先週までのひとりごと


2003年8月15日(金)
ブラックジャックを探して

 医院を構えるということは一般の方が独立して個人商店を開かれるのと何ら変わりありません。誤解を生みそうな表現で恐縮ですが、 例えば医療機関を、「医療という商品」を提供する「商店」であると考えたとして、どういう店がいい店なのか(=どうすれば自分の店がそうなれるか) を私はこれでもずっと考えて実行してきたつもりです。
 ならば自分の頭の中だけで考えてればよさそうなモンなんですが、ことは人間の体(私にとって多くは「目」ですが)を扱うだけに返品や 取り替えがきかない。だからこそ人は慎重になり、「どこかにいい先生はいないだろうか」と探しているのだと思います。
 また一方で、医者は近所に大勢いても、なかなか本当の主治医に巡り合えないというのも、「お医者さん検索サイト」等が多く存在する 大きな理由の一つです。そんな患者さまたちに直接的にでも間接的にでも接すると、やはり黙ってはいられないのです。

 我々医者は国から免許皆伝されたレッキとしたプロフェッショナルなのですが、皆さん薄々お気付きになられている通り、残念ながら 本物のプロに巡り合えるラッキーな患者さんはごく少数です。
 いい医者の定義とは実際にはなかなか難しくて、もちろん人格高潔で技術が優れているに越したことはありませんが、第一そんな人は医者 に限らず圧倒的に少ない。まぁぎりぎり妥協して、ここは「性格温厚」ぐらいにしておきましょう。そして、そういうプロを目指している先生。 ならば、結構いると思います。

 次なる問題は「技術」です。現代の専門化した医療の世界で、全ての疾患に精通し、何から何までおまかせなオールマイティな医者と いうのはまず存在しません。複数科の看板を掲げる先生はいても、元は皆それぞれ一つのフィールドで活躍したスペシャリストである のが普通です。そうした分業が現代の、ひいては先進国の医療というものなのです。ですから、仮に自分が診てもらった開業医がその 疾患の専門家でなかったとしても、離島でもない限りそこからまた専門の医者を紹介してもらえればいい話なのです。ここらへんは是非とも ご理解いただきたいところです。

 私は眼科医ですから、自分の領分以外の患者さんには、たとえ私が法律上どんな薬を処方することが許されていようとも他科にご紹介しますし、 大学病院の病棟で糖尿病網膜症患者へ血糖値に応じたインスリン投与の短期スケジュール(=スライディング・スケール)を日常的にオーダー することはあっても、 明確な一線は心得ていますヨ。
 医者同士の仁義とかそんなどうでもいい話ではなく、それが目の前の患者にとっていかに有益かが問題なのです。もう、「患者が座った だけでピタリと病名を当てる」なんていう医者は存在し得ないんですよ、今の世の中。 医学は哲学ではないのですから。

 以上のような事柄を踏まえると、私たちの考える「いい先生」とは結局、「患者の立場から何でも相談しやすく、なおかつ患者を正しく導いて あげられる先生」ということになります。この際、その先生がよそに愛人を囲っていたり、ギャンブル好きであったりという プライベートの問題が仮にあったとしても、目をつむってあげようではありませんか。


2003年8月28日(木)
オレンジ色の誘惑

 今年の夏は、定番とも言える冷やし中華を十分堪能しないうちに終わろうとしているようです。ミョーに肌寒い日があったかと思えば、 ギラギラと照りつける真夏日が続いてみたりと、ほとんど週変わりと言ってもいいくらいの今月でありました。7、8月はまるまる二ヵ月間 たっぷりこれ、「真夏ッ!」だった去年が懐かしく思えます。
 季節商売である海の家なんか、お気の毒なことにどうやらどこも散々だったみたいですね。この不順な天候じゃねぇ、まず海に行こうという 予定が立たない。…お察しします。ただ、架空の人気に支えられた某カリスマ女性歌手(笑止)が番組企画で始めたところもアテが 完全に外れて閑古鳥とかで、それだけはイイ気味なんですが。

