標題1

歴史に残る送電線
Historical power transmission lines

2014.12.05更新[500kV海峡横断送電線・関門連絡線電線張替]

(更新履歴:「掲載送電線・目次」下に掲載)

<最新更新事項>
[500kV海峡横断送電線・関門連絡線電線張替工事]
Firstly I list long distance power transmission line "55KV Komahashi line" which the steel towers is used for the first time in our country, and was completed in 1907.
Following it, I list historical power transmission lines of our country.

在りし日の66kV鬼怒川線


 我が国初(我が国最古)の本格的送電線としては、下記2線路がある。


東北地方では明治政府が建設した安積疏水(あさかそすい)の流量の安定した流水を利用し、郡山絹糸紡績により明治32年5月(1899年)、沼上発電所(300KW)〜郡山絹糸紡績・細沼変電所間(24Km)に建設された11KV沼上線がある。
(三相3線式、60Hz、1回線、支持物:木柱、電線:硬銅単線 直径5.189mm(AWG#4)、がいし:15KV用三重ピン アメリカLocke社製、架空地線:なし、工事は東京電灯施工)


中国地方では広島水力電気により明治32年(1899年)、黒瀬川発電所(750KW)〜広島変電所間(26Km)に建設された11KV黒瀬川広島線がある。
(三相3線式、60Hz、1回線、支持物:木柱、電線:硬銅単線 直径6.045mm、がいし:15KV用三重ピン アメリカLocke社製)




 上記2線路の完成から8年後の明治40年(1907年)、北海道で、北海道電気により定山渓発電所〜山鼻変電所間(22.6Km)に11KV定山渓札幌線が建設された。
(三相3線式、1回線、支持物:木柱、電線:硬銅単線 直径5.827mm(AWG#3)、がいし:ピンがいし)



 電力事業草創期(我が国初の電気事業会社である東京電灯は、明治16年(1883年)設立、明治20年(1887年)営業開始)には、東京、大阪、名古屋などの大都市では、需要地に近接した火力発電が主な電源であり、直流方式が主流で、交流方式の送電線は必要とされなかった。

 また、次第に交流方式が主流になっても、水力発電適地と電力需要地間の距離が遠く、技術的課題から長距離送電線の実現は困難であった。

 大都市における本格的交流送電線が建設されるのは、我が国初の電気事業開始から20年後、次第に電力需要が増大すると共に、技術開発により、遠く離れた水力発電適地からの長距離高電圧送電が可能になる、明治40年(1907年)の、55KV駒橋線が最初となる。



 ここでは、大都市における本格的長距離送電線で、かつ、我が国初めて鉄塔が使用された、55KV駒橋線を皮切りに、我が国の歴史に残る送電線をできるだけ掲載する。

 なお、世界最古の送電線については、トップページから、「世界初の送電線誕生の物語」を、ご覧いただきたい。

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<掲載送電線・目次>  (冒頭の括弧内数字は、運転開始年 (段階的に運転開始したものは最初の年) )
The mention table of contents.

(1907年) 駒橋線 (我が国最古の鉄塔)(Komahashi line)
The power transmission line that steel towers were used for the part for the first time in our country.       
(1909年) 塔之沢線 (我が国初の本格的鉄塔使用送電線、初の国産鉄塔) (Tounosawa line)
The power transmission line which domestic steel towers were used in for the first time.
(1911年) 吉白線 (我が国で最も長く現役運転した送電鉄柱)(Yoshishiro line)
The iron pole power transmission line which was operated for the longest term in our country.

(1912年) 八百津線 (全線鉄塔で建設・初の60kV送電線)
(Yaotsu line)
The 60kV power transmission line first in our country.
(1912年) 鬼怒川線 (全線鉄塔で建設・初の66KV送電線)(Kinugawa line)
The 66kV power transmission line first in our country.
(1913年) 谷村線 (初の77KV送電線)(Yamura line)     
The 77kV power transmission line first in our country.
(1914年) 猪苗代旧幹線 (初の115KV長距離送電線) (Inawashiro old-main-line)
The115kV power transmission line first in our country.
(1920年) 大垣送電線(我が国最古の現役・2回線矩形鉄塔送電線)(Ogaki line)
The power transmission line using now our country oldest twice linear rectangular steel tower while driving.
(1923年) 甲信幹線 (初の154KV送電線)
(Koushin main-line)
The 154kV power transmission line first in our country.
(1937年) 長瀬川線 (塔体上部に初めてころび・テーパーをつけた鉄塔)
(Nagasegawa line)
The steel tower which adopted taper structure to an upper part of the steel tower for the first time.
(1941年) 新北陸幹線 (初の275KV運転送電線)
(Shin-hokuriku main-line) 

The 275kV design (original 140kV driving) power transmission line first in our country..

(1951年) 中東京幹線 (初の2導体設計送電線)
(Naka-tokyo main-line)
The power transmission line which adopted our country's first "bundled conductor (2 conductors) system".
(1955年) 枚方向日町線 (初のMC鉄塔送電線)
(Hirakata-mukoumachi line)
The power transmission line which adopted MC steel tower for the first time in our country.
(1958年) 東京東線 (380KV昇圧可能設計送電線)
(Tokyo-higashi line)
The 275kV power transmission line of the design of the voltage that voltage up is possible to 380kV.
(1960年) 京浜線 (初の4導体架線送電線)(Keihin line)
The power transmission line that bundled conductor (4 conductors) system were adopted partially for the first time in our country.
(1962年) 中四幹線 (我が国最高鉄塔高、我が国最長径間)(Chuushi main-line)
The power transmission line which has "steel tower of the best height" and "the longest span" in our country.
(1963年) 東京南線3・4号線 (初の全線・4導体設計送電線)(Tokyo-minami #3L&4L line)
The power transmission line that bundled conductor (4 conductors) system were adopted for the first time in all sections in our country.
(1966年) 房総線 (初の500KV送電線) (Bousou line)  
The 500kV design (original 275kV driving) power transmission line which was built for the first time in our country.
(1967年)
江東線 (海にルートを求めた送電線)(Koutou line) 
The power transmission line through the route partially in the sea.
(1969年) 安曇幹線 (初の500KV1回線水平配列・2ルート送電線)(Azumi main-line) 
The power transmission line which adopted "1 circuit horizontal sequence steel tower (2 routes) " for the first time in our country.
(1973年) 淀川西線 (最多回線併架送電線)(Yodogawa-nishi line)
The steel tower power transmission line which hangs overhead wires of the most numerical circuits in our country.
(1977年) 北豊田梅森線 (初の垂直2導体送電線) (Kitatoyotaumemori line) 
The power transmission line which adopted "bundled conductor system where two conductors were located lengthwise" for the first time in our country.
(1979年) 北本直流幹線 (初の超高圧直流送電線)(Kitahon DC main-line)
HVDCt power transmission line first in our country.
(1980年) 新秩父線 (初の6導体架線送電線)(Shin-chichibu line)
The power transmission line that bundled conductor (6 conductors) system were adopted for the first time in our country.
(1980年) 500kV海峡横断送電線(関門連絡線、本四連系線、苓北火力線)      NEW関門連絡線電線張替
The commentary about 500kV power transmission lines crossing the straits in our country is carried..
(1986年) 浜岡幹線 (初の3導体架線送電線) (Hamaoka main-line) 
The power transmission line that bundled conductor (3 conductors) system were adopted for the first time in our country.
(1987年) 伊勢幹線 (初の大束径6導体送電線) (Ise main-line)
The power transmission line first in our country where "bundled conductor (6 conductors) system of big bunch diameters" was adopted.
(1992年) 西群馬幹線 (初の1000KV(100万V)設計送電線)(Nishi-gunma main-line)
The UHV 1000kV design (500kV driving) power transmission line which was built for the first time in our country.
(1999年) 栄屋乳業矢作線 (初の三角鉄塔送電線)(Sakaeyanyuugyou-yasaku line)
The power transmission line which adopted a triangle structure steel tower built for the first time in our country.
(2000年) 阿南紀北直流幹線 (初の500KV直流送電線) (Anan-kihoku DC main-line)  
The 500kV direct current power transmission line first in our country.

更新履歴(2006.03.17以降)

更新年月日 更新内容
2006.03.17 栄屋乳業矢作線(三角鉄塔)を掲載
2006.03.17 塔ノ沢線補足
2006.04.07 中四幹線補足
2006.04.08 新北陸幹線2cct鉄塔写真追加
2006.04.17 淀川西線(最多回線併架送電線)掲載
2006.04.17 枚方向日町線(初のMC鉄塔送電線)掲載
2006.04.24 栄屋乳業矢作線(三角鉄塔)・追記
2006.04.24 枚方向日町線(初のMC鉄塔送電線)・追記
2006.04.26 淀川西線(最多回線併架送電線)・追記
2006.05.24 房総線(初の500KV送電線)に偏心アーム追記
2006.06.06 塔ノ沢線・鉄塔構造図掲載
2006.06.21 鬼怒川線カラー写真掲載
2006.06.23 浜岡幹線(初の3導体架線送電線)掲載
2006.07.02 吉白線(我が国最古の現役送電線)掲載
2006.07.18 吉白線・白岩発電所の解説リンクページ掲載
2006.10.09 阿南紀北直流幹線掲載
2006.11.01 伊勢幹線(初の大束径6導体送電線)掲載
2006.12.01 房総線(初の500KV送電線)にMTトラス追記
2006.12.01 北豊田梅森線(初の垂直2導体送電線)掲載
2006.12.21 鬼怒川線・鉄塔製造会社等訂正
2007.06.15 11KV沼上線、黒瀬川広島線等情報追加
2007.06.24 解説文全面的見直し修正
2007.11.11 鬼怒川線記事中、60KV八百津線記事訂正
2007.11.13 55KV駒橋線掲載
2007.12.05 55KV駒橋線鉄塔・木柱写真掲載
2008.08.01 大垣送電線掲載
2008.09.01 中四幹線説明追加記載
2008.12.21 塔之沢線・説明補強
2009.01.24 猪苗代旧幹線、組立工法掲載
2009.09.12 目次に運開年を追加
2009.09.25 安曇幹線掲載
2009.12.03 八百津線掲載
2009.12.14 駒橋線・追加掲載
2010.01.01 江東線掲載
2010.09.16 塔之沢線情報追記
2010.09.28 新北陸幹線解説修正
2010.11.01 新北陸幹線写真全面更新
2011.01.22 吉白線設備撤去に伴う解説内容見直し
2011.03.10 標題に英語を追記
2011.09.10 500kV海峡横断送電線(関門連絡線)掲載
2011.09.20 500kV海峡横断送電線(本四連系線)掲載
2011.10.17 500kV海峡横断送電線(苓北火力線)掲載
2012.03.17 我が国最古の現存矩形鉄塔(谷村線)情報追記
2012.05.17 500kV海峡横断送電線・写真追加
2013.02.24 500kV海峡横断送電線・関門海峡写真追加
2014.12.05   500kV海峡横断送電線・関門連絡線電線張替掲載

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駒橋線 (我が国最古の鉄塔)(Komahashi line)


The power transmission line that steel towers were used for the part for the first time in our country.
The steel tower was used at the river crossings where had the long span more than 165m.
The power transmission line used 22 steel towers. The steel tower was made in U.S.A.


 

 東京電灯が建設し、明治40年(1907)12月20日に運転開始させた、駒橋発電所(15,000KW)から早稲田変電所迄の75.6Kmの「55KV駒橋線(2回線)」が、大都市圏における初の送電線となった。

 本送電線の支持物は、我が国で初めて、ごく部分的に鉄塔22基が使用されたが、ほとんどが木柱(4,100本)であった。
 残念ながらその鉄塔は、建て替え撤去され、現存していない。
 電線には、初めて撚り線(硬銅より線(麻芯入り)18/2.69mm,100mu(横浜電線製、現古河電工))が使われ、特に径間長109m以上の箇所には硅銅線が使用された。
 電線ジョイント箇所には、クラークス社のスリーブジョイントを使用し、60cmの長さに対して2回半捻ったそうである。

 また、がいしは、ロック社製66KV用4重ピンがいし(ビクトル第360号)が使われた。

 鉄塔は、1回線水平配列の形状で、設計図が無いので正確な寸法は不明であるが、概略右図の通りで、アメリカからの輸入品である。
 電線配列は、水平配列で、電線間隔は、3mである。

 支持物設計は、標準径間を37mとし、径間長37〜72mを単柱、電線は正三角形配列で各線間間隔は1.5mとした。
 次に、径間長72〜108mをH柱とし、電線は△配列で底辺2.7m,高さ1.3mとした(以下の木柱写真参照)。
 さらに、径間長108〜165mを3本ポールとし、電線は水平配列、線間間隔を2.4mとした。


 鉄塔使用箇所は、木柱では対応できない径間長165m以上の箇所として22基を使用した。
 具体的には多摩川横断箇所のような川幅の広い河川横断箇所などで、「長径間」が必要となる特殊箇所に使用したが、最大径間長は多摩川横断箇所の222mであった。


 なお、本支持物は、基礎が一体型であるので、鉄柱に区分されるのではないか(鉄塔とは、基礎が各脚毎に設けられ、各脚が独立している)との疑問もあるが、根開きが全塔長の約1/8.7であり、
一般に根開きが全塔長の1/4.5〜1/9程度のものが鉄塔で、1/9〜1/12程度以上のものが鉄柱と定義されていることから、ここでは鉄塔と呼ぶ。

 ルートは、木柱箇所と同様、鉄塔設計が1回線型なので、2ルートが並走した。

 駒橋線のような長距離の送電線にあっては、線路の3相について、各相の交流抵抗をバランスさせるためと、供架している電話線への静電誘導障害を軽減させるため、線路の途中で電線の配置を入れ替える(撚架する)ことが必要となる。
 このため、中間の将来の変電所計画地点である八王子開閉所(現在の東電・八王子変電所地点と思われる)までの間で、甲回線が3回完全撚架、乙線が1回完全撚架、それ以降早稲田変電所間で、反対に甲回線が1回完全撚架、乙線が3回完全撚架を行った。

 なお、運用に当たり、部分的に線路を停止させて作業を行うことを考え、線路途中の6箇所にそれぞれ5基の開閉装置を置き、ここで両回線の接続切り離しを自由に行えるようにした。(大正2年(1913)の送電概要図では、駒橋発電所→5.7哩地点に新倉開閉所、→7.43哩 吉野開閉所、→4.35哩 小仏開閉所、→6.27哩 八王子開閉所、→8.95哩 国分寺開閉所、→6.47哩 吉祥寺開閉所、→8.88哩 早稲田変電所、となっている。)



 建設当時の貴重な鉄塔写真等を、東京電力、電気の史料館から提供いただけたので、それを以下に掲載する。
 また、動画では、
「東京電力・電気の史料館」
(休館中)
のオリエンテーションホールでビデオ放映されている「日本の電気の120年の歴史」の中に収録されている。



 鉄塔が建設された直後の写真である。
 1回線設計であるので、2ルートが並走しており、左右に2基の鉄塔が並んでいる。

アームには、電線引き留め箇所に、電線のカテナリー角に合わせて、各相毎に線路方向に最大6個のピンがいしが取り付けできるよう、弓なりにカーブを付けたピンがいし取付金具が装備してある。

 鉄塔は、アメリカからの輸入品であるが、どの鉄塔もパネル割が同一で、鉄塔高も同じと思われ、同一仕様のものを22基輸入したように思われる。
 たぶん、アメリカ西海岸のカリフォルニア州地方で、木柱線路の内、長径間箇所用に、この仕様の鉄塔を量産していたものを、そのまま輸入して使用したように思われる。

 撮影場所は、次の写真と同じ鶴川横断地点の鉄塔を撮影したものと思われる。(ルートの南側から、早朝に北西方向を撮影したものであろう)


 架線工事が完了した直後の写真であり、鉄塔アーム下部に架線工事で使用した足場が見える。

 各相毎にピンがいしが4個、線路方向に取り付けられている。

 場所は、上野原の鶴川横断箇所ではないかと思われる。
 (元写真の説明文には、「都留川」と、あるが駒橋発電所以東には、そのような名称の大きな川がないので、鶴川だと思われる)

