白金上水を歩く(あるく渋谷川)    本文へジャンプ










9.恵比寿「たこ公園」   にコウホネの池が   完成 9.恵比寿「たこ公園」   にコウホネの池が   完成 9.恵比寿「たこ公園」   にコウホネの池が   完成 9.恵比寿「たこ公園」   にコウホネの池が   完成

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<麻布御殿への分水とは?>

久しぶりに、日の丸自動車教習所近くから白金の街並みを通って渋谷川に合流する三田用水の分水を歩きました。古くは三田上水あるいは白金上水とも呼ばれていたこの分水は、三田村にある「銭瓶窪」取り口(目黒区三田一丁目)から始まり、白金村や今里村を通って、渋谷川岸辺にある「麻布御殿」(南麻布4丁目、光林寺の辺り)に飲み水を運んでいました。「麻布御殿」は、元禄11年(1698)に徳川綱吉の別荘として創建されましたが、わずか4年で焼失します。その後、三田上水は江戸幕府の命で享保7年(1722)にいったん廃止されましたが、享保9年(1724)に村人の強い要請で復活し、名前も三田「用水」と改め、それ以来灌漑や生活用水として長く使われてきました。なお三田用水と三田上水は同じ地域を流れていましたが、どの程度重なっていたのかは分かりません。

明治13年(1880)の「国土地理院地図」を見ると、この分水からの流れは現在の日の丸自動車教習所の下の辺りから始まり、目黒区、品川区、渋谷区の境界近くを流れ、やがて港区に入り、天現寺橋近くの狸橋で渋谷川に合流しています。分水の流れは、現代の道路とかなりの部分で重なっているようです。また分水は、平成13年(2001)の「東京都下水道計画図」にある白金幹線(下水道)とも重なって見えます。上水の流れを用水に直して使い、用水の流れを暗渠に直して下水道として使い、その暗渠の上を道路にしたということでしょう。この暗渠には、江戸時代からの分水の長い歴史が積み重なっている感じがしました。

  

 

<1.「三田用水の碑」から白金トンネルまで>

それではさっそくスタートです。4つのステップに分けてご案内します。まず写真は目黒区三田一丁目にある日の丸自動車教習所前の「三田用水の碑」で、ここが散歩の出発点です。
  
  
写真下の石は三田用水の
   木樋が載っていた礎石

この日の丸自動車教習所のビルですが、大きな日の丸のモニュメントが目印です。山手線(ガーデンプレイス)の側から見ると紅い玉が目立ちます。ビルの設計者はかなり大胆ですね。
  

東に向かうと、すぐに折れ曲がった急坂になりました。三田用水は高台を流れているため、当時は分水が急勾配で坂を下ったか、滝のように放流されたのでしょう。1880年の「国土地理院地図」では、この辺りから自然の川の流れが始まっていますので、三田用水はその流れに水を注いでいたようです。写真は水の落ちる辺りにある長者丸踏切です。踏切前にあるアルト伊藤ビル(伊藤ハム)の庭から撮らせていただきました。
  


踏切から住宅街に暗渠の道が続いています。昔はここを分水が勢いよく流れていったのでしょう。
        

ほぼ真っ直ぐに北に歩いていくと、恵比寿ガーデンプレイスの南側の道路に出ました。道は北から次第に東の方に曲がり、いかにも谷底を進む感じです。
  

300メートルほど行くと、道の右側に、金網のフェンスで閉じた暗渠の小道が東に向かって伸びていました。長さは100メートルぐらいでしょうか。表の道と並行して走っています。脇道から入って小道の様子を見ると、出口にもフェンスがありました。
  

その先は砂利とコンクリートの小道が東に続いていていましたが、やがて民家の庭で行き止まりになりました。暗渠はその辺りから住宅の下を流れているようです。
  

表の道に再び出ました。ここは目黒区、渋谷区、品川区の3つの区の境で、道が急に広くなります。下水道の白金幹線の開始点でもあります。分水の跡を下水道にしたのでしょう。正面の奥(西)にある高い建物は、恵比寿の高台に建つウエスティンホテルです。
  

3区の境の道に「東京・下水道 合流」と書かれたマンホールがありました。マンホールに耳を近づけると中からからゴーゴーと水が流れる音が聞こえて、ちょっとした迫力でした。周りの高いところから下水が集まっているようです。目黒区とはここでお別れです。
  

