先週までのひとりごと


2009年6月17日(水)
虚像と空洞と命の綱

 今まで長らく、定期的に真面目な話題も盛り込んでこのホームページを更新してきた。とは言っても毎回では瞬く間にネタは尽きてしまうため、ご覧のように多くは観た映画だの読んだ小説だの、どこそこへ旅行に行っただのというヤワい話題の隙間で(あれでもかなり)遠慮がちに本音を差し入れてきた。
 そんなこの数年間、ずっと私の頭から離れずにいる事柄がある。これが厄介で、端緒こそ小さな事実なのだが、よくよく考えてみると広く強固な根を張り巡らせた、私たち日本人の最大の課題に行き当たる。 何も勿体つけた御託を並べたくはないのだが、実際これを文章にするのはかなり骨の折れる作業に思えて、今まで意識的に避けてきた。
 とはいえ私もこの国の医療に携わる人間の一人として、崩壊の序曲が鳴り始めた今、あえてこの場で説いてみようと思う。首尾よくまとめられるか甚だ自信がないが、ご興味おありな諸兄はこの後の駄文長文にしばらくの間、お付き合い願いたい。

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 日本という国は太古の昔から、島国で他民族の流入が極端に少なかったため、21世紀の今日までほぼ単一言語、単一民族で続いてきた。それでいて、近代史の終章近くなってから驚異的な発展を遂げ、なくてはならない先進国の一つになった。
 考えてみれば、これは物凄いことだ。一億人余りの国民ほとんどは母国語しか話せず、したがって国外へ出て行く人の数も他国に比べて多いわけでは決してないのに、である。
 これがやはり、他の西洋諸国からは非常に不思議に感じられるようで、縁あって海外生活を経験した私も、かつて大いにそれを意識させられた一人である。

 彼らの目には、日本人とはたいそう信心深い民族に写るようだ。確かに言われてみれば、盆暮れには社会全体が休みに入り、墓参りに行っては花を供えてご先祖様に手を合わせ、正月には初詣の長蛇の列に嬉々として並ぶ姿を外国から眺めたら、さぞかし神仏を崇める神秘的な国民と写るのも無理からぬことだろう。
 無論、それは大きな誤解である。私は、西洋人が感じる「東洋の神秘」を日本に限っては、半分「虚像」だと思っている。いや今でも、自分の実家の墓はどこにあり、仏教の宗派は何々派で… なんてことは普通に皆が知っているのかも知れない。 しかしながら、だからといって皆が皆、朝晩欠かさず仏壇に手を合わせているわけではもはやなく、日本独特の宗教的(に見える)行事の多くは、無意識な日常の一部に完全に溶け込んでいるだけの話だ。正直、個人的には無宗教な人が圧倒的だろう。

 なるほど、単なるイベントとしてやっているだけで、実際には日本人はスピリチュアル(宗教的)とは全く無縁かと言えば、実はことはそう単純でもないのだ。
 例えば、「私は盆暮れも正月も関係ない職業で、初詣にも墓参りにも興味ございません」という人をつかまえて、「じゃあ今夜から北枕で寝て下さい」と言ったとしよう。 不思議なことに、どれほど現実主義を説いていたドライな人でも即決快諾はしない。「怖い」とは口に出してこそ言わないまでも、「何となく落ち着かない」ぐらいの抵抗感は抱くもの。 今回の話題の「核」である、日本人の不可解さを示すには、それで十分なのだ。
 また逆に私たち日本人が外国を見ては、なぜにあれほど神にすがるのか不思議に思い、大多数の日本人にしてみれば誰が書いたのかさえ知れず、半分おとぎ話のような大昔の本の解釈を巡って、時にそれが国家間の戦争にまで発展してしまうことが理解出来ない。

 さて、ここで話を日本国内に戻そう。どのように外国から思われようと、私たちは私たちで今までこれでやって来たのだから、今後も問題はない。そうお考えになる方もいらっしゃるかも知れない。 しかし、私はそれは大きな危険を孕んだ考え方だと思っている。話は多少回りくどくなるが、気にせず続けたい。
 ヨーロッパは勿論のこと、あれだけ自由に見えるアメリカでさえ、彼らの生活にスピリチュアルなことは普通に浸透している。一見、それらは私たちが初詣に並んだり、おみくじを引いては一喜一憂する姿とダブるが、決定的な違いがある。彼らのそれは、日本人よりもっと意識的なのだ。
 私がそれを思い知らされたのは、15歳で初めて海外へ行ったアメリカ(シアトル)でのホームステイの時だった。

