塾長のよもやま話3
アメリカの大学を卒業するのは大変
  私は1989年10月から1年間USC(南カリフォルニア大学)に客員研究員として

滞在していました。 

  大学に通うようになって数日後、大学の職員から日本人の紹介を受けました。

私がアメリカに来たばかりで何かと大変だろうと気を使ってくれてのことでした。紹介

された沖元さんは日本の大手の電気会社から派遣されていました。Masterの

Degreeを取るために2年間の留学の予定で1年目が過ぎた頃でした。1年間ほとんど

日本語を遮断して生活していたのでしょう、現地の人とは流暢な英語でcommnicaー

tionしていました。

 ある日の午後のキャンパスで、掲示板を食い入るように見ている沖元さんを見かけ

ました。

「沖元さん、何を見ているんですか。」 と私は声をかけました。

「単位の合否結果ですよ。」と沖元さんはほっとしたように言いました。

「どうでしたか。」

「取れていました。」

「よかったですね。久しぶりですけどお元気でしたか。」

「死んでますよ」と少し元気がない声でしたが、何か生きいきしていました。

「どうされたんですか。」

「レポートの作成で忙しくて大変です。」

[睡眠は大丈夫ですか。」

「毎日4,5時間ですね。」

「アメリカ人でも大変だと聞いていますが、沖元さんは英語でレポートを書かないと

いけないから尚更大変でしょう。」

「そうなんですよ。」と相槌を打つように沖元さんは答えました。

その場は、体に気を付けてと言って別れました。

アメリカの大学は入り易いけど出にくいとは聞いていましたが、やはりそうでした。

私も日本の大学で教官をしていた頃、定期試験の問題を作成していましたが、

単位の認定は厳しくはしていませんでした。
LOT6

 私は競輪、競馬、競艇、宝くじ、toto 等はやったことがない。ギャンブルは好きなほ

うである。というより、始めると他のことが手につかなくなるからやらない。ゲーム事も

好きである。 大学3年のとき麻雀をおぼえたが、初めて手ほどきを受けたその日から

魅力にとりつかれ、度々徹まんも経験した。大学生時代に始めた囲碁にもとりつかれ

週末には必ず碁会所に出向くほどであった。麻雀の本は買ったことはないが、囲碁

の本は、布石の本、定石の本、詰め碁の本、月刊誌の囲碁クラブなどかなりの数読

んでいる。麻雀は大学を卒業してからやっていない。囲碁は最近、碁会所にも

行っていないし実戦はやっていないが、日曜のEテレで碁の対局は今でも欠かさず

見ている。

 ロスアンゼルスのUSCにいた頃、私は4階の研究室にいたが、3階の研究室に

望月さんという東芝から留学していた日本人がいた。彼とは実に奇遇な出会いで

あった。 私が初めてUSCのキャンパスに足を踏み入れた日であった。私を招聘

してくれた教授に会うために来たのであるが、彼の研究室があるPHE(Powwel 

Hall Engineering)の建物の所在が分からずに困っていた。、たまたまキャンパス

内の庭園に座っていた東洋人と思われる人物に私のメモ帳を見せながらPHEはど

こかと、たどたどしい英語で尋ねると、メモ帳の日本語が彼の目に入って

「日本から来られたのですか。」とうれしい返事が返って来た。

かれはまたまた偶然にもPHEの建物の3階の研究室に所属していたのであった。

さらに偶然が重なって、彼の住まいは私が家族と住むことになったWest Los Angeles

のアパートから歩いて5分の所であった。

 翌年の1月に車の免許を取るまで、私はバスでUSCに通っていたが、帰りにはよく

望月さんの車に乗せて頂いた。

 大晦日にNTTから研究生として来られ、私の研究室に同室することになった伊藤

さんとも親しくなった。彼については後日述べるこにする。

 前置きが長くなってしまったが、ある日、望月さんと伊藤さんと3人での雑談の中で

LOTの話が出て、だめもとでLOTを買おうということになった。当時、LOT1枚いくら

だったか覚えていないが、確か3人で3ドルずつ出しあって3枚買った記憶があるので

記憶が正しければ1枚3ドルである。当時1ドルは140円であった。

 実際買ったのは望月さんで、LOTの抽選は毎週テレビで実況中継されていたが、

私は中継の夜は子どもと遊んでいて見損じてしまった。というよりLOTの購入券を

持っていなかったので、見ても当選しているかどうかは分らなかったが、中継時刻が

過ぎた頃、望月さんから電話がかかって来た。

「金岡さん、当たりましたよ。」

私は一瞬、まさかジャックポットではないだろうかと思った。

 選んだ六つの数字が全て合っているとジャックポットで億単位の大金を手にすること

になる。

「四つの数字が合っていました。」と声を弾ませながら望月さんは知らせてくれた。

受け取る金額は約100ドルであった。当時の為替レートで1万4千円である。3人で

山分けした。小額ではあったが当たったことに驚いた。その後LOTはやっていない。

 ところで、LOT6は1から43の数字の中から6個の数字を自由に選び、後で発表さ

れる数字と合っている数字の数で賞金がもらえるようになっている。

1から43の数字の中から6個の数字の選び方は全部で

   43=6,096,454

およそ六百万個の内ただ1個だけがジャックポットとなる。気の遠くなるような数字で

ある。確かに買わなければ当たる確率はゼロであるが、この数字は1枚買って当たる

確率ほとんど0と同じである。でも、当たって億単位の大金を得ている人が実際に何

人も出ているいるが買わなければ絶対に当たることはない
アメリカの銀行での出来事

 アメリカでアパートを借りるためにマネージャーに入居したい旨伝えると手付金

として1250ドルのcashierscheckを持って来なさいとのことであった。マネージャー

はアパートのオーナーと借り手を仲介するのが仕事である。マネージャーはマリアと

いうスペイン系の女性であった。cashierscheckとは日本の小切手にあたる。銀行

に現金を持っていけばすぐにミシン目で額を打ち込んだ証書を発行してくれる。

 早速、銀行に行って窓口で1250ドルを渡し、しばらく待っていると名前を呼ばれた。

わたしは窓口でcashierscheckをもらうとサンキュウといって銀行の出口に向かって

歩きだした。出口のすぐ手前で、私はcashierscheckの額面を見て驚いた。

 なんと、額面は1050ドルではないか。アメリカに渡る前日本でアメリカの文化につ

いても勉強していて、このようなことはよく起こるから、そのときは自分の主張をはっ

きり伝えるべきであると書いてあったのを思い出した。私はすぐに窓口に引き返し係

員に額面が間違っていると言うと、係員は間違いを認め、額面を正しく書いた

cashierscheckを再発行してくれた。日本の銀行ではあり得ないことであるが、国が

変わると、文化も変わるのである。 
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