ゆとり教育で育てる図画工作の基礎・基本

〜美術史から学ぶ図画工作の基礎・基本〜

はじめに

 平成16年12月15日付で発表された小・中学生を対象とした「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)でわが国の児童生徒の成績が、中2理科が前回の4位から6位に低下、平均点も中2数学と小4の算数・理科で前回よりもダウンするなどの結果を受けた形で中山文部科学相が「ゆとり教育」を反省し、学習指導要領の全体的な見直しを進める考えを表明した、と新聞報道された。
完全週学校5日制導入により授業時数が減り、その分だけ成績がダウンするのは当然の成り行きかも知れないし、教育課程見直しの考えが出てくることもまた仕方のないことかも知れない。
そもそも[ゆとり]教育は、国際化、情報化、科学技術の発展、環境問題への関心の高まり、少子高齢化等々の社会の大きな変化を踏まえた新しい時代の教育の在り方が問われる中で、第15期中央教育審議会の第一次答申として[ゆとり]の中で自ら学び自ら考える力などの[生きる力]の育成が提言されたのである。急激に変動する社会を生きていくための力…[生きる力]の育成について異を唱える人はいないだろう。そして、その生きる力を育てる手立てとして、教育内容の厳選と基礎・基本の徹底を図ること、一人一人の個性を生かすための教育を推進すること、豊かな人間性とたくましい体力を育むための教育を改善することなどが提言され、横断的・総合的な指導を推進するため「総合的な学習の時間」が新設されたのである。
このような背景のなかでスタートしたゆとり教育であるが、ゆとり教育本来のねらいを達成するためには、基礎・基本の指導を徹底する指導体制や指導力が各学校や各教師に備わっているかどうかが問題である。しかし、ゆとり教育がスタートして3年が過ぎようとしている現在、国際比較による基礎的学力の低下や、家庭での学習時間の減少問題などが表面に出てきている現状である。ゆとり教育の見直しは当然かも知れないが、ゆとり教育で育もうとした[生きる力]は理念的にも現実問題としても子どもたちに身に付けさせたい必要な資質や能力である。学校教育に携わる者に今求められていることは、ゆとり教育の理念を思い起こし、子どもたち一人一人が自ら進んで基礎・基本を身に付けるような力を育むための教育内容の見直しと学校指導体制の立て直しであろう。
ここでは図画工作の基礎・基本の指導の在り方を通して「ゆとり教育」の意義を考えてみたい。ゆとり教育を肯定的にとらえたタイトルもこのような考えからである。 

生きる力と図画工作

 一人一人の自己表現が学習の中心にある図画工作は本来の姿として自ら学び自ら考え、行動する学習活動が求められる。
図画工作の基礎・基本が示されている
学習指導要領の目標は、「表現及び鑑賞の活動を通して、つくりだす喜びを味わうようにするとともに造形的な創造活動の基礎的な能力を育て、豊かな情操を養う。」である。改訂前(平成元年版)の「 表現及び鑑賞の活動を通して、造形的な創造活動の基礎的な能力を育てるとともに表現の喜びを味わわせ、豊かな情操を養う。」に比べてみると「つくりだす喜びを味わう…」が造形的な創造活動の基礎的な能力の前に出てきている。「つくりだす喜び」とは「自らの思いを自らの方法で選択したり表現したりしていく」過程で生まれる充足感である。「つくりだす喜び」は自己実現の過程であり、生きる力を育む要因であるといってよい。このことは、想像力や創造力、造形感覚、創造的な技能、鑑賞の能力などの造形的な創造活動の基礎的な能力、即ち図画工作の基礎・基本の身に付けさせ方が、教師の一方的な押しつけ的指導によるのではなく、子どもたちが自らの力で主体的に身に付けていくことを重視するということである。
つまり「つくりだす喜び」は造形活動の付随物ではなく「中核」であると位置づけ、基礎・基本を身に付けながら生きる力を育む学習活動の展開が求められているのである。
 ちなみに図画工作の基礎・基本というように「基礎」と「基本」を並べて書かれ、区別する必要はないという考え方もあるが、ここではあえて定義することにする。一般的に基礎は知識や技能であり、基本は認識や価値観といわれ、基礎を家の土台とするならば基本や家の柱である、などのようないわれ方もある。そこで図画工作の基礎は何かといえば「造形的な創造活動の基礎的な能力」ということで、自分らしい思いをふくらます力…
創造的な想像力やデザインの能力…造形感覚、美的直感力、構想力、判断力、創造的な技能、そして鑑賞の能力、などがあげられ、基本は「つくりだすよろこび」ということであり、表現活動を楽しむ力ということになる。つまり図画工作の基本は造形表現による自己実現であるり、図画工作の表現や鑑賞の活動を楽しく感じられる資質や能力ということになるのではないだろうか。