 えーと、何でしたっけ。そう、話題は冷やし中華でした。というか、今年は何だか食べる気がしないうちに夏が終わりそう、ってとこでしたね。 その代わりと言っちゃあナンですが、四季を問わず私がよく作る料理がございまして。これがどうにもオススメなんですねー。Good taste !
 その名もウニいかスパゲッティ。え? それ知ってる? これは失礼致しました。昔、調布の仙川というところに『まほうつかいのでし(魔法使いの弟子)』 というパスタ屋さんがありまして、そこでは変わったネタを使用したスパゲッティがメニューにたくさん載っていました。そのどれもがまた ウマイこと! 私の定番がイカとシメジをウニソースで和えた「ウニいかシメジ」だったんです(ちなみに大盛)。
 今はなきその店の味を何とか再現したいという思いから、試行錯誤の末に出来上がったものです。というほどの代物ではありませんが。

 作り方は簡単。まずスパゲッティ一人前100gをアルデンテ(=10分弱)に茹でまして、湯を切ります。今そこで茹でた鍋にバターをひとカケ 入れ、再び放り込んだスパゲッティにまんべんなく溶かします。こうするとすべからく冷めないのです(が、あとで洗うの面倒)。
 そこにビン詰めの「ウニいか」を大さじ2杯ほど入れ、これまたよーく和えるわけです。いちおうそれで出来上がりですが、お好みでパルメザン チーズをかけるなり刻み海苔をぱらぱらと振るなり、あとはご自由に。
 願わくば、使用するウニいかは箱根や伊豆の露店とかで売ってるあの、ある種毒々しい、オレンジ色に輝くビン詰めのヤツをご使用 いただきたい。私はこれをゴハンに載せて食べるとかいうのはむしろ苦手でして、ちょっとエグイというか、あまりにも人工的すぎる感じが するんですよ。それが茹で上がったばかりのスパゲッティとバターに混ざり合うことにより一転、程よくクリーミーな味わいを生み出すから 不思議!

 以上、私のニューヨーク留学当時の定番メニューをご紹介致しました。「邪道だ」とか言うイタリアンな方々は、どうかこんな私を無視して やって下さい。ま、オトコの料理なんて所詮こんなモンですって。ぜひ一度ご賞味あれ!


2003年9月4日(木)
外科医の魂

 「お医者さまでいらっしゃいますよね」
 今まで何度そう言われたか分からない。ある時は銀行の窓口で、またある時はクルマのディーラーで、そしてまたある時は不躾に突然 かかってきた電話口で。これはつまり、「お金、余ってますよね」という意味である。現実はどうあれ、そういった彼らの本音がおそらく80% くらい含まれていると思っていい。

 正直言って、勤務医の頃は少々羽振りのいい時期もなかったとは言わない。大学の医者はよそで診療バイトしなければ食っていけないので、 週に何度かそういった医療機関に出向くわけだが、その時給が世間並みの常識からすれば相当高いのは事実である。医者は特異な専門職 なのである程度高くて当然なのだが、日本は嫉妬の社会。そこで「医者相手に商売しよう」と考える人たちも出てくる。最初に言って おくと、個人的感情を抜きにすれば、それを私は悪いこととは全く思わない。そりゃ冒頭に示した通りいちいち鬱陶しいが、こちらが断るなり 距離を置けばいいだけのこと。人様の商魂にとやかく言う筋合いは全然ない。

 ここで逆に、群がる商売人たちを非難する医者もいるかも知れない。しかしね。考えなしにいろんなモン掴まされるこっち側にも大いに 責任はあるわけですよ。ま、借金背負ったしがない開業医である私には無縁の話だけど、一般的に言って医者はもっと世間のことを知らなきゃ いけないね。そりゃ勤務医なんて早朝から深夜までクッソ忙しいし、病院の外で起こってることなんかに興味示す時間すらないというのは 百も知った上でのお話です。

 あるところに一人の真面目で患者さんの信頼も厚い整形外科医がおりましたとサ。キャリアも十分積み、開業を考え始めた。幸い物件も いい場所が見付かり契約も済ませ、内装工事をする段になって、問題は持ち上がった。フロア面積が限られていたせいで、待合室、診察室、職員 のためのスタッフルームを確保すると、あといくらもスペースは残らなくなってしまったのだ。
 つまり、手術室とリハビリ室の両方を造るのはムリということ。周りの同業者たちは盛んに「お年寄りも多い地域なんだから、リハビリ室を 優先したほうがいい」と、つまり手術室は諦めろというアドバイスをした。これは真っ当でいて大変有難い助言である。手術室という のは特殊な決まり事が多いために、その施工は経験のある専門業者に頼まなければならない。従って高く付く。また造ったら造ったで、それを 維持していかなければならない。このランニングコストがバカにならないんである。普通に考えて、よほど手術の需要がない限り、手を出さない ほうが得策というものだろう。まぁ、それだけ大掛かりだということ。

