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2009年6月17日(水) 虚像と空洞と命の綱 |
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今まで長らく、定期的に真面目な話題も盛り込んでこのホームページを更新してきた。とは言っても毎回では瞬く間にネタは尽きてしまうため、ご覧のように多くは観た映画だの読んだ小説だの、どこそこへ旅行に行っただのというヤワい話題の隙間で(あれでもかなり)遠慮がちに本音を差し入れてきた。 そんなこの数年間、ずっと私の頭から離れずにいる事柄がある。これが厄介で、端緒こそ小さな事実なのだが、よくよく考えてみると広く強固な根を張り巡らせた、私たち日本人の最大の課題に行き当たる。 何も勿体つけた御託を並べたくはないのだが、実際これを文章にするのはかなり骨の折れる作業に思えて、今まで意識的に避けてきた。 とはいえ私もこの国の医療に携わる人間の一人として、崩壊の序曲が鳴り始めた今、あえてこの場で説いてみようと思う。首尾よくまとめられるか甚だ自信がないが、ご興味おありな諸兄はこの後の駄文長文にしばらくの間、お付き合い願いたい。
日本という国は太古の昔から、島国で他民族の流入が極端に少なかったため、21世紀の今日までほぼ単一言語、単一民族で続いてきた。それでいて、近代史の終章近くなってから驚異的な発展を遂げ、なくてはならない先進国の一つになった。
彼らの目には、日本人とはたいそう信心深い民族に写るようだ。確かに言われてみれば、盆暮れには社会全体が休みに入り、墓参りに行っては花を供えてご先祖様に手を合わせ、正月には初詣の長蛇の列に嬉々として並ぶ姿を外国から眺めたら、さぞかし神仏を崇める神秘的な国民と写るのも無理からぬことだろう。
なるほど、単なるイベントとしてやっているだけで、実際には日本人はスピリチュアル(宗教的)とは全く無縁かと言えば、実はことはそう単純でもないのだ。
さて、ここで話を日本国内に戻そう。どのように外国から思われようと、私たちは私たちで今までこれでやって来たのだから、今後も問題はない。そうお考えになる方もいらっしゃるかも知れない。
しかし、私はそれは大きな危険を孕んだ考え方だと思っている。話は多少回りくどくなるが、気にせず続けたい。
ある日の夕食後、つたない英語でホストファミリーのお母さんに、アメリカ人がしばしば口にする「ジーザズ」とは、どういう意味なのか聞いてみた。
21世紀の現代、日本人と日本という国はかつてない変貌の最中にいる。
冒頭で述べた私たちの特殊な宗教観は、形こそ大昔から代々受け継いできたものではあっても、その実、中身は無いに等しい。つまり事実上、私たちを繋ぎ留めるものが存在しないか、あっても希薄なのだ。
西洋の貧富の差は日本の比ではない。歴然と「クラス」というものがある。が、一方で、「持つ者が持たざる者を助ける」という面もあるため、一概に「不平等だ」と断じるわけにはいかない。
だからか、どれほど経済的に困窮していても、彼の国々で施される策には、例えどんなに厳しいものであっても、根底にうっすらと「救い」が見える。誰にとっても、「自分のこと」という潜在意識があるからだ。
私たち日本人の中に致命的かつ、とてつもない空洞が出来てしまったこと、すっかり浮き草の如くさ迷ってしまっていることに、私たち自身は不幸にもまだ気付かずにいる。 日本とは、逃げ場のない島にただ単に閉じ込められた、てんでバラバラの人間が集まっているだけの国に成り下がってしまったのだろうか? そんなことを考えながらも、心のどこかで「縁起でもない」と打ち消したい自分がいる。
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2009年7月5日(日) 伝家の宝刀 |
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KONISHIKIがダイエットに成功したようで、テレビや雑誌で最近よく見かける。あのマラドーナも受けたという、胃の上部を縛って量を食べられなくする手術だ。手術そのもののリスクを除けば、かなり確実な方法と言える。 印象的なのは、体重が減っていく過程で、「初めの1か月くらいはすごく具合(体調)が悪かった」と本人が語っている点。身体がごく短期間で著しく変化すれば、体内ではいろんな細胞を壊したり造ったりしながら新しい環境に追従していこうとするわけだ。生き延びるために。 それはもう、さぞかし辛かったろうと思う。何しろ5キロや10キロの減量じゃないのだから。例えが適切か分からないが、癌治療の化学療法に匹敵するぐらいの苦痛だったのではなかろうか。 恥ずかしながら、こと「身体が変わる」という経験は私もしたことがある。KONISHIKIとはだいぶ規模は違うが…