 そのため学習指導要領には次のように内容の改善が示された。
ア 内容の関連と2年間を見通した弾力的な指導
 ・内容を2学年まとめて示す。
 ・絵や立体を表すこととつくりたいものをつくることを関連づける。
 ・材料をもとにした楽しい造形活動(造形遊び)を高学年においても指導する。
イ 鑑賞の指導の充実
ウ 工作の指導に充てる授業時間数の確保 などである。

ここで基礎学力低下問題にかかわることがらとして留意したいことは、「絵や立体に表す」と「つくりたいものをつくる」という2領域が「絵や立体を表すこととつくりたいものをつくることを関連づける」にまとめられたことである。
 学習指導要領変遷の歴史を振り返ってみると、昭和43年版には「絵画」「彫塑」「デザイン」「工作」「鑑賞」の5領域に分かれていたのが、昭和52年版以降は「表現」と「鑑賞」に分かれ、「表現」が学年によって内容は変わるが3領域にまとめられ、平成元年版でも5・6学年は「表したいことを絵に表す」「表したいことを立体に表す」「つくりたいものをつくる」の3領域に分かれていたのである。
 それが現行の学習指導要領ではいわゆる「造形遊び」と「絵や立体、つくりたいもの(工作)」の2つにまとめられている。従来からの図画工作の考え方からすれば、絵も立体も工作も入り交じった題材を扱うことになり、焦点の定まらない学習になるのではないかという心配である。そして、「このような学習をしているから表現技術も身に付かず、稚拙な作品が学校の展覧会に並ぶのだ。もっと基礎・基本をしっかりおさえた指導をしてもらいたい。」ということで図画工作においても学力低下論がささやかれるのである。
「絵や立体に表す」と「つくりたいものをつくる」を関連づけた理由は、子どもたちが自ら資質や能力を働かせ、一人一人のよさを生かしながら表現活動ができるようにするためである、と学習指導要領解説には記されている。前述の造形的な創造活動の基礎的な能力は子どもたち一人一人の自己実現の過程で身に付けるという考え方と合わせて、図画工作における基礎・基本とは何かということと、その指導についての考え方や在り方を考える糸口となるのではないだろうか。

美術史から学ぶ図画工作指導の基礎・基本

「つくりだす喜びを味わう」とは前述の「自らの思いを自らの方法で選択したり表現したりしていく過程である」が、このことを子ども側に立って具体的に言い換えれば「描きたいこと(表現したいこと)」が「描きたいように描ける(表現したいように表現できる)」ということではないだろうか。
子どもたちの「表現したいことが表現したいように(思うように)表現できる」状態とは一体どのような状態であろうか。このことについては造形表現の発達段階的な要素や個々人の性格的、体質的な違いにもより、一概に結論づけることはできない問題である。

そこで一つの私論として、美術史に残る作品は「表現したいことが表現したいように表現された」作品だからこそ長い歴史の評価に埋没することなく名作として残る作品であるという仮説にたち、子どもたちの「表現したいように表現できる」状態を考えてみることにした。

美術作品の鑑賞の仕方はそれぞれ様々であろうが、先ず作品を前にして見ようとすることは「何が表現されているか」ということであり、つづいて「どのように表現されているか」ということを見るのが一般的な鑑賞の順序であろう。そしてこの段階で終わらないでもっと深く鑑賞しようとする場合の鑑賞方法は、模写を通して作品に迫ろうという方法もあろうし、美術史の位置づけから作品を理解しようという鑑賞の仕方もあろう。このように鑑賞には定められた方法はないのであるが、ここでは鑑賞方法の一つとして「どのよう表現されているか」を表現技法や形式の特徴にとどめず「表現されている対象を作者はどのようにとらえようとしたのか」ということと「作者は作者の周囲(社会)や時代とどのようなかかわりを持っていたのだろうか」という2つの鑑賞ポイントを設定して作者の立場に関心をよせた鑑賞をし、作者が「表現したいように表現する」とはどういうことかについて考えるヒントを得たいと思う。

例を取り上げてみると

■ミロのヴィーナス  紀元前2世紀前半 古代ギリシャ彫刻
[何が表現されているか]

 ・大理石の裸体像
どのように表現されているか]
・均整のとれたポーズを静的に抑制して表現
[対象をどのようにとらえるか]
・肉体の美の中に神の理想を求める
[どのようにかかわるか]
・作家ではなく職人としてかかわった。

 ■ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」 初期ルネサンス
何が表現されているか]
 ・裸体像 (ヴィーナス)
どのように表現されているか]
 ・ミロのヴィーナスと比較してリアルな自然描写で表現
[対象をどのようにとらえるか]
 ・神から人間を美術の主役に据え
 ・中世の美術の主役であるキリスト教から見れば「異教」にあたる神話の女神を、中世
教会が禁じていたヌードで描いた
[どのようにかかわるか]
 ・芸術家が表に出て古代の芸術を復興して裸体像の美学を再生

