視福協

めぐみの声

花 里 牧 子 

2008.11.29 記

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私は単立一宮クリスチャン・チャーチ会員の花里牧子(はなさとまきこ) と申します。

  『花里さん、道に段差があるときは、「段差があります」だけではなく、上りの段差なのか下りの段差なのかを教えてください』と、ある姉妹を手引きしている時のことでした。「そうか、見えないとはこういうことなんだ・・・。」改めて自分の無知さを教えられた瞬間でした。階段の時は、上り下りに良く注意していましたが、その段差は晴眼者にとってあまりにも日常的すぎる、ちょっとしたものだったのです。

  私は、ラジオ番組「世の光」、テレビ番組「ライフライン」などを制作している太平洋放送協会(PBA)で、ラジオ番組の他、「めぐみの声」という60分のカセットテープ番組を担当しています。この働きは影山範文先生(日本同盟基督教団 愛のキリスト教会牧師)によって始められたもので、視覚障害者が会員の過半数を占めています。北海道から沖縄、海外でも用いられ、まるで大家族のようなお交わりをさせていただいています。

 私が高校生の頃のことですが、不思議と次の聖句が心に刻まれました。

  「わたしは目の見えない者に、彼らの知らない道を歩ませ、彼らの知らない通り道を行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの地を平らにする。これらのことを私がして、彼らを見捨てない」。 イザヤ書42章16節

  漠然としか意味を捉えることのできなかったこの聖句。しかし、「めぐみの声」を担当するようになった今は、内実のある言葉として、私の心に迫ってくるようになりました。

 「いつもイエスさまが私の手引きをしてくださるんです。私のそばには、いつもイエス様がいてくださるんです」。

 視覚障害者の会員の方がこのようにおっしゃっていました。この方にははっきりとイエス様が見えているのです。はたして、私はこの方のようにイエス様を慕っているのだろうか。自分自身の目に頼ってはいないだろうか・・・。私はイエス様の存在を確かめるように、目をつぶりました。

 人間の目には、ちょっとした段差であったとしても、それが命とりになる危険は十分にあります。また、見ていたつもりでも、本当のところは見えていなかったということもあります。私は「めぐみの声」を通し、自分の目と考えを頼りに歩くことの不確かさを、教えられています。 

 次に歩む道がどのような道なのか、足がすくんでしまう弱い者ですが、手をとってくださる神様に身を委ねていくとき、やみは光に、でこぼこの地は平らにされていくのでしょう。

  「めぐみの声」は2009年6月に40周年を迎えようとしています。今では貴重な存在になりつつあるカセットテープですが、まだまだ需要はあります。

 神様の前で互いの弱さや限界を知り、「主にある兄弟姉妹」として励まし合い、素直に感謝し合える、そんな麗しい交わりの場を、これからも提供していければと願っています。そして何よりも、イエス・キリストこそが、私達の人生の手引き者であるということをお伝えすることができれば幸いです。

 


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