塾長のよもやま話
 このホームページの開設者でもあり、志生塾の創始者で塾長の私トムが日々の出来事や
感じたことや思ったこと等を記していきたいと思います。 塾長といっても一人
で生徒の募集、学習指導、管理などを全てをやっています。船に例えると一人乗りのディンギー
といったところでしょうか。 突風でも吹けば忽ち転覆してしまいますが、一人で操るためこの
上なく自由です。収入は僅かですが、なんとか13年が過ぎようとしています。
2013.2.15  志生塾の開塾
 当時、私は家庭教師センターを介して家庭教師をしていました。その中に指導が2年
になる生徒の藤本さんがいましたが、たまたま、その子のお母さんとの雑談の中で、塾を始めたい
と考えていますが、家賃の安い適当な物件を知りませんかと話してみました。 すると、
この近くに、今は倉庫でとても古い一軒家がありますが、だめだと思いますが見てみますか
という話がありました。
 後日、そのお母さんと物件を見に行きました。 江戸時代の参勤交代に利用されていた唐
津街道沿いにあり筑後50年が経過していました。平屋の建物で、中に入ると、畳、ふすま、
障子はボロボロでした。玄関を開けると上がり框があり、本間の8畳、6畳2間、3畳、台所
は3畳で、トイレは土間を出て外にあり、いわゆるドボン式で水洗ではありません。
 裏庭のすぐ向こうは小高い丘に続いています。まだ一度も登ったことはありませんが、
高さは100メートルはありそうです。とても静かで空気も抜群によく、快晴の日の夜空は
きらきら星で埋まり癒されます。しかし、辺りは田畑が多くて民家が少なく塾を開設するには明らか
に不向きと思われましたが、なにしろ家賃が格段に格安なのが取り得でした。
当時私は、昼間は姉が経営する薬局の事務をしていましたが、一週間程休みを取り、借家
の改修に取りかかりました。
 台所以外は全て和室ですが、地面と畳の間の支えが十分でなく歩くとかなりの箇所が
沈む感じで不安定です。藤本さんの話によると、この家に住んでいたご主人は大工もやって
いたそうで、その家も自分で建てたられたそうですが、自分の家なのかかなり手抜して
います。地面と畳の間の支えが不十分なのもその一つです。そういうわけで床の補強から 
とりかかりました。藤本さんのご主人は建築業をやっていて、補強材は藤本さんから廃材の
5〜6寸の角材をわけてもらいました。ボロボロになった畳をとりはずして作業するためホコリ
がすごくてマスクをしていました。畳を新調するのは費用が嵩むのでビニール地の簡易畳
で済ませました。ふすまは8枚、障子は10枚張り替えました。大学を辞めた後、半年程
便利屋をやっていましたので、その時のふすま貼りと障子貼りの経験が役に立ち、業者に負
けない位に立派に仕上がりました。
 3畳の間と8畳の間の敷居は半分程白アリにやられていましたので、近くのホームセンター
で角材を調達し補強しました。藤本さんには白アリの予防措置を無料でして頂きました。
2013.2.17
近くのホームセンターで廃棄処分するダンボール箱を何個か貰って帰った。「開塾記念によ
り夏休み期間中無料指導、小、中高校生、志生塾、TEL0940-43-6761」とパソコンでA4二
枚に印刷し、ダンボール箱を適当な大きさに切断し張り付けた。その後、「開塾記念夏休み
中無料指導」の箇所は目立つように太い青マジックで上下に線を書いた。更に、雨防止用に
ビニール袋でカバーし、四隅にキリで穴を開け、紐を通して電柱や木にくくりつけられるよう
にした。
上西郷小、上西郷公民館、なまずの里、内殿など15個程度を電柱や木に
くくり付けた。また、開塾案内のビラも千枚程作成しポスティングした。反応があるのか心
配したが、幸いにも問い合わせの電話が10件ほどあり、保護者とも面談し、小学生二人、中
学生5人、高校三年生一人が塾に来ることになった。保護者には、夏休み期間内は無料で
あることを確認し、続けたいと希望されるなら、その後正式に入塾されてください、と伝えてい
たが、結局、夏休み後、塾に来るようになったのは小学生二人、中学1年生一人、中学3年
生二人、高校三年一人の6名であった。内小学生二人は藤田さんのお子さんであったから

無料にした。

to be continued
2013.2.19 インターネット家庭教師オンワード誕生秘話
全国展開できるテレビ電話で指導する生徒を見つけるにはホームページの公開が欠かせ
ないことはわかっていたが、作成するかどうかとても迷っていた。二週間ほどもどうするか考
えていた。過去にも三度ホームページを公開したが、ホームページが稚拙だったこともあり、
どれも失敗に終わっていた。今回作るなら、ある程度は見栄えのするページを作らないとい
けないと考えていた。さらに、そのようなホームページを作るなら最低一ヶ月は要するであろ
うことも予想できたし、再び、何の反応もなく無駄に終わってしまうかもしれないと思い迷った
わけである。でも、公開しないと生徒は0であるし、何とかしてスカイプ(無料テレビ電話)によ
る指導で少しでも収入を得たかったから、とにかくホームページを作成することにした。3月
に入ると新学期前の塾生募集のチラシをポスティングする積もりであったから、3月上旬まで
にはホームページの公開に踏み切りたかった。
作成を始めたのは1月下旬であった。四年ほど前にホームページ作成支援ソフトのホームペ
ージビルダーを購入していたから利用することにした。当時、購入していたホームページ作
成用言語であるHTMLのタグ事典もおおいに役に立った。プログラミング言語は長い間使わ
ないと忘れてしまうものである。ホームページビルダーの使い方も簡単な操作が分からず
一つの操作に二、三日ロスしたりもした。
”インターネット家庭教師オンワード”とタイトルし、ホワイトボードとヘッドセットの写真も掲載
し、9ページ程のホームページを立ち上げた。講師リストには、他のインターネット家庭教師
で見つけた愛媛県の50代の男性と北九州市の元塾経営者で友人の門田先生と私自身の
3人である。インターネット家庭教師で検索すると20位台に着けていた。ホームページを公
開した後、問い合わせのメールは一件も無かったが、一ヶ月が経過した頃、一件の問い合
わせが横浜から発信されていた。中2の生徒の保護者からであった。その後何度かmailの
やり取りの後無料指導を行い、正式に指導することになった。