 ■マネ「草上の昼食」19世紀 印象派
何が表現されているか]
 ・スーツ姿の男性と二人のヌードのいる野外風景
どのように表現されているか]
 ・二人のヌードが当世風の着衣の男性と並べて描かかれている
 ・生乾きの絵の具の混じり合うタッチや明暗の対比を強調する配色
[対象をどのようにとらえるか]
 ・従来は神話や聖書の場面という口実で描かれたヌードをそのような口実なしで 描いた大胆な発想
[どのようにかかわるか]
 ・絵画の伝統に挑戦
 ・印象派の先導役を果たした

以上大雑把な見方ではあるが 西岡文彦著 「図説名画の歴史」(河出書房新社)を参考にしながら前述の手順にそって裸体像で共通する作品を取り上げ、それぞれの鑑賞ポイントに当てはめてみた。如何だろうか、今更ことあらためて言うまでもないことではあるが、美術史上に残る名作は「対象をどうとらえるか」や「どのようにかかわるか」の内容がその時代を超えた視点や発想であり、意味の重い内容であるということがいえる。

図画工作は「美術による教育」でもあるし、「美術教育」でもある。先人の残した美術遺産から図画工作の基礎・基本を学ぶことは決して的外れではないと考える。

前述の鑑賞ポイントを子どもの造形活動に置き換え、何が表現されているか]を[何を描くか]<題材>、[どのように表現されているか]を[どのように描くか]<発想・構想 創造的技法>、とし、[対象をどのようにとらえるか]を[(心情的に)どのようにとらえるか]、そして[どのようにかかわるか]を[表現手法としてのかかわり方]に読み替えれば各項目はよさを読み取る評価ポイントとなり、また一人一人のよさを生かす指導の留意ポイントになる。つまり[どのように描くか]という内容を[対象をどのようにとらえるか][どのようにかかわるか]の2つのポイントからとらえさせるような題材構成をすることによって、子どもたち一人一人が自分の思うような表現ができ、つくりだす喜びが味わえる活動ができるのではないかということである。
 ここまで書いてきて、今更こと新しげに声を大にして言うようなことではないということに気付くのであるが、子どもたちに題材を投げかけ、後は子どもたちの活動まかせという展開や、逆に表現の仕方の手順を細かく指示し、全員に同じような表現をさせようとする授業などを見かけるとき、上述の「対象をどのようにとらえさせるか」「どのようにかかわらせるか」を、子どもたち一人一人の活動をイメージしながら考え授業展開を吟味することは大切なことで、まさに図画工作の授業展開の基礎基本である考えるのであるがいかがなものであろうか。

最近かかわった校内研究授業から題材をとりあげ検証したい。

■うんどうかい 2年生 女児

 
 校庭に流れる音楽にのってリズム表現をしている場面であろう。
コースラインが波打っているのはメロディーの表現らしい


何を描くか(表現するか)]<題材>
 ・うんどうかいのようす
どのように描くか] <発想・構想 創造的技法>
 ●(心情的に)どのようにとらえるか
 ・リズム表現がたのしかった。
 ・音楽に乗って気持ちよく踊れた。

 ●どのようにかかわるか。(表現手法)
 ・音楽のメロディーやリズムも画面に表したい。
 ・クレパスで形を描き、水彩絵の具で塗る。

おわりに

基礎学力低下の問題は指導法を過去に戻せばよいという次元の問題ではない。教師の押しつけによる知識の記憶量が基礎的な学力だとは誰も認めないことであろう。今、学校教育に求められていることは、変化に対応して生きる資質や能力の育成とそのための各教科の基礎・基本を身に付けることである。

図画工作の基礎・基本は繰り返しになるが、「つくりだす喜びを味わうことを通して身に付ける造形的な創造活動の基礎的な能力」である。「つくりだす喜び」がキーワードであるが、この喜びが「単に楽しければよい」というものではなく自己実現につながる楽しさでなければならない。

そこで提案したいのが、「どのように表現するか」の中身を「どのようにとらえるか」「どのようにかかわるか」の2つのポイントに絞るということである。前出の「うんどうかい」の作品は校庭に流れる音楽に乗って体を動かして踊った楽しかった運動会の一場面を画面に表現したかったのであろう。音楽まで描こうと思ったのであろう。その思いを率直に直裁的に表現したのが波打ったコースラインであり、楽譜のように配置された水たまりのような形である。作者はこの絵を描ききったときどんな気持ちだっただろうか。描きおわったときの紅潮した表情が見えるようである。ここで教師が作品に描き込まれた音楽に気づいて言葉をかければその充足感はもっと大きなものになることであろう。「どのように表現するか」の中身を大切にする理由がここにある。子どもたちは「どのように表現するか」の時点でそれぞれの思いをもって表現しようとしている。その思いを思うとおりに表現させるために、2つのポイントを名画鑑賞の場面からのヒントで取り上げてみたのであるが、この観点が有効に働くためには、子どもたちの表現のよさを見取る教師の気づきで重要である。「どのようにとらえるか」「どのようにかかわるか」の2つのレンズの眼鏡を通して子どもたちの思いや表現のよさに気づいて欲しいと願うものである。そして一人一人の生きる力を育む教育に図画工作の教科の特性を生かして取り組んで欲しいと願うものである。

                       2005年1月