 写真の左端に見えるのが国鉄(当時)の中央本線鶴川鉄橋と思われる。

 写真奥が西方角で、駒橋発電所の方向であろう。


 右写真は、八王子市北の浅川横断箇所の鉄塔である。
 ルートは、川を南から北に横断しており、右端に微かに見える橋が、浅川橋ではないかと思われる。

 写真は、鉄塔の西南方向から撮影し、東北方向を向いて撮ったものであろう。

 駒橋発電所を出たルートは、桂川の北側(左岸)を経過し、上記の鶴川を横断し、さらに桂川の下流の相模川の北側(左岸)を経過し、小仏峠を通過して、現在のJR中央線高尾駅の北を経過し、本地点に至っていたと思われる。


 右は、最大径間長222mの多摩川横断箇所の写真である。
 川幅が広いので、3基連続して鉄塔を使用している。

 写真は、鉄塔の東側から、西方角を撮影したものと思われる。

 なお、鉄塔の中間にバーが設置されているが、これは保線・給電用電話線のアームである。

 写真右端の橋が、日野橋(?)ではないかと思われる


 鉄塔の前後径間で、電線張力がアンバランスになる箇所では、ピンがいしを最大6個設置して、電線張力のアンバランス分だけ、6個のがいしで荷重分担させ、電線を引き留めしたのであろう。

 


 木柱区間の架線工事状況である。

 現在では、各支持物の電線支持点に金車(滑車)を設置して、まず細くて軽いロープを10基程度の支持物に渡し、電線ドラムが運べる場所で、ロープ末端に電線を接続して、片端でロープを引き、電線に張力を加えながら、各支持物に電線を架線するが、当時は、人肩で電線を担いで山の上まで登り、直接それをがいしに捕縛していったようだ。

 多数の人たちが写真に写っているが、恐らく、一人あたり10m位の長さ分を、輪にして肩に担ぎ、次の写真のように、10人以上の者が数珠つなぎになって一列縦隊で電線(長さ100〜200m)を担いで山を登ったに違いない。




 別の現場の写真であるが、当時の電線運搬を写真に撮った貴重な記録であり、電線運搬の例として掲載した。


 立川付近の木柱ルート写真である。
 現在は、市街化されている場所であろうが、当時は、何処までも耕作地が延々と延びていたようで、障害物が全くなく、直線で最短距離を経過していたようだ。

 木柱区間は、標準径間を37mとし、径間長37〜72mを単柱、電線は正三角形配列で各線間間隔は1.5mとした。
 また、径間長72〜108mをH柱とし、電線は△配列で底辺2.7m,高さ1.3mとし、
 写真のように、一般箇所ではH柱と単柱を使い分けながら、適用している。

 なお、全ルートで4,100本の木柱が使用された。

以上は、2008年12月以前の掲載。

以下は、2009年12月に追加掲載。

 この度、送電線草創期の線路設計を知る上で極めて貴重な写真資料を東京電力・電気の文書館から提供していただいたので、以下に掲載し解説する。


 右写真は現在の大月市梁川町地内を経過するルートで地形急峻なため鉄柱を使用した箇所を撮ったものである。

 本送電線は、経済的には木柱を支持物として使用することが最適であったが、地形急峻な山岳地域では麓から山上の建設地点まで高低差がある場所において10m以上の長尺な木柱を人力で運搬するのは、大変な苦労があったと思われる。


 そこで、特に運搬が困難な箇所に於いては、長さが2分割できる鉄柱を使用した。

 写真で分かるとおり、2本の鉄柱を中間でボルト締めしているのが分かる。

 鉄柱を使えば材料の運搬長さが半分になると共に単体重量も軽くなるので、運搬が木柱より容易になったと思われる。

 ただ建設費は木柱より高価になったと思われるのでその使用場所はごく限定的であったであろう。


 右写真は、現在の吉祥寺駅付近のルートで、避雷装置を備えた支持物を撮ったものである。

 本送電線では、架空地線がなく、直撃雷の防ぎようはなく、またアークホーンもないので直撃雷の場合には落雷地点のがいしの破損は免れることは難しい。
 しかし、誘導雷の場合にはがいし高さよりも短いアース間隔の箇所があれば、そこで対地に放電させることができて、がいしを保護することが可能である。

 そこで、ルートの所々にがいし高さよりも短い(狭い)ギャップを持ったアークホーンを設けて雷の異常電圧を対地に放電させ、当時高価であったがいし損傷を少しでも減らす対策を採った。

 写真では、1基1相分のギャップ装置を設置し、3基で3相分の避雷設備が建設されているのが分かる。
 接地側リード線がドラム缶のような装置を通って対地に埋められているが、この装置は閃洛した後のアーク続流を遮断するリアクトル(コイル)であろう。


 写真が不鮮明なので、上の写真の左木柱上部を拡大したものが右写真で、電線を黒ペンでなぞってギャップ部分を分かりやすくしたものである。


 前述したが、運用に当たり、部分的に線路を停止させて作業を行うことを考え、線路途中の6箇所にそれぞれ5基の開閉装置を置き、ここで両回線の接続切り離しを自由に行えるようにした。
 大正2年(1913)の送電概要図では、駒橋発電所→5.7哩地点に新倉開閉所、→7.43哩:吉野開閉所、→4.35哩:小仏開閉所、→6.27哩:八王子開閉所、→8.95哩:国分寺開閉所、→6.47哩:吉祥寺開閉所、→8.88哩:早稲田変電所、となっている。

 右の写真は上記のうち八王子開閉所の写真である。

 電線がよく見えないが、矢印で示したように手前左方向から斜めにカメラに近い左右の4本木柱の頂部に設置したピンがいしに、3相水平配列で引き留められている。
 そして右奥に抜け出ている。
 すなわち、駒橋発電所が手前左側で、右奥が早稲田変電所側である


 (カメラは開閉所の南西から北東方向を撮っている。画面の奥に白く光っているのは浅川で線路は2〜3基で左に直角に曲がり北上して前掲の鉄塔で浅川を横断している)


 この写真を図面化すると右の「開閉所概要図」の通りで、発電所が上側とすると送電線は上から入って、下に抜け出ている。
 各4本木柱の上に各3相分の開閉装置を設けている。
 その木柱の中間位置にがいしを置きその上に足場を設け操作者はその足場に乗って手動で開閉操作を行った。


 この写真は早稲田変電所の送電線引き込み風景である。

 今の早稲田は人口密集した大都会の一角であるが、当時は人家もまばらな田舎で、変電所周囲は一面田んぼだったようである。



塔之沢線 (我が国初の本格的鉄塔使用送電線、初の国産鉄塔)(Tounosawa line)


The power transmission line which domestic steel towers were used in for the first time.
This power transmission line is the first facilities in our country which the electric power company assumed a design to apply steel towers to the supports.


 塔之沢線は、明治42年(1909)、箱根水力電気会社が塔之沢発電所(3,300KW)と保土ヶ谷変電所間58Kmに建設した46KV送電線である。

 鉄塔は58Kmのうち16Km,166基に採用され、鉄塔が本格的に使用されたのは塔之沢線が初めてであり、かつ我が国初の国産鉄塔であった。


 右写真は現存する我が国最古の鉄塔で、実物は、
「東京電力・電気の史料館」(休館中)
に展示されている。


 左の写真(送電線建設技術研究会提供)では、当初使用されていないはずの懸垂がいしが見られるが、これは、後年、電線張り替えなど設備改良工事の際に、がいし装置も改良・近代化された後に撮影した写真であろう。

 また、鉄塔は自立鉄塔として設計され、支線は基本的には設置しない設計であるが、左の写真では支線が取り付けられている。これは、工事の実施段階で、地主からのルート移設要求などのために、ルート水平角度とスパンの関係が、鉄塔設計条件限界を超えてしまった箇所についてやむを得ず施設したものである。



 鉄塔は国産で、石川島造船所製であり、前述のように我が国で初めて国内で製造されたものである。
 鉄塔形状は上の写真に示す通りで、鬼怒川線と同様に三相配列を正三角形配置にしている。その各相の電線間隔は1.8mである。


 (鉄塔構造図をリンク先ファイルに示す)

 箱根水力電気会社は塔之沢線について、当初は全線木柱で建設する計画であったが、明治37年(1904年)に渡米した同社岸敬二郎顧問技師がアメリカで鉄塔が盛んに使用されているのを視察し、同社寒川恒貞電気技師長(注)に鉄塔の研究を勧め、鉄塔の導入検討が開始された。


注:寒川恒貞氏((明治8年)1875.6.26〜(昭和20年)1945.1.30)
電力関連略歴
 明治35年京都帝国大学理工科大学電気工学科卒業、
 川越電気鉄道株式会社に就職後、箱根水力電気会社に転職し、32才の若さで技術関係業務の総括を任されることとなった。
 塔之沢線竣工後、箱根水力電気会社から徳島水力に移り水力開発に活躍し、また名古屋電灯顧問として木曽川水系の開発調査にも従事。その後、四国水力電気株式会社社長として大正13年から昭和3年まで活躍。
 さらに電気製鋼事業、電極事業、アルミニウム精錬事業等を興し事業家として大成した。

 昭和14年(1939年)には、逓信大臣より電気功労者として表彰された。
 
 寒川技師長は、アメリカで行われている鉄塔設計技術を研究し、現在でも世界的に鉄塔設計者が用いている「クレモナノの図式解析」手法を先見の明をもって活用し鉄塔設計を行った。
 同氏は、アメリカの鉄塔形状を、そのまま見よう見まねで適用はせず、未経験の領域に果敢に挑戦し、自分なりの考えで経済的な形状を追求して上記鉄塔写真の形状の鉄塔を考案・開発した。

 その設計結果をもって、我が国でも鉄塔が経済的に有利であることを立証し、鉄塔導入に踏み切った。

 ただ、鉄塔発注時期に経済変動で鉄塔価格が高騰した等の理由で冒頭に述べたように、鉄塔は58Kmのうち16Km,166基に部分的に導入することにし、後日、木柱建替時に全線鉄塔化することとした。

 この特徴ある鉄塔形状については、アメリカでも注目を集めたようで、当時の「Standard Handbook for Electrical Engineers」(電気工学ハンドブックのアメリカ版)に「Samukawa Formula」として紹介掲載されたとのことである。

 


 本送電線の鉄塔の設計型別一覧は、右図の通りで、全部で7型使用された。

 すなわち、直線箇所に使用する鉄塔(A型)5型、角度箇所の鉄塔(B型)2型である。

 現在では、同一型の場合、標準高さの鉄塔を1型設計し、それより高い鉄塔が必要な場合は、最下部に継脚設計して適用するが、当時は必要な高さ毎に個別に設計した。

 本送電線の標準径間長は、木柱:45m、鉄塔:115m とし、水平角度と径間長の組合せで設計荷重限界を超えないよう現地適用を図った。

 A型標準鉄塔の質量は1.02tであり、B型角度鉄塔の最も高い全長22mの鉄塔で1.66tである。

 なお、撚架は添架電話線に対する誘導軽減のため行っており、回線毎に起終点間で11回行い、1回の撚架は1基目で60度、2基目の鉄塔で更に60度ねじり、計120度ねじっている。また、左右回線では反対方向にねじっている。


 なお、寒川技師長は、経済設計検討と同時に公衆安全対策でも誠に木目の細かい検討を行っており、その一例としては右図のように、国道など重要な道路横断箇所及び人家接近箇所では鉄塔の片側にアームを突きだし、万一電線が断線した場合には、電線が地上1.8mに達する前にアームに接触し接地するように施設している。

 図中、Y及びXの値は、径間長により変化させている。

 なかなか手の込んだ、しかし確実性のある安全対策装置である。



 鉄塔は、山間地、あるいは木柱では風景を害する恐れのあるところなどに使用された。
 具体的には、鉄塔は、塔ノ沢発電所〜小田原付近、東海道線国府津駅付近〜二宮、保土ヶ谷付近の山間部、および木柱高さの2倍以下の距離に人家があり、逓信省(当時)の規則で鉄塔でなければならない箇所に使用された。



 電線は、当初硬銅線SWG No4:直径5.9mm,27.3mu(鉄塔区間SWG No3:直径6.4mm,32.2mu)(住友伸銅所製)、後に硬銅より線HDCC55muに張り替えした。

 がいしは右図に示すピンがいし(径300mm、高さ330mm、耐圧125KV)を使用した。
 使用総数7,600個でトーマス社製6,100個、芝浦(日本陶器)製1,500個である。

 がいしは、A型鉄塔(直線箇所)では各相当たり1個使用し、B型鉄塔(角度箇所)では各相当たり2〜3個使用した。


 なお、寒川技師長の電気学会総会(明治42年6月29日)での講演記録が電気学会雑誌に掲載されているが、そのうち木柱と鉄塔の経済比較についての論旨の部分を要約すれば、次の通りである。
1.用地費は、木柱では1回線2ルートとなりかつ標準径間が短く支線も多いので木柱の用地費は鉄塔の2〜3倍になる
2.伐採費は、逓信省(当時)の規則で、線路両側約2m以内の樹木を伐採しなければならないが、木柱では2ルートで11m幅となるが、鉄塔では9mでよい
3.運搬費は、木柱は分割できないが、鉄塔は部材毎に分割でき60Kg以上のものがないので、運搬が安価で容易である
4.総工事費では、たまたま鉄塔材の調達時に物価が高騰しており、約25%鉄塔の方が高かったが、竣工時点での物価比較では鉄塔の方が17%高いことになった
5.しかし、木柱は今後次第に高価になる傾向であり、その寿命が短い(7〜8年で腐食する)ことを考えると、鉄塔が有利である
以上の通り、今後は鉄塔が断然有利であると結論づけている。

 歴史的に国産鉄塔の頂点に立つ塔之沢線鉄塔は、幸い前述の通り東京電力の「電気の史料館」(休館中)に1基が、鬼怒川線鉄塔と共に保存・展示されている。
 そしてこの展示鉄塔が平成19年11月30日付けで、経済産業省の「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」の一つに目出度く認定された。

 



(2010.09.16追記)
 
工学博士渋沢元治(1876-1975)著の「電界百話」(昭和9年4月発行)によると、送電線建設翌年の明治43年8月に日本を縦断した大型台風10号により、完成したばかりの送電線のうち小田原から国府津にかけて水田に建設した鉄塔60基が将棋倒しに倒壊したとのことである。

 この大型台風は風雨が極めて強いもので、8月14日に静岡方面に上陸し、東北地方まで日本を縦断して各地の河川を氾濫させ大水害を発生させると共に、強風により各種工作物への被害が甚大であった。

 塔之沢線については、このような大型台風の強風に対する基礎設計をしていなかったのが原因で倒壊したものである。
 すなわち、鉄塔基礎は基礎材底面に鉄板を敷いて、それに軟弱地盤の土を被せたものでコンクリートは全く使用していなかったため、基礎にかかる引き上げ荷重に耐えられなかったためと渋沢元治博士は指摘している。

 我が国初の鉄塔送電線が完成翌年にこのような倒壊事故を発生させたことは、電力会社および電気学会に非常な衝撃を与えたが、渋沢元治博士は失敗を恐れては進歩は期しがたいから失敗は失敗として将来の戒めとし、絶えず新しい応用を工夫して進歩を図ることに心がけるべきと励ましている。

 我が国ではこの被災経験を基にその後の鉄塔建設に際しては、台風による強風に耐えられるよう基礎設計を強化すると共に、鉄塔基礎には必ずコンクリートを使用することとした。

 なお、復旧工事は倒壊鉄塔全部に支線を取り応急工事を施して送電再開したとのことである。


吉白線 (我が国で最も長く現役運転した送電鉄柱)(Yoshishiro line)


The iron pole power transmission line which was operated for the longest term (about 100 years) in our country.
This power transmission line was built in 1911 and was removed in December, 2010.