 

2013.2.21 予備校でのあるできごと

以前、光琳学院という医歯薬系の予備校からの紹介で近くの中学生の家庭教師を一年
ほどしたことがあった。その光琳学院に電話して学院で数学の講師をしたいという意向を
伝えていたが、新学期を迎える頃に連絡があり週5コマを担当することになった。

 しかし、それから二年後のある日、光琳学院に出勤すると学生達が途方に暮れていた。
学生の一人が学院長から倒産したというメールが入ったといい、恵一にメールを見せた。
恵一は昨年光琳学院を辞めて新しく予備校を立ち上げたYさんに連絡をとり、光琳学院
の学生を全員引き継いでもらうことにした。倒産により先生達の給与も未払いであったか、
労働基準監督所から給与の8割を支給してもらった。授業の担当もそのまま引き継いだた
めその一年間はなんとか乗り切ることができた。
 医歯薬系の予備校に勤務するに当たってはやっかいな問題があった。、授業の担当が
終わる2月末から4月始めにかけて無給になり次年度の担当がどうなるのか不安な日々
を過ごすことである。
予備校側としても、この時期、新聞広告、ダイレクトメールなど
学生集めに奔走するわけである。
次年度の担当が発表されると、恵一の担当は三分の
二に減少した。
  恵一はこの減収をなんとか補おうと就職情報誌をみたりインターネット
の仕事サイトを見たりして仕事を探した。インターネットのサイトで個別指導時給二千円
という募集情報を見つけた。場所は博多駅から徒歩で3分の所で交通の便もよかった。
 早速電話で問い合わせると、テストを受けて合格すると面接を行うということであった。

 三年前にも家庭教師の応募の際テストを受けたが、59歳になる恵一は、この歳になって
またテストかと思った。誰でもテストはいやなものであるが、恵一はできるなら受けたくなか
った。しかし、家族の生活がかかっている。恵一は意を決してテストを受けることにした。数
学担当を希望していたから、科目は数学で試験時間は60分であった。大問が4題あった
がどれも難問の部類であった。二日後に合格でしたので、面接をしますと連絡が入った。
面接は大阪の本部の面接官とインターネットのテレビ電話を利用して行われた。面接も無
事パスし勤務することになったが、当初イメージしていた個別指導とは違っていて、全国
の高校生をインターネットのテレビ電話で一対一で指導する個人指導であった。平日は予
備校の授業を受け持っていたから、土曜、日曜に勤務することになった。全国のどの生徒
を指導するかはその日になって初めてわかり、授業内容は直前にFAXで送られて来る問
題を即指導するというものであった。たまに、即答できない問題もあったがそのときは後日
解答をFA
Xで本人に送っていた。
 こうして、毎週土、日曜はトライパスに出かけるようになった。さらに、この頃、知人のツテ
で北九州市にある家庭教師センターから電話があり高校一年生の数学を教えてくれないだ
ろうかと問い合わせがあり、土曜日の午前中に教えることになった。

 そういうわけで、この頃、恵一は平日の午前中は予備校、土曜は午前9時の電車でおよ
そ30分かけて海老津まで行き、そこから徒歩で15分程のところで家庭教師を済ますと、
また、15分歩いて海老津駅まで行き、電車で博多駅に向かった。海老津から博多まで快
速で50分。博多駅に到着するのは1時10分前後。博多駅で下車すると、筑紫口近くにあ
る食堂街エキサイド横丁の吉野家で300円の牛丼の並盛をいそいで済ますとそこから駅
前通りを西へ3分程歩いて偕成ビル7階のトライパスに向かった。2時からの勤務であった
が、30分程前に到着した。60分4コマの授業を終えると6時40分頃に帰宅し、土曜日は
7時半から始まる福間の塾に向かった。日曜以外は午後7時半から塾であった。これでも、
家計はぎりぎりであった。
 このような日常が一年半過ぎた頃、またまたピンチが恵一を襲
った。予備校では学生の入校者が少なくなり、恵一の担当はゼロになった。予備校の収入
が見込めなくなってしまった。更に、トライパスが倒産するという事態が起きた。二度目の倒
産経験である。
 その後、知人の紹介で週3回博多で家庭教師をやることになった。これ
もテストを受けての採用であった。当座の経済的ピンチは乗り切ることができた。博多の家
庭教師は二年余りで終了した頃収入を補うために、塾生を増やすことに腐心した。
 それまで定員7名でやっていたが、塾生は減少
傾向にあったから、定員を四人にし送迎
も行うというチラシを三千枚ポスティングした。その効果があり、塾生は7名増え塾の収入
は月六万円ほど増加した。このようにして、その頃の数年間を薄氷を踏む思いで過ごして
いた。薬局勤めの頃は週に二度、徒歩で7分ほどの所にある花見の海岸を15から25分
程ランニングをしていたし、月に一度か二度は車で10分ほどの福間の宮地浜にある厚生
年金センターの温水プールにも水泳に行っていたが、この6、7年はその時間的ゆとりがな
くなってしまった。

 

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