日本キリスト教会 大森教会


大森教報




大森教報 202号(2017年9月17日) キリストに従う覚悟       佐藤 泰將
 ルカによる福音書 9:57〜62
 主イエスが御自身の使命を深く自覚し、都エルサレムへと進んでいく途中で、ある人が主イエスにどこまでも従っていくという自分の決意を告げました。熱意のこもった決断の言葉でした。非常に麗しくもあり、正直な申し出でした。けれども、主イエスはその人が見えていない面を告げなければなりませんでした。わたしには枕するところもないほどだと返しながら、貧しくもその只中において主なる神と出会い、そのみ業に加わることの幸いに目を向けさせたのです。主が人気を博し、それにあやかるような雰囲気に飲まれているときに下す決断は、往々にして崩れやすく、もろいものです。
 主なる神は、ご自身のおられるところにとどまっているのではなく、人からすれば大きな障壁の向こうの存在でありながら、その垣根を自ら越えて来てくださったと聖書は証言します。人はどこで神と出会えるのか。そしてどこで人を召し、み業を共に進める者としてとらえ用いてくださるのか。力あるお方が華々しく活躍しているところにどこにでもついていこうとするのは簡単です。しかし、主は貧しく弱い者たちに寄り添い、共に生きられるお方、そこにもたらされる神との出会いに期待し、み業に携るには、自分が置かれている現実の世界で、神と本当に出会っているかが問われます。その場は、本当の自分を覆い隠そうとしても隠し切れずに露わになってしまうところです。しかし、そこにこそ神がおられ、この神への応答としての告白が求められているのです。あなたは本当の自分が見つめられているそのときに、本当の自分が隠されずに出てしまうところで、わたしに従うことが出来るのか、自分の憧れが投影されるなかへと入っていく決意ではなく、神がご自身のいわば殻を破って来られたその歩みにならって、あなたも一緒に進んで行けるのかと問う言葉でありました。
 それはまた、父親の埋葬を「まず」させてくださいといった人と、「まず」家族に別れを告げさせてくださいと願った人に対する主の言葉も同じでした。父の埋葬を第一にすることで、血統や血縁、民族性といったものを第一にしながらも同時にキリストを信じることを求めるあり方であり、自分たちのあり方に入る限りでの祝福を伝える者になるところでした。主はそれに否を突きつけたのです。また、家族への別れを第一にすることには、これまでの生活への未練が込められていました。それはこの世への執着ともなり、この世を断ち切れずに、この世と共にキリストを信じることでした。それを主は見抜かれたのです。