| 出発の日 |
| 10月15日、いよいよ出発の日である。 |
| 幸いにも秋晴れの好天に恵まれた。 |
| 同じ研究室の先生、指導していた卒研生、大学院生、同じ尾山宿舎で親しくしていた、 |
| 薄井先生ご夫妻、福永先生ご夫妻、石川先生ご夫妻、それに小倉から駆け付けてくれた |
| 私の両親も見送りに来てくれた。 |
| 宇部山口空港から羽田空港へ向けて出発した。 |
| 東京では妻の妹が住むアパートで一泊し、翌日成田空港へ向かった。 |
| 今はもう会社がなくなっているが、当時世界一周便があったPan American航空の |
| ジャンボ機に搭乗した。ロスアンゼルスまでおよそ12時間のフライトである。搭乗率は |
| 50%程度であったから3〜4席続けて空いている席に横になって休んだりした。しかし、 |
| 最初は初めて乗った飛行機に興奮してかはしゃぎ周っていたが、離陸して1時間も経つと |
| 子どもたちは退屈そうにしていた。 |
| 途中、日付変更線を通過するから、時計の時刻を変更するように機内案内があった。 |
| 私はさすがに気持ちが昂ぶって良く眠れなかった。2度の機内食を済ませ、11時間が |
| 経過した頃、窓の外は日の出とともに明るくなってきた。しかし、窓の外は白い雲である。 |
| それから30分も経過した頃雲はなくなり快晴の空が広がってきた。と同時にアメリカ大陸 |
| が太平洋の遥か彼方に見えてきた。夢にまで見た光景である。心が躍り、これが夢にまで |
| みたアメリカだという感慨であった。 |
| ジャンボジェット機は太平洋を渡りきりアメリカ大陸に入ると大きく右に旋回し、シエラネバダ |
| 山脈だろうか山脈の上空を南下し始めた。20分も経過した頃、飛行機は高度を下げ始め |
| た。天候は快晴である。やがて広範囲に広がるロスアンゼルス群が見えてきた。 |
| 住宅地が延々と続いている。ほとんどの一戸建ての建物の傍には青く水をたたえたプール |
| があり、緑豊かな芝生の庭がある。 |
| 日本とは違う風景である。 |
| やがて、ジャンボ機は高度をぐんぐん下げ着陸態勢に入った。 |
| シートベルトを締めるようにとの機内案内に従い、ベルトを締めた。いよいよアメリカ大陸の |
| ロスアンゼルスに足を踏み入れることになる。 |
| ロスアンゼルス空港に着陸すると、機内は機外にでるための準備で荷物を棚から下ろした |
| り身なりを整えたりする乗客たちで騒々しくなった。 |
| まもなく機は静止し、機内の通路には降機のための長い列ができた。皆、長時間のフライト |
| で疲れているようであるが、やっと降りられるという安堵感も見える。 |
| 私たち4人も手荷物を抱え通路に並んだ。 |
| 機を降り預けていた荷物を受け取ると、入国手続きのため入管カウンターへ向かった。 |
| 大勢の人々が並んでいた。査察官にパスポートとIAP66を見せると何も言わずにパスポー |
| トにOCT.15、1999、LosAngeles のスタンプを押し、通過するように手で合図をした。 |
| いよいよアメリカへの第一歩である。 |
| 3個の大きな旅行用ケースを手押し車にのせLAXのロビーを子どもたちを連れて出口へと |
| 向かった。 |
| タクシーを呼び止めた。長身の西アジア系の運転手で人懐っこい笑顔が印象的である。 |
| 「West Los Angelesのmotel ”Royal westwood”までお願いします」と、たどたどし |
| い英語で伝えると、 |
| 「OKと」いう返事が返ってきた。motelを知っているようである。 |
| 私は機内でほとんど眠れていない状態で時差があることから体は疲れ切っているはず |
| であるが、初めて見るまるで日本とは違う車外の風景を好奇の目で眺めていた。 |
| 途中Santa Monica Free Wayに入り、出口を3〜4か所通過すると次の出口でFree |
| Way を降り、まもなくPico Blvd(Pico大通り)を横切ると、すぐ右手に二階建てのRoyal |
| Westwood Motelの看板が見えてきた。 |