 ある日の夕食後、つたない英語でホストファミリーのお母さんに、アメリカ人がしばしば口にする「ジーザズ」とは、どういう意味なのか聞いてみた。
 私も幼稚園からずっとカトリック系の学校に通った身、それが誰のことかぐらいは知っていた。 私は、アメリカ人が感嘆詞として“Jesus Christ!”と「なぜ言うのか?」を聞きたかったのだが、いかんせん15歳の私の英語が稚拙だったがために、「どういう人なのか」を彼女は私に説明してくれた。
 「彼は私たちにとって『良い先生』かしら」
 ほぼ即答だった。ということは、常日頃から彼女の中に明確な答えが存在しているのだろう。彼女は日本から来た15歳の子供に分かりやすく「先生」と表現してくれた。
 私はキリスト教信者ではないので、今もって正直その言葉の意味を100%理解はしていない。が、彼らの中に私たちとは違う、自分たちと何かを繋ぎ留める、一本筋の通ったものを感じたのは確かだった。
 それはいったい何なのか? 「日本人と違い、信心深い人が多いな」とか、時には不見識なことも想像したものだが、ごく最近まで理由めいたものは分からなかった。 ただ、日本人はもし西洋人に「初詣の意味は?」とか、いろんなことを尋ねられても彼女のように即座に答えられない、とは思った。

 21世紀の現代、日本人と日本という国はかつてない変貌の最中にいる。
 ここ最近、私が気になって仕方ないことが、日本人の徹底した「他人事主義」だ。話題を医療に限っても、例えば「高齢者の医療が手薄である」となった際に、誰も「明日の自分」のこととして捉える者がいない。
 よく見れば完全に自分もその一人である政治家が、「高齢者」の医療について語り、ニュースキャスターはここぞとばかりに客観報道に努めるか、「お年寄り」の不遇を嘆く。 まるで、世の中に「お年寄り」と「それ以外の者」という別々の生き物が存在しているかのように…
 まぁ、悪気はないのかも知れない。しかし、私はこれが非常に危険なサインに思えてならないのだ。はっきり言えば、元々そういう素地のあった私たち日本人が、ここへ来て更に拍車をかけられている気がする。

 冒頭で述べた私たちの特殊な宗教観は、形こそ大昔から代々受け継いできたものではあっても、その実、中身は無いに等しい。つまり事実上、私たちを繋ぎ留めるものが存在しないか、あっても希薄なのだ。
 昔は西洋人たちを見て、「何かと神にすがる人たちだな」と思っていたが、日本のいち医者がこの歳になって理解したのは、彼らは心の底で「死を恐れている」ということ。 だから、最後に自分がすがれる存在を「あらかじめ」創造した。最後の最後、全てを脱ぎ捨てて「謙虚にならざるを得ない」対象と言い換えてもいいだろう。
 死を恐れない人間などいない。誰にでも必ず、いつかは訪れる。分かりきったことだろうか? 日本人の多くは、いつしかこの大前提をあえて考えないようにした。 そして、そのままどこまでも突き進もうとしているとしか、私には思えない。
 お年寄りには可哀想だが我慢してもらおう、私たちに出来る限りのことはします… そこには何十年後かの自分たちの安住の場所を、自分たちの手で無くしてしまっている、という意識が完全に欠落している。

 西洋の貧富の差は日本の比ではない。歴然と「クラス」というものがある。が、一方で、「持つ者が持たざる者を助ける」という面もあるため、一概に「不平等だ」と断じるわけにはいかない。 だからか、どれほど経済的に困窮していても、彼の国々で施される策には、例えどんなに厳しいものであっても、根底にうっすらと「救い」が見える。誰にとっても、「自分のこと」という潜在意識があるからだ。
 その意識がなぜか完全に抜け落ちている日本ではだから、その「救い」が微塵も存在しない。
 少しでも現実的なことを言えば、「縁起でもない」と打ち消すのが空気を読む日本の美徳かも知れないが、と同時に、最も大事な事柄を延々と先送りにしているだけ、とも言える。 それでも昔の日本人は心の底では、それが「避けては通れないもの」だと分かってはいた。しかし、代々そうしてやり過ごすうちに、とうとう国を挙げて自分たちが皆、いずれは弱い立場になる時がやって来るという現実を考えなくなってしまった。
 今、目の前の高齢者たちを救うことは、明日の自分たちを救うのと同じこと。そんな簡単な理屈からさえ目をそむけ、ただただ「老い」だけを恐れる。「滑稽」のひと言だ。