昨年秋に初めて体験したカイロプラクティクで、前傾してすっかり猫背になっていた背骨から首の骨格を矯正したことは既にお話しした通り。
で、これはあまり大きな声では言えないが、整形外科でこういったことは普通はやらない。なぜならば、背中が前傾して丸くなるのは、年齢を重ねることによって起こる緩やかな「加齢性の変化」であって(私の場合は80%職業病)、「歳を取る」という現象そのものは病気ではないからだ。
じゃあ更に進んで、腰の曲がったお年寄りに大胆なカイロを施せばシャキッと背筋が伸びるかと言えば、まぁそう出来るかも知れないが、前述のようにそれ以前に来る苦痛のほうが辛かろう。
場合によっては堪えられないかも知れない。時間をかけてでも体力がそれを跳ね返せれば結果オーライだが、ただそれだけに賭けるのは既に一般的な医療とは言えないと思う。
これまた愚見を述べれば、「大胆な手法は必ず痛みを伴う」という点において、これは世の全てに共通して言えることではないだろうか。「やる」か「やらない」かの判断基準は、「痛みを乗り越えるだけの価値があるかどうか?」だろう。
仮に、国が相応の大きさのナタを振るって国民が大いなる痛みを感じたとしよう。それがゆくゆくの実りを得るために必要な痛みだということも、百歩譲ってよしとしようか。
おそらく、効果が出るまでそれ相応の時間経過を堪え忍ぶことになる。
消費税を12%に上げるも、それしか策がないならいずれは仕方あるまい。だが、一部の衣料や食料品は対象から除外すべきだ。「欧米では既に常識」という伝家の宝刀をどうせかざすなら、こういうところにまず切っ先を当てるがよかろう。
現状に切り込むことを決してせず、新たに「今度はどこに税金を乗っけるか」しか考えないのは愚の骨頂としか言いようがない。 KONISHIKIがダイエットに成功しているのは、縛る場所を間違えなかったからなのだ。いずれにしても、今の30〜40代に課せられた荷物がことのほか重いことだけは、間違いないようである。
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2009年7月12日(日) もう一度 |
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数日前、個人的に参加しているサイトで友人たちへ向け、一斉に一つの問いを投げかけてみた。 「人生をある時点からもう一度やり直せるとしたら、あなたはいつの自分に戻りたいですか?」と。といってもネット上での顔の見えない集まりではなく、皆が人生の一時期を共に過した、早い話が小・中・高の同級生なので「ちょっと答え難いかな」とも思ったのだが… 何のことはない、半日と待たずに皆からレスポンスがあった。 事前に私の出した条件は、「ピンポイントで過去へ戻って細工をするのではなく、ある日の自分に帰ったらそこからまた人生をやり直し、かつ今までの記憶は24時間で消えてしまう」というもの。 さしたる意図はなく、ハリウッド映画によくあるシチュエーションを踏襲してみたのだ。
勉強、仕事、恋愛… 各々が自分たちの半生を振り返り、少しずつ取りこぼして来たものについて語り合っていた。四十男たちはこういう話題で盛り上がる。
とはいえ皆が皆、今やそれぞれに社会的地位と幸せな家庭を持つ者たちであるから、そこは「大人の夢物語」として空想しただけに過ぎなかった。
――14年前のある晩。なぜかピンポイントでこの、私にとって生涯忘れることのない夜の記憶が浮かんだ。
ともあれ、その日付が頭に浮かんだ時点で、私はとてもじゃないが目の前のキーボードを叩けなくなってしまった。一度思い出してしまったものを、適当にお茶を濁して他の話題に代えて披露するのは簡単だ。
最初っから仕切り直したい不覚の局面なら、他にいくらだってある。
私には縁あってその前年に知り合い、同じ年に医師国家試験に合格した、出身大学の違う友人がいる。彼は不出来な私より3歳年下、名前を仮に「N」としようか。
大学の体育会系バスケ部でも活躍した、今でいう「イケメン」青年医師である。
その夜、私は新宿でNと会ってしこたま飲んだ。久しぶりだったが、いつものようにバカな話をし、大いに笑った晩だった。
一週間後、深夜にNと同じ大学の医者仲間から電話が入った。 その後、Nは母校での懸命の治療の甲斐あって一命こそ取り留めたものの、長らく病棟のベッドに横たわる彼は、もはや既に私のよく知るNではない。以前の彼自身を取り戻すことは、現代の医療では残念ながら不可能なのだ。 情けないことに、そのあと数日の私の記憶はおぼろげだ。
1995年5月2日午後7時30分。叶うことなら、GWで賑わう新宿駅にER当直明けで降り立った、あの瞬間に戻りたい。
そして、14年ぶりのNとの再会を心の底で喜びながら、あの時と同じように酒を飲み、笑い、愚痴を言い合い、そして以前の別れ際に聞きそびれた話をしつこく聞き出してやろう。なに、どうせまた大した悩みじゃないに決まっている。 「向こう一週間、クルマには乗るなよ」と。