 吉白線は、山形電気株式会社が我が国の電気事業草創期、明治44年(1911)に建設した33KV・1回線の送電線で、約100年前の送電線である。
 本送電線は、我が国で最も長く現役運転した鉄柱送電線であろう。

 吉白線は、山形県寒河江市の白岩発電所(明治33年竣工)と西村山郡西川町の吉川発電所(大正8年竣工)を結ぶこう長6.5Kmの、発電所間連係送電線であり、支持物基数約60基中約40基が当初建設された鉄柱を用い、2011年には現役100年の節目の年を迎える直前に撤去されてしまった。

 鉄柱はインチサイズで造られており、その製造元は不明である。
 電線配列は、同時期の塔ノ沢線、鬼怒川線と同様に正三角形配列としている。

 本送電線は、右写真のように、腕金部分について昭和56年に冠雪および鳥害防止対策としてパイプ腕金に改良され、本体のボルトナットも最新のものに交換されてはいるが、本体の鉄柱そのものは明治44年建設のものであり、外見上は発錆もなく極めてよく保守管理されていた。

 これは、経過地が山形盆地の穀倉地帯の一画で、付近に鉄塔材に有害な汚染物質を発生する工場などが無く、塩害とも無縁で、かつ市街化が進展する地域ではなかったことで建て替えもなく、適切な保守管理により、鉄柱の保存状態が良かったためと思われる。

 がいしは、現在、懸垂箇所は鳥害防止装置付LPがいし、耐張箇所は長幹がいしを用いているが、当初はピンがいしを使用して、電線を正三角形配置にしていたと思われる。
 しかし、懸垂箇所では、昭和の半ば頃には、ピンがいしは撤去され、
・頂点の1相はLPがいしを用い、
・底辺の2相は、右写真・青色で図示したように当初の腕金をそのまま用いて懸垂がいしを使用し、電線を吊っていた。





 右写真は、耐張がいし装置を用いた軽角度箇所の鉄柱写真である。
 がいしは、長幹がいしを用いている。



 三角配列を水平配列にして、鉄柱を2基使用し、完全引留耐張支持物として機能させたと思われる箇所の写真である。
 腕金はパイプに改良されている。



 上記の両発電所とも、我が国では最古の設備に属するもので、最上川上流の寒河江川に建設されたものであり、白岩発電所が明治33年、吉川発電所が大正8年竣工している。
 白岩発電所が竣工した明治33年には、山形電気の前身の両羽電気紡績株式会社の時代で、150KWの電力を5.5KV送電線(現在の配電線規模)で約30Km離れた山形市内まで送電した。

 その後10年ほど経過した明治44年には、電力需要の増加から白岩発電所の増容量、およびその上流に吉川発電所を建設することとなり、吉川発電所の電力を下流の白岩発電所まで送電するための発電所間連係線として、明治44年に吉白線が建設されたのだが、吉川発電所は大正8年の竣工であって、明治44年から大正8年の9年間は、吉川発電所の建設工事用電力を、白岩発電所から逆送電していたのではないかと思われる。

 吉川発電所が竣工した以降は、吉白線はその電力を白岩発電所に送電するための役割を受け持ち、白岩発電所で吉川発電所の発生電力を加え、山形市内方面に送電していたと思われる。

 しかし、その後、白岩発電所から山形市内方面への当時の送電線は撤去され、白岩発電所の出力は33KV吉白線を通して吉川発電所で66KV系統に連係されており、建設当時とは逆潮流になっていた。

八百津線 (全線鉄塔で建設・初の60kV送電線)(Yaotsu line)


The 60kV power transmission line first in our country.
This power transmission line is thought to have adopted the design of "60KV Niagara Toronto line" built in 1905.


 60KV八百津線は、名古屋電灯が木曽川水系の八百津発電所〜荻野変電所(注)間42Kmに建設し、明治45年1月(1912年)運転開始したわが国初めての6万ボルト台の送電線である。
 (注):荻野変電所は、名古屋市北区大野町3丁目にある中部電力荻野変電所の西側隣で現在は駐車場になっている場所に建設されたと思われる。(大正12年大日本帝国陸地測量部発行、5万分の1地図にて確認)

 本送電線は、全線鉄塔で建設され、その鉄塔は国産で川崎造船所製であった。
 なお、アームの一部にはにはアメリカ製鋼管材が使用されていた。

 この鉄塔を使用するに当たり、慎重を期してわが国で初めての実荷重試験を行い設計・製作が妥当であることを検証したそうである。

 電線はHDCC45mu、がいしは4重ピンがいしを使用した。

 その鉄塔形状は、右写真の通りで、わが国初めての2回線設計矩形鉄塔であり、電線配列は本送電線の3年前に建設された塔之沢線と同様に正三角形配置にしている。

 右写真で見ると下アームに懸垂がいし使用の耐張がいし装置が使用されているが、これは後年に取り付けられたものと思われる。


 本送電線は、大正13年(1924年)に77KVに昇圧した。

 なお、終点方面の犬山市羽黒変電所〜荻野変電所間のルートについては昭和7年発行の5万分の1地図および2万5千分の1地図に既に記載されていないので昭和初期には撤去されたものと思われる。

 また、昭和17年電力管理法により八百津発電所は日本発送電に移管されたが、昭和26年の同社解体に伴い関西電力所有となったため八百津線系統も変更されて関西電力のローカル線として運用され、最後まで残った八百津発電所付近の送電線設備は、昭和49年に発電所が廃止されるまで当初設備のままローカル運用されていたそうである。


 この鉄塔形状は、右の小さな写真に示す世界で初めて全線鉄塔を使用したカナダの60KVナイヤガラ・トロント線(トロント&ナイヤガラ電力が1905年に建設したナイヤガラ滝〜トロント間、約120Km、2回線鉄塔)を参考に設計したと思われ、鉄塔形状は誠に酷似している。

 あえて異なる所を探せば、カナダでは上相に水平部材が無いが、八百津線では水平部材を設置しているのが相違点と言えるであろう。

 ところで、「名古屋電灯株式会社史」によると、本送電線を計画するに当たっては、京都帝大工科大学教授の大藤高彦博士に技術顧問を依頼したが、当時わが国では6万ボルト以上の送電線は無く、「本邦の大気は水分に富むこと多きを以て、斯る特別高圧の送電を不可能ならしむべし」と主張する学者があり、加えて設計に関して学者の間に異説が多く、また、わが国で初めての設計事項が多かったため安全率を高めた設計にせざるを得なかったとのことである。しかし、全線鉄塔を使用するなど新しい技術に挑戦しわが国の電気工学の進歩に貢献するところが甚だ多かったと回顧している。
 すなわちその一例を挙げれば、八百津水力関連の従業員が工事完成後に鬼怒川水力関連工事に従事し、あるいは大同電力、白山水力などの工事に技術者として活躍した者が多く居り、八百津水力関連の設計・施工技術が後の工事に大いに役立ったとのことである。
 また、本送電線の成功により2回線設計矩形鉄塔が評価されたと思われ、その後同型の鉄塔を用いた下記の幹線送電線が相次いで建設されている。

・大正2年(1913年)、富士ガス紡績により、66KV東京幹線(後の酒匂川線、峰発電所〜駒沢間、73Km)
・大正2年(1913年)、桂川電力により、77KV谷村線(鹿留発電所〜目白間、95Km)


 なお、工事中の写真および発電所引き出し箇所の写真を八百津町から提供いただいたので紹介する。

 右写真は鉄塔組立中のもので、下アームまで組立完了したところである。

 鉄塔中央に建てた垂直材は、架空地線用ロッドであろう。


 右写真は、発電所本館であり、工事中のものである。

 この後に、本館の左右袖に送電線引き出し鉄塔が建設され、送電線が川を渡って手前に引き出されることになる。


 右写真は、本館の左側袖に建設された送電線引き出し用の引留鉄塔である。

 電線は上写真の「左側引き出しブッシング位置」から引き出され、この写真の右から来て引留鉄塔に架線されて、ジャンパ線を経由し頂部のアームに導かれ川を横断して次の鉄塔に至っている。


 この写真は、後年、昭和年代(40年代と思われる)に撮影された写真である。

 送電線引留がいし装置には5個連結の懸垂がいしが使用されているが、これは後年に取り付けたのではないかと思われる。
 建設当初の時期には懸垂がいしは試作はされていたものの国産製品としては無かったはずなので、ピンがいしで電線を引留していたと思われるが、この鉄塔構造でどのようにピンがいしで引留していたのか知りたいところである。

 あるいは、アメリカでは明治43年(1910年)頃にLocke社および Ohio Brass社では懸垂がいしを開発していたので、このような特殊箇所には特別にそれを輸入して使用したのかもしれない
 すなわち、この懸垂がいし使用の耐張装置には引留クランプが使用されておらず、単に電線をがいしフックに引っかけ巻き線で固定したただけの簡素な引き留め方をしているようで、まだ引留クランプが開発されていない建設当初の時期に輸入懸垂がいしを使用し施工した古い設備であるようにも思われる。


 今となっては、いずれなのか確認する術が無いようだ。


鬼怒川線 (全線鉄塔で建設・初の66KV送電線)(Kinugawa line)


The 66kV power transmission line first in our country
The steel tower of this power transmission line is a shape extremely special worldwide.


 鬼怒川線は、鬼怒川水力電気が明治44年(1911)に鬼怒川温泉に建設した下滝発電所の電力を、東京市電に供給するため尾久変電所まで、124Kmの間に建設された66KV送電線で、大正元年(1912)12月に竣工した。
 鉄塔は石川島造船所製で、鉄塔総数1,261基であった。電線はHDCC200muで、がいしは松風陶器製4重ピンがいしを使用した。

 なお、当初は周波数25Hzであったが、昭和8年に50Hzに変更している。

 右写真は昭和54〜55年頃に、現在の茨城県古河市(当時の猿島郡三和町)を通過している箇所で、撤去工事寸前に撮影した写真である。現在各所に残っている記録写真がモノクロ写真しかない中で、カラーで記録された極めて貴重な写真である。

 鉄塔形状は、三相配列を正三角形にしたいことと、線下幅を極力狭くするために特殊な形状になった。この形が、人間がバンザイをした形に似ていることから「バンザイ鉄塔」、あるいは着飾った女性の髪型に似ていることから「おいらん鉄塔」などと呼ばれた。

 現在この形状の送電線で稼働中のものは、中国電力管内の110KV陰陽連絡線(安来米子線)にあるのみと思われる。






 送電線は昭和31年(1956)から昭和50年代にかけて全て撤去されたが、1基だけが
「東京電力・電気の史料館」(休館中)
に展示されている。(右写真)
 ただし、主アーム先端と上アーム先端を結ぶ斜材が欠けている。




谷村線 (初の77KV送電線)(Yamura line)


The 77kV power transmission line first in our country.
This power transmission line is thought to have adopted the design of "60KV Niagara Toronto line" built in 1905, like Yaostu line.


 谷村線は、大正2年(1913年)6月に桂川電力が、鹿留発電所(15,000KW)(現在の山梨県都留市)から東京の戸塚(目白)変電所間85km、および途中から分岐して六郷変電所間95Km間に建設した送電線で、我が国初の77KV送電線である。

 鉄塔形状は矩形鉄塔の一種で石川島造船所製931基、電線はHDCC100mu(国産)、がいしは4重ピンがいし(日本陶器)を採用していた。(右写真)

 電線配列は、三相配列を三角形状にしたもので鬼怒川線と同じような配列思想に基づいていると思われる。

 その形状は、上述の八百津線と同様、明治38年(1905年)、全線鉄塔を使用した世界初の送電線である、カナダのトロント&ナイヤガラ電力(Toronto & Niagara Power Company)が建設した60KVナイヤガラ・トロント線(ナイヤガラ滝〜トロント間、約120Km、2回線鉄塔、2ルート、計4回線)(右下のモノクロ写真)を参考にしたと思われ、きわめて似ている。

 この時期、鉄塔線路草創期には、ナイヤガラ・トロント線鉄塔が世界的教科書になったようだ。

 本送電線は、既にルート全線撤去されているが、相模湖と津久井湖の中間付近で20基以上の建設当時の矩形鉄塔が、がいしおよび電線が外された状態で辛うじて残っており、まだ見ることができる。

 右の大きなカラー写真は、その残置されたうちの1基で「谷村線303・大正2年6月」と番号札がついた鉄塔である。

 鹿留発電所から当該鉄塔までの距離は、ルートを谷村地区から九鬼山の北を山越えで一直線に鳥沢まで東北東方向に取り、その後JR中央線の南側沿い(桂川右岸沿い)にルートを取って約34Kmであり、径間長を110〜120mとすると303号は妥当な番号だと思われる。

(昭和30年代発行の国土地理院1/50,000地図には撤去前のルートが記載されている)



 右のモノクロ写真は、林潔氏が撮影され所蔵されていた写真で、昭和30年代初期ののもであろう、貴重な運転中の全景写真である。


 なお、現在の谷村線は、谷村変電所〜駒橋発電所間の66KV送電線で、建設当初の谷村線とは無関係の送電線である。




<2012.03.17 追記>

(我が国最古の現存矩形鉄塔情報追記)


 本送電線・谷村線は、既にルート全線撤去されているが、平成24年3月現在、相模湖と津久井湖の中間付近で20基以上の建設当時の矩形鉄塔が、がいしおよび電線が外された状態で辛うじて残っており、まだ見ることができる。

 この鉄塔は、約100年前(1913年)に建設されたもので、現存している矩形鉄塔としては我が国最古の鉄塔であり、我が国の近代化産業遺産に登録された鬼怒川線鉄塔と同等の希少価値があると思われ、このまま朽ち果てさせるのは誠に残念である。

 具体的な残置鉄塔場所は下記の通りである。


 鉄塔が残置されている場所は、右図のA−C間である。

 A−B間は、約3.6kmで建設当時は35〜36基が建てられていたと思われるが、現在では20基が確認できる。

 このうちA点に近いところで、鉄塔番号札が残っている鉄塔があり、鉄塔番号はNo293と確認できた。

 また、そこから約1km老い番側でも鉄塔番号No302および冒頭に掲載した鉄塔番号No303が確認できた。

 なお、県道412号線を横断した次の鉄塔は、後に掲げる写真に示す通り撚架鉄塔である。

 次にB−C間は、ルートが険しい山の中で、樹木に埋もれて残置鉄塔をほとんど確認できないが、神奈川県側についてはほとんど撤去されているものと思われる。

 一方、東京都側は県境を源とする中沢川に沿ってにルートが設定されているが、その川沿いの道路脇に建てられた2基と、ルートが国道20号線に最接近した箇所で1基の合計3基が辛うじて確認できている。



 標準的な鉄塔構造は右図の通りで、根開きは大凡4.5m×3.0mである。

 厳密な根開き寸法は鉄塔毎に若干違っており、その理由はよく分からないが建設当時は基礎材据付寸法の厳密な施工管理は期待できず、部分的に現場加工を実施しつつ組立工事を施工したのかもしれない。



 県道412号線を横断した次の鉄塔は、右写真の通り撚架鉄塔である。

 一般箇所は電線配列が回線毎に正三角形であるが、この鉄塔では逆三角形であり、この鉄塔を用いて撚架鉄塔の前後で電線を120度回転させている。

 すなわち、例えば、撚架手前の鉄塔で、
●上相が「A」相、下右相が「B」相、下左相が「C」相の配置だとすると、
撚架鉄塔では、
●「A」相を上右相、「B」相を下相、「C」相を上左相に配置し、右へ60度回転させる。
(電線引き留め点が正確に逆正三角形ではないので、下相の「B」は厳密には60度ではない。)
 撚架鉄塔の次の鉄塔では、更に右へ60度回転させるため、
●「A」相を下右相、「B」相を下左相、「C」相を上相に配置する。

 すると、撚架鉄塔の前後で各相が120度右回転したことになる。

(撚架鉄塔を使用せず、いきなり120度回転させると、径間途中で電線相互間の距離が狭くなり規定の絶縁間隔を確保できないので、撚架鉄塔が必要となる。)


 ある区間を三等分して、この撚架鉄塔を2基用いることで各相が240度回転し、完全撚架を1回行うことが出来るので、本送電線の起終点間85kmを複数の区間に分けてこの鉄塔を配置したのであろう。

 一般箇所の径間長は110m内外であるが、この鉄塔の前後径間は電線が捻れ径間中央で電線間隔が狭くなるため、径間長を約60mとして一般箇所の半分の長さにしている。



 相模川を横断する径間は、径間長が約240mで一般径間長の2倍以上の長さになるため、右写真のように鉄塔を回線毎に単独に建て、電線相互間隔を増加させている。

(鉄塔の奥側は電線撤去後に伸びた樹木で先が見えないが、樹木を切り払うと鉄塔の奥が相模川横断となっている。)


 また、使用がいしはアーム先端の構造から推察すると、ピンがいしではなく、1907年(建設工事の6年前)にアメリカで開発されたヒューレット型懸垂がいしを輸入して使用したのではないかと思われる。

 左側の鉄塔は蔦が絡んで錆の発生が多く、他より早く朽ちると思われる。


 なお、このタイプの矩形鉄塔は、我が国では大垣のイビデン株式会社が所有する大垣送電線が唯一現役稼働しているが、この送電線も次第に建替が進んでおり、近い将来には完全に見ることができなくなりそうである。
(大垣送電線は、この次の次に掲載)


猪苗代旧幹線 (初の115KV長距離送電線)(Inawashiro old-main-line)


The115kV power transmission line first in our country.
This steel tower is made by an American Bridge Co.
This power transmission line raised the voltage to 154kV in 1944.


