ロスアンゼルス滞在記5
片側1車線の道路の横には歩道がある。タクシーを降りて歩道から右に入ると左手に
motelの八畳程のスペースのカウンターがある。このmotelは2階建てで中庭を囲むように
1、2階に8部屋位づつある。
カウンターに入ると日本語で予約okの返事をくれた日系人の大山さんが迎えてくれた。
日本で生まれ成人してロスアンゼルスに来られもう20年近くになるという。明るく気さくな
女性であった。
私たちは家族4人であるから、中庭の階段を上がって右手のキッチン付きで
広めの部屋を借りることにした。1泊35ドル位だったと記憶している。当時の為替レー
トは1ドル140円であったから約5000円である。家族4人で5000円だから安い。
1年間住むアパートが見つかるまでの約2週間の間このmotelに滞在することになった。
部屋に入ると、妻と8才の娘と5才の息子は時差ぼけもありすぐにベッドに横たえ眠り
に入った。
私は機内で眠れずしかも時差があることから疲労困憊であるが、これからUSCの教授
に会いに行こうと思い緊張感で疲れは吹き飛んでいた。
アメリカに来て初めての電話を教授に入れることにした。
「Hello. This is Kanaoka from Japan. Now I have arrived at LA and checked in
Motel at West Los angeles. If possible I would like to visit you today.」
「Oh! Professor Kanaoka. I will be in my office until 5 pm. I am waitinng for you」
何とか話が通じた。
これからが大変である。どうやってUSCまで辿りつけばいいかである。
motelのカウンターに行き大山さんにUSCにはどうやって行ったらいいか尋ねた。
motelを出て左に30m程歩くとPico大通りがありすぐ横にMay Companyという
モールの前にバス停があるから、そこでRinpau行きのバスの乗り、終点でdown
town行きのバスに乗り換えVermontで降りると歩いて5分位でUSCに着くという。
日本から持参したshaverでひげを剃り、身だしなみを整えて出かけた。
大山さんが言ったようにすぐにバス停は見つかった。午後2時半頃の片側2車線の
Pico大通りは車で混雑していた。
 LAの市営バスに乗った。 車社会のアメリカでバスを利用するのは低所得者層か子供
かあるいは老人であろう。バスの中はアジア系、アフリカ系、ヨーロッパ系の多様な民族
の人々で混雑していた。私も吊革に手をかけ立っていた。
 車内案内に耳を澄ませていると15分位が経過した頃、次は終点のRinpauという案内が
あった。 しばらくするとdown town行きのバスに乗り継ぐことができた。Pico大通りを
西に向かって10分程が過ぎた頃、山の斜面に有名なHOLLY WOODの看板が目に
入った。こんな景色をみるとアメリカに来たんだという実感が湧いてくる。
それからさらに5分程するとVermont Avenueである。
バスを降りUSCへの道を人に尋ねると、大山さんが教えてくれたとおり5分も歩くと
USCにたどり着いた。USCはキャンパスの入り口が何か所かあるが、どの入口から
入ったか覚えていない。多くの人で混雑していたのを覚えている。
キャンパスに入るとProf.ChellappaがいるPHE(Powel Hole Engineering)の
建物を見つけなければならない。
キャンパス内の公園でアシア系と思われる30代の男性にメモ帳を見せながらPHEは
どこか尋ねた。幸いなことに彼は東芝から研究で来ていて同じPHEに研究室があると
いう。一緒に行きましょうと案内してくれた。
道すがら、今日の混雑はRolling Stoneの演奏会があるらしいということであった。
PHE buildingに着くと、玄関にstaffの部屋の案内板があり、Prof.Chellappaの部屋は
4階の405号室であることがわかった。 案内してくれた望月さんにお礼を言ってまた会う
約束をして別れた。望月さんとは私が帰国するまで親しく付き合うことになる。
 Chellappaを訪ねると、私を待っていたらしく部屋にいた。歓迎の言葉の後10分程度
の雑談を交わした。その後私の研究室を案内してくれた。3人部屋であるが20代後半
のChineseの研究員がいた。名前はJimmyという。彼とも帰国するまで親しく付き合う
ことになる。ざっくばらんで明るい性格の人物である。
研究室の案内を終えると、事務室に案内され、LindaとDelsaを紹介された。二人とも
フィリピン人であった。Delsaは翌日銀行に同行してくれて口座を開くことになった。
Lindaはアパートが決まっていなかったら今夜彼女の夫が空き部屋を案内するという。
私は睡眠不足と緊張の連続でとても疲れていたが、彼女の提案を受け入れることにした。
5時にLindaは仕事がひけると私を同伴して彼女の夫との待ち合わせ場所へと向かった。
10月も半ばである。6時を過ぎた頃からLAの街は夕闇がせまってきた。
彼女の夫が運転する車で30分も走ったであろうか。Hollywood Areaのある二階建て
のアパートの一室に案内された。壁にしみ込んだキムチの香りがする。2bedroomであり
家族4人で住むのにスペースは問題なかったが、まだLAに着いて初日であったから
即断はさけ後日返事をすることにした。
帰りのドライブは8時を周っていてLAの街はネオンが鮮やかであった。もちろん私には
車がどこを走っているのか分るはずがなかった。motelの住所を告げるとそこまで送って
くれた。
 Motelの部屋のそばまで来ると、子供たちの明るい元気な声が聞こえてきた。
私が外出している間に妻と子供たちはぐっすり眠ったのであろう。キッチンの部屋で食事
中であった。日本から持ってきた炊飯器で炊いたご飯と、近くのスーパーで買って
即席ラーメンを食べていた。
妻が私用にラーメンを作ってくれた。ご飯とラーメンであるがすきっ腹のせいかとても
美味しかった。私は食事を済ますとすぐにベッドにもぐり込んだ。
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