ふと、元気なヤツが帰って来るのなら、あそこから全てをまたやり直してもいいと思えた。
ひょっとしたら、医局を辞めてニューヨークへ行くようなことも、向こう見ずだった都内での開業も、こうして福島にやって来ることもなかったかも知れない。
私たちの仕事は、患者の傷を癒すこと。世間では「医療もサービス業」だなどと耳に優しいフレーズを大っぴらに吹聴する向きもあるが、この一点だけは私は死んでも譲るつもりはないのだ。
患者のご機嫌をとって、望むがままにお茶と薬を山と出すような真似は、私は断じて医療ではないと思っている。
「僕にもう一度会いに来るぐらいなら、そっちでもっと多くの人を止めてあげて下さいよ」 「いいえ、それはいけません」と。
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2009年7月22日(水) 救 世 主 |
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昨年末にNHKで「医療崩壊を食い止めるために」という主旨の番組を観た。決して絵空事ではないこの問題をテーマに、海外や国内自治体の独自の取り組みなどをVTRで取り上げ、スタジオ中央に円卓を囲む形で着座した面々が討論するというものだった。 メインの司会者(アナウンサー)の他、日本医師会副会長、厚生労働省の担当者、非営利団体代表者、ご家族を医療事故で亡くされた方々の集まりの代表者などで構成されていた。 そして更にその周りを、各地の公立病院や大学病院の勤務医、地域の開業医、研修医、一般の方々(患者)が取り囲む。さながらNHK版『朝まで生テレビ』だ(録画だけど)。
イヤな感じで取られたら申し訳ない、ということをお断りした上で言えばこの番組、案の定、私は観ていて不完全燃焼のまま終わった。こういうテーマの場合、事情は往々にして複雑である。
そして日本国内でも独自の取り組みをしている自治体として、奈良県を同様に取り上げた。ここでは一部で脳外科のカバーしきれない地域がある。脳外科の専門医療機関も医師も決定的に足りないわけではない。
ただ複数の施設に医師が散っているため、一施設あたりの受け入れキャパシティは決して高くはなく、結果として運次第では致死率の高い脳卒中において「救急患者の受け入れ拒否」にも繋がっている、という文脈。
問題は、「常駐医師(脳外科医)をどうやって調達するか?」である。
つまりこうだ。出席者たちの所属する複数の医療機関では、それぞれが脳外科を診療科の一つとして標榜し、各1〜2名の脳外科医で地域のかなりの患者を抱えている。勿論、外来だけでなく手術も日常的にこなす。
猛烈に多忙だ。そこに加えて半ボランティアに等しい新規医療機関の当番が持ち回りで巡ってくるとどうなるか…
この「相当数の患者が減る」という事態は、その施設規模が大きいほどダメージも甚大だ。最悪、というか時間の問題で閉鎖に追いやられる病院もあるだろう。ある日突然、数万人単位の地域の患者たちが野に放たれる。
思いきったことを言うと、残念ながらその二つは並び立たない。決して同業の贔屓目で言うのではなく、医療事故はどんなに努力をしても「ゼロ」にはなり得ない。
重ねて言うと、医者は皆、みすみすそれを犯すわけではないからだ。
世の中には正反対の医者がいる、という話ではない。この2つのエピソードが1人の医者が経験したことだと言ったら、皆さんは果たしてどうお感じになるだろうか?
残念だが、どこをどう改変したところで「ミスを犯さない医師」を作り上げることなど不可能だ。ミスをしない人間など、元々この世の中に存在しないからである。現状の医師国家試験を見直すのも一つの妙案かも知れないが、せいぜい「医師の適性を見極めるため、面接の実施を」ぐらいが関の山。
さて、そろそろ傍観者の立場を離れて私見を述べさせていただこう。
世の中は不況だ。「どうして自分がこんな辛い思いをしなければならないのか?」と、国民の誰もが感じている。どこかへ「はけ口」を求めたくなるだろうし、誰か救世主のような存在が現れ、魔法でも使って社会を一瞬にして変えてくれないだろうかと夢見ても、ちっともおかしくない。
この場合、立場やつまらない面子を捨て万難排するのは、医者ではない。私たちはそんなもの、とっくの昔に手放してしまっているのだから。
ヨーロッパの取り組みが奏功しつつある理由は、彼の国が軍隊を持っていることと無縁ではない。だからこそ、多少の反発を招きながらも、開業地の申請・許可制度や有無を言わさぬ地方への医師派遣も、国のために彼らは言うことを聞く「素地」がある。 今日も現場の医師たちは、ぎりぎりの瀬戸際で踏みとどまりながら、診療に従事している。いわれのないツケを、少なくとも彼らに押し付けるべきではない。
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