 猪苗代旧幹線は、猪苗代水力電気が猪苗代地区の水力発電電力を、東京に送電するため、大正3年(1914)に建設した115KV送電線で、猪苗代第一発電所(37,500Kw)〜田端変電所間を結ぶ225Kmに亘る長距離送電線であり、当時世界第三位の長距離送電線であった。
 鉄塔はアメリカン・ブリッジ製(材質ASTMA-7(42.2〜52.7kg/mu))で、鉄塔基数1,435基、電線はHDCC100mu(横浜電線(現・古河電工)製)、がいしは懸垂がいし(直径12inch、アメリカ・トーマス社から輸入・一部国産)が使われた。

 本工事は、アメリカ政府の開発援助資金によったとのことで、そのため鉄塔の製造は、アメリカン・ブリッジ製であるが、設計は我が国の猪苗代水力電気株式会社の岡部栄一氏(後の東京電灯副社長)、によるものであった。

 ルートは襲雷頻度が多い地域であり、磁鋼片による雷観測や、不平衡絶縁方式の採用など、その後の耐雷設計に果たした役割は大きかった。

 鉄塔組立工事は、ほとんどの鉄塔は5〜6tonで軽いので、塔頂まで全て地組を行い、神楽桟(かぐらさん)で一気に引き起こす工法を採用した。

 その後、昭和19年に154KVに昇圧した。

 右写真は懸垂鉄塔である。



 同上猪苗代旧幹線の耐張鉄塔である。

 現在、建設当時の鉄塔設備は、東京電力管内では地域の市街化による嵩上げあるいは系統増強対策でほぼ全基建て替えられ、その姿を見ることはできない。

 現在、福島県内で350基ほどが残っている。

        鉄塔組立工事は、「引起こし工法」を採用。

 さて、猪苗代旧幹線は、アメリカ政府の開発援助資金によったため、鉄塔の製造は、技術的には国内でも十分製造できたものの、アメリカン・ブリッジ製となり、その組立工事はアメリカ人技師の指導の下に行われた。

 当時の組立工法はアメリカでは「引起こし工法」が多く適用されていた経緯もあり、その工法が使用された。

 鉄塔の質量は5〜6tであったため、毎朝組立開始して、その日の内に組立を完了させていた。

 この組立工事の時間的流れを追った貴重な写真が送電線建設技術研究会にあり、提供いただけたので紹介する。

 まずは、組立工事に集合した作業員であるが、半纏と脚絆を身につけて、全員がハンチングとおぼしき帽子をかぶっているのが特徴である。


 組立開始時刻は9時30分で、標準的懸垂鉄塔について、約15人ほどの人数で地組作業を行い、約1時間後には、塔体頂部の組立を行い、右写真の進捗を示している。

 ちょうど時期的には水田の稲刈りを終わった後の乾燥した農地を利用し、特に地組のための仮設シートなどは使用せず、鉄塔材を直接農地に並べて地組が行われている。


 作業開始から約4時間後には、全ての部材を組み立てて、最下部材の位置に仮設木材をセットし、根開き寸法を正確に確保すると共に、下の写真に示す神楽桟(かぐらさん:人力巻き取り機)を用いてワイヤで鉄塔を引き起こす作業を開始したところである。

 


 手前に見えるのが神楽桟(人力巻き取り機)である。
 10名で心棒を回転させワイヤを心棒に巻き付けて、鉄塔を引き起こしている。

 ワイヤは、鉄塔引き起こし方向に対して途中で滑車により直角に曲げられ、線路用地からずれた位置でワイヤを捲いている。

 当然、バックテンションを反対側の方で取り、鉄塔が転倒しないよう調整をしている。


 最後に、鉄塔最下部材を基礎材に接合させて組立を完了させる。

 作業開始して、約5時間20分で組立を完了させている。

 なお、猪苗代旧幹線は、引き起こし工法を採ったが、我が国の昭和20年代以前の標準的組立工法は「台棒工法」であった。


大垣送電線(我が国最古の現役・2回線矩形鉄塔送電線)(Ogaki line)


The power transmission line using now our country oldest twice linear rectangular steel tower while driving.
This power transmission line is thought to have adopted the design of "60KV Niagara Toronto line" built in 1905, like Yaostu and Yamira line.

 送電線建設草創期には、支持物の種類に拘わらず、1回線を構成する3相の電線配置を正三角形として、各相の交流抵抗をバランスさせるように配慮した設計を採っていた。

 当時、2回線設計の鉄塔送電線では、どの送電線もカナダのトロント&ナイヤガラ電力が1905年に建設した世界初の鉄塔線路である60KVナイヤガラ・トロント線(右写真)の2回線矩形鉄塔設計を踏襲し、それが世界的に標準仕様になったと思われ、我が国でも同時期に建設された66KV主要幹線である酒匂川線、谷村線及び八百津線などは、鉄塔の詳細構造は異なるものの、全て同じ設計思想に基づいた電線配置になっている。

 ただ、100KVを超える高電圧の送電線については、その形式では線路幅が広くなりルート選定上の制約が大きくなること、及び建設用地費が高価になるなどのため、猪苗代旧幹線で採用した2回線垂直配列がもっぱら用いられ今日に至っている。

 我が国で建設された上述の2回線矩形鉄塔送電線は、現在では全て建て替え撤去されてしまい、見ることは出来ないと思っていたところ、岐阜県大垣市に本社のある電子・セラミック事業会社であるイビデン株式会社が所有・運用する「大垣送電線」が、現在でも建設当初の設備のまま現役送電線として活躍していることが分かり、2008(平成20)年6月、同社の御厚意で設備概要を教えていただくと共に現場をつぶさに見せていただくことが出来た。

 そこで、この歴史的に価値のある「大垣送電線」について掲載するが、そこには現在では過去の遺物と思われていた「可撓鉄塔」も現役で使用されており、さらに隣接した線路では、これもめずらしい「1回線組合せ送電線」があるなど、歴史に残る送電線を見ることが出来たので、以下にこれらを紹介する。

 ところで、我が国の送電線は、その殆どが電力会社所有の設備であるが、ごく一部に電力会社以外の企業が所有するものがある。ここで取り上げる「大垣送電線」もその一つで、上述のように岐阜県大垣市に本社のあるイビデン株式会社が所有・運用するものであり、他に2,3挙げると、王子製紙(北海道)、昭和電工(長野)、日本軽金属(山梨〜静岡)等があり、何れも水力発電所の出力を自社の工場等に供給する送電線として建設・運用されている。

 さて、イビデン株式会社の略歴であるが、大正元年に、岐阜県揖斐川水系の電源を開発し、電力事業を行う「揖斐川電力会社」として発足した。
 その後、大正4年に西横山発電所、大正10年に東横山発電所、大正14年に広瀬発電所、昭和10年に川上発電所、および昭和15年には西平発電所の5つの発電所を竣工させ、送電線については大正9年に大垣送電線などを竣工させたが、電力管理令により西横山発電所及び西平発電所は日本発送電株式会社に出資した。
 昭和26年に日本発送電株式会社が解体された時点で、両発電所を中部電力に移管し、会社としては電力事業会社から電気化学工業に転進し、現在は電子・セラミック事業会社としてハイテク商品を生産している。
 しかし、同社では東横山発電所、広瀬発電所、および川上発電所、並びに大垣送電線などは、中部電力に移管せず自社で所有・運用し、工場の重要な電源として活躍させている。


1.我が国最古の現役2回線矩形鉄塔送電線・大垣送電線
 大垣送電線は、揖斐川電力会社により揖斐川に開発した東横山発電所(12,000KW)の電力を大垣にある傍系会社の工場に送電すると共に宇治川電力に売電するため、大正9年(1920年)に東横山発電所から大垣市内の西大垣変電所間に建設されたもので、当初の電圧は44KV、後に宇治川電力へ送電の時に77KVに昇圧しており、こう長29.3km、鉄塔基数251基、標準径間約115mの2回線送電線である。

 鉄塔は冒頭で記述したように、世界最古の鉄塔送電線で当時の標準的形状となったカナダの60KVナイヤガラ・トロント線と同様の2回線矩形鉄塔を採用しており、各回線の電線配置は正三角形で、その一辺の長さすなわち電線間隔は1.82mである。
 がいしは4重ピンがいし、電線はHDCC80muを使用した。
 写真では、がいしがLPがいしに交換されているが、当初はピンがいしが使用された。


 鉄塔については、桂川電力により大正2年に建設された谷村線の鉄塔と基本構造は全く同じと思われ、同一の設計図を基に製作されたと思われる。

 すなわち、両線路とも塔体内平面材は、アングルではなくロッドを用いてその中央交点にはリング材を使用しており、また、塔体中央に設けられた架空地線用の特殊な結構のタワーが建っているのが共通した特徴である。

 ただ、鉄塔製作・加工上若干の違いがあり、谷村線では殆どの腹材の部材両端の結構箇所は、等辺山形鋼材をわざわざ鍛造で平面に伸ばしボルト穴をあけて結構しているが、本鉄塔ではそのような加工をせず現在一般に行われていると同様な片側フランジ結構を採用している。

 しかし、大垣送電線も鉄塔によっては写真のように一部で部材端のフランジを鍛造で2枚合わせに重ね合わせてそこにボルトを貫通させ結構している箇所も見られた。



 鉄塔部材は、アメリカのペンシルバニア州にある有名な「PENCOYD」製鉄所製の輸入品と、国産の八幡製鉄所が製造した部材が併用・使用されている。
 鉄塔製作・加工は、株式会社荒川製作所と言う会社で行われたとのことである。

 各鉄塔の部材(最下部主柱材)には、その原寸加工作業を指揮したと見られるアメリカのエンジニアと思われる者のアルファベットによるサイン(名前)が刻まれており、国内で製作するに当たりアメリカからエンジニアを呼び、その指導を受けたように思われる。

 さて、当初建設時に251基あった2回線矩形鉄塔は、平地部分にあっては地域の発展とともに地上高不足が生じたこと、或いは中部電力送電線との併架要請などの諸事情から建替改良工事が実施され撤去されて、平成20年現在では主に発電所側の山間地に60基が現存している。

 なお、大垣市内を流れる杭瀬川に架かる源氏大橋に平行してルートが経過しているが、平地区間としてはこの箇所のみに建設当初の鉄塔がまだ3基が残っており、掲載した鉄塔写真は、それを撮影したものである。

 その山間地に現存する建設当初の鉄塔は、約90年を経過するが、きめ細かな保守が行われ、冬期の積雪対策として最下部腹材に対し鉄塔毎に必要な長さの根巻きを施したり、あるいは最下部部材補強を行い、また、塗装も適正に実施され錆の発生は殆ど見られず、健全な状態で運用されているのを見ることができた。





 また、電線についても雪害対策として細い電線にも難着雪リングを取り付けるなど、最新の技術を積極的に適用され設備の信頼度向上挑戦されており、保守に従事されている方々の長年に亘る地道かつきめ細かなご努力がよく分かった次第である。


2.現役可撓鉄塔・大垣送電線


 可撓鉄塔は、右写真のように2脚一面だけの鉄塔で、線路方向の荷重に対しては全く耐えられない構造になっている。
 従って懸垂箇所のみに適用され、径間長は150m程度まで、また、連続して建設される場合は5〜10基毎に、四角鉄塔を用いていたようである。

 可撓鉄塔は、四角鉄塔に比べて経済的に建設できるので、大正時代に採用されるようになり、大正末期には1,000基近い基数が建設されていたようである。

 可撓鉄塔は、昭和50年代まで一部で使用されていた記録があり、関西電力・能力開発センター構内に歴史的に過去の貴重な鉄塔として1基が保存されている。
 現在見られるのはこの鉄塔だけと思っていたところ、大垣送電線No68鉄塔に可撓鉄塔が現役で適用されているのが分かった。

 この大垣送電線に適用された可撓鉄塔は、直線箇所に連続して使用するのと異なり、山間地ルートの特殊性から用いられたと思われる。

 すなわち、この鉄塔の前後は、右側にある山の中腹斜面を水平に横切って経過し、山がややふくらんでいるため僅かに右に曲がるルートをとっている。そのため、標準的径間長をとると右サイドの電線地上高が確保できず地上高不足になる。

 この対策として、中間に割鉄塔を入れる形で、電線を突き上げる目的で1基だけが使用されたと思われる。






 真下から見上げるとよく分かるが、自立2脚鉄塔である。

 なお、鉄塔番号は前述の通りNo68で、起点の東横山発電所から約7.5kmの地点に建設されている。

 いずれにしても、可撓鉄塔が現役で使用されているのは、本送電線のみであろうと思われ、歴史的に貴重な設備である。


(2009(平成21)年3月追記)
 本鉄塔は、2009(平成21)年3月に、設備改良工事のため、約90年の長い期間の運用に終止符を打ち、撤去された。

 イビデン株式会社では、教育的かつ歴史的遺産価値のある貴重な鉄塔であることに鑑み廃棄処分せず、いずれ、社内に展示残存させる計画であると聞いている。


3.組合せ送電線・広瀬送電線


 大垣送電線の起点の東横山発電所より上流に広瀬発電所があるが、この両発電所間を結ぶ送電線として77KV1回線の広瀬送電線が大正末期に建設されている。

 この送電線は、四角鉄塔で2段アームの構造であるが、電線は1回線にもかかわらず4相架線されている。

 この送電線のルートの左サイドに針葉樹林があるが、冬期樹林への降雪により樹木がたわみ、あるいは折損して電線に接触する可能性が高いものの、ルートはそれを避けて選定することが困難であり、したがって雪害防止のため左側の上下2相は、冬期においては何れか1条の電線を選択して送電出来るように発電所に開閉装置が設定されている。

 組合せ送電線としては、154KV黒部幹線(山側)が有名であるが、3相水平配列2段アーム構造の2回線6相設備の内、冬期は1回線3相の運用を夏期と変更し、経過地の状況を考え1回線は雪害を回避できる相配列として使用するものであり、本送電線のように4相設備はめずらしい。なお、黒部幹線は既にほぼ全線撤去されて現在では見ることは出来ない。

 ただ、海外を含めて海上を横断する超長径間箇所などの特殊箇所では、設備被害が発生した場合短時間での復旧が困難であることを予測して、予備の1相を予め架線しておくことは各所で行われている。



 以上、イビデン株式会社の送電線について紹介したが、約90年を経過する古い設備にも拘わらず錆の発生は殆ど見られず、健全な状態で運用されているのを見ることができ、また、最新の技術を積極的に適用され設備の信頼度向上に挑戦されていることを知り、保守に従事されている方々の長年に亘る地道かつきめ細かなご努力に心から敬意を表する次第である。



甲信幹線 (初の154KV送電線)(Koushin main-line)


The 154kV power transmission line first in our country.