 ところが先生、こう言いだしたのである。
 「オペ室は外科医の魂。手術をしない外科医なんて意味がない。採算が取れるとか取れないとかいう問題じゃないんだ」
 彼の言っていることも一面、決して間違いではない。手術をするから外科医なんだという主張に一点の曇りもないように聞こえる。ところが、 「開業医=サービス業=商売」という重大なことに、不幸にも彼は気付いていないのである。

 そう、開業医は商売。世の中では「商売」というと顔をしかめる人もいるが、それは偏見というものだろう。医療法という、少年法と 同様カビの生えた法律に、「あらゆる医療施設は営利を目的としてはならない」という一節がある。つまり「飯のタネにするな」ということ。 バカ言ってもらっちゃ困る。そいつぁ、「生活するな」というのも同然である。
 我々は適切な医療を提供し、それに見合った報酬をいただく。診療報酬というのは医者が勝手に決めているわけではなく、決められた 額以上はビタ一文もらえないのである。つまり保険医療施設である以上、北は北海道から南は沖縄まで、診療内容が同じなら医療費も「必ず」 同額ということ。
 である以上、その施設が赤字であれ黒字であれ、患者さんを増やすための努力は当然の企業努力であり、それを世間では「営利」と言う。
 そんなこと禁止されちゃたまらんネ。
 実際この法律の意図するところはそういうことではないのだが、だったらもっとマトモな文に書き直してもらいたいですな。やる気のない 二代目とか(←ヤメてよし)は別にして、患者を増やす努力をしていない初代開業医院なんて日本中探したって一軒もないのだから。

 …本題に戻ろう。
 結局その整形外科医は我を通してオペ室を造り、その地域ではやっぱり手術を必要とするような患者は期待したほど集まらず(ていうか全然) のしかかる機器のリース料と見る見る減っていく預金残高にアタマを抱えているとか。
 私が再三申し上げているように、医者が医者でいられるのは患者さんがいてくれて、 認めてくれているからである。リース会社や一部の機械屋なんてそれこそご商売だから、我々がどうなろうと誰も手を貸してくれやしない。
 いくら自分の専門を活かしたくても、ニーズがなければ潔く捨てる勇気も必要なんである。されば、いつかそれが役に立つ日が来る やも知れない。どうしても手術をしたいなら、地域の需要と合致する場所を探すべきで、またお膳立てが整ったとしても、大きすぎる荷物を 背負えばたちまち体力を奪われ、医院は赤字になるに決まってる。

 人間的にはいい先生でも、世の中の感覚からズレた人というのは、こういう傾向が往々にしてある。はっきり言えば、こんな医者は「いいカモ」 なんですね。医者の過剰な使命感とか、自尊心みたいなものをくすぐれば、いい商売が出来るわけですから。
 私なんか、いくらニューヨークでコンタクトレンズを学んできたところで以前の恵比寿ならともかく、この土地(護国寺)でそれを活かそう などとは露ほども考えてないですよ。顧客(=患者)のニーズがあそことここでは全く違うから。

 大志を抱いて医者になるのは無条件で素晴らしいことだと思います。けれど、それも行き過ぎると医者のエゴになりかねないのです。 自戒を込めて、人間としてのバランス感覚だけは失いたくないものです。


2003年9月11日(木)
そこは行き止まり

 開業医となって三年余り。私の医院の診察室で直接お話し出来る患者さんには私の意図することをご理解いただく機会があるのですが、 私とて毎日数十人の患者さんと接するのが精一杯。どうやら空しくも、世間では眼科領域についての大きな誤解がまだまだはびこっている ようです。
 今回はもはや何度となくお話ししてきた、近視についての話題です。

