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第3話 ラスボスはなぜ世界を滅ぼしたがるか?
らすぼす[ラスボス]…それを倒すことによってセッション、またはキャンペーンが終了する、強力な敵のこと。通常、邪悪な計画を練っている。ラストボスの略称。−「大辞林」より(嘘)

前話の次回予告によりますと今回は重い宗教の話が続く予定でしたが、私自身もただ蘊蓄を書き連ねるという作業に疲れたということもあり、急遽内容を変更させていただきました。といっても宗教についてもう書かないというわけではなくて、あくまでもこの話は骨休めのようなものです。

ラスボス、それはいつの時代にも存在し続けるものです。様々なジャンルごとにそれぞれ多種多様なラスボスが控えています。強大なドラゴン、凶悪な魔王、敵対する大企業、古きものども、悪の秘密結社、敵国の首相、時には親友までも…。これはD&Dから始まったTRPGに脈々と受け継がれている、一種の伝統でしょう。

中にはこのことを「ダンジョン探索→ボスを倒す」という初期のTRPGに見られる「古い」考え方と捉え、そろそろここから脱却して新しい方向性を模索するべきだ、という先見の目を持った方もいるかもしれません。

確かにラスボスを倒して終わるというのはあまりにも使い古された方法ではありますが、そこに大きな感動があることもまた否定できない事実です。何ヶ月もかけて(実時間で)冒険に冒険を重ね、ついに大いなる存在を倒す…。想像しただけでも震えが来ませんか? 

「愛」を題材にした映画が無くならないのと同じように、TRPGにおいてもラスボスを倒す、ということは永遠のテーマなのかもしれません。その有り様によってTRPGの面白さを大きく増減させる、いわば縁の下の力持ちともいえるラスボスにスポットを当てて、今回は話をしたいと思います。

ラスボスは往々にして多くの人間を巻き込んだ出来事(多くの場合それは”不幸”な出来事です。例えば全人類を滅ぼすなど)を起こそうとします。とはいってもラスボスの形態は多種多様なので、それらを並べ立てるつもりはありません。その代わりここではラスボスの心理について考えたいと思います。なぜラスボスはラスボスになろうと思ったのか? 皆さんは考えたことはありませんか?

ラスボス(長いので以下は”彼”とします)には彼の目的があり、その目的が他のものと対立したため武力による解決を行おうとする、というのが基本的な彼らの立場でしょう。いかに強大なドラゴンがいたとしても、外界と接することなく1人(?)ひっそりと暮らしているのならラスボスになることはないのです。(人間の方から戦いを仕掛けるのなら話は別ですが…)

そこで講義で習ったにわか心理学を基に彼らの心理を研究したいと思います。私の記憶が確かなら、人(まあ彼らは人じゃない場合が多いですが…)が他人と接するときの心理は「I am」、「You are」、「OK」、「not OK」を組み合わせることにより、4つのタイプに分けられるそうです。

1.「I am」「OK」、「You are」「OK」…理想型 ラスボス率3%

対人関係において最も理想的とされるタイプです。自己の信念を持つと同時に他人の意見をよく聞いて尊重します。話し合いにより説得、共闘も可能なので、ラスボスにはほとんど見られないタイプです。このタイプがラスボスなら、おそらくPCの方にもやましいことがあるに違いありません。同時にこのタイプはどうしても完全な悪人に思えないため(向こうにも自分が正義と考える信念がありますから)、倒してしまうと後味が悪いということもラスボスに少ない原因の一つでしょう。ロードス島戦記の灰色の魔女カーラ等がこれに当てはまると思います。