 甲信幹線(建設時名称:京浜線)は、京浜電力が竜島発電所(25,000KW)の電力を、神奈川の戸塚変電所に送電するために大正12年(1923年)に建設した我が国初の154KV送電線である。

 送電線こう長は202Km、電線はHDCC 200muおよびACSR 200mu(古河電工、藤倉電線、東海電線製)、がいしは現在の250mm標準がいしに近い直径254mm、高さ165mmのボールソケット型(オハイオ・ブラス、日碍、松風製)であった。
 鉄塔は、日本橋梁、枝光鉄工所、浦賀船梁製であった。

 甲信幹線のルートは、線路名が変更になった区間もあるが、起点から橋本変電所まではほぼ建設当時のルートで、鉄塔も大部分は建設当時のものである。

 大正15年には、橋本変電所〜旭変電所間に分岐ルートを建設し、川崎方面の工場地帯へ電力を供給する重要幹線として活躍した。

 しかし、建設当初の橋本変電所と戸塚変電所間のルートは、昭和20年〜23年の間に撤去されて、そのルートの一部は戸塚線として流用されている。

 以後、昭和30年代までは、その分岐ルートで終点を旭変電所として、当初の鉄塔と同様の設備で運転されていた。

 しかし、現在は、橋本変電所から里側は、多回線化・建替えされて線路名も変わり、当時の面影は全く見られない。

 建設当時の設備が残っている区間の現在の線路名は、起点から山梨変電所間は元のままだが、山梨変電所〜東山梨変電所間は「御坂線」、東山梨変電所〜橋本変電所間は「都留線」、と変更された。

 写真は懸垂鉄塔である。


 写真は耐張鉄塔である。

 この写真の鉄塔区間では、電線は今もってHDCCを使用しており、引留クランプはOBクランプを使用している。

 また、GWには光ファイバが導入されており、この写真の鉄塔では光ファイバが鉄塔下部に引き下ろされている。


 なお、同じ大正12年に関西方面でも、154KV大一大阪線(木曽幹線)が木曽川系水力発電所〜古川橋変電所間(248Km)に竣工している。


長瀬川線 (塔体上部に初めてころび・テーパーをつけた鉄塔)(Nagasegawa line)

The steel tower which adopted taper structure to an upper part of the steel tower for the first time 

 猪苗代新旧幹線、甲信幹線、田代幹線、など大正年代および昭和初期の鉄塔は、ほとんどが3段アームの部分の塔体幅が同一で、ころび・テーパーが付いていない形状であった。

 しかし、昭和10年代は不況の時代で僅かでも資材を節約する工夫が求められ、鉄塔設計の第一人者である堀貞治氏は鉄塔重量を増加させず強度の確保ができる形状について研究を進めた結果、下アームから上部についてもころび・テーパーをつけることで合理化が図れることを突きとめた。

 そこで、昭和12年に建設した154KV長瀬川線(小野川発電所〜膳棚開閉所間 21Km)に、同氏が考案した塔体上部テーパー付きの鉄塔を初めて採用し、その効果を実証した。

 以降、この形状の鉄塔が我が国の鉄塔形状の主流になっている。

 右写真は長瀬川線の懸垂鉄塔である。

 この形状は美的感覚からも自然で、万人に好まれる形状であると思われる。




新北陸幹線 (初の275KV運転送電線)(Shin-hokuriku main-line)

The 275kV design (original 140kV driving) power transmission line first in our country.
This power transmission line is the longest in our country.


 右写真は、日本発送電株式会社が昭和16年(1941年)6月に建設した、超高圧220KV設計(最終的に275kV運転可能に改修)の「黒部笹津線」で、新北陸幹線の前身として建設された送電線である。
 上写真が懸垂鉄塔、下写真が耐張鉄塔である。

 この黒部笹津線は黒部地区で水力発電された電力を、関西地区に送電するためのもので、愛本変電所〜笹津変電所間48.08Kmを結ぶ送電線である。
 本送電線は、起点の愛本変電所から当時の富山市外熊野村(現在の富山市経力)地点間のこう長39km区間が超高圧220KV設計1回線水平配列のえぼし型鉄塔設備である。
 終点側の熊野村〜笹津変電所間約9kmは140kV設計送電線である。

 終点の笹津変電所から関西地区には140kV北陸幹線で送電した。


 鉄塔は、三菱神戸造船所製。
 電線は、大部分ACSR250muを使用したが、
1.コロナノイズ障害対策として電線外径を太くする必要があったこと、
2.電線質量を軽くすること、
3.当時、戦時下(太平洋戦争)で資材不足を反映したこと、
などの理由で、部分的に250mu中空銅線(直径28mm、HB型8セグメント)(右写真)を使用したのが特徴であり、 使用箇所は、「早月川左岸(愛本変電所から22km地点)」〜「富山市外熊野村(現在の富山市経力)のえぼし型最終鉄塔」間、こう長約17Kmの区間である。





 また、当時最先端技術であった圧縮型引留クランプが採用された。(右写真)
 がいし一連個数は16個である。

 当初は140KV運転した。

 なお、このえぼし型鉄塔黒部笹津線区間約39kmは、後年昭和50年にACSR520muに張り替えされた。



 ところで、昭和16年に日本発送電株式会社で建設した当初の黒部笹津線は、電圧220KV、1回線の基本設計で進められたが、発変電所の機器開発状況の関係で万一それが不可能になることも想定し、えぼし形鉄塔のアームの下段に増設アームを取り付けて、140KV2回線としても運転できるように設計された。





 関西電力は、富山市郊外の市街化等地域開発の進展に合わせて、地上高の低い当初設備の更新を進めており、富山市内を通過している区間については部分的に新しい鉄塔に建て替えが進んでいるようである。

 右の写真は、富山市大宮町地内で進められている建て替え工事の写真である。
 手前の低い当初設備を、隣接地に高鉄塔を建設し設備更新している工事現場を平成22年10月に撮影したもので、電線が新設鉄塔に移線され緊線作業を行っているところである。


 当初鉄塔と最新鉄塔の構造の違いがよく分かる。




 この黒部笹津線は、建設当初、起点の愛本変電所からえぼし型鉄塔の終点である当時の「熊野村」までの区間約39kmを将来超高圧に昇圧する計画で建設したが、そこから南下して笹津変電所までの約9kmは140kV設計の2回線垂直配列鉄塔(HDCC180mu 1回線架線)を建設した。

 また、日本発送電株式会社は黒部笹津線と同時に、えぼし型最終鉄塔から北上して富山変電所との間に、こう長11.68km 140kV設計1回線π引き込みの、線路名称富山線・2回線垂直配列鉄塔使用、電線HDCC180mu使用の送電線を建設した。
 送電電力は富山変電所経由で笹津変電所に送電された。

 このえぼし型最終鉄塔は、現在の北陸電力富南変電所の南方約400m地点で、現在の新北陸幹線が1回線えぼし型鉄塔2ルートから2回線垂直配列鉄塔に変わる富山市経力地点であろう。


 その後、大阪側の成出変電所〜枚方変電所間230Kmの建設(2回線垂直配列の標準形)を昭和25年3月に開始したが、昭和26年5月における日本発送電株式会社の解体に伴い、その工事を関西電力が引き継ぎ、昭和26年12月に同区間を竣工させた。
 竣工と同時に、この区間を新北陸幹線と命名し我が国初の超高圧275KVで運転開始した。

 この区間の最小使用電線はACSR410muであり、
1回線当たりの送電容量は約35万kWであった。



 さらに、翌年昭和28年には更に北上して、成出変電所〜黒部笹津線超高圧設計(えぼし型)最終鉄塔間も建設した。
 この区間は、電線ACSR520mu 1回線架線であった。

 そこで、黒部笹津線の超高圧設計(えぼし型)最終鉄塔において、富山変電所π引き込みの電線を切り離し、大阪側から建設されてきた2回線垂直配列鉄塔使用の送電線路に接続変更して、新愛本変電所〜枚方変電所間321Kmが、黒部笹津線区間を含め新北陸幹線の名称で275KV運転を開始した。


 この時点では、黒部側の新愛本変電所〜成出変電所間は、1回線送電線であった。


 その後、関西電力は黒部川第四発電所(通称:黒四)の建設に伴い、昭和35年に黒部川第四発電所〜新愛本変電所間にこう長30Kmの2回線送電線を建設した。

 さらに黒部川第四発電所の運転開始に合わせて、昭和37年には新愛本変電所〜成出変電所間90Kmに1回線増設(新愛本変電所〜富山市経力間は、えぼし形水平配列鉄塔の1回線別ルート新設)を行って、黒部川第四発電所〜枚方変電所間全線が275KV・2回線運転を行った。



 右の写真は、昭和37年に1回線増設・運開した2ルート目の鉄塔を、富山市月岡町付近で撮影したものである。

 冒頭の第1ルート鉄塔写真で分かるように、黒部笹津線はウエストから下部がKトラスの結構構造であるが、第2ルート目の増設ルートの鉄塔は最新タイプのブライヒ結構の鉄塔となっている。

 また、腕金下部の構造が、黒部笹津線は線路方向から見て幅のあるトラス構造であるのに対して、第2ルート目の増設ルートの鉄塔はヒンジ構造となっているのが両鉄塔構造における大きな違いである。

 この違いは黒部笹津線がえぼし形鉄塔のアームの下段に増設アームを取り付けて、140KV2回線としても運転できるように設計したため幅のあるボックス構造になったものである



右写真は、第2ルート目の増設ルートの耐張鉄塔である。



 上述の通り、新北陸幹線の富山市経力地点から里側は、そのごく一部(神通川横断長径間箇所および城端開閉所付近〜小瀬峠間約7kmの豪雪高標高区間など)が1回線水平配列2ルートであるが、他は全て2回線垂直配列の標準形鉄塔である。

 右写真は、1回線2ルートから2回線1ルートに変わる地点の鉄塔を撮ったもので、老番側から若番側を撮影したものである。

 左のえぼし型鉄塔ルートが黒部笹津線・第1ルートで、右のえぼし型鉄塔が増設・第2ルートである。

 なお、左のえぼし型鉄塔は平成4年に新しく建て替えたもので、最近の新しい結構になっている。


 手前の2回線鉄塔と奥側のえぼし型鉄塔が共に高いのは、この径間に於いて昭和28年時点で切り離した140kV線路が現在ではリニューアルされて154kV送電線として下部交差しているためである。

 すなわち、下部交差している154kV送電線は、富南変電所と北笹津変電所を結ぶ東富山線で、昔のルートを利用して昭和48年に建替建設されたものであり、交差箇所はドナウ型鉄塔を適用している。





 富山平野は、冬期に日本海からの季節風による氷雪が多い地域であるため、この区間の鉄塔はスリートジャンプおよびギャロッピング対策としてオフセットを多くし、そのため水平線間間隔も中アームで16m以上と長くしている。

 





 上記の懸垂鉄塔に隣接した場所で耐張鉄塔を撮ったものであり、懸垂鉄塔と同様スリートジャンプおよびギャロッピング対策としてオフセットを多くし、そのため水平線間間隔も中アームで16m以上と長くしている。




 右写真は大垣市北部を経過する箇所の懸垂鉄塔である。

 がいし一連個数は、16個である。

 この地域は氷雪が少なく、耐氷雪設計は一般地区として設計された鉄塔が建設されており、中アームの水平線間間隔は約12mである。





 ところで、日本発送電株式会社最後の建設工事となった枚方変電所〜成出変電所間、2回線垂直配列の標準形鉄塔区間については、電圧を220KVとするか275KVとするかで、時の総裁を中心に長期間にわたり白熱した検討会議が行われたが、工事工程の関係上、鉄塔設計は既に220KVで完了させていた。

 しかし、最終的には275KVに変更決定され、さらに使用電線の変更もあったりで、鉄塔設計者は大変な苦労をしたとのエピソードがある。





 右の写真は岐阜県垂井町と関ヶ原町の堺を経過している箇所で、東海道新幹線を横断している軽角度耐張形鉄塔である。

 この鉄塔は上記の懸垂鉄塔と同じく氷雪が少ない地域用で、耐氷雪設計は一般地区として設計された鉄塔であり、中アームの水平線間間隔は約12mである。
 
 本写真の鉄塔は、昭和27年に建設した当初の古い鉄塔ではなく、新幹線が建設されたときに当初の鉄塔を建て替えしたものであろう。

 東海道新幹線の車窓から撮影した写真である。


 このように我が国初の超高圧275kV新北陸幹線は、昭和16年に黒部笹津線を建設してから20年以上の長い歳月をかけて幾多の変遷を経てようやく昭和37年に最終的な設備として完成したもので、351Kmのこう長を有する日本で最も長い送電線となった。

 平成20年(2008年)現在では、終点側の系統が変更され、終点が枚方変電所から滋賀県の栗東変電所までとなり、こう長が短縮され317.6Kmとなっているが、それでも、現在、我が国では最長の送電線である。


 さて、我が国初の超高圧275kV送電線が必要とされた背景であるが、「日本発送電社史」に当時の切羽詰まった系統運用状況が、次のように掲載されている。

(以下、その抜粋である。)
 本州中央部の電源地帯から京阪神を主体とする関西の需要地帯に至る140kV送電線は北陸幹線、東海幹線、美濃幹線、木曽幹線および関西幹線の5ルートがあり、これら5ルートの送電線は輸送電力が多いことと送電距離が長いことのため、送電の安定限度に達し、昭和22年春以降急激に脱調停電事故が増加するに至った。
 豊水時期には平均して10万kW乃至15万kWの輸送力超過水力を擁するも、送電し得ない実状であった。
 また、輸送電力の増加に伴い線路の送電損失が甚だしく増加し、昭和24年4月〜6月の間の尖頭負荷時の実績に基づいて算出すれば、送電損失は総合到着電力70万kWのとき14.4%、80万kWのとき19.3%、85万kWのときは実に23.6%の多きに及んでいた。
 加えて送電線の脱調事故は昭和22年度には15回に及び、更に負荷の計画制限とは別個に緊急制限を行ったときの記録は年95回にも達した。
 この窮状を打開する根本的方法としては、送電線路の新設、昇圧等の拡充以外にはない。




 以上の抜粋の通り、超高圧新北陸幹線の建設が急がれ、一日でも早い完成が望まれた次第であり、この完成と共に黒部および庄川方面からの送電能力は飛躍的に増加し、京阪神地区への安定供給に大いに寄与したのである。



中東京幹線 (初の2導体設計送電線)(Naka-tokyo main-line)


The power transmission line which adopted our country's first "bundled conductor (2 conductors) system".
This power transmission line built it with a single conductor first and one electric wire was added later and became bundled conductor (2 conductors).