 私たち日本人の中に致命的かつ、とてつもない空洞が出来てしまったこと、すっかり浮き草の如くさ迷ってしまっていることに、私たち自身は不幸にもまだ気付かずにいる。
 辛うじて体裁を保てている理由はただ一つ。この国が海に囲まれた島国で、逃げ場がないだけの話である。もし他の国と陸続きだったなら、こんな国は20世紀半ばあたりで、ひとたまりもなく消えてしまっていただろう。
 一つ確かなことは、自分を繋ぎ留める「命綱」を持たない者は、ひとたび諦めてしまうと収拾がつかなくなるということだ。右を見ても左を見ても、つくづくイヤな世の中になってしまったものである。

 日本とは、逃げ場のない島にただ単に閉じ込められた、てんでバラバラの人間が集まっているだけの国に成り下がってしまったのだろうか? そんなことを考えながらも、心のどこかで「縁起でもない」と打ち消したい自分がいる。


2009年7月5日(日)
伝家の宝刀

 KONISHIKIがダイエットに成功したようで、テレビや雑誌で最近よく見かける。あのマラドーナも受けたという、胃の上部を縛って量を食べられなくする手術だ。手術そのもののリスクを除けば、かなり確実な方法と言える。
 印象的なのは、体重が減っていく過程で、「初めの1か月くらいはすごく具合(体調)が悪かった」と本人が語っている点。身体がごく短期間で著しく変化すれば、体内ではいろんな細胞を壊したり造ったりしながら新しい環境に追従していこうとするわけだ。生き延びるために。
 それはもう、さぞかし辛かったろうと思う。何しろ5キロや10キロの減量じゃないのだから。例えが適切か分からないが、癌治療の化学療法に匹敵するぐらいの苦痛だったのではなかろうか。
 恥ずかしながら、こと「身体が変わる」という経験は私もしたことがある。KONISHIKIとはだいぶ規模は違うが…

 昨年秋に初めて体験したカイロプラクティクで、前傾してすっかり猫背になっていた背骨から首の骨格を矯正したことは既にお話しした通り。
 初めの数回は定着させるために毎週通院するのだが、3回めの施術あたりまではどうにも具合が悪かった。立てど座れど、横になろうとも。不思議なことにこれが、単純に「背中が痛い、首が痛い」ではないのだ。
 具体的には、頭痛と全身の倦怠感。今考えれば合点がいくのだが、長年かけ前方に弧を描いてガチガチに固まってしまった椎骨の連結を緩めて一旦可動させるのだから、文字通り「屋台骨の大工事」だ。体調に影響しないわけがない。

 で、これはあまり大きな声では言えないが、整形外科でこういったことは普通はやらない。なぜならば、背中が前傾して丸くなるのは、年齢を重ねることによって起こる緩やかな「加齢性の変化」であって(私の場合は80%職業病)、「歳を取る」という現象そのものは病気ではないからだ。
 したがって、固まったり衰えた箇所へ大胆には手を加えず、その他の筋肉や関節を出来る限り活発に動かすことによって日常生活を維持する方法をとる。これが理学療法、リハビリテーションと呼ばれるものの基本的なアプローチだ。
 加齢性の変化も去ることながら、リハビリは事故や病気で身体の一部機能を失った方に対し、使えなくなった部分以外で「機能を補う」という意味で、非常に有効である。

 じゃあ更に進んで、腰の曲がったお年寄りに大胆なカイロを施せばシャキッと背筋が伸びるかと言えば、まぁそう出来るかも知れないが、前述のようにそれ以前に来る苦痛のほうが辛かろう。 場合によっては堪えられないかも知れない。時間をかけてでも体力がそれを跳ね返せれば結果オーライだが、ただそれだけに賭けるのは既に一般的な医療とは言えないと思う。
 よって、一部の整形外科医が「カイロは一時のもの」と言うのも、また逆に一部のカイロプラクティク施術者による「年齢を問わず可能」という売り文句も、私はアタマから否定も肯定も出来ない。「相手によります」というのが、ごく私見である。

 これまた愚見を述べれば、「大胆な手法は必ず痛みを伴う」という点において、これは世の全てに共通して言えることではないだろうか。「やる」か「やらない」かの判断基準は、「痛みを乗り越えるだけの価値があるかどうか?」だろう。
 かつて、ある国の首相が「皆で痛みに堪えよう」という主旨の発言をした記憶があるが、「皆に等しく痛みを」という意味だとすれば、いささか乱暴な話だと言わざるを得ない。
 語弊のあることを承知で言うと、少なくともある一点において国民は平等ではないからだ。それは年齢である。世の中では「アンチエイジング」なる言葉が大いなる誤解をもって浸透しつつあるが、年齢とは本来「抵抗する」性質のものではなく、要所要所でまずは「受け入れる」という選択肢しか存在しない。 受け入れた後に、またいくつか別の選択肢が浮上してはくるのだが。

