出来事の起こる場としてくださる恵みがもたらされたのです。わたしたちのありのままを見つめ、それい向き合い、神ご自身へと執り成してくださるお方として、いまも復活の主としておられます。
 わたしたちは自分の肉体というものに満足できないこともしばしばであり、嫌悪することもあれば、もっとよく見せたいと思ったり、あるいは衰えを受け入れることができなかったりします。不満にさいなまれることがいかに多いでしょうか。しかし、わたしたちがわたしたちであり、どのようであるにせよ、自分を意識するのはこの体にある自分です。そのとき、わたしたちのすべてをそのありのままで受け止めてくださるお方がいるとの知らせが届きます。それは自ら身をもってわたしたちと同じになってくださったとのよき知らせです。
 神はわたしたちのすべてを造られ、すべてを受け止め、そこで出会い、すべてを大事にしてくださっています。わたしたちが何か自分の悪徳を清めることができてはじめてその先のまだ遠くにやっとかすかに見えてくる存在ではなく、わたしたちのところに神のほうから来てくださったのです。その神の思いを知らずにいるかぎり、わたしたちは自分を、そのあるところを憎む闇の中に置かれたままです。けれども、その闇を闇でなくし、神の愛の注がれるところへと変えられる大いなる転換が起こるのです。これこそ救いです。わたしたちは自分をすべて受け入れることができ、ここに神の働きを見るのです。そのとき、神はこのわたしを愛してくださっているとのよき知らせが自らを突き動かし、自分のすべてをもって神へと立ち帰っていくようにされるでしょう。わたしたちのすべてが神によってとらえられ、回復される恵みです。