 先日、テレビを観ていると、お馴染み古館伊知郎氏が司会の情報バラエティ番組が放映されておりました。この番組、先週は「いいお医者さん の見分け方」を特集しており、その回は非常に頷ける内容だったのです。
 が、今回はどうにもいただけない。「近視の治し方・決定版」みたいな特集なのです。曰く、「近視は目の中の水晶体を取り囲む毛様体筋 の緊張により、正確にピントを合わせることが困難な状態」だとか。それは調節緊張だろ!と思わずツッコミそうになりました。
 いやね、番組制作会社を責めようとはあんまり思ってないですヨ。こういった医療ネタを扱う際には、必ず医療監修として医師がサポート しているもので、この番組も観ていたらやっぱりそれらしきカゲが… というか、ありゃはっきり言って体のいい医療施設の宣伝ですわ。 同業者をとやかく言いたくはないですが、さすがにああいうのはフェアじゃないと思いますね。

 加えて、「近視を完全に治す画期的治療法!」とか言うので黙って観てりゃあ何のことはない、オルトケラトロジー(ちなみに 保険外診療)の一大キャンペーン。これは就寝中に装用すると日中視力が上がるという 専用ハードコンタクトレンズを用いた治療法のことで、確かに裸眼視力は一時的に上がります。コンタクトで強制的に角膜の形状を変えること により、屈折率を変化させるという方法。ただ、あくまで一時的なものなので、時間が経てば元に戻ります。よって半永久的に使用し 続けなければならない(←このへんが大いにニオイますな)。
 問題は、夜間就寝中にコンタクトを装用するという眼科診療上の基本的なタブーをいとも簡単に犯している点。それヤバイだろ。 角膜上皮剥離になったら救急車呼ぶ人もいるくらい痛いんですよ。

 そこまで行かなくとも、この治療法の間違った点はまだある。
 よしんば裸眼視力が一時的にでも上がり、日常生活が快適になったとしよう。しかし、コンタクトというものは文字通り生体に「接触」する 医療装具であるため、長いコンタクトライフの間には悲しいかな必ず結膜炎、角膜炎のいずれかを一度は経験することになっている。 え、それじゃ未完成品じゃないかって? まさにその通り。だからこそ私たち眼科医は厳密な装用条件を患者さんに説き、管理するわけです。
 運悪く角膜炎(or 結膜炎)になった場合、治癒までの間コンタクト装用は禁忌となります。つまり、装用し続ける限り治らんということです。 点眼治療をしながらしばらくは眼鏡の生活になるわけですが、ここまでの話、ごく普通にコンタクト生活を送っておいでの方なら難なく適応 出来ます。ところが、オルトケラトロジーの場合、袋小路に迷い込んでしまうのです。

 オルトケラトロジーは一晩装用した翌日から効果が現れ、数日かけて徐々に元の視力に戻っていきます。賢明な方ならばここまででお分かり でしょうが、つまり仮にオルトケラトロジー中の方が万が一、角結膜のトラブルに見舞われた場合、本来なら代打の出番が回ってくるはずの 眼鏡が用をなさなくなるのです。その時点で裸眼視力は中途半端に矯正されているため、眼鏡に合わなくなっているから。
 「眼鏡とサヨナラ出来る」という宣伝文句はいかにも近視の方々にとって福音のようですが、これではいいこと言って上らせておいて ハシゴを外しているも同然。

 あのねぇ、私みたいな若造がホントに口はばったいこと言いたくないんですけど、医療ってのは患者さんをこんなふうに追い込んじゃ絶対に いけないんですよ。どんな時でも必ず逃げ道を用意しておくべき。万に一つどころか、眼科診療を生業にしている者であればちょっと考えれば 分かるこんな簡単なことにダンマリを決め込み、何の受け皿もないまま一般に公開しちゃダメなんじゃないですかね?