2.「I am」「not OK」、「You are」「OK」…コンプレックス型 ラスボス率0.5%

劣等感の固まりで、いつも「自分はダメな奴なんじゃないか」と考えており、すぐに落ち込みます。対人恐怖症のきらいがあります。よって最もラスボスに登場しにくいタイプといえるでしょう。自分の世界に閉じこもりがちなので他人に干渉することはほとんどないからです。しかしこのタイプのいじめられっ子がある日突然強大な力を手に入れたとしたら…悲劇のラスボスとなり得るかもしれません。うーん、私なんかだとS・キングの「キャリー」が真っ先に頭に浮かびますけど。クトゥルフなどのホラーものには結構ふさわしいかもしれませんね。

3.「I am」「OK」、「You are」「not OK」…独裁型 ラスボス率30%

独善的で排他主義です。野心家でもあり、自分と考え方の違う人間を排除しようとします。「自己中心的」と言い換えてもいいかもしれません。このタイプは現実でも迷惑ですが、特にTRPG世界では実力で世界を支配できうる能力を有しているためラスボスとなることが多いようです。人間の権力者がラスボスなら十中八九このタイプでしょう。ただし世界を滅ぼすのではなく、支配しようとする点で4.よりはリアリストであるといえるでしょう(?)。あまりにも多くのボスがそうであるため例を出すのは難しいですが、「オウガ」シリーズの権力者は往々にしてこのタイプですね。

4.「I am」「not OK」、「You are」「not OK」…破滅型 ラスボス率66%

絶望と虚無がこの人を支配しています。何をするにも投げやりで、他人はおろか自分をも傷つけようとします。「世界を滅ぼす」、「あらゆるものを無に帰す」といった荒唐無稽な目標に向かって行動するのはその心理の現れといえるでしょう。現実でも犯罪常習者に多いタイプだそうです。まず説得は不可能なので最も厄介なタイプですが同時に最もラスボスに多いタイプでしょう。コンシューマRPGのラスボスは大概そうです。強大な力を持っているので、こいつを倒さないと”道連れになって”世界まで滅びてしまうことが多いからです。多くの邪神や悪魔、その信徒がこれに当てはまるでしょう。

*残り0.5&%については鋭意研究中

ここで問題となってくるのは「なぜ人は4.のタイプをラスボスにしたがるのか」ということです。そこに利点があるから、と考えるのが自然でしょう。ではその利点とは一体なんでしょうか?

@動機が単純だから

ラスボスがサイコなお方だと動機を深く考える必要がありません。「何でこいつはこんなに非道いことが出来るんだ?」とプレイヤーに訊かれても、「だって悪魔じゃん」の一言で終わってしまいます。ラスボスがラスボスに至るまでの経緯や思想などを一切考えなくてもよいのでGMにとっては楽だと言えるでしょう。(敵が何の脈絡もなくPCの前に姿を表すのはカンフー映画の下っ端を彷彿とさせます。どこから湧いて出たのでしょうか?)

A後腐れがないから

前に書きましたが1.のタイプのようなキャラがラスボスだと倒してもなかなかいい気分で話を終わらせることは出来ません。悪い言い方でいえば、それは「ごろつき同士の争い」(=どちらにも正義はない、もしくはどちらにも正義はある)に過ぎないからです。しかし4.のタイプのボスは「絶対的悪」の烙印を押すことが出来ますから、PC達は正義の名の下に(最低でも自分の生存権を理由に)彼らを倒してハッピーエンドを迎えられるというわけです。

これはTRPGではありませんが、コンシューマRPGの代名詞「ファイナルファンタジー」で、スタッフが「FFはラスボスと戦う動機が薄い」と言っていたのを以前どこかで見たような気がします。FFはラスボスの動機を「絶対的悪」とすることで主人公達とラスボスが戦う理由をつなぎ止めているのかもしれませんね。

といったところでしょうか。しかし長所はすなわち短所ともなります。私にはこれらが大きな欠点を秘めているように思えてなりません。作るのが簡単であるということは同時にそのキャラが存在に重みを持たない、ということでもあります。