 275KV中東京幹線は、信濃川水系の水力発電電力を東京に送電する目的で、昭和26年東京電力発足とほとんど同時に建設に着手し、同年11月に第一段階として群馬県の金井発電所付近から横浜の綱島変電所間約142KmについてACSR240mu単導体架線で竣工させた。

 引き続き昭和29年に信濃川発電所まで大部分ACSR610mu単導体架線で延長し、全線の竣工をみた。

 当初の線路名は西東京幹線と称し、まず154KVで運用を開始した。

 なお、綱島変電所近傍約6Kmの区間は154KV設計であった。

 その後、275KVへの昇圧運転の準備として、コロナノイズによるAMラジオ障害対策として、群馬県の湯宿開閉所地点から里側は2導体化することとし、既に架線されている既設電線ACSR240muに新しいACSR240muを添わせて2導体化する工法を採用し昭和31〜32年に竣工させた。

 この2導体化は困難を極めた工事であった。

 当時この工事に従事された柏村良一氏(注参照)の話を紹介する。

 「既設電線に新品の電線を並べて架線する方法では、既設電線の永久伸びをどうみるかが重要な問題で、新設電線と既設電線の伸びの不平衡が生じた場合は弛度が不揃いとなってしまう。

 これを解決するためには、既設電線が過去に受けた最大張力に相当する張力を予め新線に加え、永久伸びを出させてから架線するのが適当であると考えた。

 そこで電線の永久伸びが実送電線で荷重履歴によりどの位出るのか検証する現場実験を行った。このため、西東京幹線の湯宿付近の5径間約1.6Kmに2導体試験線を架線して研究を行った。

 その結果、延線終了後に架線張力の約2倍の過張力を新線に与えて1時間程度放置し、その後既設電線よりやや高い張力で約1週間放置し、その上さらに緊線時には既設電線よりやや高めに締め上げることで解決することが分かった。

 この工法を『プレストレッチ工法』と言うが、このような極めて手間のかかる工法を行い、2導体化は無事成功した。」


 さて、西東京幹線の中間地点、埼玉県の現在の日高市に昭和33年に中東京変電所が完成し、取り敢えず154KV運用ででπ引き込みを行い、昭和35年11月に信濃川発電所から中東京変電所間を275KVに昇圧し、線路名を中東京幹線とした。

 なお、中東京変電所から南側の部分は、275KV外輪系統の京浜線、および275KV港北線として運用されている。



 このように、中東京幹線は昭和26年の建設開始から、昭和35年に275KV昇圧運転され最終形態に至るるまで、約9年の長い期間を要している。

 これは、当時の建設資金事情が悪く、一足飛びに最終形態の設備建設が出来なかった事情があったためである。

 写真は上が懸垂形鉄塔で、右が耐張形鉄塔である。

 最近のオールオフセットの電線配列鉄塔に比べ、オフセットを付けた電線配列であり、いかにも落ち着いて堂々とした印象を受ける鉄塔である。

 この鉄塔をみると何故かほっとする気分になる。

(注)柏村良一氏(1926-2010)

 柏村氏は、我が国の超高圧送電線建設部門における電気的、機械的設計の第一人者で、275KV多導体送電線の設計研究では草分け的存在である。

 特に氷雪地帯の山岳地送電線の設計については、最も知見が豊で、送電関係者としては1971年に初の日本雪氷学会功績賞を受賞された。


 また、最近はインドの800KV送電線建設プロジェクトでコンサルティングチーフマネージャとして活躍され、インドの技術者から極めて高い評価を受けた。

 詳しくは、「インドの送電線」をご覧頂きたい。

 右写真は、インドで休日の日に人力車に乗っている在りし日の柏村氏(右端の方)である。



枚方向日町線 (初のMC鉄塔送電線)(Hirakata-mukoumachi line)


The power transmission line which adopted MC steel tower for the first time in our country

 枚方向日町線は、枚方変電所〜向日町変電所間の18Kmを結ぶ77KV送電線(電線:HDCC100mu)で、昭和30年8月に建設された送電線である。

 本送電線に、我が国初のMC鉄塔が10基建設された。

 本送電線は、昭和54年に地域の市街化に伴う鉄塔建て替えのため、MC鉄塔を含む当初設備は撤去されたが、1基(No55,A型鉄塔)だけ関西電力・能力開発センター構内に保存されている。(右写真)

 MC鉄塔は、第二次大戦直後スイスで開発されたものである。

 すなわち、当時、西欧では鋼材の入手難から送電線建設に窮していたがアメリカでパイプライン用の鋼管が大量に売却されており、スイスのモーターコロンブス社が鉄塔に適用出来ないか開発・研究を行い、鋼管にコンクリートを充填すれば鉄塔材として経済的に活用できることを1946年に立証し、同社は社名の頭文字を採ってMC鉄塔として特許を取得した。

 関西電力は、このMC鉄塔の優秀性に着目して我が国で初めて導入し、本送電線に適用した。

 本送電線のMC鉄塔は、写真で分かるように主柱材は単一テーパーで、ベンド点を設けない構造になっている。
 これは、組立を完了した後、頂部から4脚の主柱材にコンクリートを流し込み充填させる工法を採用したので、コンクリートが充填しやすいよう、ベンド点を設けずに単一テーパーとしたものである。
 主柱材の継ぎ手はフランジ継ぎ手を採用している。

 また、腹材はシングルワーレンであるが、これはスイス方式をそのまま採用したもので、一つの節点に斜材が4本集中する結構方式を採っており、この規模では工事費を含めた経済比較でも妥当な結構であった。
 しかし、より大型の鉄塔では、ダブルワーレン、ブライヒ結構を採用することが適切であり、以降のMC鉄塔ではそのようになっている。

 また、コンクリート充填工法も、当初は組立後に塔頂から行っていたが、設備の大型化に伴い、昭和39年以降は部材毎に地上で充填した後に組み立てる工法を採用し、主柱材のテーパーもベンド点を設けた従来の山形鉄塔と同様の形状になっている。




 我が国で初めてMC鉄塔を適用した超高圧送電線は、昭和35年に建設された275KV北大阪線(枚方変電所〜伊丹変電所間46Km)で、9基のMC鉄塔を建設している。その形状は右写真の通りで、やはり単一テーパーであり、規模が大きいので腹材はブライヒ結構となっている。
 また、主柱材の継ぎ手は「MC式継手」という、パイプを被せる形の接合部にスリットを設け、亜鉛合金を流し込んで固めた特殊な構造の継ぎ手を採用したのが大きな特徴である。(写真を見ると、主柱材のジョイント部分がスレンダーでスマートである。なお、この継ぎ手はそれ以降の送電線では使用されていない。)

 この鉄塔も昭和62年に500KV西京都新生駒線新設に伴い、既に撤去されている。

 MC鉄塔は、その後各電力会社で本格的に採用されて、関西電力を中心に昭和40年時点で全国の統計で1,000基弱のMC鉄塔が建設され、その後はさらに多くのMC鉄塔が建設されて、昭和39年以降の関西電力の基幹送電線は、全てMC鉄塔を使用していると思われる。

 なお、現在、鋼管鉄塔は、中空のまま使用する場合と、上述のようにコンクリートを充填するMC鉄塔の2種類が使用されているが、その両者は製作、施工面で一長一短を有し、各電力会社で評価の仕方が違うので、使われ方は各社各様となっている。

 
 ところで、鋼管鉄塔の歴史について簡単に説明すると概略次の通りである。
送電線建設の草創期、明治44年に名古屋電灯が木曽川水系の八百津発電所〜荻野変電所間42Kmに建設した66KV八百津線において、既にアームなど一部にアメリカ製鋼管材が使用されていた。

また、同じ明治44年に山形電気株式会社が建設した33KV吉白線においても、一部に鋼管鉄塔が使用された。

しかし、その後は等辺山形鋼材が安価に入手でき、かつ製作及び工事施工に有利なため、長年に亘り鋼管材はほとんど使用されていなかった。しかし、昭和30年に鋼管材にコンクリートを充填したMC鉄塔が、77KV枚方向日町線に採用されたのを皮切りに、次第に多く適用され始めた。

一方、中空鋼管材を初めて本格的に使用したのは、昭和40年に建設された九州電力の220KV築上篠原新線(現大分幹線)である。

また、東京電力では中空鋼管とMC鉄塔の中間的な設計のTP鉄塔が開発され、昭和45年から50年代前半にかけて、275KV西北線を皮切りに一部の送電線に適用された。このTP鉄塔は、中空鋼管材の内面にドーナツ状に、モルタルをある厚みで均等に付着させたもので、鉄塔工場にて鋼管を回転させてモルタルを注入し、遠心力で鋼管内面に付着させる製造法で製作した。
 このTP鉄塔は、大サイズの鋼管では製造が難しいため、その後の500KV大型鉄塔時代を迎えて中空鋼管鉄塔に代わられた。

500KV大型鉄塔時代になると、鉄塔部材に加わる応力が極めて大きくなり、鋼材の抗張力を高めた鋼材(55s/mu以上)を使用しても等辺山形鋼では対応できないため、大型鉄塔には断面性能が良く高強度が容易に得られる鋼管材(中空鋼管、MC)を専ら使用するようになった。



東京東線 (380KV昇圧可能設計送電線)(Tokyo-higashi line)


The 275kV power transmission line of the design of the voltage that voltage up is possible to 380kV
In other words, this power transmission line can support the design that "1circuit driving of 380kV" is possible when the upper voltage is necessary.


 東京東線は、東京電力の超高圧外輪系統の東側を構成する幹線送電線である。

 本送電線は、昭和33年に千葉火力超高圧送電線新設工事の工事名称で、中東京変電所〜千葉火力発電所間こう長約115Km、電線:ACSR330mu2導体を使用した、東京電力初の275KV複導体送電線である。

 前項の中東京幹線の方が工事計画・工事着工は早期であったが、275KV運転は本送電線の方が早く、東京電力初の超高圧275KV2導体送電線となった。

 工事の実施は、昭和33年1月に開始され、同年11月に完成しており、大規模工事としては驚異的な短期間だった。

 当時、複導体架線工事を経験した電工がほとんどいない中での施工で、周到な準備の元に工事が行われたと思われる。

 本送電線の特徴はいろいろあるが、最も特筆すべき特徴は、外見では分からないが380KV昇圧可能な補強設計が施されていることである。

 当時、設計に携わった山岸啓利氏(注参照)の苦労話を紹介する。
 「東京東線は、東電として初めて運転開始する超高圧275KV2導体送電線で、設計・施工上の諸問題が山積するなかで諸準備を進めていた。

 そんなとき、当時の経営層は、275KVが初めて導入される段階にあって、はるか先を見透して首都圏の旺盛な電力需要を勘案すると、その次にくる一段階上の電圧階級の送電線が早晩必要になると判断し、その送電線を、別ルートで建設する案と、本送電線を改修・昇圧する案を選択肢として検討していた。

 設計を担当している実務部隊の部署には初めての大工事であり、少しでも経済的で、コンパクトになるように日夜奮闘し極めて多忙な業務を進めていたが、設計が完了する頃になり、突然上司から東京東線の鉄塔を将来に備え380KV・1回線に昇圧可能な4導体設計とするよう命ぜられた。

 当時は、鉄塔設計は全て電力会社社員が自ら行っていたので、関係者総動員で、土日もなく設計に専念し、1ヶ月間の短時間で300基以上の全ての鉄塔補強設計を完了させた。


 当時の鉄塔設計は、クレモナのダイヤグラムを描き、次に計算尺とソロバンで計算を行って設計図を作成するもので、現在のようにコンピュータに入力データをインプットすれば自動的に答えが出る時代ではなく、突然の設計変更業務が発生すると大変な苦労をした。

 具体的には、380KV対応の鉄塔は右写真・図のように、275KV設計の鉄塔上アームの片側を1.6mほど外に延ばし、中・下アームの中間に中アーム相当の大きさのアームを取り付けて三角配列とするものであった。

 当時は、まだ4導体の断線条件が定まっていなかったが、総導体数が275KVと同じであることから、4導体中2条断線で設計し、アームについては4条断線設計した。

 幸か不幸か、この設計は日の目を見ずに終わったが、この設計記録は貴重なアーカイブスとして東電に保存されているはずである。」


 と以上のような話だった。





 東京東線の設備の特徴としては、東電として初めて架空地線にIACSR 120mu使用したこと、およびジャンパ線に補強装置を使用したことなどが挙げられる。

 上の写真は懸垂形鉄塔、右写真は耐張形鉄塔である。

 なお、建設当初の鉄塔は、地域の発展などに対応して鉄塔嵩上げが必要になるなどの理由で次第に建て替え・撤去が進み、新野田変電所〜新京葉変電所間では、平成18年現在で69基中10基ほどしか残っていない。また、新京葉変電所以南では建設当初の鉄塔は皆無である。

 建設当初の鉄塔は、近いうちに全て建て替え・撤去されてしまうのではないかと思われる。

(注) 山岸啓利氏 (1929-2014)

 
山岸氏は、昭和22年に関東配電(株)に入社され、昭和26年の電力再編成により東京電力(株)に移籍されて以降一貫して鉄塔設計、製作、施工、保守に関わる業務に専念された。

 特に、超高圧送電線建設草創期から今日に至るまでの間、鉄塔設計の標準化・合理化および設計のコンピュータ化など、その功績は極めて大きく、我が国の送電鉄塔設計の第一人者である。

 50万V鉄塔および100万V鉄塔の開発にあたっては、基本骨組み設計から鉄塔詳細構造を含む詳細設計まで主導され、同氏抜きでは今日の大規模基幹送電線の完成は、考えられない。

 なかでも、大規模鉄塔に不可欠な中空鋼管鉄塔の研究開発にあたり、一貫して経済性の追求とコンパクト化に尽力され多大な実績を残された。

 鉄塔技術の専門家として、電気科学技術奨励賞(オーム技術賞)を3度も受賞されたり、中国政府から高級工程師の称号を授与されるなど、国内外で活躍された。


 また、鉄塔の脅威となる雪氷関係については、着氷雪や積雪圧についての研究に古くから関わられ、雪氷学会の会員として活躍されて同学会から功績賞を受賞したほか、雪氷工学分科会の設立に尽力された功績により雪氷学会の名誉会員に推挙された。

 右写真は、平成19年に富山で開催された雪氷学会に参加された折に訪問した関西電力の黒部川第四発電所での記念写真で、左から二人目が山岸氏である。

 更に、同氏は、日本における鉄塔設計の拠り所である「送電用支持物設計標準規格(電気学会)」の改訂に際しては、第一線の学識者として数次に亘る改訂の都度、専門委員として活動され、また若い技術者の名アドバイザーとして精力的に活躍されていた。


京浜線 (初の4導体架線送電線)(Keihin line)


The power transmission line that bundled conductor (4 conductors) system were adopted partially for the first time in our country


 京浜線は、東京電力の275KV超高圧外輪系統の西側を構成する幹線送電線で、京浜変電所〜中東京変電所間約76Kmを結ぶ、ACSR330mu2導体の送電線で昭和35年8月に竣工した。

 この送電線の一部No1014〜1021間約3Kmの区間は、米軍上瀬谷無線基地に近接しているため、送電線からのコロナノイズを低減させるよう要請があり、我が国初の4導体架線を実施した。

 内訳は耐張5基、懸垂3基、7径間にACSR330mu4導体を架線した。

 この時期には電力会社は次期電圧の400KV級の建設検討を進めており、そのための4導体設計・工法の検討が試験線での実証検討を含め行われており、京浜線ではその成果をふまえて建設が行われた。

 この京浜線4導体建設データは、その後引き続いて建設された4導体外輪送電線、さらには500KV送電線の貴重なデータとして生かされた。

 なお、本4導体区間は地域の市街化に対応して平成16年に鉄塔の嵩上げ工事が行われ、その際に米軍と折衝し隣接区間と同様2導体化され、4導体は撤去された。


中四幹線 (我が国最高鉄塔高、我が国最長径間)(Chuushi main-line)


The power transmission line which has "steel tower of the best height" and "the longest span" in our country.
This power transmission line is the facilities which link Shikoku to Honshu.
High steel towers and long span were necessary for this power transmission line to cross the Inland Sea along islands.


