視福協

晴眼者の立場から点字を考える

小 池   清 

2010.9.19 記

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 私は1991年の視福協キャンプに初めて参加し、そこで盲人と共に過ごす機会を得ました。その数年後、点訳の仕事が与えられ、今に至っております。

 その経験上、点字は魅力を秘めた、ユニークで貴重な文字文化だと考えます。その特徴を自分なりに考えてみました。

 第一の特徴は、触読文字としての「記憶される強さ」です。

 私の仕事の流れは
@墨字原稿を点訳、
A点字プリンターで出力、
B点字使用者による触読校正、ですが、触読校正者から「○○ページの記事は、こう書いた方が良いのでは…」と指摘を受けることがあります。しかし私は「どこのことだろう?」と、すぐには思い出せません。原稿とデータを対比して、「ああ、ここか。」と、ようやく納得します。そんな時、目で読む私と、指で読む校正者の記憶力の差を感じます。晴眼者は視覚で情報を捉えるので、時に「流して」しまう、受身的な読みになりがちですが、点字は指から「刻みこむ」、能動的なインプット法。そこに記憶力の差が生まれるのではないかと思えます。

 二番目に、点字を読む人の姿の美しさです。人前でスピーチや賛美のとき、盲人は点字を読みながら、前を見続けます。しかし、晴眼者は時折、原稿や譜面を確認するため、下を向いたり、背中が曲がったりします。そんな時、「点字使用者は格好いいなあ!」と憧れます。また、姿勢が良いため、声も良く通ります。

 三番目に、読み書きするための場所や条件が、墨字より広いことです。墨字は明るいところでないと読めませんし、書くにも苦労しますが、点字なら暗い場所でも読み書きが出来ます。夜中、外で電話しながらメモを取ろうとしていたとき、墨字でメモを取れなくて苦労したことがありました。たまたま、懐中点字板を持っていたので、それでメモすることが出来ました。「点字を学んでいて良かった!」と思える、新鮮な体験でした。

 ところが、そんな点字が、使われなくなりつつあります。現在、日本の視覚障害者は約30万人、うち点字使用者は1割程度です。点字が使われない理由は、
@高齢による指先の感覚の衰え、
A中途失明者が触読で点字を覚える難しさ、
B音声情報の普及で点字の必要が薄れる、など。
点字使用者の間でも、「音声テープなら欲しいけど、点字は(かさばるから)要らない」という話まで聞こえ、「点字離れ」が著しいのです。

 点字は1825年、フランスの盲学校教員ルイ・ブライユによって発案されます。従来の文字より読むのに早く、書くのも容易な、画期的な文字でした。しかし、盲学校はブライユの点字を認めませんでした。点字を使う生徒には厳しい罰や食事抜きなどを課し、点字器を取り上げるなど、点字は弾圧されてきました。

 それでも先輩から後輩へと、縫い針やフォーク・爪などを用いて、点字は秘密裏に伝えられ、1954年にはフランス政府公認の文字となりました。その歴史はまるで、キリスト教と重なります。初期のクリスチャンは信仰を守り、次世代へと命がけでキリスト教を伝えました。同様に、点字も逆境を耐え抜いて、先人達が勝ち取った文字・文化・思想ではないかと思います。

 点字は魅力的で、素晴らしい文字文化です。将来、私は触読で点字を読めるようになりたいと願っております。晴眼者が触読など、大それたことと思いますが、それだけ点字には大きな可能性が秘められていると、晴眼者の一人として信じております。

 『いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることが出来ます。』(ピリピ2:16)


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