 仮に、国が相応の大きさのナタを振るって国民が大いなる痛みを感じたとしよう。それがゆくゆくの実りを得るために必要な痛みだということも、百歩譲ってよしとしようか。 おそらく、効果が出るまでそれ相応の時間経過を堪え忍ぶことになる。
 問題は、それがどのくらいかかるか、だ。若い連中はいい。40〜50代も、まぁぎりぎりセーフとしようか。「苦あれば楽あり」を実感し、十分に享受出来る時間も残されていよう。 しかし、それ以上の年齢層に向かって、効果が現れるまで例えば20年もかかるような施策を国が強いるのは、いささか罪に思えてならない。というか、はっきり間違っている
 この国でリタイアして悠々自適でいられる人口は、皆が考えているより遥かに少ない。つまり、大部分の高齢者たちは、歳を重ねるごとに生活の規模を縮小していっているのがこの国の実状だ。
 ここに鞭打とうとするなら、「もれなく天国行きのチケット差し上げます」級のご馳走でもないと、いささか説得力に欠ける。だが実際には、「そんなもの要らないし、痛い思いはしたくない」となるのが人情だ。 ところが、そんな選択肢はハナから用意されてはおらず、一つ覚えに「皆、平等に痛みを」の連呼のみだ。
 こういった場合、とかく矢面に立たされるのは若い頃から人一倍働いてきた人たちであり、勉強も仕事もロクすっぽうやって来なかった怠け者たちは、やっぱりどこかへ雲隠れをカマすがオチである。一体どこがどう平等なんだと思うがいかがだろうか。

 消費税を12%に上げるも、それしか策がないならいずれは仕方あるまい。だが、一部の衣料や食料品は対象から除外すべきだ。「欧米では既に常識」という伝家の宝刀をどうせかざすなら、こういうところにまず切っ先を当てるがよかろう。
 アメリカでは、いわゆる生活必需品への消費税は課されないし、ついでに言うなら彼の国のみならず、先進諸国ではもう相続税も廃止に向かっている。 18歳未満と65歳以上にも理屈から言って消費税は課すべきではない。これまた百歩譲って、従来の5%に据え置くが筋だろう。
 国会議員の人数もせいぜい今の半分以下でいい。逆にたばこの課税はもっと上げればいい。これもまた、「欧米並み」にひと箱600〜800円にしたらどうか?

 現状に切り込むことを決してせず、新たに「今度はどこに税金を乗っけるか」しか考えないのは愚の骨頂としか言いようがない。
 きっと50年後の社会科の教科書には、「平成の失われた25年」とか書かれていそうな気がする。それとも、小泉純一郎がJAL特別機のタラップを降りる、2002年10月の写真で平成の章は終わっているのだろうか…

 KONISHIKIがダイエットに成功しているのは、縛る場所を間違えなかったからなのだ。いずれにしても、今の30〜40代に課せられた荷物がことのほか重いことだけは、間違いないようである。


2009年7月12日(日)
もう一度

 数日前、個人的に参加しているサイトで友人たちへ向け、一斉に一つの問いを投げかけてみた。
 「人生をある時点からもう一度やり直せるとしたら、あなたはいつの自分に戻りたいですか?」と。といってもネット上での顔の見えない集まりではなく、皆が人生の一時期を共に過した、早い話が小・中・高の同級生なので「ちょっと答え難いかな」とも思ったのだが… 何のことはない、半日と待たずに皆からレスポンスがあった。
 事前に私の出した条件は、「ピンポイントで過去へ戻って細工をするのではなく、ある日の自分に帰ったらそこからまた人生をやり直し、かつ今までの記憶は24時間で消えてしまう」というもの。 さしたる意図はなく、ハリウッド映画によくあるシチュエーションを踏襲してみたのだ。