 中四幹線は、瀬戸内海を横断して、本州の広島変電所と四国の伊予変電所間を結ぶこう長125Kmの220KV送電線である。

 本送電線は、昭和37年に電源開発株式会社により建設された。

 その概要は、
・電線:瀬戸内海海峡を長径間で横断するため、極力弛度を少なくする必要から、高張力に耐える特殊な電線を開発し使用した。
その概要は右図の通りで、重防蝕特強鋼心アルミ被鋼撚線170mu、外径35.2mm、高張力93.7tf、安全電流645Aである。

・架空地線:架空地線は、本線より電線弛度を張り上げる必要があるが、そのような特殊電線を開発することは不可能であり、使用しないこととした。なお、直撃雷対策として、径間の相当部分までをカバーする避雷針を鉄塔に設置した。

・がいし:電線の架線張力が極めて強いので、それに耐える特強(30tf)長幹がいしを開発し使用した。また、長幹がいしは塩害対策として優れており笠径210mm、長さ約1,300mmのものを3個連とし、2〜4連耐張装置および2〜4連懸垂装置を使用した。

なお、こう長125Kmのうち海峡横断6箇所は、約12Kmである。

 

 本送電線の最大の特徴は、長距離の瀬戸内海・海峡を横断するため、径間長が最も長い箇所(広島県竹原市忠海床浦〜同市忠海町大久野島間)で2,357mとなり、我が国で最も長い径間長を記録したことである。

 同時に鉄塔高は海面上42mの電線高さを確保するため最も長い径間長の鉄塔では214mの電線支持点高さ(上相)を必要とし、更にその上部に12mの避雷針高さを加えて鉄塔全長226mとなり、我が国で最も高い鉄塔となった。




 海峡横断部の高鉄塔部材には、強い荷重に耐える必要があるが、一般に使用されている等辺山形鋼では強度が不足するため、高強度で断面性能が良いボックス型鋼材を主柱材に使用している。
 また、腹材には複合部材を使用している。




 海峡横断の長径間箇所・懸垂鉄塔の頂部写真であるが、耐雷設計として上相から12mの長さの避雷針が伸びている。


 がいしは、特強(30tf)長幹がいし3個連、海峡横断の懸垂鉄塔には4連懸垂装置を使用した。

 また、常時張力の高い電線架線条件から、電線損傷対策として、電線支持点の曲率半径を大きくした特殊懸垂クランプを開発使用し、振動対策として特殊べートダンパを使用した。


 海峡横断箇所の引留鉄塔には、電線最大張力が約40tfにも達するため、120tf規格の4連耐張装置を用いた。


 また、耐張装置電線引留箇所には、高張力の電線振動対策として、特殊ベートダンパを使用した。


 海峡に電線を延線する方法としては、電線を延線する外径32mmのメッセンジャワイヤに等間隔に浮き(ブイ)を取り付けて海上を曳船で渡す方法を採用し張り上げした。

 このワイヤで、引き替え無しに直接電線を延線した。

 この、海上ワイヤ延線作業は上線、中線、下線の各延線作業毎に都合3回実施された。




 海峡を横断する延線作業は、20tf以上の高張力で行うため、通常の一線引き工法では、架線車、延線車共に非常に大型高強度のものが要求されるとともに、定張力延線制御がむずかしい。

 この両方の条件を満たす工法として、右図のようなループ延線工法を採用した。

 延線車については、繰出機と巻取機を機械的に同軸として直結した機構とすることで、極めて少ない動力で安定した延線が可能となった。


 延線車は、シューチェーン方式の単輪ドラム径2.5mのものと、直列2輪のドラム径2.5mのものを、6箇所の海峡横断延線に使い分け使用した。

 右写真は、シューチェーン方式の単輪ドラム径2.5mのものであり、左側軸に電線が巻かれて引き出されており、右側軸にメッセンジャーワイヤが巻き取られている。

 なお、海峡横断電線は、最大延線区間約3,300mになるが、その間には電線接続箇所がないように、特殊ドラムで電線を運搬し、直線スリーブは使用しない設計として延線工事を行った。


 延線折り返し点に設置した大金車は、電線とメッセンジャーワイヤの仮接続クランプが通過可能な設計とし、直径2.5mのものを使用した。

 右写真の金車溝、向かって右側部分にちょうど電線とメッセンジャーワイヤの仮接続クランプが通過しているところが見える。

 この後、電線先頭端を延線車直前位置まで延線し、往復延線区間が全て電線になったところで、緊線作業に移る。

 この延線作業は上線、中線、下線の各延線作業毎に都合3回実施される。


  大金車は、延線中の弛度張力の変化を調整・吸収する能力を持たせるため、前後に移動が可能なように、レールの上を台車に乗せて移動可能な装置としている。


 以上のモノクロ写真は、当時建設所長でおられた林潔氏所蔵の写真を使用させていただいた。

 ちなみに、
・世界一の長径間は、グリーンランドのヌーク(Nuuk)近傍のアメレリック(Ameralik)フィヨルドを横断する送電線で、径間長5,376mである。
 その次がノルウェーのソグネフィヨルドを横断する送電線で、4,898mを記録している。(海外の送電線・ノルウェー参照)

本送電線の記録は、世界で7〜8番目に位置づけられると思われる。
また、
・世界一の高鉄塔は、中国、江蘇省の長江(揚子江)を挟む江陰市〜靖江市間に、長江横断の500KV送電線が2004年11月に竣工したが、その長江横断箇所の鉄塔が塔高346.5m(径間長2,303m)であり、世界一の送電線高鉄塔である。
本送電線の記録は、径間長と同様世界で7〜8番目に位置づけられると思われる。

 現在は、東岡山変電所と讃岐変電所間に、平成12年に500KV本四連系線が完成したので、40年を越える運用に終止符を打ち、平成16年までに大部分が撤去された。
 ただ、最長径間長記録の海峡横断部分(カラー写真区間)は、中国電力のローカル運用線路として残っている。


東京南線3・4号線 (初の全線・4導体設計送電線) (Tokyo-minami #3L&4L line)


The power transmission line that bundled conductor (4 conductors) system were adopted for the first time in all sections in our country.


 東京南線3・4号線は、東京電力の275KV超高圧外輪系統の西側を構成する幹線送電線で、横須賀火力発電所〜京浜変電所間約36Kmを結ぶ、我が国初めての4導体方式を採用したACSR410mu4導体の送電線である。

 本送電線は昭和38年に竣工した。

 本送電線の特徴は、幅の狭い三浦半島を縦断するルートで海からの塩風が直接当たる海岸線から近い所を通過しているため、塩害対策設計を特にきめ細かく行ったことで、最も過酷な場所は275KVでありながら内陸の500KV送電線と同等程度のがいし連結個数を適用している。
 また、用地事情から送電線幅を極力狭くするため、従来採用していたオフセット(中アーム幅を広くした形状)を止め、オールオフセット(ほぼ各アームとも同じ幅で塔体のころびの分だけ中・下アーム幅を僅か広げた)方式を採用した。

 この結果、従来の275KV鉄塔に比べ70%程のアーム幅に縮小することができたが、懸垂がいし装置は直吊りではクリアランスが不足するため横振れのないV吊り懸垂がいし装置を採用した。また、耐張箇所のジャンパ線には、やはりV吊りがいし装置を使用した。
 鉄塔ボルトには、初の高張力材SCr440を採用した。

 4導体方式の送電線では、電線本数が単導体送電線の4倍になるので、狭いアーム上での電線架線工事の工法(延線・緊線手順、使用機械工具)について電力会社および工事会社一体となって検討・開発し、4導体架線工法を確立をした。
 この結果が500KV架線工法に繋がった。

 本送電線以降の超高圧送電線は、ほとんどこのオールオフセット方式を採っている。
 しかし、個人的には中アームを長くしたオフセットのある昔の鉄塔のほうが、落ち着いた趣があって優雅で美しいと感じている。


 同上の耐張鉄塔である。
 がいし装置は、3連耐張がいし装置で、鉄塔側は3点支持、電線側に3連バランスヨークを用いている。


房総線 (初の500KV送電線)(Bousou line)


The 500kV design (original 275kV driving) power transmission line which was built for the first time in our country.
This power transmission line was completed in 1966 and it ran at 275kV first and did voltage up to 500kV in 1973.


 房総線は、東京電力の500KV外輪基幹系統の東側を構成する送電線として、昭和41年に東東京変電所〜房総変電所間63Kmの区間に、500KV設計で建設された送電線である。
 当初は275KVで運転開始したが、昭和48年に500KVに昇圧した。

 電線はACSR410mu4導体、がいしは直径280mm懸垂がいし35個連である。

 我が国で275KV送電線が運開した昭和28年の5年後、昭和33年には早くも次期電圧の40万ボルト級送電線の技術検討が開始され、各種の広範な検討がなされ、その結晶が房総線に適用された。

 電気的には、電圧が高くなると電線から発生するコロナノイズ(ルート近傍のAMラジオ受信に雑音障害を発生させる)対策がまず挙げられるが、ACSR410mu4導体とすることで既設275KV送電線と同等以下にすることができた。
 また、絶縁設計では耐雷設計、耐開閉サージ設計、および耐塩害設計とも280mm懸垂がいし・35個連装置で対応できた。

 大型構造物としての新技術の採用はいろいろあるが、
基礎設計では軟弱地盤でのマット基礎の採用
鉄塔では破壊試験を実施すると共に、山形材に55K鋼を初めて採用し、十字断面鉄塔の一部採用、本邦初めての偏心アームの採用、MTトラスの採用
がいし装置では耐張三連バランスヨークの採用
工法としては横型二輪延線車、シューチェン延線車の採用、トラッククレーンによる組立工法の採用
などが挙げられよう。




 上の写真は懸垂形鉄塔である。

 また、右の写真は耐張形鉄塔である。

 耐張形鉄塔のジャンパ線は、当時はまだプレハブジャンパ装置が開発されておらず、手作りジャンパ線である。
 手作りジャンパは、現在のプレハブジャンパ装置に比べるとやや形が大きく、従ってアーム垂直間隔が現在の設計に比べ若干大きめであった。

   偏心アームの採用

 先にも述べたが、本送電線で本邦初めての「偏心アーム」を採用した。

 初の500KV設計送電線であるため、電圧のかかる電線周りの設計について極めて慎重に諸検討を進め、その形状を詳細に定めた。
 しかし、ジャンパ線は当時は手作りで、コロナ対策上その成形寸法を厳しく規定すると、重角度箇所ではV吊りがいし装置を使用した長大ジャンパは工事施工が極めて難しくなる。
 また、経済的に重角度箇所での外カーブ側のジャンパに1相当たり複数のV吊りがいし装置を使用すると不経済である。

 そこで、左右両回線のジャンパ線が、塔体から等距離になるようにアームの長さを変えて偏心アームとし、鉄塔塔体位置を角度の内側にずらして、重角度箇所でもV吊りがいし装置を使用しないで済むようにした。
 特に500KV以上の電圧の高い送電線では、この設計を採用することで経済的メリットが得られるとともに、見栄えも良くなった。

 右写真は水平角度約50度の角度箇所に採用した偏心アーム鉄塔で、下アームの長さは長い方で14.8m、短い方で6.9mで2倍以上の差がある。
 写真のジャンパ線は、ごく最近前後径間の嵩上げ工事に関連してプレハブジャンパに改修されているが、建設当時は手作りジャンパ線であった。

 房総線以降の500KV以上の送電線は、ほとんどこの「偏心アーム」設計方式が採用されている。

 ただし、重角度箇所での短い方のアームは、6〜8導体の多導体延線工事では、延線された電線を延線作業中横一列にアームに吊り下げるのにアーム幅が短すぎ、工事が極めて困難になる。
 したがって、延緊線工法との兼ね合いで、送電線ごとにどの角度まで偏心アームを採用するかを検討している。
 なお、現在ではプレハブジャンパ装置が開発されて採用されていることと、一方手作りでも施工技術の高度化で、重角度箇所でのV吊りがいし装置を使用した長大ジャンパ線も設計通りの施工が可能となった。

   MTトラスの開発・採用

 本邦初の500KV送電線と言うことで学識者が参加された各種の検討委員会が設置されたが、鉄塔に関する委員会も設置され、特に鉄塔脚構造についての検討がなされた。
 従来から鉄塔の基礎は、4脚を独立で構成するのが極めて常識的であるが、土木建築の権威者から見ると、基礎の頂部を鉄筋コンクリートの繋ぎ梁で構成するのが、当然とする意見が続出したそうである。


 それに対し、送電分野からは、長い過去においても基礎頂部を鉄筋コンクリートで繋ぐことは考えていないし、建設費面からも考えられないとし、その代案として、鉄筋コンクートによる繋ぎ梁の目的は不同変位(特に水平変位)の抑制にあるので、基礎頂部(鉄塔の最下節)を鋼材で強化する方法が建設費の低減に効果があるとし、鋼材による強化方法を提言し了解が得られ、採用したのが写真のようなトラスである。
 この最下節の鋼材による強化方法が、鉄塔側面から見ると上の写真のようにM字に見えるのでMTトラスと呼ぶことにした。
 また当時の東電の送電関係の最高責任者、水越達也氏、万野保氏のイニシヤルがMTになるので相応しい、ということになったとの逸話もある。

江東線 (海にルートを求めた送電線)(Koutou line)


The power transmission line through the route partially in the sea.
In the neighborhood of terminal of this power transmission line, facilities were built on the sea of Tokyo Bay.
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安曇幹線 (初の500KV1回線水平配列・2ルート送電線)(Azumi main-line)


The power transmission line which adopted "1 circuit horizontal sequence steel tower (2 routes) " for the first time in our country.
In the route of this power transmission line, electric wires were arranged horizontally to go along the severe high altitude mountains place of the climatic condition.
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淀川西線 (最多回線併架送電線)(Yodogawa-nishi line)


The steel tower power transmission line which hangs overhead wires of the most numerical circuits in our country.


 我が国での多回線併架送電線は、関西電力で多く建設されている。

 これまでの最多回線併架送電線は、昭和45年に建設された堺港新生駒線で、154KV8cct+77KV4cct(cct=circuit:回線)の12回線併架が我が国での最多回線併架送電線記録と思われる。

 しかし、その鉄塔は平成18年現在現役で使用されているが、架線は2回線撤去されて10回線になっており、我が国における現存する最多回線併架鉄塔は、淀川変電所から新鳥飼変電所に向かって昭和48年に建設された、11回線併架の154KV淀川西線であろう。
 淀川西線では、154KV1cct+77KV6cct+22KV4cctの合計11回線併架矩形鉄塔が、淀川変電所引き出し部分(6基)に適用されており、この区間が我が国最多回線併架記録となるものと思われる。

 鉄塔構造としては、最上部の3cctは154KVが架線可能(写真では154KV1cct+77KV2cct架線)で、それ以外の部分は77KV8cctが架線可能(写真では77KV4cct+22KV4cct架線)の設計となっていると思われる。

 矩形鉄塔が、多回線併架鉄塔として適していることがよく分かる。


 右の鉄塔が、上述の昭和45年に建設された堺港新生駒線で、当時は154KV8cct+77KV4cctの12回線が併架されていたので、我が国での最多回線併架送電線記録鉄塔であったと思われる。
 
 平成18年現在では、2回線撤去されて10回線架線になっているものの、支持物としてはあくまでも我が国での最多回線併架記録鉄塔であろう。


 淀川西線も堺港新生駒線も矩形鉄塔であり、多回線併架鉄塔として矩形鉄塔が適していることがよく分かる。



北豊田梅森線 (初の垂直2導体送電線)(Kitatoyotaumemori line)


The power transmission line which adopted "bundled conductor system where two conductors were located lengthwise" for the first time in our country.


 北豊田梅森線は、我が国初の垂直2導体送電線であり、昭和52年9月に中部電力が建設した送電線である。

 本送電線は、北豊田変電所と梅森開閉所間約11Kmを結ぶ275KV送電線である。

 本送電線は、住宅開発など地域開発が進展している地域を経過しており、用地事情から極力線下幅を縮小せざるを得ない状況で、左右線間間隔を狭めると共に水平2導体より約1m程線幅を狭くできる垂直2導体方式を採用した。

 電線は、TACSR1160muの垂直2導体(縦素導体間隔300mm)を採用している。

 建設に当たっては、複導体の基本的問題点としての捻回復元特性をはじめ、コロナ特性、微風振動特性、架線工法問題などの山積する問題点を、実規模試験を数年間にわたって行い、素導体間隔、上下線張力差、スペーサ間隔、耐張がいし装置構造などを決定した。

 本線は垂直2導体であるが、ジャンパ線は水平2導体としている。この理由は、鉄塔高の低減およびジャンパ線の施工上、水平方式が有利であるからである。



北本直流幹線 (初の超高圧直流送電線)(Kitahon DC main-line)


EHV direct current power transmission line first in our country.
This power transmission line links Honshu to Hokkaido across the Tsugaru Strait.
A submarine cable is laid on a part crossing the Tsugaru Strait.


 北本直流幹線は、津軽海峡を横断して北海道の函館変換所と青森の上北変換所間を結ぶ、こう長167Kmの我が国初の直流送電線で、昭和54年に電源開発株式会社が建設したものである。
 本送電線により、本州と北海道間の系統連系が初めて可能となった。

 津軽海峡を横断する43Kmは海底ケーブルで、地上部分は架空送電線である。

 電圧は、右の小さい写真のように当初単極(帰路となる架空地線2条と片側の電線1条のみ架線)で125KVであった。

 その後昭和55年に250KVに昇圧し、さらに平成5年に右の大きな写真のように双極(電線1条を増架してアームの左右に2条架線)とし、大地に対して±250KV運転を開始した。
 送電容量は約60万KWである。

 電線は、ACSR810mu単導体、帰路導体はEACSR240mu2条、がいしは大部分の区間で250mm耐霧がいし32〜37個連が使用されている。

 右の大きな写真は懸垂鉄塔である。



 右写真は耐張形鉄塔である。


新秩父線 (初の6導体架線送電線)(Shin-chichibu line)


The power transmission line that bundled conductor (6 conductors) system were adopted for the first time in our country.