 そうそう、念のため今一度申し上げておきますが、近視とは基本的に角膜表面から網膜 最深点(黄斑部)までの距離(=眼軸長)に由来するもので、長ければ近視傾向、短ければ遠視傾向にあるということです。映写機が スクリーンに近すぎても遠すぎてもピントがボヤけるのと要は同じ原理です。こんな基本中の基本を、眼科医でも分かってない人が多いから 困ります(または分かっていてワザとウソを教えている)。
 これは身長の高い低いと同様、病気ではないので、「治す」とかいう次元の話自体がナンセンス。テレビで言ってること鵜呑みに しちゃダメですよ、くれぐれも。


2003年9月26日(金)
一事が万事

 ついに極めつけの事件が起きてしまったようです。何と、東京都内の大学病院で、経験の浅い医師3名が前立腺癌の内視鏡手術を強行し、 出血多量で患者さんを死なせてしまった。それも都内では有名な大学病院の分院で。

 語弊のある言い方ですが、手術にリスクはつきものではあります。もしこれが経験豊富な指導医の存在と万全なバックアップのもとで 起きた不可避な事態であったなら、まだしも納得がいきます。しかし、事件が明るみになって開かれた病院の会見を見る限り、彼らの言い分は 論理のすり替えに終始していたように思えてなりません。
 特にあの中に、「難度の高い治療法に挑むのは医師の使命だと考える」とか何とか言っている白衣着た大バカがいましたが、 尊い犠牲を伴いながら試行錯誤の果てに難病を克服するための治療法を確立するのと、経験不足な身の程知らずのアホ一人に任せて患者を 死なせることを同列に語り、煙に巻こうとする厚かましさ。事ここに及んでああいうことを全国放送のカメラの放列の前でイケしゃあしゃあ と述べる神経。ご遺族に対する配慮のかけらもない。医療を提供する側で信じられないリスク増やしといて、あの言い草はないんじゃ ないだろうか。あれが本当に医者なのか?

 都心にある某医大は、半世紀ほど前にとある別の老舗の医大から分裂して出来たことで私たちの間では有名です。以来彼らは学会などで 顔を合わせる度に、お互いの大学出身者同士は個人的には面識も恨みもないにもかかわらず視線バチバチで口もきかず、ようやく和解したのが 1980年代に入ってからだとか。
 今回の事件とは無関係の医大ですが、まるで子供のケンカ。私に言わせれば、こういう心底チンケなことに労力を費やしているから、何か あった時に痛くない腹まで探られるのです。

 医療過誤は医療従事者として最も避けなければならないことです。そのために医者は何重にも保険をかけるもの。この場合の「保険」 とは医賠責保険のことではなく、当初の予定が遂行出来なかった際の「腹案」や「受け皿」的な意味ですが、普通の人が「そんなことまで考えるか?」 と思うようなことまで準備をしておくのが常識です。
 私の知っているとても優秀な外科医に、今自分の手でロックしたにもかかわらず、ほんの数メートル歩いただけで本当に自分が鍵をかけたか 心配になり、開錠・施錠を何度も繰り返さなければ気が済まない男がいます。今ここを読んで笑った方は、はっきり言って外科医に向いてないです。 もし笑った外科医がいたとしたら、商売替えを考えたほうがいい。いや、真面目な話。
 要はこれぐらい病的なまでの慎重さと、何ごとにも必要以上に念を押すしつこさがない限り、人の体にメスを入れる資格など ないのです(患者の体内にガーゼ忘れる医者とか、全部コレ)。

 どこの世界に命綱も持たずに絶壁を登るクライマーがいるでしょうか? 初心者に予備のパラシュートもなしに一人でスカイダイビングを させるヤツがいるでしょうか? 「困難に挑むことこそ我が使命」などというのは、常に万全の装備をしている人間のセリフです。人の体に 刃物を立てる医師なら当然の準備さえも怠っていたのですから、これは医療過誤などではなく立派な殺人です。言い訳の余地もない。
 亡くなられた患者さまは元より、ご家族はどんなにか無念でいらっしゃるでしょう。そうすることでいくらかでもお気持ちが晴れるのであれば、 大学病院と執刀医たちを相手取り、徹底的に彼らの罪を追及されるべきです。私ならきっと、とことんまでやるでしょうね。実は、いまだ医療関係 の裁判で有罪になり医師免許を剥奪された者はいないのですが、病院側の会見での態度を見るにつけ、 また(報道の限りでは)執刀した本人たちに反省の色なしと聞くにつけ、人間として今回ばかりはそれもやむなしと思います。