 勉強、仕事、恋愛… 各々が自分たちの半生を振り返り、少しずつ取りこぼして来たものについて語り合っていた。四十男たちはこういう話題で盛り上がる。 とはいえ皆が皆、今やそれぞれに社会的地位と幸せな家庭を持つ者たちであるから、そこは「大人の夢物語」として空想しただけに過ぎなかった。
 当初、私にも確たる答えやオチがあって問いかけたわけではなく、皆の意見を聞いて自分も考えてみようぐらいの、ホンの軽いお遊びのつもりだった。
 こういう場合、「現在とは違う職業を選んでいたら」とか、「学生時代にもっと勉強しておけば」などと言いつつ、みんな最後には異口同音に過去の恋愛の失敗談に集約されるのが中年男の悲しいサガである。 まぁ誰にだってそういう思い出はあるし、年月が経過するほど美しく熟成されていくものだから仕方がない。
 さぁて、どうしよう… 私そっちのけで盛り上がるPC画面を前にして、静かに目を閉じてみた。

 ――14年前のある晩。なぜかピンポイントでこの、私にとって生涯忘れることのない夜の記憶が浮かんだ。
 好きだった女性との恋をやり直したいのかって? いやいや、それはそのひと月前と翌年の話で(笑)。もう一度、真面目に研修医からやり直したい? 申し訳ないが、そればっかりは真っ平御免コウムリたい。

 ともあれ、その日付が頭に浮かんだ時点で、私はとてもじゃないが目の前のキーボードを叩けなくなってしまった。一度思い出してしまったものを、適当にお茶を濁して他の話題に代えて披露するのは簡単だ。 最初っから仕切り直したい不覚の局面なら、他にいくらだってある。
 ただ、皆の正直なコメントを読んでいると、自分から言い出しておいてそれもフェアじゃない気がした。しかし、それを書いてしまうと、場の空気は一変するに決まっているのだ。
 そこで思いきって、終了間際のこのHPにアップすることにした。ここなら誰に文句を言われることもなく、空気を乱すこともないだろうと…
 以下、柄にもなく少々真面目なお話になることをご容赦願いたい。

  私には縁あってその前年に知り合い、同じ年に医師国家試験に合格した、出身大学の違う友人がいる。彼は不出来な私より3歳年下、名前を仮に「N」としようか。 大学の体育会系バスケ部でも活躍した、今でいう「イケメン」青年医師である。
 私立の医学部なんてのはどこも同級生の8割は親が医者だから、そうではない同じ境遇のNと私は、いろんなことを素で話し合える間柄だった。だから、お互いまだ20代だったこともあって、社会人になってからの過酷な研修医の仕事帰りでも、どこかで待ち合わせて飲み食いしようという元気があった。

 その夜、私は新宿でNと会ってしこたま飲んだ。久しぶりだったが、いつものようにバカな話をし、大いに笑った晩だった。
 別れ際に彼は言った。
 「富永さん、あの…」
 「ん? なに、どうした?」
 「いや、また今度会った時に」
 互いに背を向け、反対方向に歩いて行ったあの晩。それが私と「私の知っているN」との最後だった。

 一週間後、深夜にNと同じ大学の医者仲間から電話が入った。
 「Nが交通事故に遭って危篤です、今ERに入ってます… 今夜オレたちに出来ることはありません」
 夜の明けないうちから、まだ家族すら面会を許されない状態のNに会えるはずもないのに、私は居ても立ってもいられず収容された大学病院に駆け付けた。そこには、共に国家試験を戦った仲間が集まっていた。 遠く仙台から、夜通しクルマを飛ばして来たヤツまで。全員揃うなんて滅多にないことなのに、誰もが黙ったまま立ち尽くしていた。
 同じ思いだった。
 全身の多発骨折に加え、頭蓋骨を半分持って行かれるほどの重傷。前途洋々たる若い命の火が、吹き消されようとしていた。真新しい帆を張ってたった今、海へ漕ぎだしたばかりだというのに…

 その後、Nは母校での懸命の治療の甲斐あって一命こそ取り留めたものの、長らく病棟のベッドに横たわる彼は、もはや既に私のよく知るNではない。以前の彼自身を取り戻すことは、現代の医療では残念ながら不可能なのだ。 情けないことに、そのあと数日の私の記憶はおぼろげだ。

 1995年5月2日午後7時30分。叶うことなら、GWで賑わう新宿駅にER当直明けで降り立った、あの瞬間に戻りたい。 そして、14年ぶりのNとの再会を心の底で喜びながら、あの時と同じように酒を飲み、笑い、愚痴を言い合い、そして以前の別れ際に聞きそびれた話をしつこく聞き出してやろう。なに、どうせまた大した悩みじゃないに決まっている。
 そして、最後にこう言ってやりたい。