 新秩父線は、東京電力の送電系統において重要な骨格をなす500KV外輪系統送電線の1つで、西側を構成する送電線である。

 本送電線は、東京都西部の丘陵地にある新多摩変電所と埼玉県西部の山岳地にある新秩父開閉所間49Kmを結ぶ500KV送電線で、昭和55年に竣工した。

 送電線の規模は、鉄塔は中空鋼管鉄塔、電線は本邦初の6導体方式(TACSR810mu6導体)、がいしは懸垂がいし(280mm,320mm,360mm)を使用した。

 本送電線は、本邦初の6導体方式でかつ810muの太い電線を採用したので、スペーサ、ジャンパ装置などの電線付属品、がいし装置および鉄塔にかかる荷重は極めて大きくなり、従来の設計手法では実現が難しい点もあり、実規模試験を繰り返し行って新規に各種装置を開発したのが特徴である。

 この送電線より以前の4導体送電線では、地域開発が盛んな関東平野を主として経過していたためルート幅を極力狭くするために懸垂がいし装置はV吊装置を採用していたが、本送電線は山岳地を経過するため懸垂がいし装置は直吊装置となっている。

 架線工法については、ルートが気象条件が厳しい山岳地で、天候の急変、霧の発生頻度が多い、など架線工事にとって悪条件の中での電線本数の多い6導体の架線であり、出来るだけ高所作業を軽減し短時間に工事を行うなどのため、6導体プレハブ架線工法を開発し、初めて全面的にプレハブ工法を採用したのが特記的事項である

 右写真は、懸垂形鉄塔である。


 右写真は、耐張形鉄塔である。

 なお、全く同時期に竣工した新秩父開閉所〜新栃木変電所間、約126Kmを結ぶ500KV新栃木線も6導体送電線で、規模は本線路と同じで我が国初の6導体送電線である。

 現在は500KV新栃木線ルートの中間に新岡部変電所が完成し、新秩父開閉所〜新岡部変電所間は新岡部線、新岡部変電所〜新栃木変 電所間は新栃木線となっている。

500kV海峡横断送電線(関門連絡線、本四連系線、苓北火力線)


In this item, the commentary about 500kV power transmission lines crossing the straits in our country is carried.
リンクページに示すのでここをクリックしてください。


浜岡幹線 (初の3導体架線送電線)(Hamaoka main-line)


The power transmission line that bundled conductor (3 conductors) system were adopted for the first time in our country.


 浜岡幹線は、我が国初の3導体架線設計を採用した500KV送電線で、昭和61年に浜岡原子力発電所〜駿遠変電所間29Kmを結ぶ電源送電線として建設され、運転開始された。

 我が国での多導体設計送電線は、2導体、4導体、6導体と偶数条の電線を用いたものが多い。
 しかし、当該ルートの経過地環境を勘案し、4導体と同等の電気的性能を有する3導体方式が建設可能であれば、工事の省力化および建設費の低減に資するのではないかとの観点から開発を進めた結果、当初の効果が期待できることを確認できたので3導体送電線が実現した。

 3導体電線設計は、TACSR810muを使用し、素導体配置は逆正三角形とし、素導体間隔600mmを採用している。

 この設計は、TACSR410mu、4導体(素導体間隔400mm)とほぼ等価な電気的性能を有している。

 


 我が国での3導体送電線は、本送電線のほか、275KV川越火力線(中部電力)、500KV北松江幹線(中国電力)、500KV第二浜岡幹線(中部電力)などがある。

 一方、海外では、西欧の400KV級基幹系統送電線で、3導体方式を採用している送電線が多く見られるようである。
 これは、我が国と西欧の送電線基本設計条件の違いと、経過地の地形・気象環境条件の違い、さらに工事工法の違いなどのためと思われる。


伊勢幹線 (初の大束径6導体架線送電線)(Ise main-line)


The power transmission line first in our country where "bundled conductor (6 conductors) system of big bunch diameters" was adopted.
The bunch diamaters is 160cm.

 伊勢幹線は、我が国初の大束径6導体架線設計を採用した500KV送電線で、昭和62年に中部電力の基幹系統送電線として、伊勢開閉所〜西部変電所(何れも三重県)間94Kmを結ぶ区間に建設され、中部電力の最大級規模の送電線である。

 この大束径6導体方式を採用した目的は、導体の等価半径を大きくすると線路のインダクタンスが低減するが、そのインダクタンスの低減によって系統安定送電容量の増大が図れるためである。

 本送電線の概要は、鉄塔は大部分鋼管鉄塔を用い、電線は大束径TACSR410mu*6導体、架空地線はIACSR150mu2条、がいしは280mm、320mm、340mm懸垂がいしを用いている。

 この大束径6導体方式の構造は、下図の通りで束導体径は1.6mで従来の一般的な6導体構造に対して1.6倍の大きさになっている。

 具体的には、大束径方式により約20%のインダクタンス低減が図れ、それに逆比例して約20%の安定度の増大が図れたとのことである。

 本送電線のルートは、三重県を南北に縦断しているが、ルートの北側約34Km(鈴鹿峠〜藤原岳)は滋賀県側の山岳地帯にルートをとっている。
 この滋賀県側のルートのうち琵琶湖を望む標高600m〜1100mの山岳地帯を約23Km経過している区間については、冬季の厳しい着氷雪条件の地域を通過するため、我が国初の大束径方式を採用するに当たり、ルート近傍の竜王山に実証試験線を建設して4年間にわたって着氷時の電線動揺を始め機械的特性を把握し、架線関連設計に万全を期した。

 



 大束径6導体を引留める耐張形鉄塔の耐張がいし装置は、電線側について半固定式の装置を開発し適用している。

 ジャンパ装置については大束径をそのまま用いれば鉄塔が大型化して不経済となるので、ジャンパの小型化を図ることとし、施工性を考慮してH型鋼吊架式ジャンパ装置を開発し、電線束導体径は約570mmに縮め、鉄塔構造を縮小化することができた。

 また、大束径の電線架線工事は、我が国初めてであり、事前に調査研究を行い、実規模試験を行うなどして工法を決定した。
 本工事では、
・プレハブ架線工法の全面採用
・自走式宙乗機の開発
・弛度調整用工具の開発
・各相延緊線工法の採用
などにより円滑に工事が実施された。


 なお、中部電力の500KV第2外輪・基幹送電線として、本送電線以降に静岡幹線、豊根幹線、愛岐幹線および三岐幹線がTACSR810muの大束径6導体、さらに北陸電力と連係する越美幹線がTACSR410muの大束径6導体を採用し、大束径送電線が5線路建設されている。

 上述のごとく、滋賀県側を経過する冬季気象条件の過酷な高標高山岳地帯約23Km区間については、着氷雪対策として1回線2ルートとして電線を水平配列とし、えぼし形鉄塔を採用している。


西群馬幹線 (初の1000KV(100万V)設計送電線)(Nishi-gunma main-line)


The UHV 1000kV design (500kV driving) power transmission line which was built for the first time in our country.
This power transmission line facilities are world's largest scales.


 西群馬幹線は、東京電力の送電系統で最も重要な骨格をなす1000KV設計送電線の1つで、柏崎原子力発電所から首都圏西部に至る南北ルートのうち、南側を構成する送電線である。

 西群馬幹線は、西群馬開閉所〜東山梨変電所間138Kmを結ぶ1000KV設計送電線で、昭和63年10月に着工し平成4年7月に竣工した。
 現在は500KV運転をしている。

 送電線の規模は、鉄塔は中空鋼管鉄塔217基、電線は本邦初の8導体方式(ACSR610mu8導体およびACSR810mu8導体)、がいしは懸垂がいし(320mm40個,340mm38個,380mm32個)、架空地線はOPGW500mu2条を使用した。

 本送電線は西側諸国では初めての1000KV送電線で、2回線構造であるため世界的にも最大級の規模となった。

 100万V送電に関しては、50万V送電線が運転開始した昭和48年、官庁、大学、電力会社等が連携して検討・開発を開始し、電気的諸問題(耐雷設計、耐開閉サージ設計、コロナ設計、および耐塩害設計など)、鉄塔構造諸問題、環境諸問題など、世界でも最先端を行く広範囲な技術開発検討が15年間に亘り行われ、建設可能との結論が出されたのである。

 500KVから1000KVに電圧が2倍になったにもかかわらず、鉄塔高さが1.2倍程度に収まったのは、変電所の遮断器の性能を大幅に向上させ得ることが可能で、開閉サージ電圧を予想よりも低く抑制できることが分かったため、絶縁距離の縮小が可能になったことが大きな要因である。

 鉄塔は、HT-60材、42mm直径の太径ボルトを初採用し、腕金は三角断面構造とするなど合理化軽量化を図ったのが特徴である。
 工事機械工具としては、プロテクタ通過型延線車、60t級クライミングクレーン、油圧トルクレンチ、3t索道などを使用したのが特徴である。

 右写真は直吊り懸垂鉄塔である。



 右写真は4連耐張がいし装置を用いた耐張形鉄塔である。

 1000KV設計送電線は、西群馬幹線以降、西群馬開閉所から北に延びて新潟の柏崎原子力発電所までの送電線が建設され、その途中までの区間が1000KV設計とされ南北ルートが完成した。
 さらに西群馬開閉所から東進して栃木県の新今市開閉所を経由して福島県の南いわき開閉所まで東西ルートが完成している。
 1000KV設計送電線は、西群馬幹線を含め、合計して400Km以上が完成している。


栄屋乳業矢作線 (初の三角鉄塔送電線)(Sakaeyanyuugyou-yasaku line)


The power transmission line which adopted a triangle structure steel tower built for the first time in our country


 栄屋乳業矢作線は、77KV東レ岡崎線から分岐して特高需要家に供給しているこう長1.2Km、鉄塔4基の短い中部電力の77KV送電線で、平成11年に建設された送電線である。

 本送電線の鉄塔4基の内2基に、我が国初の三角鉄塔が使用されている。

 送電線鉄塔は、長年の研究開発と使用実績の積み重ねで、四角鉄塔が機能的かつ経済的であることが実証されている。

 しかし、鉄塔適用箇所の地形・地質等の条件によっては、脚が1本少ない三角鉄塔の方が有利な場合もある。

 すなわち、
1.軟弱地盤で、井筒基礎や場所打ち杭のような特殊な基礎で1脚分少なくすると鉄塔総工事費が低減するとか、
2.急峻山岳地で、地形上から四角鉄塔だと片継脚が極端に長くなったり、工事が困難な露頭岩を避ける、
などの特殊な場所に限り、三角鉄塔が有利な場合がある。

 本送電線の場合は、前者の理由で適用されている。

 三角鉄塔の塔体断面形状は、正三角形と、二等辺三角形があるが、本送電線の場合は、正三角形である。

 さらに、据付方向については、一辺を線路と直角方向(アーム方向)に向ける方法と、一辺を線路方向に向ける方法があるが、本送電線では、線路と直角方向に向けて据付している。

 我が国で初めて三角鉄塔を開発・適用するにあたり、その設計風圧荷重値が電気設備技術基準に定めがないこと、および設計手法のクレモナ解析が適用可能かどうか、等の未解決問題点をクリヤーするために広範な検討を重ね、実規模試験を行って設計を確立した。

 右写真は、V吊懸垂形鉄塔で、老番側の一辺が線路と直角方向に据付されている。

 なお、使用鋼材は一般的な二等辺山形鋼(90度)が使用されている。


 右写真は、耐張形鉄塔で、線路の水平角度の二等分方向と直角方向に若番側の一辺が据付されている。



 三角鉄塔は、本送電線の他にも東電の500KV神流川線(平成16年建設)に適用されている。
 神流川線では、鉄塔立地地点の地盤形状と付近の露頭岩との関係で、塔体断面形状は二等辺三角形とし、底辺が他の2辺より短く、その短い底辺を線路方向に据付している。
 従って長い二等辺がアーム方向に向いている。

 (三角鉄塔については、トップページから「調査及び設計」→「4.支持物設計」→「4.2上部支持物構造設計」→「(2)形状」→「(b)全体形状による分類」→「・三角形」を参照)


三角鉄塔の歴史を簡単に説明すると概略次の通りである。
三角鉄塔が我が国で初めて使用されたのは古く、大正12年に建設された、徳島県の切越水力発電所の電力を送電する66KV切越線である。この採用に際し、三角鉄塔の破壊試験を実施したという記録がある。

しかし、その後は四角鉄塔が機能的かつ経済的であることから、ほとんど三角鉄塔は使用されていない。

ただ、戦前に開発されていた60度山形鋼による溶接三角鉄柱は、木柱単価の高騰から、これに代わる支持物として昭和30年代以降使用された実績がある。

現在の設計手法で三角鉄塔を開発適用したのは、本項で掲載した平成11年建設の77KV栄屋乳業矢作線が初めてである。

超高圧送電線としては、平成16年に建設された500KV神流川線が初めてである。

今後は、基数は多くないにしても、基別に設計を精査していくなかで三角鉄塔の使用が出てくるものと思われる。

 


阿南紀北直流幹線 (初の500KV直流送電線) (Anan-kihoku DC main-line)

 
The 500kV direct current power transmission line first in our country.
This power transmission line crosses the Kii channel and links the Kii peninsula to Shikoku.
Submarine cables are used for the part that this power transmission line crosses the Kii channel.


 阿南紀北直流幹線(架空線区間)は、四国の橘湾火力の出力を紀伊水道を海底ケーブルで横断して関西方面に送電するもので、関西電力、四国電力および電源開発の3社が共同で建設を進めた紀伊水道直流連系設備のうち、地上の紀伊半島を経過する部分、由良開閉所〜紀北変換所間51Kmを結ぶ我が国初めての500KV直流架空送電線で、世界最大級の直流送電線であり、平成12年に関西電力により建設された。

 本送電線は、±500KV双極1回線約280万KW(当面250KV運転、140万KW)の送電線である。
 その設備概要は、電線:TACSR810mu4導体2条、帰線:TACSR610mu2導体2条、がいし:本線用には直流用として開発した460mm直流懸垂がいし、などを使用している。

 架空地線は、北本直流幹線と同様、帰線を架空地線として機能させている。
 本送電線は、海底ケーブルと接続するため起点が海岸となり、塩害に対しては過酷な対策条件の地域を通過するため、新規開発した460mm懸垂がいしを用いても最大62個連結を要し、極めてがいし連長が長くなる。
 従って、従来のV吊りがいし装置では、アーム長、水平線幅が大きくなる。そこで鉄塔装柱のコンパクト化が図れ、水平線幅を縮小できるY吊り懸垂がいし装置を新規に開発し採用したのが大きな特徴であり、V吊り装置に対して87%に低減できた。
 右写真は懸垂鉄塔である。





 懸垂鉄塔のクローズアップ写真である。
 V吊り部分の開き角度は、一般の90度よりも大きく、経過地の気象条件、その他を勘案して110度設計を採用している。
 本線用のがいしは、V吊り部分が42個、直吊り部分が20個で合計62個連結されている。
 海岸にごく近い丘陵地帯を経過しており、塩害対策が大変厳しいことが分かる。



 右写真は耐張鉄塔である。
 ジャンパ線は、水平角度が小さい軽角度箇所については、プレハブジャンパ装置を採用している。

 背景の海が紀伊水道で、遙かに霞んで見えるのが本送電線の電源発電所、橘湾火力発電所がある四国であり、この紀伊水道海底をケーブルで48Km横断している。



 耐張鉄塔のうち、水平角度が大きい箇所では、V吊りジャンパ装置を用い、手作りジャンパ方式としている。
 この写真の鉄塔は、由良開閉所から7基目の鉄塔であるが、本線用がいしは460mm直流懸垂がいしが57連結、ジャンパ吊りがいしは320mm直流懸垂がいしが80連結されている。
 海岸にごく近い丘陵地帯を経過するため、大変厳しい塩害対策を強いられることがよく分かる。


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