 今回のような事件はその大学の名誉を傷付けるにとどまりません。それは、同じく医療に従事する者として世間の風当たりが強くなって困る などというケチなことでは断じてなく、むしろ、もっと差し当たり現実のお話です。
 大学病院の近所には多くの患者さんがいて、また多くの個人医院や病院もあるはずです。そこの先生方は日々、地道に患者さんの診療に携わり、 時に必要と感じる際には大学病院に紹介状を書いて送ります。考えられ得る最善の医療を、最新の技術をもって受けてもらうために。
 多くの方々は大学での治療を終え、笑顔で自分の診療所に戻って来られます。しかし、ただの一回でもこのような事件が起きると、その大学 のみならず、今まで紹介をしてきた地元の町医者と患者さんたちとの信頼関係をも断ち切ることになりかねません。そして適切かつ 必要だった医療を中断してしまった結果、いったい誰がいちばん不幸な目に遭うのか。私たちは決してそのことを忘れてはならないのです。


2003年10月2日(木)
庶民の味

 ここ最近、目次のページに「」マークが増えてきたことに 気付いたのであります。意識して医療ネタを連発しているつもりはないのですが、それだけ世間にはどうにも看過出来ない事件が存在している ということと、自分なりに解釈しているのですが…
 そんなわけで、今週は軽くまいりましょう。

 最近、流行りの店とかを特集している雑誌が売れているようですね。ま、手っ取り早く部数が伸びるってことも大アリなんでしょうが、 その中でよく紹介されているのが、そこそこ美味しくてお値段まぁまぁ、それでもってちょっと雰囲気のある、いわゆる和食ダイニング系。
 私も以前はよく利用しましたが、ここ最近はどうも食傷気味です。というのも、どこもかしこも似たようなインテリアで似たような料理を出す。 値段については千差万別なようですが、過去を振り返って、要するに物珍しさにつられていただけなんじゃないかと自分なりに分析したりして いるワケです。

 私としては、和食はそれなりの雰囲気の場所で食べたいと思ってしまいますね。お値段が、ということではなく、例えばソバ屋ならソバ屋 らしい佇まいというか、トンカツ屋ならトンカツ屋らしい風情がどうしてもほしくなってしまう。
 前にもチラッと書いたかも知れませんが、どこ風なんだかサッパリ不明なヘンにこだわり のインテリアだとか、またそれが統一されていればまだしも妙にチグハグに洋風だったりすると、どうにも店側の主張が強すぎちゃって イケマセン。そういうところに限って味はイマイチだったりするんだけど。

 この不景気で、外食産業なんて真っ先に苦しいハズなのに逞しくも新しい店はどんどん出来ています。しかしながら、これがやはりと言うか 残念ながらどこも長続きしないのです。以前に行ったことのある店にたまに足を向けてみても、お客さんの入りも良く味も悪くなかったのに、 すっかり様変わり(つまりテナントが変わったということ)してしまっている。
 経営が思わしくなくて店をたたむことも勿論ありですが、中には話題を盛り上げるだけ盛り上げておいて、10年経てば80年代のカフェバー みたいに笑われてしまうから「旬」なうちに荒稼ぎしてサッサと閉めるってことか。
 「期間限定」とか「コンセプト」とやらの謳い文句で盛り上げるほうがそこを遊ばせておくよりイイのかも知れませんが、何かヤな感じですなぁ。 青臭いこと言うようですが、そこに作り手の「美味しいものを食べてもらおう」という姿勢が垣間見られない。それだけで十分に淋しいものを 感じてしまいます。

 かくいう私のような人間としては、そういう流行りの店に行かなきゃいいだけの話なんですがね。毎度言っててすみませんが、一事が万事 という気がしてしまう。雑誌や何かでそういったお店が取り上げられると、こぞって客が詰め掛ける。ロクに味も分からんような連中が、 「おいしい〜!」とか何とか言い出す。そういった方々は「風情」なんていう漢字はどうせ読めないので、この話は平行線を辿るわけであります。

 …えー、いつものように暴走する一歩手前のこのへんで今日はヤメておきます。でも、はっきり言って和食屋にヘンな装飾なんて いらないと思いますがねぇ。ま、私ら土着の民はそのように毒づきながら、今夜も近所にある老舗のソバ屋の暖簾をくぐるわけです。
 あ、それと私、ソバごときに薀蓄の限りを傾け、有難がって食う連中も食わせる連中も、あまり快く思っておりません。昔っからの庶民の味 なんだから、この期に及んでうるさいこと言わんでいただきたいのでございます。と、結局コレが言いたかったのか?!