 「向こう一週間、クルマには乗るなよ」と。

 ふと、元気なヤツが帰って来るのなら、あそこから全てをまたやり直してもいいと思えた。 ひょっとしたら、医局を辞めてニューヨークへ行くようなことも、向こう見ずだった都内での開業も、こうして福島にやって来ることもなかったかも知れない。
 いやいや、やっぱり同じ選択をするだろうと思う。あのまま元気で歳を重ねたとしても、ヤツは人の生き方にとやかく口を挟むような男ではないし、ヤツに決めてもらった人生でもないのだから。

 私たちの仕事は、患者の傷を癒すこと。世間では「医療もサービス業」だなどと耳に優しいフレーズを大っぴらに吹聴する向きもあるが、この一点だけは私は死んでも譲るつもりはないのだ。 患者のご機嫌をとって、望むがままにお茶と薬を山と出すような真似は、私は断じて医療ではないと思っている。
 その先に「何が待っているか」を、私たちだけが誰よりもよく知っている。知っているからには導くばかりではなく、「ここから先、一歩たりともこの道を進んではいけない」と両手を拡げて道をふさぐことだってしなければいけない時がある。
 そりゃあ、たまには恨まれる。面と向かって感謝だってされないだろう。決してきれいごとではなく、そのために選ばれた人間はそれぐらいのことには耐えなければいけない、と私は思っている。

 「僕にもう一度会いに来るぐらいなら、そっちでもっと多くの人を止めてあげて下さいよ」
 柄にもない夢想をした私を、きっとヤツは笑っているに違いない。だからってわけじゃないが、私は今日も明日も同じセリフを繰り返す。

 「いいえ、それはいけません」と。


2009年7月22日(水)
救 世 主

 昨年末にNHKで「医療崩壊を食い止めるために」という主旨の番組を観た。決して絵空事ではないこの問題をテーマに、海外や国内自治体の独自の取り組みなどをVTRで取り上げ、スタジオ中央に円卓を囲む形で着座した面々が討論するというものだった。
 メインの司会者(アナウンサー)の他、日本医師会副会長、厚生労働省の担当者、非営利団体代表者、ご家族を医療事故で亡くされた方々の集まりの代表者などで構成されていた。 そして更にその周りを、各地の公立病院や大学病院の勤務医、地域の開業医、研修医、一般の方々(患者)が取り囲む。さながらNHK版『朝まで生テレビ』だ(録画だけど)。

 イヤな感じで取られたら申し訳ない、ということをお断りした上で言えばこの番組、案の定、私は観ていて不完全燃焼のまま終わった。こういうテーマの場合、事情は往々にして複雑である。
 一つの大きな問題として筆頭に挙げられていたのが、「地方(僻地)での医師不足」。番組が調査した、各地域の人口と疾患分布に対する医師数を比較したグラフを示し、ここ数年で明らかに「カバーしきれていない」とされる地域が増えてきたことが指摘される。疑う余地なし、である。
 さて、これを今後どう解決していくか?がこの日の一大テーマだ。
 ここでまず、「海外での取り組み」としてヨーロッパの医療事情をまとめたVTRが流される。某国では2000年、時の宰相の舵取りによって医療現場に大きな改革がもたらされ、国内各地への適正な(偏在のない)医師の配置が実現された。 結果として、上記の問題は徐々に解決されつつあるという。これについてはのちほど述べよう。

 そして日本国内でも独自の取り組みをしている自治体として、奈良県を同様に取り上げた。ここでは一部で脳外科のカバーしきれない地域がある。脳外科の専門医療機関も医師も決定的に足りないわけではない。 ただ複数の施設に医師が散っているため、一施設あたりの受け入れキャパシティは決して高くはなく、結果として運次第では致死率の高い脳卒中において「救急患者の受け入れ拒否」にも繋がっている、という文脈。
 そこで奈良県では、問題解決に向けて役所が専門の部署と複数の担当者を設け、活発に動き出した。地域の病院関係者(院長・診療科長クラス)を一堂に集め、担当者が事情を説明する。 上記のような現状を把握し、何とかせねばならない、というところまでは皆、異論はない。
 但し、である。中規模以上の医療機関が点在するその地域の中心に、新たに脳外科に特化した病院を設置し、救急車を受け入れる案を説明しだした辺りから場は少々紛糾する。

 問題は、「常駐医師(脳外科医)をどうやって調達するか?」である。
 県担当者の案は、「他県から呼ぶのではなく、地域の病院からローテーションで担当医師を出してもらえないか」というもの。出席者からはほぼ総スカンだった。まぁ、そうだろうと思う。
 ここは大変重要なポイントなので敢えて補足すると、出席者たちは何も「商売上のライバル進出に反対」しているのでは全くないのだ。先に記した通り、新たな施設開設までは概ね同意をしている。 奈良県の救急医療を何とか改善していかなければならないという思いは、県担当者も病院関係者も同じなのだ。ではなぜ、その先で意見が分かれるのか?