表の道を少し歩くと、また脇道から小道に入ることができましたが、すぐに塀で行き止まりになりました。塀の先は長者丸ハイツ裏の駐車場でした。再び表の道に戻って、首都高速2号線(白金トンネルの出口)の交差点に出ました。ここは品川区、渋谷区、港区の境界で、渋谷区、品川区とはここでお別れで、港区に入ります。
  


<2.白金トンネルから外苑西通りまで>

暗渠はこの車道を横切って東の住宅街に進むか、この高速2号線の下を通って北東に進むと考えられます。白金幹線(下水道)は高速の下を進んでいますので、暗渠はこの道を通っている可能性があります。殺風景で暗渠のイマジネーションは湧きませんが。
     

とりあえず白金トンネルの信号を渡ると、南側(右)に自然教育園の北塀と遊び場が、北側(左)に植え込みのある四角い小さなロータリーがありました。遊び場の前にある案内板で位置を確かめました。
  (写真を大きくできます。)

このロータリーから3本の小道が東に向かって出ています。全ての道を行ったり来たりしましたが、どれが分水の暗渠かはっきりしません。やはり高速2号線の下かもしれません。とりあえず、いちばん低い所にある道を選びました。
 

途中の脇道(東)に、真ん中を井戸が遮っている面白い道がありました。やや上っていますが、暗渠と関係があるのでしょうか。1880年の「国土地理院地図」では、この辺りで南から来る小さな流れが分水に合流しています。
  

道の方向は北東に変わり、300メートルほどで外苑西通りに出ました。「国土地理院地図」にある分水も「東京都下水道地図」の白金幹線(下水道)も、ここからは高速の右(東)の住宅街に入り、北東に向かいます。
  

 


<3.外苑西通りから305号まで>

外苑西通りの信号を渡ってすぐの小道に入ると、再び住宅に挟まれた細い道が続いていました。この道はいかにも川の流れのように緩やかに蛇行して北東に進んでいました。
  

この道には大小のマンホールがたくさんあり、周囲を御影石で囲んだ芸術作品のようなマンホールが3個あり、道を覆うほどの大きさでした。時代は分かりませんが、これは値打ちがありそうです。
  

 

<4.305号から狸橋まで>

道なりに歩いて、恵比寿3丁目から来るバス通り(305号)に出ました。そのまま川の方に真っ直ぐ進むと行き止まりになるので、バス道路を数十メートルほど東(右)に歩き、神応小学校前の信号を再び北(左)に入りました。
  

渋谷川まではもうすぐ。左に消防署を見ながら、ほぼ真北に進みました。
  

首都高速2号線をくぐると、目の前に渋谷川の狸橋が現れました。橋は工事中でした。欄干に付いたかわいい擬宝珠(ぎぼし)が狸のイメージにぴったりです。
  

狸橋から川下を眺めると、すぐ南の岸壁に四角い大きな穴が空いていました。分水の暗渠は、ここで渋谷川に合流したようです。「国土地理院地図」でも、ちょうどこの辺りで終わっていました。綱吉の時代は、木樋(木の管)か石樋で渋谷川を乗り超え、高台の白金御殿まで水を届けたのでしょう。現在の白金幹線(下水道)はここで東に折れ、渋谷川と並行して東京湾へ向かいます。という訳で、この日の散歩は終わりました。「三田用水の碑」から狸橋まで約1.5㎞、地図を調べていったり来たり、写真を撮ったりして楽しんだので、1時間ほどの散歩でした。
  

 

<5.恵比寿駅へ>

狸橋を渡り、明治通りに出てから西に進んで約100メートル、天現寺橋まで来ると、渋谷川にペアのカルガモが朝日を浴びて遊んでいました。大きな口を開けて上流から流れてくる何かを食べていますが、魚ではなさそうです。変なものを飲み込まないといいのですが。

  

天現寺橋の交差点で歩道橋に登って、明治通りと交差する外苑西通り(北の方向)を眺めました。昔はこの通りに沿って笄川(こうがいがわ)があり、天現寺橋で渋谷川に合流していました。今では想像できませんが、次の信号の標識が「広尾橋」ですから、やっぱり川だったんですね。
  

この日はラッキーなおまけがありました。帰りに渋谷川の山下橋で魚の大群に会ったのです。大きさは20センチぐらいでしょうか、ボラのようです。川の流れが強いため、渡り鳥のように3角形になったり細長くなったりしていました。銀色のおなかを見せて飛び跳ねる元気な魚もいました。どの辺まで上っていくのでしょうか。シラサギの待ち伏せには気をつけて旅を続けてほしいですね。(この写真は後日に撮ったものです)
   (END)

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