それは相手への配慮がしにくくなるということも意味しているのではないでしょうか。ラスボスが置かれているコンテクストを無視し、「あいつは完全に悪い奴だ。だから切って捨てていい。」などと考えるようになってしまいます。それが果たして健全な人間として適切な考えといえるでしょうか。

もしAの理由によりラスボスを4.のタイプにするのならそれは逆効果だと思います。一方的な勧善懲悪こそが「ごろつき同士の争い」に他ならないのではないでしょうか。この事態をこそ憂くべきだと私は考えます。

もともと誰を倒したってすっきりする(気分が良くなるという意味ではありません)はずがないんです。人の数だけ正義があり、そのどれをとっても釈然としないものが残る世界、それが現実です。しかし釈然としなくても(相手の考えに納得できなくても)尊重することは出来ます。どんな相手にだって本人が信じる正義はあるのです。ただ自分と違う…それだけです。この方がよほどすっきりしていると私は考えますがどうでしょう。

ラスボスはどんな考えを持って何をやらかそうが構いません。逆に言うと”彼”がいかに哀しい運命を背負っていようが、自分たちの方に非があろうが、戦いになれば容赦なく屠ってしまっていいと思います。貴方が”彼”を倒さなければ世界は滅びてしまうのですから。

ただ”彼”も同じ生き物だということだけは忘れてはならないのではないでしょうか。そしてそれを感じさせる演出をし(「あの冷酷無比なマフィアのドンが実は子煩悩だったなんて!」「よもやあの侵略者達も故郷を追われていたとは…」)、”彼”をより一層魅力的な敵役に見せることこそGMの役目と言えないでしょうか。

およそ戦いに関する物語で、名作と呼ばれているようなものは、主人公たちもさることながら敵役も実に魅力的なはずです。冒険が終わった後、かつて倒した強敵達の墓のもとへ花をそなえに行く…。プレイヤーがそんなプレイをしてくれたとしたら、GMとしてこれほど嬉しいことがあるでしょうか。

後日追加:人によっては敵役の事情に「敵だって大変なんだよ」という”言い訳臭さ”を感じ、「ごちゃごちゃ言うな! 悪役は悪役らしく木っ端微塵に散れ!」と思われるかもしれません(その意気や良し!)。確かに雑魚敵を一匹屠るたびに悲劇のドラマを演じられても鬱陶しいですし、世の中そうそう、不幸の中で歪み、心に深い葛藤を抱きながらも世界を滅ぼそうとしている人間ばかりではないでしょうしね(「こ…こんなに悲しいのなら…こんなに苦しいのなら…愛などいらぬ!!」)。むしろ水と食糧欲しさに旅人を襲う、ともすれば爬虫類などの方が賢いのでは? と思えそうな人間の屑だって多いはず(大好きです)。

ということで上のまとめにこう付け加えたいと思います。ラスボスはどんな考えを持って何をやらかそうが構いません。むしろとんでもないことをやらかして下さい。村を焼き払い、人々をゴミ屑のように蹴散らし、PCの恩人をその目の前で引き裂き、愉快な高笑いを上げさせましょう。子供を攫い、理不尽に虐待して巨大なピラミッドを作らせるのです。理由などどうでもいいのです。ただ、PCに「てめえらの血はなに色だあーっ!!」と叫ばせる事ができたのなら、”彼”の勝利です。”彼”の存在価値はその一点につきます。そして死ぬときは塵すらも残らぬように消え去るのみです。それもまた魅力的な敵役の一形態だと思います。

反対に、明確な意図もなくただ漫然と現われては消えるラスボスと、”彼”とのマンネリに満ちた戦闘(カウンターマジックかけて、プロテクションかけて、傷を受けたらヒーリング、戦士はただ攻撃を繰り返し…それを何ターンも繰り返して終わるようなもの)は退屈極まりないので避けた方がいいのでは、ということです。もちろんこのパターンはいわば王道ですから、初心者GMの方はまずこの王道を押さえた上で応用に入った方がいいとは思いますが。