 つまりこうだ。出席者たちの所属する複数の医療機関では、それぞれが脳外科を診療科の一つとして標榜し、各1〜2名の脳外科医で地域のかなりの患者を抱えている。勿論、外来だけでなく手術も日常的にこなす。 猛烈に多忙だ。そこに加えて半ボランティアに等しい新規医療機関の当番が持ち回りで巡ってくるとどうなるか…
 本来所属する病院での業務は一部滞り、外来時間の減少や手術件数は減らざるを得ない。ひいては患者の信用を損なう。また単一の診療科とは言え、病院として医業収入も減ることだろう、打撃と言っていいほどに。 「やはり商売か」と思われるのはまだ早い。本当の問題はその先にある。

 この「相当数の患者が減る」という事態は、その施設規模が大きいほどダメージも甚大だ。最悪、というか時間の問題で閉鎖に追いやられる病院もあるだろう。ある日突然、数万人単位の地域の患者たちが野に放たれる。
 そしてそれは、決して一つの病院に留まらない。一つ消えれば、患者はやむなく他へ行くだろう。そしてそこでも施設あたりのキャパシティを超え医師は健康を害し、医療事故のリスクは倍増する。 この説明会の出席者たちは、間違いなく一瞬にしてそこまで考えたはずである。地域医療を支える医師は、常にこの程度の危機感を頭に置いているからだ。
 ここで画面はスタジオ内に切り替わり、「いかがでしょう」と司会者が促す。医師会副会長の当たり障りのない感想に対し、「患者の会」と非営利団体の代表が異口同音に「先生方もお立場やいろんな壁を乗り越えて、何とか実現に向けて動いてほしい」という内容を発言していた。 彼らの主旨は「医療崩壊阻止のため、万難排して一つの目的に向かって皆が努力を」、更には「不幸な医療事故をなくそう」である。

 思いきったことを言うと、残念ながらその二つは並び立たない。決して同業の贔屓目で言うのではなく、医療事故はどんなに努力をしても「ゼロ」にはなり得ない。 重ねて言うと、医者は皆、みすみすそれを犯すわけではないからだ。
 医者も人間である以上、ある一定の割合でミスは起きる。当たり前だが、他の職種よりそのパーセンテージは桁が一つは少ないはず。もし、いかなるミスをも「まかりならん」と断じるなら、その瞬間から医療の進歩は止まるだろう。
 不幸にも関わる皆の努力の甲斐も空しくご家族が亡くなられた方がいらしたら、それがどのような理由であれ、悔いの残らない死などない。かくいう私もその一人だ。 しかし、だからといって「いついかなる場合もその責任は必ず誰かにある」としがちな昨今の風潮はいけない。人間には寿命もあり、そこに「不運」が重なることも。それら全てを受け入れ、時に医師たちは遺族の文字にするのも憚られる罵倒の声を甘んじて聞くこともある。
 一方で、死をも覚悟するほどの難病を奇跡的に克服し、元気に社会復帰を果たす方々もいらっしゃる。ご本人の忍耐は勿論のこと、治療に携わった医師・看護師たちの努力と、そして「幸運」がもたらしたこれ以上はないと言える結果だ。 患者と家族にとって主治医は「命の恩人」にも思えることだろう。

 世の中には正反対の医者がいる、という話ではない。この2つのエピソードが1人の医者が経験したことだと言ったら、皆さんは果たしてどうお感じになるだろうか?
 悪い冗談などではない。医者は万能の神ではなく、「人間」なのだ。世の中に、患者に「恨まれる医者」と「感謝される医者」が別々に存在しているのではなく、全ての医者たちはそのどちらにもなり得るのだ、ということ。
 何か「医療事故」が明るみに出て、それ即ち「医療ミス」であるかのような報道がなされた時(両者の意味は全く違う)、必ずと言っていいほど繰り返される議論がある。
 「医療制度の改変」。

 残念だが、どこをどう改変したところで「ミスを犯さない医師」を作り上げることなど不可能だ。ミスをしない人間など、元々この世の中に存在しないからである。現状の医師国家試験を見直すのも一つの妙案かも知れないが、せいぜい「医師の適性を見極めるため、面接の実施を」ぐらいが関の山。
 全国の都道府県で10,000人規模で一斉に行われる医師国家試験で面接を課すということは即ち、全ての質問内容は言うに及ばず、面接官のクォリティまでをも均等にする必要が生じる。 でなければ、「あっちの県ではあんな奴が受かって、こっちの県ではこんなに立派な人が落ちた」みたいな事態が必発する。したがって、面接を課すという案は相当に非現実的と言わざるを得ない。
 繰り返すが、「ミスを犯さない医者」が「虚像」である以上、「それのみを生み出すような制度」を作ろうとすること自体が大きな間違いであり、時間と労力の無駄と言える。

 さて、そろそろ傍観者の立場を離れて私見を述べさせていただこう。
 番組中、件の医師会副会長がした唯一まともな発言がある。「おかしくなったのはこの数年間だ」というもの。無論、その頃から始まった新臨床研修制度を指してのこと。
 現場の医者は皆が皆、こんな悪しき慣習(取り決め?)は早いとこ撤廃すべきだと思っている。どうやら最近、厚生労働省もやっと見直す(2年→1年に短縮)ことにしたようだが、いきなりこんなことをして医療現場の混乱を招くぐらいのこと、予想はついたはずだ。
 曰く、「医師たるもの、専門に特化するより先に全ての診療科を均等に一定期間経験すべし」。バカらしくて話にならない。医学部在学中にそれは済んでいるのではないのか(BST=ベッドサイド・ティーチング)。 医師の診療科なんて、1ヶ月やそこら「お客様」としてその科に滞在して「一丁あがり」というほど甘くはない。
 彼らの掲げる目的を達成するには少なくとも各科で最低5年はかかる。一生かかっても「理想の医者」は出来上がらない、どだい無理な計算だ。
 かくして、肝入りの研修2年を要してなお、ほとんど素人な専攻医(研修医後)を各医局は迎え、またイチから教育が始まる。

 世の中は不況だ。「どうして自分がこんな辛い思いをしなければならないのか?」と、国民の誰もが感じている。どこかへ「はけ口」を求めたくなるだろうし、誰か救世主のような存在が現れ、魔法でも使って社会を一瞬にして変えてくれないだろうかと夢見ても、ちっともおかしくない。
 しかし、現実にはそんな奇跡は起こらない。では、この迷宮から出る逃げ道はないのだろうか… いや、ある。少なくとも医療の危機から逃れる道の一つは。
 今すぐ新臨床研修制度を撤廃し、国家試験をパスした研修医を望む診療科へストレートに入局させる。そして2年の臨床研修を終えたら、医局傘下の全国医療機関に年単位で派遣するのだ。
 つまり、元の制度に戻すことが先決。医局制度に往年の悪しき影響力はもはや久しくない。仮にあったところで構わない。中央の大学病院医局から医師が途切れず派遣されることによって、地方の医療は支えられていたのだ。
 派遣される医師も、地方での期間限定の務めを終えた先が約束されているからこそ、不自由な田舎生活を受け入れる。そのハシゴを誰かが一気に外してしまった(=医局からの派遣中止)がために今日の未曾有の混乱(=常駐医師減少→多忙化→リスク倍増)を招いたのだから、ここは少々のデメリットは飲み込んで原状回復すべきだろう。

 この場合、立場やつまらない面子を捨て万難排するのは、医者ではない。私たちはそんなもの、とっくの昔に手放してしまっているのだから。
 小説『白い巨塔』の舞台は20世紀半ばの医療界。既得権益にあぐらをかき、楽して大金を稼いでいられたのは今は昔のおとぎ話。 もはや医師は羨望ややっかみの対象ではないということを、皆さんには知ってほしい。
 求められるのは、しかるべき立場にいる者の、「間違っていました」と認める勇気だろう。それでも、自分たちが思っているほど多くを失うわけではない。

 ヨーロッパの取り組みが奏功しつつある理由は、彼の国が軍隊を持っていることと無縁ではない。だからこそ、多少の反発を招きながらも、開業地の申請・許可制度や有無を言わさぬ地方への医師派遣も、国のために彼らは言うことを聞く「素地」がある。
 対する我々日本人にはそんなものはないため、それがシステムとして機能的であることは認めながらも、参考にはならないと思われる。日本ではこの場合、国民の税金で医者になった者(国公立大卒)と自腹を切ったもの(私立大卒)とで、その使命は大きく分かれるだろう。

 今日も現場の医師たちは、ぎりぎりの瀬戸際で踏みとどまりながら、診療に従事している。いわれのないツケを、少なくとも彼らに押し付けるべきではない。